「
レントゲン 影見つかれば ほっとけん オペか薬か 金は要るけん」、「青春は 花火のごとし 嘘なりし 花は咲かずに 火なき人あり」、「幼児に 線香花火 点させて 人生の意味 暗に悟らせ」、「運命と 認め諦め 心凪ぐ 欲の正体 知りて迷わず」
日曜日の今日、大阪で丸尾丸子さんらが出演するアコーディオンの演奏会を見た後、天神橋筋商店街に行き、いつものようにスーパーで買い物をした後、嵐山に帰った。今日の最初の写真は桂駅で出発する直前の嵐山行きの電車内で撮った。今月こそはいつもとは違う満月の写真を撮ろうと思っていたからで、満足の行く写真ではないが、自宅付近とは違う場所であることはわかる。しかし今夜は昨夜に続いて7時半から渡月橋から200メートルほど下流の桂川右岸で花火が5分ほど打ち上げられることを知っていたので、満月と花火を写し込むことを計画した。嵐山の旅館などが組織を作り、そこが資金を提供してコロナ禍の最中にこの花火大会が昔の復活の形で始まった。5分では大会と呼べるほどのものではないが、何もないよりはいい。花火を打ち上げるとして、大勢の人が集まるので警備員を雇う必要があり、資金がいくら必要か知らないが、会を組織する人たちの自己負担であり、鑑賞する人たちは無料で楽しむ。そういう人たちがSNSでこの嵐山の花火を紹介すると、嵐山に訪れる人が増え、店に使ってくれるお金が増えるとの目論見であろう。嵯峨のFさんはコロナ禍下でも嵐山の店で倒産しなかったのは建物が自前で、どれほど売り上げが少なくても梅干しと御飯で食いつなげるからだと言う。そのとおりで、テナント代を支払わねばならない店は、儲からないと見ればすぐに撤退する。そういう店が嵐山に増えていると聞くが、店舗が変わっても地元住民にはほとんど関係のないことで、変わったことに気づかない。それに天龍寺前の商店はみな午後6時には閉店し、外国人観光客はさっさと繁華街に行ってしまう。そういう状態では7時半からの花火大会は商売に関係のない地元住民を喜ばせるだけで商売繁盛の効果はほとんどない気がするが、何もしないよりかは嵐山にひとつの名物があることを報せる意義はある。この花火大会はネットに情報が上がっているとは思うが、筆者はいつも「風風の湯」の常連から聞いて知る。わずか5分なので気づけばもう終わっていて、嵐山名物とするにはかなりさびしいが、長年続けると認知度は高まる。ただし、地元の商店組合が資金を調達し続けることが出来ての話だ。経済的余裕があっての花火大会で、そうでなければそもそもない。しかし店が6時に閉店するのであれば経済効果はどのように判断するのか、主催者側の思惑がよくわからない。12月の花灯路ももっと長年続くかと思っていたのに開催されなくなった。この花火大会は花灯路がなくなったことの代わりとして、ひとまずは12年続けばいいが、景気に左右されることだ。
花火はいつも同じ河川敷で打ち上げられる。すぐ近くに自転車道路があり、打ち上げの10分前に筆者はひとりで家を出て「風風の湯」の玄関前に広がる桜の林の桂川べりにあるその道路を下流へと向かった。大勢の人が筆者の隣りや前後にぞろぞろと歩く中、この辺りならちょうど満月と花火が重なって写るはずと見込んだ場所に立ち、5分ほどすると打ち上げが始まった。スマホを持っている人は動画を撮るが、筆者の中古カメラは夜はシャッターを押して写るまでの間に2秒ほど要する。そのため花火が破裂する前にシャッターを押さねばならず、今日の写真は撮った順に載せるが、どれも見て撮ったものではなく、撮って見たと言うにふさわしい。どういう写真が撮れるかわからないのは賭博のようで面白い。予期出来ないことがたまにあってもいい。狙ったものを確実に得るには時間と費用をかければ成功率は上がるが、このブログに載せる程度の写真では1枚でも充分で、今回多く載せられるのはシャッターを押して写るまでの時間のずれを把握していたことを示し、筆者としては上出来だ。全部同じ場所で撮り、左下に小さく写る嵯峨美大辺りの灯りがどれにも写っている。もっともトリミングでその部分を収めたからだが、嵯峨美大がまだなかった昔はこの写真の背景は罧原堤を走る車のライト以外は真っ暗で、その分花火はより輝いて見えたであろう。