「
賜物に 満足せずに 親ガチャを 恨んでさびし 幸はみな逃げ」、「気がかりを 減らして晴れて また曇る 人生天気 お日様次第」、「新しき 興味抱いて 不思議がる 己は何か 生は遊びか」、「前を行く 八十路夫婦の 手つなぎの 固き握りを 雑踏知らず」
昨日は阪急阪神一日乗車券を買って家内と出かけた。暑さが大いに気になるが、ここ数日は少しは気温がましで、曇天であればどうにか歩ける。今日までが期間の展覧会をふたつ見るのが主な目的で、それとは別にここ2、3か月気がかりの図書館の本の貸出が終わったことを昨夜知ったからだ。その本の見るためにまず吹田の図書館に行くことにした。今年発売された本で、3000円少々で買える。知りたいのはその本に載るごくわずかな情報で、関西では大阪の荒本にある大阪市立図書館と吹田市立図書館の2か所のみが所蔵し、荒本は遠いので吹田に行くことにした。それに吹田であれば阪急阪神一日乗車券が使える。このチケットは2,3年前までは1000円で、今は1600円だ。京都の市バス地下鉄一日乗車券の1100円に比べると安いが、夫婦では食事代、喫茶店代、ついでに立ち寄るスーパーでの買い物など、出費をけちっても1万円は使う。最低ランクの年金暮らしでもあり、3000円の本でもなるべく図書館で見たい。一方で本は頻繁に買うので3000円をけちったくらいでは毎月の本代が減る感じは全然ない。それはともかく、昨日は下車したことのない阪急千里線の豊津駅から図書館まで往復1.5キロほどで、それくらいなら家内も文句は言わないと踏んだ。今日の最初に掲げる地図は昨日歩いたルートを示す。いつもならネットで地図を印刷するが、わかりやすい道なのでそれをしなかった。方向音痴の筆者であり、家内ともどもスマホを持たないので、初めて歩く街はちょっとした冒険気分になる。外国であっても同じことだ。筆者が見る夢の9割は見知らぬ街を歩くもので、その途中で出会って話す人も9割は現実に出会ったことがない。そうであるから、昨日の吹田市内歩きは、こうして思い返せば、見た景色が夢の中のそれと区別がつきにくいところがある。もちろん頭の中では意識して現実であったと思っているし、再訪すれば道は同じようにあるから、夢ではないことはわかっているが、過去の記憶になってしまうとその経験した現実が、夢での見知らぬ街歩きとく別がつきにくい。もう少し言えば、夢での街歩きは現実にはない街であるから、却って魔術的な魅力は異様に大きく、時に死んだ母の存在を感じたりして、目覚めた後に寂寥感に襲われることもある。しかし知らない街を歩くことは、擦れ違う人々はみな知らない人ばかりであるから、孤独を噛み締めること以外にないのであって、夢ではその意識したくない思いが無意識に誇張されるのだろう。こんなことを書いていると自分が認知症の入り口に立っている気もして来るので、現実に戻ろう。
地図は吹田市の南3分の1ほどで、左端のAが豊津駅だ。そこから東に500メートルほど歩くと山手に登る坂がある。図書館はBだ。紅茶を買う必要があったので途中で大型スーパーに入った。そこで体を少々冷やした後、家内より50メートルほど先をどんどん歩き、坂を上って図書館に着いた。すぐ右手の受付カウンターで目当ての本の題名を告げると、本館になく、別の館に保管してあるとのこと。てっきり吹田市内の最も大きな図書館と早合点をしたが、司書の女性は申し訳なさそうな笑顔で目当ての本を保管している別の図書館の地図をくれた。それを見ると吹田市内に何と10か所もある。図書館の次に神戸方面の美術館に行くので、本は別の機会にしてもよかったが、2、3か月間、ほぼ毎日ネットで調べて返却を待っていた。次の機会ならまた貸し出されるかもしれず、展覧会のついでとなればいつになるかわからない。一時も早く内容を確認したいので腹を決めた。