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●西国街道、その32
保と聞き 久しく保つ 宝物を 蔵に満るか 旧家を想う」、「この道は シルクロードの続きなり 海隔てるも ローマに至り」、「古き道 残して通す 幹線路 車持たぬは 古き人なり」、「地図を手に 道間違えて また楽し 目当てどおりの 無味知ればこそ」
●西国街道、その32_b0419387_18432896.jpg
先月23日に家内と国立民族学博物館でインドの神々の図像展を見た後、西国街道を歩いた。これについての投稿はシリーズ化しているが、今のところ『新・嵐山だより(シリーズ編)』のカテゴリーに移すつもりはない。それは筆者にも読者にも不便なことだが、踏破した道がもっと増えた頃を見計らって、何年何月にどこをどう歩いたかの大きな地図とともに投稿する。現在のところ、かなり細切れ、かつ飛び飛びに歩いていて、正直なところ次にどこを歩くべきかを全く決めていないが、西国街道歩きのみで出かけることは何となくもったいないので、展覧会を見るついでなどの機会を利用したい。その点、国立民族学博物館(みんぱく)の企画展は便利だ。毎年の春と秋に企画展があり、それをたいてい見たいからで、同館で展示を見た後の残りの時間で近くの西国街道を歩く。ただし、それはみんぱくから遠くない範囲に限られるのは当然で、みんぱくついでの西国街道歩きはもう2,3回で終わる。今日の最初に掲げる地図の画像は、青線が先月23日に歩いた道筋だ。アルファベットの記号にしたがって説明して行くが、多くの写真を撮りながら困惑した。それは「飛び出しボーヤ」の題名で投稿すべき写真がおよそ半分を占めることだ。それらの写真は西国街道沿いにありながら、長く投稿を続けている「飛び出しボーヤ」の題名で投稿すべき思いが強いので、さてどうしたものかと3週間ほど悩み続け、こうして書きつつも妙案が浮かばない。「西国街道、その〇〇/飛び出しボーヤ、その〇〇」と題すれば、街道を歩いた順に写真を載せることが出来るが、細かいことを言えば、「飛び出しボーヤ」は「西国街道」とは違って『新・嵐山だより(シリーズ編)』に投稿を組み入れている。同じカテゴリーならば、題名をふたつ連ねた投稿もいいが、以前の「西国街道」歩きの投稿でも、街道沿いで見た「飛び出しボーヤ」はその題名で投稿した。それを今回も踏襲し、歩いて順に撮った写真の掲載にはならないが、「西国街道」と「飛び出しボーヤ」は分けよう。地図からわかるように、今回歩いた距離は2キロほどと短い。その程度なら2回で投稿は済みそうだが、「飛び出しボーヤ」の看板が多く、4回か5回に分けて投稿する。もちろん全部が「西国街道」の題名ではなく、「飛び出しボーヤ」を間に挟むが、今日の投稿のように、「飛び出しボーヤ」の看板が写った写真を使うのに、「西国街道」の投稿とする場合がある。ともかく今日から連続で4,5回に分けて書くが、全く個人的などうでもいいことの見本のような内容になる。
●西国街道、その32_b0419387_18435089.jpg みんぱくで展覧会を見た後、晩秋のことであるから日暮れが早い。それでぐずぐずせずにすぐに西国街道歩きに移る必要がある。しかし毎度のことながら、家内には街道歩きについては一切言わずに家を出ているから、家内をいかに怒らせないように西国街道歩きのその入口に到達するかが、まず最初の問題となる。しかもネットで不鮮明に印刷した地図はあるとはいえ、筆者も家内も初めて歩く道で、土地勘は全くなく、時には道を誤る。今日の地図で言えばAからIまで、つまり大阪モノレールの豊川駅で降りて東に進み、国道171号線沿いの去年東から西へと歩いた地点を終点として歩いたが、BからCまでは青の二重線にしている。これは間違った道を往復したからで、西国街道歩きからすれば無視して区間だが、その間違った道にも「飛び出しボーヤ」の看板はあった。それに家内との対話で記憶に残ったこともあって、それであえて地図に二重の青線で示した。