「
0よりも マイナスよろし 賭博かな どん底からは 上がる気のみに」、「広き庭 蘇鉄ありしは 趣味のよき 気づかぬまでも 何とはなしに」、「貧富の差 ありて蘇鉄も 大小の 嵩に応じて 家を飾れり」、「限りなく 立派になれの 意味込めて 一葉の蘇鉄 贈られし子ら」
大阪市内のキタからミナミ、あるいはその反対方向に歩く時、ひとつ置きの四つ辻ごとに同じ方向に曲がるオレオレ歩きをよくするが、展覧会など訪れる場所はほぼ決まっていて、オレオレ歩きの起点が同じならば毎回同じ道を歩くことになる。それは退屈なので一筋違う場所から歩き始めることがあるが、それでも大阪中心部のすべての街路を歩くのは一生無理だろう。ビル街なのでどこをどう歩いても見栄えはさして変わらず、どこを歩いているのかわからない場合がほとんどだが、見覚えのある場所に来た時にようやく方向感覚がかなり違っていたことを知り、今度は反対方向にオレオレ歩きを始める。これはひとりで歩いているので出来ることで、家内が一緒であれば無理だ。あるいは笑いでごまかしながらついて来させるが、若いカップルの男が同じ趣味の持ち主であれば一度のデートで別れることになる。以前に書いたが、筆者と家内が交際を始めた頃、家内の一番の友人の女性が結婚を前提に付き合い始めた男性がいた。筆者と家内は一度だけ彼に会い、その人柄に感心した。長身で美男、育ちのよさなど、言うことなしで、彼女が結婚すれば筆者はその男性と話をする機会が増え、そのことを思って楽しみにした。ところがある日のデートで彼が3、40分遅れてやって来て、彼女はそのことに立腹し、交際を断った。彼女にすれば「そんな失礼なことをする人は信用ならない」というのが理由で、筆者はかなり驚いた。本当に好感を持てば1時間でも2時間でも待つ。携帯電話、スマホがない時代では連絡のしようがない場合はそうするしかない。それに彼は仕事のつごうでどうしても待ち合わせの時間に着くことは無理であった。彼女の交際を断ったことを聞いた少し前、筆者は家内を大阪の地下鉄のホームで1時間ほど待たせたことがある。朝寝坊したからだ。電話がかかって来て母が出た。筆者は慌てて着替えて天王寺駅に向かった。会って笑顔を交わし、今に至っている。半世紀近く一緒にいることは、家内がそのデートの時に立腹して家に帰らなかったからだ。一方家内の友人はすぐに別の男性と見合い結婚し、その後決して幸福とは言えない人生を歩んでいる。あの時怒って帰らねば、そしてその彼と結婚していればと、彼女が考えたことがあるのかどうか知らないが、人生には重要な岐路があることを思う。家柄や学歴や経済状態など、好条件で結婚を決めるのは普通だが、家内は周囲の猛反対に遭いながらも筆者の口車にうまく乗せられ、方向音痴の筆者と一緒に西国街道歩きなど、今もどうでもいいことに付き合わされている。傍からひどい男に見えているはずで、それを否定しない。
シリーズ化している蘇鉄の写真の掲載は、過去の投稿を確認していないので、同じ蘇鉄を二度撮っているかもしれない。またあえて複数回数撮って載せていない蘇鉄の写真はあるが、大阪市内を歩きながら見かける蘇鉄は、「以前撮ったかもしれないが、念のためまた撮っておこう」という気持ちから二度撮ることがあるはずで、今日の最初の写真はその可能性が大きい。以前の投稿を調べるのが面倒なので今日使うが、この写真を撮った10月31日の夜は家内と奈良に出た後、難波から天神橋まで歩いた。その途中で見かけた蘇鉄で、見覚えがあるのに撮った。家内にオレオレ歩きをすると言い、正確に四つ辻ごとに東、次の四つ辻では北というように交互に方向を変えて歩いた。家内は京都に比べての大阪市内の大きさに改めて驚きながら、その夜は寒くなかったこともあって文句を言わなかった。サラリーマンはビルの間に点在する飲食店にいるほかは早々と帰宅し、筆者らのような歩行者を見かけない。何の面白味もない歩きと言えばそれまでだが、道路が碁盤目状であることの安心感があり、それはそれで面白い。2,3枚目の蘇鉄は今月5日に豊中市で見かけた。昨日投稿したようにその日は461モンブランの演奏会に家内と出かけた。2枚目はその会場となった「原田しろあと館」の庭だ。そばにある石燈篭の大きさから建物の古さと大きさが推察出来るだろう。「原田しろあと館」は初めて訪れ、往路は阪急の曽根駅から目印があって道に迷わなかったのに、復路は同館から同駅まで同じ道を戻ればいいものを途中で細い道を南下した。二度同じ道を回った後、少し小高い山手の道に迷い込み、左手は寺の境内なのか、碁盤目状ではない曲がった道を進み、坂を下ると見覚えのある気がする広い辻に出た。しかしグーグルのストリート・ヴューで探すもそれがどこか一向にわからない。道の角に酒屋があって、表から見ると割れおかきを安く売っていた。おかきに目のない家内なので、店に入ってそれを買ったついでに高齢の男性店主に駅への道を尋ねたところ、服部天神駅なら先の道を右に曲がってずっと先を行くとよいと言われた。やがてチェーン・スーパーのサンディが右手にあり、次にムーギョが左に見えた。そこで少し買い物をした後、さらに南下すると西松屋、ローソンがあった。今地図を見ると「服部天神駅利倉東線」という東西を走る道に出て、それを東に進んだ。その歩道は煉瓦が敷き詰められ、また車道とは緑地で分離されて雰囲気がよく、豊中市の豊かな財政を感じた。やがて左手に大型スーパーのLIFEが見え、そこでまた買い物をし、服部天神駅から帰途に着いた。今日の3枚目の写真は道にさんざん迷った小高い地域付近で撮った。いつもなら歩いた道筋を地図で確認するのに、今回はさっぱりそれがわからず,割れおかきを買った店も見つけられない。
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