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●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その49
っかりと 見た記憶あり 伝え得ず 監視カメラ どうにか代理」、「思い出の よすがの品を ため続け 傍目はゴミの アミーゴさんと」、「愉快犯 誘拐犯に 誤解され 笑いは消えて 傍目豪快」、「タネ明かし されて不愉快 夢壊れ されど知りたい 謎の本性」
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その49_b0419387_23024648.jpg
身辺雑記が大半のこのブログは投稿の題名にほとんど関係のないことを書くことが多い。筆者のこれまでの投稿をAIに覚えさえ、筆者が書いたかのような内容を作り上げられるかとなれば、筆者はそれが出来ないことを目指していると言えば大げさだが、投稿題名を決めてこうして書き始めることは筆者にも予想がつかない場合がもっぱらで、いわば即興だ。それが苦しくもありまた始めると楽しいので、収入にならずともやり続けられているが、書き上げた時、予想外によく書けたと思えることがたまにある。読者の反応はわからずとも、自分で満足出来るのが何よりで、金をもらって他者を楽しませる義務がない分、本音が出やすいと思う。あるいは全部が本音だ。TV文化人の嫌らしいところは、金をもらう代わりに視聴者の思いをくすぐることが求められ、時に心にもないことを言うか、装う必要があることだ。それに身なりをそれなりに気にせねばならず、文化人であれば出演料はごくわずかと聞くから儲けにはならない。ただし顔と名前を売ってどうでもいい内容のつまらない本を大量に売れば印税が入る。話を戻す。AIに予測出来ない内容とは、出鱈目でどうでもいい支離滅裂な文章ということでもある。筆者はあえてそれを望んでいるのでは全くない。読後に時間がもったいなかったと思われない文章を書きたいのであって、支離滅裂を美しいとは思わない。筆者のブログは関心事を書くのは当然として、そのすべてを書くのは不可能であるから、等身大の筆者はこのブログの全文を読んでもわからない。それは筆者が染色という手作業の造形で飯を食べて来て、いわゆる美術を語るのではなく、実際に自分の手で造ることに大部分の時間を費やして来ているからでもある。ともかくこのブログは筆者の一部で、その全文をAIが記憶しても今後筆者が書くであろうことは予測出来ない。何が言いたいかと言えば、いくら大型コンピュータが発達しても、その能力は限られ、こと人間の創作に関しては絶対かつ永遠に踏み込めない領域があるということだ。ただし人は新しいものを信じやすく、AIが何かを表現すればそれに飛びついて大きな信頼を置きがちだ。知的な人は常に新しい何かを求めていて、それは膨張する宇宙と同じく、本人を含めて誰にも予測出来ない。それが生きているということの最大の意味で、それを楽しむべきだ。以上の膨張宇宙云々は図で示したい思いがあるが、話が込み入るのでまたの機会にする。ひとつ簡単に言えば、たとえば蘇鉄の写真を出汁にしてこれまで書かなかったことに踏み込みたいのだ。するとその分筆者の領域は広がり、それはAIには予測出来ない。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その49_b0419387_23030806.jpg
 今日の最初の写真は先月12日に撮った。その日は大阪の福島での461モンブランの野外演奏会を見た後、小雨の中、福沢諭吉が学んだ適塾に行ったが、福島から適塾までの間のどこかで見かけた。背丈はあるのに葉が小さ品種のようだが歩道脇ではこれくらいでいい。これでも大きくなると植え込みを葉がはみ出て歩行者をちくちく刺す。そうなれば葉をばっさり刈り取る必要が生ずる。2枚目は先月23日の西国街道歩きの途中で撮った。昨日の投稿の最初の写真は上下2枚とも家内を写し込んだ。上はたまたま後ろ姿の左半分が入ったが、下の写真はそうではない。そのことをAIが判別出来るかという思いから先の段落を書いた。この写真はわざわざ横向きの家内の全身像を中心に置くために撮ったのではない。「飛び出しボーヤ」と西国街道の奥を一緒に収めようとした時、家内が自治会の告知板を見て立ち止まったのでたまたま写り込んだ。しかしもうひとつの明確な思惑があった。家内の帽子のすぐ左奥に蘇鉄が小さく接して見えている。筆者はそれを「飛び出しボーヤ」と一緒に捉えることにした。そして撮影後にその蘇鉄まで歩いて撮ったのが今日の2枚目だ。この写真はほぼ水平の西日の影からして撮影時間帯が想像出来る。それは昨日の3枚目の筆者の影が写った写真と同じほどで、方角も同じだ。こうしたことまでAIは読み取ることが可能か。信じられないほどにこのブログの熱心な読者があって、また同じ西国街道のその区域を歩く人には、昨日の投稿写真が今日の蘇鉄を遠目に確認して撮ったものであることに気づくだろうが、そういう読者はいないので、今日は種明しをしておく。3枚目の写真は大きな蘇鉄で上部が途切れている。筆者にはしてはこの不手際は珍しいが、それには理由がある。この蘇鉄は西国街道歩きを終え、大阪王将で食事を済ました後、171号線を東に歩いてそれがやがて南方に垂直に曲がってJR茨木駅方面に向かう途中、名神茨木インターの高架と交差する少し手前、つまり北の東側にある自動車関連商品を売るガラス張りの建物の玄関脇にある。そこを通りがかる際、もう真っ暗になっていて、蘇鉄の全体がよくわからずにシャッターを切った。写真が比較的明るく写っているのはカメラの感度のせいだ。実際はぼんやりと蘇鉄とわかるくらいで、その日の最後の写真と思って撮った。以前書いたように筆者のカメラは記録媒体の残り枚数がわからない。それで当日はなるべく被写体を絞って撮り、この蘇鉄を撮る時は、駄目元つまりあまり構図にこだわらずにシャッターを押し、そしてどうにかまだ撮影出来る枚数の余裕があることを知った。こういう些細なことはどうでもいいようだが、筆者にすればさまざまな思いがこの出来の悪い写真に詰まっている。AIはそこまで読み取る能力はない。つまりAIは人間的ではないので面白くない。あるいはそうであるから面白いと思う人がある。
●撮り鉄の轍踏み蘇鉄読み耽り、その49_b0419387_23032786.jpg

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by uuuzen | 2023-12-19 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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