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●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」
孫に 遺す金なし 潔し 蓄財難し 自足はさらに」、「寝転びて 暮らし続けて 足が萎え 歩けず転び 寝たきり暮らし」、「暖冬の 予測当たりて 春遅し 薔薇の蕾は 開かず枯れて」、「花見上げ くしゃみ連発 しわくちゃ爺 照れの笑いも ないよりはまし」
●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」_b0419387_21180060.jpg
左乳首下の帯状疱疹は9割方治ったが、チクチクする痛みは残っている。一方、一昨日の夜から突如右足のアキレス腱が腫れ、歩く速度は激減し、一歩ずつ足を引きずる始末だ。帯状疱疹ゆえの運動不足が原因と思うが、生まれて初めて痛みを抱えながら足を引きずって歩く姿に年齢を感じている。頑健を自認する人でも確実に老いは忍び寄り、思うように身体が動かないことに精神も参る。気力活力が充実しているのはせいぜい70代半ばまでで、筆者はもう数年しか残されていないのかと思ったりもする。先日左胸の痛みを抱えながら、昔の知人の個展に出かけた。面会するのは四半世紀ぶりだ。会場は旧平安画廊で、そこでかつて画廊主の中島さんやまた銅版画家のヨルク・シュマイサーと談笑したことを思い出しながら、今は中島さんもシュマイサーもこの世にいない現実を噛みしめた。内装が新たなになった画廊の出入口から寺町通りを見ると、真正面の店は変わったものの、右手の寺はそのままで、かつてその寺の境内にシュマイサーと彼の知友が並んで入って行った様子を思い出した。筆者のみが記憶するその映像を反芻しながら、人生とは何であるかを漠然と考えもする。個展を開催した女性とは毎年年賀状を交わすだけの間柄で、お互いどれほど老化したかを知らないのは当然で、筆者はブルゴーニュ産の赤ワインを1本引っ提げて画廊に入ったところ、彼女は筆者が誰かわからず、別人と勘違いした。無理もない。四半世紀経てば名乗らねば誰かわからないことはよくあるだろう。帰り際に初めて彼女の年齢を訊くと、77歳とのこと。筆者は年齢に似合わないファッションで、その珍しさをしきりに褒められはしたが、77歳まで5年しかない。「毎年個展を開催してくださいよ」「もうその元気がありません。今回の作品もみな昔のものです」過去の作品で個展を開くのであれば筆者はいつでも可能だが、新作展にこだわりたい。ところがやりたいことが山積している状態では本職の友禅で新作に挑戦する時間がどれほどあるだろう。数多くの写生をし、それを元に小下絵をいくつか作り、その中から1点を選んで原寸大の下絵を描き、そこから生地に青花で写し、糸目を引き、糊伏せや彩色など数百時間を費やして作品を作ったとして、一度の個展ではそれをほしがる人にはまあ出会えない。それで創作を諦めたというのではないが、昔の方法とは違うことを考えねばならない。それにはネットを活用すべきとして、SNSを通じて他者に強い関心を抱き、そこから直接の出会いに結びつくことはきわめて稀なことではないか。出会うべきことや人との縁の割合は昔も今も変わらないと思う。
●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」_b0419387_21181923.jpg 先月24日に堂本印象美術館に行き、東側の階段の坂に菫の花を見かけて写真を撮った。筆者のカメラの性能によるのだろう、紫色が鮮やかに写らず、画像加工ソフトで色目を調整した。3日前にまた同じ美術館に家内と出かけ、同じように東の階段を上ったが、菫は今日の最初の写真のように南天の木の根本にわずかにまだ咲いていた。思えば筆者は藤やヴィオラなど、紫色の花を題材に作品をよく作って来た。紫色をなぜ好むかと考えるに、その原点に筆者が小学生の頃、母が毎年のようにヒヤシンスの球根を買って来て、水栽培用のガラス鉢で育てていたことに思い至る。家に庭はなく、近隣にもまともな花や植物のない地域に育った筆者にとって、その紫色の花は専用のガラス鉢の水に射す窓からの光と相まって、鮮烈な印象を与えた。今月22日は地元小学校の卒業式に来賓として出席したが、卒業生57名の半分の女子のほぼ全員が振袖に袴姿であることに驚いた。貸し衣装としても親は出費が大変だろう。流行とはいえ、みな同じでは面白くない。それはさておき、ヒヤシンスの紫の花で想起するのは、これまで何度か書いたが、筆者が小学校の卒業式で着るために母が古いセーターを解いて数日徹して編んでくれたVネックの毛糸のセーターだ。片袖が濃い青紫で、その他は紺であった。男子のほとんど全員が黒の詰襟の制服姿であることを予め知っていた筆者は、色が揃っていないそのセーターを着たくなかったが、卒業式にふさわしい服がほかになく、結局そのセーターの下に白シャツ、そして黒ズボンの姿で卒業式に臨んだ。今日は母の葬儀からちょうど丸3年で、母の愛を素直に受け止めなかった昔の自身を恥じ、自分で編むか、毛糸を選んで誰に編んでもらうか、今は同じ色合いのセーターを着たいと思っている。話はまた変わる。去年12月23日に節分祭で燃やされるお焚き木を取りまとめて平安神宮に持参した時、丸太町通りの歩道で球根がひとつ落ちているのを拾った。細い紙帯にヒヤシンスと書かれ、半世紀以上前に母が毎年のようにその球根をひとつ買って家の台所で水栽培していたことを思い出した。だがどういう色の花が咲くかわからない。白やピンクもあるからだ。水栽培用の鉢は所有しないので、裏庭で空いた素焼きの鉢に新たに土を入れ、その中央に球根を埋め、毎朝水をやった。およそ百日経って蕾が現われ、紫の花であることがわかった。2枚目の写真は一昨日、3枚目は昨日撮った。やはり強烈な紫色が写真では再現されず、何度も色目を調整して印象に近くした。絵具で紙に描けば思う色が出せるが、もっといいのは染料で絹地に染めることだ。ヒヤシンスはキモノの柄にはなりにくいので、同じ紫をほかの花に適用する。毒草のトリカブトはよさそうだが、その模様を染めたキモノが似合う女性を想像出来ない。着たいと言う女性がいれば面会はしたい。
●「路傍にて 拾いしひとつ 球(たま)の根は 百日過ぎて 咲くは紫」_b0419387_21183134.jpg

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by uuuzen | 2024-03-30 21:40 | ●新・嵐山だより
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