前にも書いたが、松尾橋から渡月橋に至る桂川左岸の罧原堤は時代劇映画のロケにしばしば使われたのに、昭和半ばの白黒の時代劇映画では、松尾橋と渡月橋のちょうど中間の川の中の砂地での夜の斬り合いの場面に、背景の罧原堤を走る来るのライトが小さくいくつか見え、京都で時代劇の撮影が困難になっていたことがわかる。今では不可能でCGを使うしかないが、数十年先には昭和ドラマさえロケは出来なくなるだろう。そういう時代まで筆者は生きていないが、そう思えば人生は花火のように短い。そのほとんど瞬時の間に過去や未来を見通し、現在をどうにかやりくりする。嵐山の花火を見る人はそんなことを思うだろうか。「風風の湯」ではサウナ室や露天風呂からこの花火がよく見え、毎日通うFさんは見たはずだが、文学的と言えばいいか、思索につながる話はしないことにしているのでFさんが花火に何を思うかはわからない。今日のアコーディオンの演奏会にしても、「ああ、面白かった」でいいのであって、いろいろ理屈を書いても誰も感心しない。花火は「ああ、面白い」の最たるものだ。同じ火薬が爆弾に使われずに「炎の作品」となるところに人を楽しませたいという思いが込められ、その点において筆者のブログはやはり自分の満足しか考えておらず、無益は当然ということになる。とはいえ、人を楽しませていると己惚れていても、ひどい作品や人物は世の中に溢れている。ま、この話はやめておこう。
「花火」は華々しいのに、「火花」はあまりいい意味に使われない。石を打ち合わせて火を起こす経験をしたことはないが、そういう直接的な火花ではなく、敵対者同士が目を合わせて火花を散らせるという表現は洋の東西を問わずに通じるのだろうか。火花が散る程度ならいいが、国同士では爆弾を落とし合う。「爆弾の花」という表現はひどいので日本では「爆弾の雨」と言うが、クラスター爆弾なら「爆弾の花」と形容するにふさわしく、人間は「花火」の反対の極致に残酷なことを考え出す。クラスター爆弾はいかに効率よくという条件を前提にし、そこには「遊び」の歪な考えが宿っている。ロジェ・カイヨワの遊びの4つの分類はもちろん絶対的なものではないが、カイヨワが言いたかったことは子どもの遊びが大人の戦争や競技につながっていることで、しかも現在の文明社会では戦争が人類を滅ぼしかねないことを危惧していた。しかしそんなことをまともに考えている政治家はいないだろう。それどころか爆弾に細菌を詰め込み、建物を破壊することなしに敵国の人間を全部死滅させる方法があることを知っているし、原発に爆弾を落とされれば日本は住むところがない。その危険性を知りながら地震大国の日本は原発だらけで、冷静に思えば狂っているとしか言いようがないが、それを言えばどの国もそういう面はあって、遠い将来、人間が地球の歴史において花火のようにごく短い存在であったと言われることはあり得る。話を戻して、花火ような短い人生として、その間の記憶は経験順では思い出せない。昔のことほど鮮明であったりするうえ、何気ない、言い換えればほとんど意味のない些細な記憶の断片を急に思い出すことがある。それはそれだけのことで、当人の行動に何の影響も及ぼさず、すぐに忘れられるが、また何かの拍子に勝手に思い起こされる。そういう無意味の無意識のほうがおそらく圧倒的に多く、それはそれ以上にも以下にもなり得ないが、そこに人間の真実を置くと途端にひとりで虚空に放り出された無意味な存在に思える。そこで意味のあること、それは幸福な記憶やその反対の憎悪だが、を想起し、それをしみじみと噛み締めるのだが、もちろん後者は気分が悪いので前者を本能的に選ぶ。それは「美」を感じるからだ。花火が美しいのはそれが花のように整った形をしているからで、そのように作る花火師の造形感覚が反映している。それで筆者は花火を見に出かけて自転車道路の温かいアスファルトの感覚や周囲の人々の黒い後ろ姿や彼らの持つスマホに映る花火など、多くの映像や感覚を頭の中に花火のように散らしながら、そうしたどうでもいい些細な記憶の欠片を自動的に常に思い起こす可能性を前にして、無理にでも形の整ったもの、すなわち美の出現を望んでいる。それは自分で作り出すほかなく、満月のように穏やかで花火のように鮮烈なものだ。
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