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●「老いふたり 昔語りの 花見酒 幼子飛ばす シャボン玉見つ」
の舟に 赤い糸載せ 織る布は だるま夕日の 老いの輝き」、「老木の 桜満開 見習いて 年々派手に 装う古老」、「来年は あるかなきかは わからねど また会うことを 楽しみて待ち」、「人混みも 満開に咲く 嵐山 地元の人も 花見に混じり」
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先月25日に自治会内の2,3人に会う用事があったついでにOさん宅に立ち寄った。ひとりは85Mさんで、Oさんとともに自治会には加入していない。Oさんとは毎週必ず「風風の湯」で顔を合わせるが、先月25日は85Mさんの家まで酒を持参した。「風風の湯」の脱衣場でわたしてもいいが、そうすれば高齢の85Mさんは瓶を抱えて持ち帰らねばならない。それでいつもマンションまで持参する。おおよそ毎月一度、さまざまな酒をプレゼントする。どんな酒でも飲むと聞いているからだが、さすがに度数の高いウォッカやジンはわたさないことにしている。85Mさんの奥さんも酒好きで、ふたりで飲めそうな酒を選んでいる。「風風の湯」の常連で酒好きは85Mさんくらいで、いつの間にかわが家に大量にたまっている酒の定期的なお裾分けは85Mさんのみに留まっている。このブログで「85Mさん」と書いているが、今年確か91歳であるから、「91Mさん」と書かねばならない。先日「今年はどこか花見に出かけますか」と訊くと、「京都の桜の名所はもう何度も全部見たからなあ」と去年と同じ返事であった。そう言えば筆者は去年も同じ質問をした。そのことをふたりとも忘れているので、たぶん来年も筆者は同じ質問をし、91Mさんは同じように答える。筆者も京都の有名な桜は全部見たつもりで、遠くに出かける気はない。そのひとつの理由は、どこも外国人観光客で溢れているからだ。それで花見となればすぐ近場の「風風の湯」の玄関前の「桜の林」となる。そのすぐ近くの、渡月橋を上流に見る中の島公園もいいが、川沿いのベンチはどこも先客で埋まっているはずだ。ところで、Oさんは一度も「風風の湯」を利用したことがなく、当然85Mさんと面識がないが、どこから噂が広まったのか、85Mさんの奥さんが数か月前に家内に訊ねた。「あのねえ、近くに仏師がいると聞いたんだけど、知ってる?」「ああ、主人がたまに話をしますよ」「ねえ、彫っているところを見学出来ないかしら」「それは御本人に訊いてみないことには何とも言えません」その会話を家内から聞いて筆者は85Mさん夫婦の見学のために一肌脱ごうとは思わなかった。筆者が頼めば見学は出来るだろうが、4畳半の部屋はとても整理されているとは言い難く、またOさんの彫る仏像の納入先は真宗専門の業者で、創作を旨とする作家ものではなく、昔から続く定型ものを彫っているからだ。Oさんは、作家の個性はそうした定型を作ることの中にわずかに滲み出ると考えている。筆者が携わる友禅でもそういう職人仕事は主で、Oさんの考えはわかるが、筆者は職人というより作家の立場で創作する。
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 それでOさんとは話が合わないかと言えば、同じ年度の生まれで、Oさんと知り合った10数年前にOさんはそのことをとても喜び、それでたまに話をするようになった。それにOさんの周囲には同じ年齢の親しい人がいないのだろう。筆者は話し相手の年齢にこだわらないが、同じ年生まれであれば話題は通じやすい。しかしOさんと筆者とでは若い頃に歩んだ道が全然違う。そもそもOさんは岡山の生まれで、お互いどういう青年時代を送ったかを詳しく知らない。そのことをあまり話す必要はないし、機会もないが、その理由のひとつは今が大事であるからだ。だがその今はともに72歳の高齢で、顕著な変化があるとすれば体調の劣化くらいしかない。先月25日にOさんと話したの、去年12月下旬以来であった。