地図は簡略なものだが、JR岸辺駅から15分ほどで、JR吹田駅からでもややそれより時間を要する程度と聞いた。地図のCが阪急の吹田駅、DがJR吹田駅だ。昔友人のHとJR吹田駅近くで飲んだことがあるが、車に乗らない筆は土地勘が全くない。Bの図書館で本を確認後、Cの阪急吹田駅から淡路駅に行くつもりであったのが、Cには用がなくなり、Dに向かうとしたはいいが、方向がわからない。それで自転車に乗った高校生男子ふたりが信号待ちをしているところをつかまえ、JR吹田駅はどちらに歩けばいいかを尋ねた。大通りの東側の歩道を行くとすぐ左手がアサヒビールの工場で、巨大な銀色の円柱ビール・タンク・タワーが何本も建っていた。目を西側にやると片山神社で、そのすぐ隣りはビールを入れる黄色のプラスティックのケースが山積みにされていた。家内は半世紀前はそのビール工場はJR岸辺駅の線路際にあったと言う。そこからわずかに南に移転したのだ。ビールの博物館の表示があって、ついでに入ってみるかという気になったが、家内が言うには、ネットで予約した者のみ対象と断り書きがあったとのこと。汗まみれになりながら、ビール工場の北端の交差点まで来たところ、地図と照らして方角がわからなくなった。道は斜めに走り、しかも吹田駅も線路も見えない。地図のE点で立ち止まっていると、日傘、マスク姿の若い女性がやって来た。駅から出て来たのかどうか知らない。彼女をつかまえて図書館でもらった地図を見せ、「ここに行きたいのですが、線路沿いの道とはどこですか」と聞いた。すると彼女は「この図書館までは歩いて20分か25分はかかりますよ。車が走っているその先の道路がそれです」と笑顔で言う。マスクをしているので笑顔かどうかわからないが、目と声が笑っていた。20数分なら平気だ。それでまた家内を数十メートル後にしてさっさと歩き出した。
ところが速足で20分は歩いたと思える頃になって不安が襲った。バス停の名前にもなっている、パトカーが停まっている交番を過ぎて5分ほど歩いた頃、どうも道が違うと感じたのだ。図書館では線路が見える道をずっと歩けばよいと聞いたのに、線路は一切見えない。それに道は真北寄りになっている気がした。団地の前のGの地点で立ち止まり、家内が追い着いた。団地前の看板地図を見ると、図書館の住所はやはり線路沿いだ。そこで50メートルほど戻って交差点を南下した。幅の広い殺風景な道で、JRの架線がやがて見え、電車の音も聞こえた。道を教えてくれた女性は道の筋を一本を間違ったのだ。図書館でもらった地図では道路沿いの目指す図書館があるが、女性が示した道ではどこまで行ってもそれはない。ほぼ平行して二本の道が走っているとはいえ、やはり線路沿いの道を行かねばならない。Hに至ると、そこに各施設の方向を示す表示板があった。目指す図書館は200メートル先とある。家内が言うには、その図書館に至る道一帯がかつてのアサヒビール工場であったとのことだ。それが現在地に移転した後、図書館やスポーツなどの施設が入る建物などが出来た。ビール工場の移転は、図書館の新しさからして20年経っていないだろう。図書館の場所は地図のIで、内部からガラス越しすぐに初代新幹線の車両の展示が見えた。筆者が大阪で設計会社に勤務していた時、新幹線の鳥飼基地に調査に出かけたことがある。大量の新幹線車両が居並ぶ中、その下水排水路の状態を確認するためであった。図書館の位置はその新幹線基地からはさほど離れていないだろう。その設計会社は現在梅田にあるが、最寄り駅はJR東淀川駅で、神崎川沿いにあった。また家内は同じ会社から社用や私用でしばしば吹田市内に出向くことがあったそうだが、半世紀も経てばすっかり街は変化している。話を戻して、目当ての本は幸い貸し出しされていなかった。一昨日の夜は在庫中であっても、一日で貸し出しされることはある。