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●飛び出しボーヤ、その88
りげなさ 努め強張る 顔を見て 目元口元 笑みで和らげ」、「腹を立て 野原で妻を 下ろし去り バックミラーに 消えて戻るや」、「手作りの 看板優し 古き町 ここに人あり 心通いし」、「子宮から 飛び出て妙な 子宝も 爆弾落とす 争いを知り」
●飛び出しボーヤ、その88_b0419387_18010922.jpg 先月23日に歩いた茨木市内の西国街道で撮った写真は1枚も没にせず、撮った順に3日前から3日連続で「西国街道」の題名で投稿した。西国街道歩きは京都から順にたどっていない。3日前の投稿「その32」は去年12月27日投稿の「その27」の続きだが、ややこしいことに先月23日はおよそ1年ぶりに、「その27」の最終地点から西にではなく、2キロほど西の大阪モノレールの豊川駅から「その27」の最終地に向けて東に歩いた。それはともかく今日は先月23日に歩いて撮った写真を使う最終日で、冒頭の写真が「飛び出しボーヤ」を写すものでもあって、「西国街道、その35」とは題さず、「飛び出しボーヤ、その88」とするが、写真の半分は「飛び出しボーヤ」は写っていない。元来西国街道歩きはそれのみが目的で、街道沿いに設置される「飛び出し」の看板はたまたま遭遇するものであるから、今日も「西国街道」と題してもいいが、今日を含めて計4回の投稿のうち、せめて最終回は撮った写真の半数を「飛び出し」が写り込むことを反映させた題名とする。さて、茨木市内には「飛び出し」の看板はとても多い。高槻市や京都市よりも断然そうで、また市販のものは珍しく、大半は手製の独自デザインだ。それは原型があって、彩色のみを自由に施したものだが、茨木市内に数百は設置されているはずで、それだけ交通量が多いと言えばそれまでだが、市民の思いが伝わる。ただし「飛び出し」の看板は木製で、10年経てば劣化は激しく、塗り替えるか新調する必要がある。数百存在するとして、一斉に全部が建てられたのではないはずで、朽ちたものから手直しして行けばよいが、地元PTAなどの考えが変わる可能性は充分にある。つまり手作りは経費がかかり、時間も要して面倒臭い、そして少子化のあまりもう不要ではないかとの意見は出るだろう。手っ取り早く市販製品で間に合わせるのはまだましだが、筆者は市販のものは初めて見かけた時以外は撮影しないので、筆者の投稿写真の数のみではその地域の「飛び出し」の看板の多寡は判断出来ない。筆者の西国街道歩きは京都市、向日市、長岡京市、高槻市、茨木市以外には西宮市や神戸市くらいしか経験していないが、茨木市以外の街でどう変化するかを確認することも西国街道歩きのひとつの目的にはなっている。ところで、茨木市内の「飛び出し」は大枠で決まった型以外には茨木神社のキャラクターになっている鬼の子どもをデザインしたものが稀にある。そのひとつの変形と言ってよい長方形の看板は3日前に投稿した「西国街道、その32」の2枚目の写真下の右手に写し込んだ。
●飛び出しボーヤ、その88_b0419387_18013093.jpg またこれと同じものが昨日の「その34」の2枚目の写真の右端に反対方向から見えるように設置されていて、走る子どもを象った定型ものとは別の組織が作ったのだろう。市販される「飛び出し」の看板には著作権があるだろうが、最初に東近江市で造られた「0型」は飲食店などが客の目を引くのに大いに利用し、その改造版をいわば勝手に店先に置いている。「0型」以外にいくつかある市販品を参考に改良したものが茨木市内の目立つ定型版かと言えば、そうではなく、おそらくどこかのデザイン事務所が請け負ったか、絵心のある人物がボランティアで制作したと想像する。その原型を適当に目鼻を描き変え、また服装の色を別のものにしているので、原型はもはや曖昧になってわからなくなっている。子どもの安全を守る看板であるから、金儲けが目的となっては非難を受けやすい。