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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『京の食文化展-京料理・京野菜の歴史と魅力-』
14日に京都文化博物館で見た。ここは岡崎にある京都市美術館や国立近代美術館より便利なところにある。建った当初はあまり集客は期待されなかったが、繁華な地区に隣接しているので買物ついでに足を延ばしやすいため、今ではすっかり定着して人が多く集まる場所になっている。



●『京の食文化展-京料理・京野菜の歴史と魅力-』_d0053294_2102427.jpg岡崎は平安神宮があったりするなど環境はいいが、足の便が悪い。何年か前、京都をもっと活性化させる大胆なアイデアが市民から募られた。原稿用紙にアイデアを書くもので、筆者も面白半分で応募したが、応募は思ったより少なくて300程度だったと思う。優秀賞のアイデアをまとめた簡単なパンフレットが送られて来たように記憶するが、どれもたいした内容ではなく、いかに金をかけないで観光客が誘致可能かを主張していた。筆者が書いたアイデアは、四条河原町から岡崎までを結ぶ専用の路面電車か地下鉄の設置、もしくは歩いて行くにしてももっとムードのあるように、途中で寄り道して楽しい店をたくさん設けるというものであった。これは自分の希望をそのまま書いたもので、岡崎に出るのにいつも不便を感じている正直な思いだ。四条河原町から徒歩20分少々で岡崎界隈には着くが、歩いて楽しい道ではない。裏道を熟知していれば下町っぽい場所を縫うなりしてあまりバスが通る大きな道の空気を吸わずに歩めるが、それでも面白い店があるわけではなく、せっかくの美術館までの道のりはただ疲れるだけという気分だ。バスに乗れば5時間はかかるほど混雑するので、歩く方が1000倍早い。何も知らない観光客は長い間バス停で待っているが、京都をよく知る者からすればそれはあまりに哀れな姿で時間の浪費がはなはだしい。それで、直通の専用電車は何十億のお金がかかるから無理としても、途中にもっと本屋や洒落た喫茶店などをたくさん誘致して、歩いて楽しい道に出来ないものかと思う。そんな意見が通るはずがなく、筆者の意見は選外になったが、こういうことは有力な文化人が政治家と手を結べばただちに実行されるはずで、どちらか片方が駄目ならば結局は駄目なのだ。今の京都はそういう状態になっている。それでも文化博物館があってよかった。市立美術館や国立美術館が開催しない展覧会を頻繁にやるからだ。京都にはほかに国立博物館や、また高島屋と大丸が中心部にあって展覧会を毎週のように開催するので、とてもコンパクトにまとまった市内で常にたくさんの展覧会に接することが出来る。これは美術ファンにとっては大阪や東京以上に便利がよいはずだ。
 そのように特殊な地域と言ってよい京都は野菜でも独自のものを昔から育んで来て、京野菜と呼ばれるものが普通にスーパーに並ぶ。こうした特定の地域だけで作られる野菜は大阪や奈良にもあって、どの県でも存在すると思うが、種類の豊富さにおいては京都が一番ではないかと思う。江戸時代以前から京都は周囲から名産物がいろいろと集まっていたし、京都のよい水や土を利用しておいしい作物が今も育て続けられている。今回はそんな京都の野菜や、それを使用した料理を紹介するもので、通常の美術展とは違うが見て損のない企画であった。図録の背がオレンジ色の装丁で、これは文化博物館独自の企画展であることを示すが、他県ではやらないこういう展覧会を頻繁に開催することも京都に観光客を誘致する要因にもなる。どんどんやってほしいものだ。今回は内容が内容だけに、筆者が見た時は中年以降のおばさんたちが多く、いつもの雰囲気とはかなり違った。これはこれでよい。むしろそうあるべきで、さまざまな人に館に来てもらうことが肝心だ。おばさんたちで思い出した。筆者もおかしいと気づいたが、あるお碗の吸い物に入っている白い野菜の片が説明では「百合根」とあったのにそれはどう見ても捩じれた形をした「チョロギ」で、おばさんも同じことを言っていた。もし百合根とすれば、わざわざ捩じりを包丁で入れたことになるが、小さな片をそのように細工するだろうか。それなら最初からチョロギを用いた方が早い。百合根の一片とチョロギ1個とでは似た大きさと色をしているから説明が間違ったのかもしれない。チョロギを最初に写真で見た時はこんな捩じった形の植物があるだろうかとびっくりした。本物のチョロギを見たのはそれから20年近く経ってからで、しかも人間が2、3人入るほどの大きな樽いっぱいに紅色に染められて入っていた。その何十万あるかわからないほどのチョロギの数にもまた衝撃を受けたものだ。その後は頻繁に見るようになり、また食べもしたが、本当に植物は変な形をしたものがある。
