「
暫くは 刈らずに済むや 髪の毛も 二か月経てば 気も落ち着かず」、「商いは 飽きないと言い いずれ秋来て 彼は枯れたと」、「心配を ひとつこなして 秋の晴れ 春の枯れ枝 からから乾き」、「心配は もう消えたよと 独り言 ようやく嫁ぎ 吾は用なし」10年前の2013年9月16日、台風直撃により桂川が氾濫して嵐山に洪水被害をもたらし、その様子は写真とともに当日この
ブログに書いた。当日の朝、同月1日に
オープンしたばかりの「風風の湯」の玄関前の桜の林の地面は、ほとんど桂川の増水の高さと同じで、筆者は怖いもの見たさに長靴姿のその水際に立った。眼前の濁流に落ちれば死ぬのは間違いない。高齢者が台風の後に増水が気になって外出し、用水路などに落ちて死ぬ事件がよくあるが、台風が過ぎ去ればもう安心という気の緩みは誰にもあるだろう。それはそうと、「風風の湯」は浸水の危険性を見越して建設の際に土盛りされ、桜の林よりも1メートルほど高く建てられ、玄関扉まで数段の階段がある。だが経営母体のホテル「花伝抄」は桜の林より2メートル近い低い土地にあって、桜の林の地面より1メートル高い洪水であれば、桂川の水は一気に阪急嵐山駅やわが家を水浸しにする。それが1階の天井まで届くほどとされていて、台風シーズンになれば筆者は豪雨を心配し、貴重品は1階には置かないようにはしているがそれには限界がある。貴重と言えばすべてそうであるからだが、常識的に買い替えの容易な安価なものはその部類には入らない。それらは未使用でもほしがる人は少なく、惜しいと思いつつも半年に一度の区役所による不用品回収時に新品同様の瀬戸物を処分することになるが、衣類や電化製品、家具なども津波や洪水によって一瞬でゴミになってしまう。話は変わる。筆者は本年度の地元の少年補導委員を担当している。先日の夜回りの後、隣りの自治会の同じ委員の女性と同じ方角に歩いて帰宅した。彼女をこれまで何度も見かけているし、少年補導委員名簿によって住所氏名はわかるが、筆者はそれに関心がなく、したがってここでも名前をイニシャルで表示することも出来ないが、彼女は自己紹介のつもりで「花伝抄」のオープン時からそこで働いていると言った。「それでは今年でちょうど10年になりますね」「いいえ、11年です」この返事に面食らった。「花伝抄」は「風風の湯」とともに2013年秋のオープンで、今年10周年であることは前述のブログからも明らかだ。彼女が明らかに勘違いしていると言いたいところだが、オープン前に勤務する人への講習があったはずで、それがホテル完成の半年ほど前であった可能性は大きく、彼女としては足掛け11年の勤務との思いがあるかもしれない。また社員ではなく、アルバイトのはずだが、同じ自治会からそのように「花伝抄」などの嵐山のホテルでパートで働いている人はほかにもいる。
十年一昔で、10年も11年も同じようなものであってどうでもいいが、何年経っても鮮明な記憶がある。先に書いたように10年前の嵐山を直撃した台風では桜の林の中で桂川ぎりぎりのところに立った時の記憶だが、より覚えていることは、桜の林をうろつきながら左手に目をやった時の「風風の湯」の正面玄関の点灯で、「オープンして2週間ほどでこの台風では前途多難か…」と思ったことだ。筆者はそれから1年ほどして家内とその温泉を利用するようになった。その記憶もかなり遠くになっているが、その理由は思い出す縁の「物」がないことにもよる。ひどい自然災害に遭った自宅からアルバムを取り出す人は、過去の大事な記憶を思い出すためには写真が一番よいことを知っている。写真や物など、心のよりどころとなる、あるいは本人がそう思っているだけのものは誰しもあるが、いつかはそれらとおさらなしなければならない。それを知っているからには写真も好きで集めた物も不要かと言えば、人間は通常は死ぬ寸前まで意識があって、好きで手元に置いた物を間近に感じたい。しかし、案外そういうこだわりを何かの拍子に思い切ることもまたよくある。離婚や絶交もそうで、近年は断捨離とやらでやたら生活の中で抱えている物を潔く処分することをはやし立てる。話を戻すと、さんざんTVで放送された2013年の台風で筆者は水が引いた桂川の河川敷でひとつの流木を拾った。直径5センチ、高さ60センチほどで、放射状に5,6つの枝分かれがある面白い形をしていて、表面は人の肌以上につるつるになっていた。それを使って大小10個ほど所有する宝珠型の土鈴を飾ろうかと思いながら、隣家の1階に放置したままで10年経った。今日の写真は前回の
「テセウスの心配、6」に投稿した枯れ枝の4つの束と同じ時期に束ねておいたものだ。年2回の区役所の回収時には1軒当たり2束までしか出せない。筆者は隣家を所有し、またどちらもの家も裏庭の木々を毎年筆者ひとりで剪定して最低4束は仕上がる。今春はそれが8束になった。本当は剪定時に小川に落下し、下流に流れて探せない太い枝が数本あって、それらは可能な限り、下流を探して小川に入って回収しているが、松尾まで流れて行ったものはもう見つからず、8束は本来10束にはなる。春に出せなかった残り4束は隣家の裏庭に置きっ放しにし、秋の回収に回そうとした。その回収日が今日であった。わかりにくいが、写真の上から2束目の左端に、前述の10年前に拾った流木が少し見えている。それをついに今回は捨てることにした。使い道がわからず、さりとて捨てるには何となく惜しいものでも、思い切ればさっぱりとすることはままある。人間関係も同じかどうかわからないが、何となくお互い疎遠になることはよくある。それに新たな人との出会いもあって、流木のように人は流れながら生きて行く。
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