「
もたつきの 餅つき親父 野次を聞き 爺は辞意せよ ついに尻もち」、「若人に 譲って籠る アパートに 西日差し込み 極楽近し」、「定年の なき仕事にも 限りあり 諦念なくも 念滞り」、「年齢を 自覚せぬ人 恥ずかしき マウント取りは なお恥ずかしき」
大阪市内の三大商店街を5月21日に全部歩いた。大阪メトロの1日乗車券を買ったからでもある。その日の最初の目的は長居の自然史博物館で『毒』展を見ることで、その後に駒川商店街を歩いたことは
以前に書いた。商店街を縦横に歩き、長居駅に戻らずに商店街の北端で目に入った駒川中野駅から乗った。同駅を利用するのは初めてだ。なだらかな坂を地下に潜る際、50代の夫婦が「ああ、ここや、そこに商店街がある」と言い合う様子と擦れ違った。彼らは筆者と同じように数日前にTVで紹介された同商店街の番組を見たに違いない。となれば大阪市内に以前から住んでいても同商店街に馴染がなかったことになり、筆者らも似たようなものだ。その夫婦とすれ違う直前、地下から30代半ばの青年が坂を上って来て筆者とわずかに目が合った。驚いたことに半袖シャツの彼は腕に濃い刺青をしていた。地方出身のような素朴で優しそうな顔とその刺青があまりにも不釣り合いで、筆者は驚いてしばし家内にそのことを言わなかった。今の若者は昔とは考えが違うのか、今や刺青は珍しくなく、ファッションのつもりで入れたのだろう。しかしその目立つ刺青ではまともな仕事はなく、銭湯でも拒否され、不自由なことのほうが多い。それに刺青の費用も要し、消したくなった時はさらにまた出費だ。その青年の顔を今も思い返しながら、希望の少ない若者が増えていることの現実を改めて知る思いになる。刺青を入れることで特別視されたいのだろうが、そんなつまらない自己顕示欲はない。結局たいていの大人はその青年は救いようのない馬鹿だと判断して話しかけず、またその青年もそういうことを想像出来るほどの頭は持ち合わせているはずで、その人間関係の希薄さ、拒否感がさびしい。しかし奈良在住の有名な女性映画監督も背中一面に刺青を入れているとのことで、大人になれば自己責任において何をするも自由、他人に白い目で見られても平気という覚悟を持つ。話を戻すと、駒川中野から千林まで出た。そこに有名な長い商店街がある。何年ぶりかで訪れたが、駒川商店街とは趣が違う。夜間にアーケードの下をスケボーで走る若者が多いようで、今日の最初の写真の警告表示を数か所で見かけた。「飛び出しボーヤ」ではなく「飛び出しあんちゃん」が意地悪そうな眼つきで描かれている。つまりイラストによって悪さをするなよと言っているのだが、スケボーは使い方によっては商店街の地面のタイルを破損させ、そうなれば店の経営者は出費を迫られる。その常識がわかっていながら遊び場所がないので、夜間に遊びまくる。これは馬鹿とは一概には言えないか。
千林商店街のとある店先で50歳くらいのサラリーマン男性が中年女性店員に訊ねていた。「あの、以前買ったんですが、甘辛い味噌がありますね。」「コチュジャン?」「はあ、それです。一箱下さい。」コチュジャンはムーギョを初め、今はどのスーパーでも売っているはずだが、その男性は韓国人が経営する在日韓国人向けの店で買ったものがおいしかったのだろう。その後筆者はお好み焼きでも食べようかと家内に言うと、家内は入ったことのない店は必ず拒否する。千林に馴染みの店はなく、何も買わないまま、大阪に出た時はいつも訪れる天神橋筋商店街に向かった。つまりそれで当日は大阪の三大商店街をみな巡ったが、雰囲気に差があって、商品の買い物に一番便利なのは駒川であることを知った。さて、話は今日の2枚目の写真に移る。8月16日に撮ったものだ。前日から台風で、TVではNHKの津放送局が2枚目の一番上の写真の様子をカメラで写して暴風雨の様子をレポートしていた。その時、雨の中に「飛び出しボーヤ」の看板がわずかに見えたので、すかさず画面を撮影した。ピンボケだが中央にそれが小さく映っている。これは三重県の津にあるNHKの建物前のはずで、すぐにグーグルのストリート・ヴューで確認した。想像は当たっていた。2枚目の中央の写真が反対側から見た眺めで、下の写真は「飛び出しボーヤ」を拡大した。津には行く用事がなく、「飛び出しボーヤ」がどの程度あるのか知らないが、この写真のものは初めて見る形で、大通りの中央に設置されているのは信号や横断歩道をわたらない人が多いからだろう。TVではたまに珍しい「飛び出しボーヤ」が写るが、すぐに画面が変わるか、カメラが手元にない場合がほとんどで、今日の2枚目の上の写真はその意味では珍しくも撮影出来た。さて、3枚目は今日神戸市内で撮った。北野の異人館を訪れるためにかつて久坂葉子が住んだ山手の地域から東に歩いている途中で見かけた。手製のはずで、家から子どもが飛び出すことを知らせるものだ。この山手の閑静な住宅地で車は猛速度で走らないはずだが、低速でも子どもは大けがをするし、死ぬこともある。もっとも近年は自宅の車庫に車を出入りさせる場合に運転手が身内を轢き殺す事件がままあり、ちょっとした操作ひとつで人生を台無しにする自家用車社会はやはり野蛮なように思う。人間は便利に進化し続けているようでいて、全然そうではない側面を抱え込む。そしていつの時代も、突如飛び出して来る何かにうまく対応してすり抜ける能力が求められるが、さんざん注意喚起されているのに、自ら危険なことに飛び込む人がいる。最初に書いた刺青青年はその例だが、ごく一部の有名人の真似をして、自分もその人物の力を持てると錯覚するのだろう。何者をも真似しない生き方は強い者だけが可能だ。世の中はそうでない人のほうが圧倒的に多い。
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