「
膳を据え 盃に酒 花映し やがて赤らむ 団子の鼻や」、「無地赤の 玉垣待つや 技芸人 神に頼んで 才能信じ」、「渓仙の 絵を知ればなお 愛おしき 本殿際の 桜枝垂れて」、「早咲きの 桜散りての 本番の 渓仙桜 色ははかなき」、「境内を 北に抜けての 踏切を 越して見返す 千木と鰹木」

昔は3軒あった地元のスーパーが閉店した後、食材の買い出しは渡月橋か松尾橋をわたって右京区に行くしかない。2、3年前まで自転車を使っていたが、運動がてらに歩くことにし、3,4か所を回る。三条通り沿いにあった大きなスーパーが去年10月に店じまいをし、その店でしかなかった商品が買えなくなった。何でもいつまでもあると思ってはならない。そのスーパーの300メートルほど嵐山寄りに車折神社がある。1年ほど前からその近くのドラッグストアでも買い物をするようになり、そして車折神社の境内を北に抜けて嵐電の踏切を越えてすぐのスーパーにほぼ必ず向かう。必ず三条通りから神社の南端から境内に入る。南北に続く舗装の小径の中央辺りの東側に冨田渓仙が寄進した枝垂桜があって、今年はその満開に遭遇した。3日前の30日だ。枝の広がりは1枚では収まらず、今日の2枚の写真は木の全貌を収めることにこだわり、5枚ほどに分けて撮って合成した。同神社では最大の桜で、3,40年前に初めて知って以来、満開状態に遭遇したと思う。もちろん昔はこれほど大きくはなかったはずだ。3月初旬か、南から境内に入ってすぐのところに早咲きの桜が半部ほど咲いていた。その桜は3日前にはすっかり若葉状態で、桜は品種によって開花時期にかなりの差があることを再確認した。渓仙の名前を聞いてもその絵を思い浮かべられる若い人は少数派だろう。若くなくてもそうかしれない。仙厓の絵に興味のある人は同じ故郷出身で仙厓に影響を受けた画風の渓仙の作を好むと思うが、画家も芸能人的なところがあって、いわば人気商売だ。没後は作品の評判が下火になることもある。渓仙が車折神社に桜を植えたのは、芸能や技芸に因む神社であるからだ。境内には数千の赤い板の玉垣があって、そのほとんどに墨でもっぱら有名無名の芸能人の名前が書かれている。申し込みから2年で消されるようで、それが嫌なら石の玉垣が用意されているが、百万単位のお金を用意する必要があるのではないか。人気者の芸能人であればそれでも安いものだ。参拝に訪れるのは若者が中心で、外国人観光客の姿は見かけたことがない。彼らが自国語で玉垣に名前を書いてもらう時代はたぶん来ないだろうが、SNSで何かの拍子で話題になると、渡月橋から足を少し延ばし、名前を書いてもらう芸能畑の人はいるかもしれない。何しろ円安だ。神社としても国際的な名所になってくれることを望んでいるのではないか。朱色の玉垣は年々増設され、無地のそれが今日の最初の写真に写っている。いずれ伏見稲荷大社の千本鳥居のように有名になるかもしれない。

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→