玄関先で5分ほど雑談した後、別れ際に桜が咲けば花見をしようと提案すると、Oさんは笑顔で承諾した。今年の桜は思いのほか開花が遅れた。先月下旬にビール6缶を購入し、おかきなどの乾きものもいくつか用意し、ちょうど満開になった3日前の午後2時頃にOさんに電話して花見に誘った。前述のように、わが家には大量の各種の酒があるが、花見にウィスキーやブランデーは似合わないので、ビールのほかに半分ほど飲み終えていた赤ワインも持参した。コップは信楽の趣のある縦長のものを2個用意し、Oさん宅に行くと、Oさんは家の外で待っていた。電話で少し聞いていたが、Oさんはあまり歩けなくなっている。怪我をしたのではない。運動不足による体力減退だ。だが車の運転は出来るので、週一度は車で遠方のスーパーに買い物に出かけるとのことで、一緒に買い物に行こうと何度か誘われたことがあるが、歩き専門の筆者と家内はその誘いを断っている。話を戻す。Oさんは自転車を押しながらであればどうにか歩けるというので、ふたり並んで「桜の林」に向かった。ゆっくり歩いて5分ほどだ。筆者は先月29日に右足がひどく痛み、数日間は足をひどくひきずった。運動不足が原因であることを自覚しているので、なるべくまた歩くことにしたが、今もわが家の2,3階から1階に降りる時は右足が少々痛む。Oさんの足が半ば萎えているのは、終日座ったままの彫刻作業で、職業病だ。風光明媚な嵐山に住むので、毎日散歩すればいいが、筆者もそういう気にはなりにくい。7,8年前、Oさんが「家の裏手の通りに出て、日長観光客を観察すると面白いだろうな」と言ったことが妙に印象に残っている。その行為は傍観者であることに満足し、観光客に混じって歩くことではない。筆者は家内がスーパーに買い物に行くには観光客の間を縫い、観光客から見れば筆者らは地元住民には見えないだろう。車は確かに便利だが、高齢になるとその便利さが健康を害する。しかし筆者はそのことをOさんには言わない。そこまで親しくないからではなく、もう今さらOさんは生活を変えられないからだ。
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 これは昔書いたかもしれない。10数年前の天気のよい秋、家内の妹がわが家にやって来た時、筆者と家内は渡月橋近くの蕎麦を食べさせる眺望のよい有名な店に義妹を誘った。幸い桂川に面した席が空いていて、そこに3人で並んで座った。料理が出て来る前、ふと眼下にOさん夫婦が左岸の歩道を上流に向かって歩いているのを見た。ふたりは笑顔で、長身のOさんは奥さんと並んで散歩を大いに満喫していた。当時筆者は自治会長をしていて、Oさんは自治会に加入していた。その頃筆者は自治会住民数人と一緒にOさんと一度談笑しただけで、個人的に訪れて話すことはなかった。その最初の機会はOさんの奥さんが急死した時だ。自治会の規約で、同居家族が亡くなると自治会が蓄えているお金から5000円のお見舞金を持参する。その役割を自治会長の筆者が引き受けた。Oさんにお見舞金を持参した後、Oさんを慰める思いから月一度くらいはOさん宅を訪れた。Oさんは筆者とそれなりに親しくなるにつれて本音を漏らすようになった。そして奥さんを失った悲しみのあまり、もう長生きしたくはなく、奥さんの享年まで生きれば充分と言った。当時奥さんがOさんより何歳年長であったのか聞いたかもしれないが、筆者は改めて3日前に満開の桜の木の下にふたりで腰を下ろした時にまず訊ねた。「奥さんは何歳で亡くなったのですか」「69歳」「するとOさんは奥さんより3年長生きしていますね」「そう、3歳も越してしまった」また聞き漏らしたが、奥さんはOさんより7歳上であったと思う。Oさんの奥さんの顔を筆者はまともには二度しか見ていない。その時の感想をここで書くのは控えるが、色白の物静かな美人で、男っぽくて言葉の少ないバンカラなOさんとは似合っていた。享年69は若い。しかし人の死は予想がつかない。もっと若くして死ぬ人もあれば、85Mさんのように怪我以外で入院したことのない高齢者もいる。花見をしながらOさんとは文学の話、儒教の話になった。