それで会社が製造を請け負う場合は、利益は最小限にとどめられ、また著作権を頑固に主張せず、PTAなどの各団体が自由に子どもに色を変えさせることは黙認しているだろう。この曖昧さは国が認める交通標識ではないからで、また手作りであればその曖昧さは倍加し、人を和ませやすい。市販の決まり切った記号ではなく、細部が子どもが手を加えた痕跡を露わにすれば、そこに地域の大人と子どもの良好な関係がほの見える。そのことが茨木市内の「飛び出し」看板では特に言えるが、前述のように看板の多さは危険な交通が多いことを反映し、住みにくい地域であることを形容してもいる。また盲人には見えないので、「飛び出し」がそうした歩行者の邪魔になるという考えもあるかもしれず、では人が接近すれば音が鳴る仕組みを持たせれば、今度は騒音問題が生じる可能性があって、人に優しいことを目的にしたこうした看板は多ければいいというものではない。「曖昧なルール」は言語矛盾だが、「飛び出し」は規則ではなく、単なる注意喚起だ。それが親切心による点に曖昧性があるのは日本的で、いいことではないか。規則を増やし続けても限りはなく、必ず規則から漏れることは出て来る。そこで「飛び出し」の看板を交通標識に格上げすることは無駄かつ無茶だ。運転手が走行中に「飛び出し」の看板を見て注意すると同時に心を和ませることが最大の目的であり、またその効果を上げるにはぬくもりのこもった手作りが市販製品よりもよい。昨日は最後に鍛冶屋橋の直前と直後の2枚の写真を上下に並べた。上の写真を撮ったのは右手遠くに「飛び出し」の看板が目に入ったからだ。下の写真もずっと奥にそれがあって、やはりこのくどいほどの数の多さは、国道とは違って狭い生活道路では却って子どもたちが危険であることをよく表わしている。そして今日の最初と2、3枚目の計5点の写真は「その32」で掲げた地図の鍛冶屋橋Fから東600メートルのHまでにある「飛び出し」の看板で、定型とその細部変更の具合がわかる。
●飛び出しボーヤ、その88_b0419387_18020857.jpg
 ここから今日の後半で、「西国街道」として投稿すべき内容となる。去年の秋にみんぱくの企画展を見たのは11月22日のことで、先月23日のみんぱく行きは1年と1日ぶりであった。「西国街道、その27」の冒頭に載せた地図では東端 「その32」のHからIの間となる。この区間は地図があっても方向感覚がわかりにくい。ましてや日暮れの早い季節であればなおさらで、去年はEから東へ続く西国街道がどのみちであるかわからずに道行く人に訊ね、結局要領を得ずにバス停から阪急茨木市駅に行った。どの道かと迷っている時、最もひょっとすればあそこかと思った狭くて暗い道に注目したが、そこに足を踏み入れる勇気のようなものが湧かなかった。それで引き返した判断は正しかった。そのまま進むと確かにそれは西国街道であったが、すっかり夜道を豊川駅まで歩くことになり、またきっと道に迷い、何よりも写真を撮ることが出来なかった。それで丸1年経って豊川駅から去年踏み込まなかった道の口を歩くことになった。その口というのは今日の3枚目の写真で、左手にL字型に道が曲がったその先から去年筆者はこの写真の撮影位置をぼんやり眺めていた。つまり1年後にぼんやり探っていた筆者の立ち位置に反対方向からまだ明るさの残る中、歩み着くことが出来た。その感激というほどのことでもないが、筆者なりのこだわりを、去年と同じく家内と一緒に歩きたかったのだ。そして撮った写真はすべて今日を含めての連日4回の投稿で使い終えるが、記念という意味ではなく、今日の最初の写真では家内が町内掲示板を見つめる姿を横から撮り、3枚目の写真では西日に照らされて地面に長々と投影した筆者の姿を収めた。これを撮る時に考えたのは、右の「飛び出しボーヤ」と左手の去年迷いながら立った場所、そして筆者の影で、構図は考えている。またこの写真を撮ったことでその日の西国街道歩きはまだ100メートルほどは残しながらも去年の迷いが解消した喜びがあった。「その32」の地図ではIが西国街道と国道171号線が交わる地点で、斜めに交差していることもあってHに至る道の口がよくわからなかった。