「
6Pの チーズのように 切り分けて ケーキ食べるや 三人家族」、「生まれ日の 告知に余白 あるを知り 写真を撮りて 妻の名を足し」、「ケーキ2個 買うは恥ずかし ひとつ増し あまりのそれは 夫婦で分けて」、「恍惚の 人となりても 忘れ得ぬ 愛撫で目閉じ 恍惚の時」
「風風の湯」の常連のMさんが最近「今夜は中華料理を食べに行きます」と言うので、「どこですか」と尋ねると、すぐ近所のいわゆる町中華店で、拍子抜けした。かなり裕福なMさんであるから、繁華街に出かけて高級店を利用するのかと思ったからだ。行き慣れているその店が一番おいしいと言うのはわからないでもないが、老夫婦が経営するごく小さな店では食材の質も種類もごく限られ、本格的な中華料理を食べたい人には全く物足らない。京都には有名な中華料理店の老舗がたくさんあって、筆者と家内は年に一度くらいはそういう店で食べたいと言いながら、その機会がない。というより作らない。息子を連れて3人で出かけても、酒を飲まないのであれば3万円で足りるが、70を超えるともうたくさん食べられない。それで筆者より1歳年下のMさんの考えもわかる。お洒落して出かけずとも、孫を含めて10数人が食べるのであれば、馴染みの近所の店から子どもが喜ぶ料理をたくさん出前するほうが面倒臭くなくてよい。今日は家内の誕生日で、スーパーへの買い物がてらに嵯峨と太秦を回り、外食することにした。たいていのめぼしい店は訪れているし、またどの店も下町らしく、ひとり1500円ほどで済む。食事と買い物を済ませ、三条通りを西に戻っていると、頑丈なファサードのケーキ屋の前を通りがかった。ウィンドウには「スイーツだからハートつながる」のロゴ文字のあるハロウィーンのポスターや多くのハロウィーン用のお化け人形が飾られ、子どもならその前を通ると立ち止まって見つめるだろう。それが経済的に貧しい子であればどれだけ残酷か。それでも母親は無理してスーパーの半額シールを貼ったケーキを誕生日やハロウィーンに買ってやろうとする。その母親の無限の愛を子どもは自覚しながら、ケーキの甘さにほんのわずかのしょっぱさも感じ、決意を持って大人になって行く。ケーキ屋を通り過ぎて筆者は振り返りながら家内に言った。「ケーキを買って帰ろう。」とはいえ丸ごとではない。夫婦ふたりでは2個でいいが、それではさびしいし恥しい。筆者と家内は好きなものを選び、もう1個余分に買った。店内を入ってすぐのところの白い板に、今日が誕生日の子どもの愛称が記してあった。親がホールのケーキを注文したのだ。下の方に余白があって、思うことがあったのでその全体の写真を撮った。今日の最初の写真はその余白に筆者が家内を敬して呼ぶ場合の名前「マダム郁ちゃんさん殿」を、筆跡を真似して書き加えた。わずかケーキ3切れだが、今日は誕生日であることは確かで、これくらいの悪戯は店も許してくれるだろう。
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