「
奈良行きの 電車で行こう 遊園地 生駒の山の 夏の夜の避暑」、「お月さん お日さんあって 光ること 明らかに恥じ 夜に昇るや」、「七夕に 母と向かうや 銭湯に もう男湯に ひとりで入り」、「プリゴジン 五時にプリンと 人語リプ プーチンプチン 陳腐な御仁」
夏の猛暑は嫌でも、冷たいものを飲む時の快感は何物にも代え難い。相変わらず毎朝雀に古米を撒いているが、彼らも喉が渇くはずで、どこで水を飲んでいるのだろう。小皿に水を入れて庭の片隅に置いておくのがいいかと思うことがあるが、適当にどこかの水溜まりを見つけているかと思い直す。家内によれば大雨が降った後の樋に数羽群がっていることがあって、そこでの水浴びや水飲みが2階から見えるとのことで、やはり水の確保には困っているのだろう。すぐ近くに小川があるとはいえ、ざぶりと浸かることは出来ず、水溜まりを見つけるしかない。ところが昔と違ってどこもコンクリートやアスファルトで覆われて水の溜まる窪地がない。彼らは彼らで生きるのに精いっぱいだ。それは人間も同じだ。苦労をそうとは感じない生き方がベストで、それはあるものをそれなりに工夫して我慢することだが、人間は雀と違って大それた欲を持つ。その欲が満たされそうにない場合は怒りを抱え、誰かを踏み台にしようと画策する。それで詐欺が横行する。それはかわいいもので、もっと巧妙に、かつ法律に抵触しないように政治家などの権力者になる。女でも時々そういう権力志向の強い者が出て来るが、性器が女だけで内面は男なのだ。権力闘争は男のほうが暴力を使う分、荒っぽくてわかりやすく、単純と言えるかとなれば、男も陰湿だ。ロシアのプリゴジンの単純さは人気を得ているが、プーチンにすれば扱いやすいだろう。プーチンの料理人であったというから、プーチンにすれば簡単に料理出来るし、3時のおやつのプリンではなく、2時間も遅れて出される5時プリンのごとく、食えたものではないと思っているに違いない。それはさておき、夏はやはりよい。冷たいものを飲んで一息つくと、炎天下の庭や山、青空も生き生きして見えるし、まだ明るい空に上って来る満月もきれいだ。今日の最初の写真は昨日撮った。今日が雨で月が見えなければ使おうと思ったが、幸いそうならずに先ほど2枚目の写真を撮った。すぐ近所で撮るので先月と同じように屋根や電柱が入る。もちろん数歩歩けば月だけを収める場所に移動出来るが、人間的なものを一緒に写し込むほうが個性はより露わになる。とはいえ屋根や電線ばかりでは面白くない。しょせん家に籠りがちであればそうなるしかなく、毎月のムーンゴッタはほとんど惰性で撮っている。一眼レフのカメラを使えばクレーターの影が見える写真が得られるが、そういう見慣れた芸術志向も何となく嫌で、一眼レフは電池切れのまま放置してある。面倒臭がりということだ。それではこの文章はどうか。人間は矛盾を抱えている。
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