さて、車に乗らない筆者が西国街道歩きに最も必要とするのは鉄道だ。最寄りの駅をまず探し、そこから歩き始めて、また数キロ先の最寄り駅もしくはバス停から帰路に着く。もう少し言えば、交通費をなるべく安価になるルートを考える。先に述べた展覧会のついでも同じ精神による。西国街道歩きはそれだけのためには実行したくないのだ。というのは、それのみが目的になれば、本州の西の端まで続く西国街道を全部歩こうという強迫観念が生まれる。筆者はそれをするつもりはない。せいぜい兵庫県内までだ。それですら全区間踏破にまだ4,5年は要するかもしれない。気長にやりたいのだ。ネットには西国街道の全ルートを示すサイトがいくつかあって、たぶん東海道五十三次歩きのように、すべてを歩いた人は大勢いるはずだが、筆者は全踏破が主な目的ではない。京阪神の範囲ですら知らない地域があまりに多いことを自覚していて、わずかでもそうした未知の地域の空気を吸いたいだけのことだ。それはグーグルのストリート・ヴューに頼れば疑似的に即座に味わえるが、自分の足で気温と日差しを感じながら歩きたい。まあ気軽な散歩だ。そうした気晴らしで見たことをこのブログでそれなりに長文を費やすことが出来るのかと自分でも疑問に思うが、写真と写真の間に原稿用紙3枚すなわち1200字という体裁を守りながら、即興で思いつくまま書く。歩いた道筋を示す地図の作成と写真の加工は数時間を要し、その前準備だけでも厄介な一仕事の気分だが、逆に言えばそうした前準備を済ませば、さあ書こうという気になる。ただしそれには冒頭に歌を4首詠む必要があり、そこでまたパソコンのキーがしばらくはリズミカルには鳴らない。ともかく、せっかく歩いた道であり、また写真を撮ったのであれば、ブログの恰好のネタになる。その思いに発した投稿に過ぎず、読者に西国街道歩きを奨めるものでは全くない。
●西国街道、その32_b0419387_18441623.jpg 大阪モノレールはまだ延長される話をTVで知ったが、筆者は現状の全線を乗っていない。門真に近い大東市に梅津在住の従姉の娘が住み、一度はそこを訪れたいと昔から思っていて、車を利用しないのであれば大阪モノレールが便利と聞いた。西国街道とは関係がない地域でも筆者は知らない場所だらけで、その行動範囲の狭さは思想のそれに比例していると想像する。蟻と鯨とでは、誰でも鯨を崇拝し、時に芸術家はオマージュを捧げる。その伝で言えば筆者は蟻そのもので、それは車の免許を持っていないことゆえと思われやすい。確かに一理あるが、梅津の従姉夫婦は夫が大の車好きで、気まぐれに車を走らせて日本海のなんとか岬のその先端まで行ったという話をよく聞くが、夫婦は車に乗るばかりで電車を利用せず、切符をどう買うか、プラットフォームでどう乗り換えるかなど、電車に乗るのが一種の恐怖だと言う。頭の中の地図が車道本位で作られていて、筆者の鉄道やバス本位のそれとはまったく違い、これはどちらがいいかは即断出来ないだろう。西国街道歩きにしても、車でなら即座に長距離を走ってしまえるが、それでは見落とすことは多い。筆者は速度が重要ではなく、自分の足で歩いて何に気づくかが目的で、嫌がる家内だが、一緒に歩きたいのだ。道をともに歩くことはわずかな時間でもその人と人生を共有することだ。共有したくない人は誘わないし、当然一緒に歩くことはない。筆者にとってあえて一緒に道を歩く人はかなり重要と言ってよい。しかし歩きたいと思っても家内のようにたいていはしんどいだけであると思われ、拒否されるのは明らかだ。それにたとえば筆者が関心を抱いた年下の人があったとして、その人をどこかの施設に一緒に行こうと誘った場合、筆者が相手を退屈させまいとするお喋りが気に食わないと思われることは必至で、そういう正確な自覚を高齢者は持っていなければならないというあたりまえのことを思う。そうであるから、西国街道を家内と歩きながら、筆者は常にひとり数十メートル先を歩き、家内とはほとんど話さない。