 京野菜のかぼちゃもそうだ。若冲がよく絵に描いているのはそれで、ひょうたんのように胴がくびれている。これはスーパーでもよく見かけるが、まだ買って食べたことはない。今回知ったが、どんどん改良が進んで、今ではくびれが江戸時代よりはるかに深くなっているそうだ。和根に洋菜風が混じって来たからか。今回は1か月以上の会期でもあって、実物の野菜を展示出来ないので、蝋で作られた実物大模型が並べられた。料理の方も同じで、その再現物を順に見て行きながら空腹を覚えて仕方がなかった。それほど本物そっくりに見えるようによく出来た模型であった。だが、今回の展覧会用に作ったものではなく、別の施設から借りて来たものだ。いつもと同じようにワン・フロアを利用した展示であるので、スペースはやや空き気味で、そこには水屋とか農器具を置くなど、展示にかなり苦心の跡が見られた。水屋は江戸時代のものではなく、ガラスが入っているもっともっと時代が下がり、似たもの大抵の骨董祭にいくつも出ているのでありがたみが感じられなかったが、府立総合資料館の所有物ということで、同館には比較的大型の実物資料まであることを知った。こうした水屋は今回のような展示でもない限り、また数十年あるいは永遠に人目に晒す機会はないかも知れず、所有している文化財をいかに展覧会に用いて一種の虫干しも兼ねるかという問題が学芸員に突きつけられているのだろう。そう思えば珍しくない水屋でもしっかり見ておこうという気分になる。招待券を平安画廊で以前もらい、しかも図録も見せてもらっていたが、面白そうな内容なので今回は図録を買った。第1部「京料理の歴史」、第2部「食材」、第3部「行事食、伝統食」という構成で、第2部は豆腐、漬物、菓子、茶、酒の5つの加工品を取り上げていた。京都に住む者からすれば豆腐のおいしさはあたり前だが、たまに大阪や別の県から来る人に京都の柔らかい豆腐を食べさせるとびっくりされる。また、漬物や菓子、茶や酒も京都は群を抜いて種類が豊富で品質がよい。これは京都人よりもむしろ他県の人の方がそれをよく知っていて憧れがあるかもしれない。だが、大阪の方が食に関する店の数が圧倒的に多く、また価格も安いので、筆者としては大阪がいいかなと思うが、大阪の店が京都に進出したり、その逆もあるので、今は料理もそう大差ない状態になっているとも言える。ただし、有名割烹料亭となると京都は追随を許さないであろう。そんな店にはほとんど行ったことがないのでよくはわからないが。
 京都には一般家庭料理である「お番菜」を食べさせる店が20年ほど前からあちこちに出来始めた。別に珍しくはないが、これも他府県の人からすれば口にすることのないものもあるかもしれないし、味つけが変わっていて特別の料理と感じるかもしれない。お番菜は京料理と言われるものとともに20世紀になって広がった。図録によると、「平安時代以来の公家社会の大饗料理や本膳料理、鎌倉時代以降の禅宗を中心とする寺院社会の精進料理、室町時代以降の武家や上層町人を中心とする懐石料理などを、継承している…」とあって、複雑なつながりで現在の京都の料理が形成されて来たことがわかる。第1部で最初に展示されていたのは「栗榧神饌(くりやかしんせん)」だ。これは城陽市寺田の水度神社の秋祭りに際して宮座の栗榧座が作っていた飾り物の復元模型で、そのまるで現代美術といってよい迫力と美しい造形にしばしたたずんで見惚れた。うまく説明出来ないが、竹を割った太くて長い串の先端に栗の実をひとつ突き指したものを全部で100以上も束ねて左右対照の大きな置き物としている。竹の刺し方によってあたかも雄と雌を表現しているような2種がある。どちらも四角い籠に活けられ、籠には御弊が飾られる。これがまず最初にどかんと置かれていることに展覧会企画者の意気込みを感じる。次の展示は「瑞饋(ずいき)神輿」で、これは毎年TVニュースで紹介されるので京都に住む者なら誰でも知っている。