「
珍しき ことは少なし つまらぬと 陰謀説や オカルト信じ」、「退屈に 飽きていじめの うさ晴らす 偉ぶり人の 怖きものなし」、「どっち道 先は続けど 死があると 腐れて着くは 袋小路に」、「もう飽きた どこも似たりの 国なれど 秋田行きたし 美人見たさに」
今年の夏は水玉模様の帽子をよほど買おうかと思った。夏用の帽子はたくさん持っているのに、気に入ったものがあればまたほしくなる。だがどれも似ていて、他人は気づかないだろう。気に入った水玉模様の帽子は男女兼用で数千円で買える。白地に紺の水玉と、その逆の紺地に白があって、女性はどちらもいいが、男なら後者だ。ネットで検索するのは「ドット」の言葉を使うとよい。これは「点」の意味で、そう言えば水玉模様の生地のその「ドット」は直径数ミリから直径10数センチまである。後者の大きな円は「ドット模様」と呼ぶのかどうか疑問だが、
ヴィヴィアン・ウエストウッドの服にはよく使われ、それは中国の清時代の宮廷衣装の丸紋からの影響が大きい気がする。つまり式服的で、パンク・ファッションと呼ばれながら制服への憧憬がとても強い。日本語の「水玉模様」の原点はどこにあるのか知らないが、何度か流行した生地の文様で、古典となっている。紺地に500円玉くらいの大きさの白い円形を染め抜いた生地はありふれていて、その生地を「ドット」や「水玉」と呼ぶことに筆者は抵抗がある。どう見ても「ムーンゴッタ」の連続パターンだ。毎月満月は見られ、生涯にそれを繰り返し見ることは、紺地の白抜き水玉模様がカレンダーの満月のみを取り出して並べた人生模様に筆者には思える。それで水玉模様の帽子がほしくなったとのではないが、実はもっと深い意味を感じている。それは生まれ出る時に筆者が最初に見た光ではないかということだ。今日の満月の写真は、子宮からようやく出る際に見た眺めのような気がする。紺色は宇宙の色で、子宮の内部の色でもあろう。生まれた頃の記憶がいくつかあると家内に言うと家内はあまり信じないが、映画『ブリキの太鼓』を見た時、主人公が子宮から生まれ出る瞬間の、主人公から見た人間世界の最初の眺めの場面が、筆者の場合は産婆さんの笑顔に変わって同じように想像出来る。想像というからには現実ではないが、どっちでもよい。とにかく筆者は母と苦しみを共有して難儀してこの世に出て来た。丸くて白く見えていたこの世への入口は、真夜中の澄んだ満月と同じだ。その白い円形に筆者は何を見ようとしたか、また何を描こうとしたか、この年齢になって紺地白抜きの水玉模様の生地が気になる。もっともその直接的な影響は、家内が姉の遺品のひとつとしてもらった水玉模様の夏服の半袖の開襟シャツで、光沢のある生地を使って高級品感があり、黒地に直径1センチほどの白い水玉模様だ。家内になかなか似合っていて、それに合わせる意味もあって筆者も
水玉模様のシャツを今年の夏は何度か着た。
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