「
ワンマンの バスに揺られし ワンマンは ワンタンメンを まとめ買い出し」、「土と日は祇園目指して 馬券買い 帰りの昼は 鰻か牛か」、「昼飯は 千円で無理 後いくら 小市民には 出費増します」、「サーロイン 歯ごたえ強し 輸入肉 価格に見合う 商品の質」
昨日家内と一緒に阪急阪神1日乗車券で神戸市内と大阪難波に出かけた。阪神が尼崎駅から難波まで線路がつながっているので、梅田に出てからメトロに乗り換えらなくてもよい。その代わり、難波から梅田に出るには、そしてメトロ料金の支払いが嫌ならば、1日乗車券で尼崎まで戻ってから梅田に行かねばならない。それに要する時間は40分ほどと思うが、電車の待ち時間を足せば50分にはなるだろう。一度か二度そのようにしたことがあるが、難波で用事が終わってからまた尼崎に戻るのはとてもしんどい気がする。それで歩いて汗が出ない季節では、どうせ天神橋筋商店街で買い物をするのであるから、難波からそこまで歩く。以前に書いたことがあるが、10年ほど前に亡くなった隣りの自治会の会長のAさんは天王寺生まれで、梅田に出ることがあれば天王寺まで歩くと聞いた。当時80歳くらいであったと思う。筆者は真似して一度だけ同じように歩いたことがある。Aさんは京都住まいの方が長かったにもかかわらず、若い頃に過ごした大阪の街が好きで、その京都にはない雰囲気を味わうために梅田から天王寺まで歩いたのだ。筆者にはその気持ちがわかる。環状線や地下鉄で一足飛びでは味気ない。それに急ぐ用もない。筆者はオレオレ歩きで難波から天神橋筋1丁目までは40分ほどか。1日乗車券で難波から尼崎に戻り、梅田に出て阪急に乗り換え、淡路に出てから天六まで行けばそれ以上の時間を要する。終日家に籠るのが普通の生活の筆者はたまに電車で出かければ、徒歩はあまり苦にならない。それで西国街道歩きをしたり、またそうした未知なる道の散歩で見かけたりする珍しいものや蘇鉄、飛び出しボーヤなど、ブログのネタを得る。大げさだが、自分の足で見つけたネタだ。それで「ゆうゆうゆうぜん歩録」という題名にしている。人生は歩いてなんぼで、歩きが健康の元にもなっていると思う。ただし真夏はよほどのことがない限り、多く歩くことは避ける。さて、今日の冒頭の短歌のいくつかは嵯峨のFさんとの話から思いついた。Fさんは地元の古老から頼まれて今年4月から右京区内のとある自治連合会傘下の老人会の会長を引き受けた。それで祇園にある場外馬券売り場に毎週土日に出かけている習慣とは別に、月に一度の京都市の各区の老人連合会が持ち回りで主催する京都市内ハイキングに参加するようになった。いつも400人ほどの参加があるそうで、京都生まれのFさんが一度も訪れたことのない地域を歩くことがとても珍しくて楽しいようだ。ひとりでなら絶対に歩こうとは夢にも思わない場所でも、大勢と歩けば景色が違って見えるはずだ。
Fさんの人柄は少しずつだが、温和になって来た気がする。老人会のまとめ役を引き受け、他の役員と会合を重ねていることは、会社を辞めた50以降四半世紀ぶりの多くの人との接触で、ある程度温和か人との協調性がなければやり続けられない。老人の8割が夫と死別した女性、2割が男性とのことだが、Fさん以下の老人会の世話役は女性がほとんどで、会合後の食事のたびにFさんは全員の分を奢るなど、気分よく協調していることが言葉の端々からわかる。Fさんは古老から頼まれた時、断ることも出来た。それをしなかったのは、「風風の湯」のサウナ室で筆者がよく平安講社の会合のことなどを話題にするからではないか。Fさんは「ワシとことは平安講社の役員なんかおらへん」と頑として考えを変えないが、手元の名簿にはFさんの自治連合会下に3名の名前が記される。Fさんは50で退職して以降自治会はさておき、自治会が集まる自治連合会の仕組みについて知らないだけなのだが、筆者は自分の意見を通すつもりはない。それはともかく、Fさんが今年から老人会の会長になったことは筆者との間で話題が増えた。ついでに書くと、わが自治連合会は何年か前まで西京区の老人会に入っていたのに、補助金を得るための書類提出が面倒臭いとの理由で連合会の会長が脱会を届け出た。それを元に戻せば、たとえばFさんが月一度歩いている京都市が開催するハイキングに筆者は参加出来るが、同じ西京区内でもちろん参加している自治連合会はあって、自治連合会同士で足並みが揃っていない。老人の集団歩きは危ないようだが、担当の区の役員がルート上の決まった地点に立って誘導し、またトイレの場所も教えるという。その役もFさんは経験したそうだ。さて、老人会がないので筆者は家内と歩く。今日の3枚の写真は神戸市内で撮った。最初は三宮からトア・ロードの坂を上って行き、「山本通3丁目」のバス停前で見かけた。2枚目は久坂葉子の家があった辺りの山手の道沿いで、北野の異人館が並ぶ東方に向けて歩いている途中にあった。3枚目は「風見鶏の館」の内部を見た後、そのすぐ近く、三宮方面に向かって下り始めるところだ。ある人にとっての関心は他の人にはそうでない場合がほとんどで、筆者とFさんとでは共通の話題を見つけることは難しい。しかしそれを言えば筆者は誰とでもそうかもしれない。音楽や美術が好きでも、誰もが蛸壺の中にいるかのように自分だけの愛好の仕方でひとり夢想していて、話し合っても花が咲くことはあまりない気がする。それでFさんとのように、どちらにとってもどうでもいい話に終始するほうが気楽だ。蛇足ながら、蛸壺人生は誰しもだ。壺の中の蛸は存在がそもそもほとんど誰にも知られず、知られていても、つまり有名人であっても、捕獲されれば、すなわち死ねばすぐに忘れ去られる。残るのは壺のみで、ブログという虚空の大壺に筆者は文章を放り込む。
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