以前に何度か書いたが、先を歩くのは筆者がよく道を間違えるからで、家内にすれば数十メートル先で筆者が振り返って戻って来るのを見た時、「やっぱり横に並んで歩かなくてよかった」と安堵することを見越している。つまり家内の無駄歩きの労苦を軽減するために筆者は先をひとりで歩く。それは動物的な雄の本能と思うが、一方で先を歩く筆者がやや不審な男性とすれ違うと、すぐに振り返ってその男性が家内に危害を及ぼさないことを見届けるまで立ち止まる。つまり数十メートル先を歩く筆者は家内に対して冷たいのではない。家内は西国街道歩きには全く無関心で、これまでどこをどう歩いたかの楽しい記憶はなさそうだ。しかし筆者が決めたことを少しずつこなしていることはよく知っていて、無駄なことに協力している思いはあるようだ。
●西国街道、その32_b0419387_18444950.jpg
 西国街道歩きは京都から西へと順に歩くのが本来はいいが、前述のように歩こうと決めた区間の起点の最寄り駅に降り立つから、今回はモノレールの豊川駅から東へと逆方向に歩いた。豊川駅は初めて下車する。みんぱくのある万博公園からはモノレールを一度乗り換えるだけで済み、高架になっている駅の南口から降りた場所が西国街道であるので、よけいな道を歩かずに済んだ。地図からわかるように国道171号線のすぐ南側を西国街道は同国道にほぼ沿い、蛇行する勝尾寺川を二度わたる。豊川駅が国道の真上に造られなかったのは国道より北側は住宅が少ないからだろう。今日の地図を除いた最初の写真は、上が西国街道に入ってすぐ駅の高架を、西を向いて見上げたものだ。下の写真は同じ立ち位置から東を向き、駅から下り坂になっていることがわかる。2枚目の写真は「飛び出しボーヤ」で投稿すべきだが、地図のAからBに至るB寄りの半ばは上の写真に見える石組みが続くことを示したかった。これは西国街道の南側は地面より4,5メートル高い土手となっていて、この付近の西国街道は江戸時代のままではないことを想像させる。それはともかく、Bが2枚目の上の写真で、そこから少し北に入ったところが2枚目下で、三叉路になっている。筆者はそこで間違えて北寄りの道を進んだ。3枚目の写真のように道は緩やかに右に曲がっていて、西日が差し、またすぐ前を若い女性が歩いていた。その女性はすぐに左に折れて姿を消し、筆者が4枚目の写真の上、すなわちすぐ先の前方で「飛び出しボーヤ」を見つけ、それを撮影している間に家内が追い着いて視界に入った。日差しの角度の変化から道が大きく曲がっていることがわかる。やがて左手すなわち北側に公園があって、10数人の子どもたちが球技で遊んでいた。そこをさらに過ぎて4枚目下の撮影場所に至った。突き当りに至り、大きなトラックが何台も停められていた。また「飛び出しボーヤ」の看板があったので、それを収めながら右にその大きな駐車場をわずかに収めて撮ったが、投稿用に加工する際にその部分を削った。しばらく進むと目の前に国道が見えたので道を間違ったことを知った。真東に進むべきを、道の行き止まりから真北に歩いたのだ。日差しで間違いに気づきそうなものだが、そこが筆者らしい。家内が言うには、ある大きな家の表札の苗字と同じ名前の会社名がその大駐車場や周辺の建物にあったとのことで、昔は田畑か荒地であったのが、国道が通ったこともあって土地成金になったことを想像させる。同じことは日本中至るところにあって、嵐山でも同じだ。古くて細い街道はそのままで、それとほぼ平行して新たな舗装道路が造られ、それに伴って住宅が急増し、田畑は減少して、古くからの土地持ちが大金持ちになる。茨木市内の西国街道沿いもそういう目で見ればわかりやすい。
●西国街道、その32_b0419387_18450347.jpg

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by uuuzen | 2023-12-15 23:59 | ●新・嵐山だより
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