地図のHは本陣で、風格のある木造建築が残されているが、拝観は一時停止になっていて内部の見学が出来ないことが告示看板からわかった。なぜ拝観停止になっているかを考えるに、茨木市内の西国街道歩きが多くの人の関心を惹かないからだろう。地元の老人会ではたぶん散策のコースに選んでいると思うが、そうした不定期かつ少ない人数では入場料で維持管理は無理だろう。では喫茶室を設けるか、何かの展示に使える空間に一部を転用する案もあろうが、江戸時代の遺産を現代的にそのように改変することは反対は多いはずで、またよけいな経費も要する。171号線を使えば交通に便利だが、そうすれば駐車場が必要で、結局忘れられた存在になるしかない。
●飛び出しボーヤ、その88_b0419387_18022913.jpg
 茨木市内にはほかにも歴史的、文化的価値のあるものがいろいろとあるはずだが、西国街道を人が頻繁に往来していた時代とは違って、今はそれに平行する171号線が茨木北部の最重要道路で、西国街道は古いままで残して行くしかない。というのは西国街道沿いに喫茶店や食事所がなく、それはそれで江戸時代風でいいとしても、やはりさびしい感じはする。今日の4枚目の写真は殺風景で、どこを撮ったものかわかりにくいが、去年家内と大いに迷った辺りだ。「その27」の最後の写真は勝尾寺川の土手沿いの道路で、そのすぐ先の171号線を越えてその土手道とはそのまま成り行きでつながる西国街道に相当する。写真のやや右奥に信号が見えているが、そこが三叉路になっていて、その3本の道の中央が西国街道だ。そのことは地図を持っていればわかりそうなものだが、詳しいことを書けば筆者が印刷した地図はインクが赤しか出ず、また広い地域を1枚に収めたものでおおまかなものだ。それを171号線沿いの店のネオンが点灯するような暗がりで確認するのはなおさら役立たない。それはともかく、まだ明るい間に西国街道歩きの目的を遂げ、空腹を覚えたこともあって、去年気になった勝尾寺川と171号線の交わる場所の北側にある「大阪王将」に入ることにした。筆者は1000円ほどのスージー・フワトロ・麻婆丼を食べた。京都で馴染みの「王将」では必ず天津飯を食べるので、それに似たものをと思って頼んだが、予想外においしく、量もちょうどよく、満腹満足した。京都にも「大阪王将」はあるが、一度しか入ったことがなく、同じメニューがあるかどうかは知らない。あっても料理人や場所柄が違えば、味や量は差があるだろう。ざっと見渡してもそこしか食べるところがない。食事を済ませて店を出て歩いて来た西国街道を振り返ると、頭上に今日の5枚目の写真の美しくも奇妙な夕焼けがあった。垂直に光が立ち上り、何とかという現象であることはわかったが、見るのは初めてであった。そこからひたすら阪急茨木市駅に歩き、途中でまた迷ったことは今月8日の投稿の後半に地図とともに書いた。歩き疲れが原因で、家内は「大阪王将」で食べたものを途中で少し吐いたが、労苦はそれで終わらず、その後1時間以上、市内の未知の道を、地図は用意していなかったので勘のみ頼りに歩いた。踏破した西国街道はもう二度と歩くことはないから、そういう戸惑いの思い出も楽しきものとして記憶したい。次の西国街道はもちろんモノレールの豊川駅から今度は西向きに歩くことで、それにはまたみんぱくの企画展を見なければならない。それが半年後か1年後かはわからないが、必ず次回はまた豊川駅に降り立つ。今回のあまりのこりごりぶりに家内は承知しないだろうが、また何も言わずに一緒に出かけるしかない。苦労も幸も一緒がいいではないかと家内に言えば、苦労のみの人生と言うが。
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by uuuzen | 2023-12-18 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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