そうなっていれば汗みどろで歩いたことがみな徒労になった。後方を歩く家内を振り返ると、シャツを脱いでタンクトップ姿で、ほぼ上半身裸の状態だ。家内が図書館のトイレで汗を拭い、体を充分冷やしている間に筆者は本の目当ての箇所を複写した。一か所だけと思っていたのに、二か所重要なページがあって、たくさん歩いた甲斐があった。気がかりを放置することには慣れてはいるが、行動してしかも粘ってそれを少しでも減らすと気分がよい。最初の目的を果たし、後は阪急の正雀駅のL地点に行くだけだ。線路沿いを歩いていると、右手に歩行者用のトンネルがあることに気づいた。そのJでは自転車が何台か出入りしていて、JRをくぐるものであることは明らかで、両側の壁面が子どもたちペンキ絵で埋まる長くて暗いトンネルを抜けた。そこがK地点で、Lまでは家内が途中で道を聞いた。
吹田市は南北に長く、北辺からわずかに北に西国街道があって、すでに家内と踏破したが、今日の投稿はそのおまけだ。吹田駅前で女性から教えられた道すなわちFからGは古い家並みで、そうした昭和感はまっさらな街並みよりかは楽しい。家内もそのことを感じたはずで、西国街道歩きのように2時間近く歩いたのに、真剣に怖い顔をしない。今日の3枚目の写真はFからGまでの途中で、ピンク色と紫色の壁面が面白い。先月10日に西国街道を歩いた時、箕面市内でこれと同じ紫色の家の壁を見た。4枚目の写真は歩道際の黄色いカンナの花で、とても小ぶりであるのが面白い。最近隣家の裏庭に近くに咲いていたオレンジ色のカンナの一株を移植した。背丈ほどの大きさがあり、うまく根付けば来年は開花するだろう。以前に書いたことがあるが、カンナは小学生で知った花で、愛着がある。今はほとんど見かけないのは、庭のある家が極端に少なくなり、また広い場所、日当たりのよさを好む花なので人気がなくなったのだろう。それで写真のような園芸種が生まれた。ひまわりも小型のものがあって、日本はますますちまちまとした国になって来ている。吹田市内で蘇鉄のひとつくらいは見られると思ってカメラを持参したのに、歩いたAからLまでの間にはなかった。その代わり「飛び出しボーヤ」の投稿に使えるものを1枚、そして球体の置石、これを筆者はオニゴッタと呼んでいて、街中で見かけると必ず写真を撮るが、それを置く場所を吹田駅近くと、FからGまでの間で一か所見かけた。これらオニゴッタの写真は10数年間投稿せずにため込んでいるのでかなりの枚数がある。FからGの車道は「大阪高槻京都線」と呼び、この名前の三都市をつないでいるのだろうが、筆者は高槻や茨木の部分的な道は歩いたことがある以外は知らない。車に乗る人と歩きか電車を利用する筆者とでは、道路地図は大いに違い、道路周辺の見えているものにも大差があるだろう。先に見知らぬ街つまり現実に存在しない街を歩く夢をよく見ると書いた。夢は個人が無意識に見るもので、見た本人もたいていはすぐに忘れ、価値を重視しない。それに筆者が見た夢を他者がそのまま見られる機械な仕組みが出来たとして、そんなものを見たいと思う人はまあない。ということは、今日の投稿のように筆者が7キロ近くも歩いた道筋を地図で示したとして、それに関心があるのは筆者くらいだ。ただし夢と違って地図上に記しておけば、夢とは違って現実の道をたどることは出来る。何が言いたいかと言えば、誰にも知られない夢と違って、自分や他者がわかる形で表現すれば、「かつてあった現実」となることだ。こう書きながら、今日の地図を実際は歩いていないのに捏造出来ることも思う。小説はそうしたことの代表だ。小説は作者の夢だが、文章の巧みな組み立てによって読んだ人には「夢ではあるが、かつて経験した現実に似たもの」となる。
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