どちらもOさんが先に話題にし、筆者がそれに応じながら話が進んだ。Oさんは川端にしても三島や太宰にしても、筆者が考えるそうした文豪の人物像と自分が抱いている思いとはかなり違うだろうと言った。それは当然でもあるし、またどちらの思いが正しいかは断定出来ない。作品を通じて想像する作家像であって、またOさんも筆者も彼ら文豪の全作品を読んでいないどころが、ごく断片的にしか知らない。次にOさんは将棋の話をし、「大山名人や羽生は評価するけど、藤井聡太は全く認めたくない」と言った。それは得体の知れない現代の若者全般を思ってのことだが、「大谷翔平、あれはすごい」とべた褒めであった。次にAI技術が彫刻などの3次元の造形をたやすく再現出来ることに脅威を抱き、「もはや彫刻家の手技を味があるなどと好意的には言えない時代になった」とつぶやいた。
●「老いふたり 昔語りの 花見酒 幼子飛ばす シャボン玉見つ」_b0419387_00540223.jpg Oさんのそうした見方にも筆者とは差があるが、同じ年齢であるからOさんの思いはそれなりに理解出来る。ワインやビールでは酔えなかったものの、ふたりで長く話し込んだことは初めてで、花見に誘ったことはよかった。せっかくの地元の桜が満開で、花見しないではもったいない。自治会内の芸術のわかる女性も誘えば楽しいが、旦那さんがいてはそうも行かない。ところで、筆者は自分が大勢に混じって誰とも親しく物事を進められる人間ではないことをほのめかしたところ、10数年前の自治会長をしている時の筆者が書いた回覧文書をOさんが読んで、いささかきついと思ったそうだ。確かに筆者は過激なところがあって、年齢を重ねるほどに人柄は丸くなって来ていると自分では思うものの、時々その過激さが出る。その点Oさんは全くそうではない。筆者は自治会の会長にしろ、今携わっている平安講社の代表にしろ、好んでやっているつもりはない。頼まれたので仕方なしに引き受けているだけで、いつ辞めてもいい。そういう考えであるので、他人から過激さがあると思われても不思議でない。和は大切だが、その和がとんでもなく腐敗していることはままある。筆者はそういう状態に飲み込まれるよりは抜け出たい。Oさんも筆者も自由業で、仕事の依頼がなければ無収入だ。問屋から制作の依頼が常にあるOさんと違って、筆者は個人の注文を受注するから、Oさんより収入はもっと不安定で少ない。わずかな年金と同様に少ない貯金があるから平気でいられるが、2、3年無収入が続くと生活は立ち行かない。それでも平気で暮らしているのは、悠然さと激越さを抱えているからと思う。そう言えば、Oさんは奥さんからたまに「もう手元にお金がないんだけれど」と言われ、数日徹夜で作品を仕上げ、それでまとまった収入を得たところ、奥さんは驚き、ありがたがったそうだ。筆者の場合、自発的な作品を積極的に売ろうとしたことがなく、いつも受注生産だ。しかも安価過ぎる。さて、花見をしていると、眼前に家族連れが陣取り、5、6歳の男子がプラスティック製の機関銃でシャボンを長らく連発していた。また筆者らと同世代の夫婦が手をつないで前を通り過ぎ、10メートルほど離れた桜の老木の下に座り込み、1時間ほどして筆者らが立ち上がる直前にまた目の前を逆方向に歩き去ったのも印象的であった。Oさんは筆者が奥さんの話をしたことに不満を言い、最後に「今日はわざわざ誘ってくれてどうもありがとう」と礼を述べた。今日の最初の2枚の写真は筆者が座っていた場所から眼前を撮った。残り2枚は今日の午後、雨の中を嵯峨のスーパーに家内と向かう際の撮影で、3枚目は遠く中央に5日にOさんと座り込んだ桜の木を捉えた。4枚目はスーパーからの帰り、中の島公園内の食堂前で、手前に造花の桜を写し込んだ。しばらくは桜満開が続きそうだ。お互い元気であれば来年もOさんと花見をしよう。
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by uuuzen | 2024-04-08 23:59 | ●新・嵐山だより
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