「
会合を 今夜開くや 満月と 胸を開いて 後は抱き合い」、「秘密には したくないけど それもいい あなたひとりが 知るだけでいい」、「この今を わたしと過ごす 満足に 雲なき月も 丸く満ち足り」、「わたしだけ 気づく合図と 信じれば しばらく笑みが 人目にわかり」
今年最後の満月。惰性で撮っている気がしないでもないが、それでも満月の日を知ることはそれだけ筆者に重要なことと言える。なぜ満月を気にかけ、写真を撮ってブログに載せるか。その理由を知る人がいればそれでよく、気づかれなくてもかまわない。となれば惰性の投稿になりそうだが、やはりそうではない。むしろこのブログで最も明確な意図を持って投稿しているのはこの「ムーンゴッタ」のみだ。それはこうして書く内容はどうでもよく、ただ満月ごとにその写真を撮って投稿するだけで足りる。文章はよけいなものだ。だがこのブログの建前として写真がなくても文章を書くことを強いているので、写真のみではその意に反する。それでこうしたどうでもいいことを書いている。この年齢になってからでは遅いが、たとえば男女の愛は、男が女の気持ちがわからないでは女に嫌われることはよくわかっていながら、その女が求める愛とは何かとなれば、男が思っていることとそうとう開きがあるように感じる。女は男のようには夢見がちではなく、もっと直接の触れ合いを求める。平凡な言葉を使えば、肌の触れ合いがなければ愛とは思われない。もちろん女が抱いてほしいという目をしていることを感じてのことで、それが察知出来ないでは恋愛する資格はない。しかし女がそういう信号をさりげなく送っているのに、男が無視すれば、女はさっさと別の行動的な男に行く。それが自然で、男は時に頭で考え過ぎる。もっとも考えるのは頭であるから、それは仕方ないことだが、頭ではなく、頭を含めた肉体全体の本能が女に対して積極的に行動しなければならず、女はそれを待っている。こんな素晴らしい女になぜあんな普通以下の男がくっついているのかという場面によく遭遇するが、そう考えるのは女の本性を知らない。頭だけで考える、すなわち理性的であればあるほど、女はそのことを見抜き、自分には合わないと思って去って行く。しかしそれでも理性を保ちたい男がいるし、それを理解する女もわずかにいる。したがって何の問題も起こらないのだが、普段の生活が物足りないのではなく、全くその正反対の理由から、しばしば男は気持ちに余裕がある時、気になる女のことをふと思い出すことがある。もちろん会話はそう簡単に出来ず、出来ても機会はごくわずかだが、そのわずかな機会に相手も理性で気持ちを抑えていることがかすかに感じられると、男は自分の魅力のようなものを確認し、気持ちが若返る。それは女も同じであろう。今日は満月に酔った。本当は酒を普段以上に飲んだからだが、同じことだ。
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