神輿の外側をずいきや五穀、野菜、花で飾ったもので、特に神輿の屋根が太いずいきを半割りにして本物の瓦に見えているのが面白い。毎年本物の野菜で作るのであるから、いかにも秋祭りにはふさわしいアイデアだ。応挙の絵巻物や若冲の水墨画を実物野菜の模型で再現するなど、興味深い展示品が多いので紹介に困るが、パソコンが1台置いてあったのは初めての試みで目を引いた。会場では展示し切れない長い絵巻物の全体をパソコン上で見せようというわけだ。絵巻は円山公園にある萬亀楼に伝わっている江戸時代の「七之膳十九献之巻(行幸御成之御膳部)」で、長さは14メートルほどある。行幸、御成に際しての料理の膳の内容な描いたものだが、その料理の多さに度胆を抜かれた。こんなに品数の多い料理をひとりが食べるのは拷問に等しい。それに比べれば、現在の豪華な懐石料理ですらまるでインスタント料理だ。「初めに床飾の式三献、次いで饗膳の七の膳、御菓子、そして初献から十九までの本膳と添肴、盃が並ぶ…」とあるが、これを順に絵で見て行くと、江戸時代の頂点にいる人々の正式な儀式料理の実態がよくわかる。筆者なら全体の10分の1で緊張と満腹を覚えて逃げ出す。今の天皇が外国からの客と食事する時にどれほどの料理が出るのか知らないが、ここまで豪華なはずはないだろう。この本膳料理が江戸時代以降は一般に広まって結婚式などに適用されるようになったというが、それはごくごく簡略されたものだ。
 次に目を引いた展示は茶懐石の膳の再現模型や、お番菜のそれだが、後者は本物そっくりな23の鉢が展示された。どれも日常的に食べているもので珍しくはないが、こんなものまでがこんなにリアルに模型で再現出来るかと感心した。それもまたある意味では「料理」に通ずる巧みさであり、外人が日本を訪れて料理模型に感嘆する理由がよくわかる。再現模型としては南蛮料理もあった。「はすていら」「かすてほうろう」「しんぷらり」「くしいと」など、何を示すかわらないものまで含めて8点が並んでいた。「室町時代末にポルトガル人などが来日すると西洋の食事も伝わり、その影響を受けていわゆる南蛮料理が生まれたが、江戸時代の鎖国政策のために発展・普及することはなかった……豚・鶏などの肉を使い、油を用い、葱・唐辛子などを使うところに特徴がある」と図録の説明にある。「くしいと」は大根と七唐を豚肉の厚切りと一緒に煮たものだ。続いて「地理」のコーナーでは京都南部の巨椋池で使用された漁具が並んだが、1枚の舟に乗って漁をする様子を写したモノクロ写真が印象に強かった。20世紀になってからのものだが、巨椋池がまだ干拓によって地面と化す以前に撮影されたものとして貴重だ。地図が残っていてわかるが、昭和13年の巨椋池は東西と南北がそれぞれ3キロほどある巨大な池であった。戦時中に食料増産政策もあって埋め立てが行なわれたため、現在はすっかり水面は消え、高速道路などの橋脚が縦横に走る地域となっているので、もう元の池には戻らない。かつてはそこで淡水漁業が行なわれ、それが京都の食を潤していたことを思うと、たった1枚の写真も妙に貴いものに思える。巨椋池独自の漁具かどうか知らないが、人の背丈以上もある円錐形をしたデンチ網の実物が展示され、それと同じものを操る男が写真に写っていた。江戸時代の珍しい資料として「賀茂河水弘所」という1枚刷りの広告があった。茂川の水が販売されていたことを伝えるもので、そんな商売があったことが面白い。京都はよほど水がおいしかったわけだが、これは子どもの頃からよく京都を訪れていた筆者が耳にしていたことでもあるので驚かない。京都にすっかり水道が完備された頃になっても井戸水を日常的に使用していた人があって、ある日市からその水の検査に来たところ、水道水の何倍も黴菌が少ないことがわかった。今はもうそんなことはないかもしれないが、日本が失ったものは大きいと言わねばならない。確かに現在の浄水技術で水道水でも問題なくそのまま飲めるが、昔のおいしさはない。便利になった同時に何事も平板になった。市民がみな平等という社会ではそれでいいのかもしれない。
by uuuzen | 2006-04-26 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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