●『ジャック・アンリ・ラルティーグ写真展』
また京阪守口百貨店に行って来た。先週15日だ。行くつもりはなかったが、招待券をもらったので、京阪天満橋に出て造幣局の桜の通り抜けに行く前に途中下車して見た。



d0053294_213841.jpg2日に見た『原田泰治とクロアチアの仲間たち展』の時も小雨が降っていたが、今回も同じで、天満橋をわたる時には風も強く、とても寒かった。このことはまた別の日に詳しく書くとして、ラルティーグだ。昨夜はブレッソンであったのでちょうどつごうがよい。同じフランスの写真家で同じように世界的に有名だ。ラルティーグは1894年のパリ生まれで、ブレッソンより14歳年長、92で亡くなったが、これはブレッソンの享年96より少し負けている。それにしても高齢でしかも幸福な生涯を送った写真家同志だ。これにロベール・ドアノー(1912-94)を足せば何だか3羽烏のような具合になる。あまり写真家に詳しくないので、ほかにも20世紀のフランスを代表する人物がいるのかどうか知らないが、この3人はしばしば展覧会が開催されるので、筆者のような門外漢でもどんな写真があるのか思い出せる。ラルティーグの写真展を最初に見たのは1987年2月だ。手元の図録からわかる。チラシが3枚挟んであって、会場を書くと、「もりぐち京阪」(91)、「ナビオ美術館」(92)、「梅田大丸」(96)だが、20年前にすでに京阪守口の百貨店があったがわかった。先の『原田泰治展』の時にはそんな昔に出来たとは思わずに書いてしまった。87年2月にどこで見たか記憶が定かではないが、図録は銀座プランタンで開催された86年8月のものであるから、それが大阪難波のプランタンに巡回した時であったはずだ。となると、けっこうラルティーグ展もブレッソン展と変わらない程度に開催されている。80年代に入ってから『写真時代』という半ばエロ雑誌に近い写真月刊誌が出るなど、日本でも大きな写真ブームがあった。そんなことも関係して海外の有名写真家の個人展が相次いだのであろう。一度見た写真作品はもう見なくていいかと思ったりもするが、今回ほぼ20年ぶりに見たところ、新鮮で初めて見る気分になれた。それは20年前を忘れていたからかもしれないが、今回は説明が行き届いていた理由が大きい。
 写真は説明不要で写っているものがすべてという見方もあるが、昨夜も書いたように、ある程度の説明があればなおよく理解出来る。ラルティーグの場合は特にそうだ。それはプロの写真家としてよりも、身近な人々や強く関心を抱く対象だけを長年撮影し続けたことによる。そのため、ある程度ラルティーグの生い立ちや環境を知れば、写真が別の魅力を持って迫って来る。たとえば今回チラシやチケットに印刷されている車に乗る若い女性を大きく撮った写真がある。いかにも金持ちの雰囲気があってアール・デコ時代の女性画家タマランド・レンピッカの絵やその時代を連想させられつつ、どこかのファッション・モデルを雇ったのかと思わせされるが、実際は妻が浮気をするなどしている間に出会って親しくしたモデルであることを知ると、いろいろとわけありであったことがわかって面白い。ラルティーグはとても裕福ないわば名門の生まれで、6歳の時に父親からカメラを買ってもらった。1900年のことだ。それがとても嬉しかったことは亡くなるまでに20万枚を撮影したことからもよくわかる。だが、20代からは画家として活動し、芸術家や作家と交流があった。今回知ったが、ヴァン・ドンゲンとも仲がよかったそうだ。ベル・エポックの時代のパリを若い頃に過ごした生粋のお坊ちゃん写真家と言えば一番ぴったりするが、とにかくあくせく働かずとも毎日写真を撮ったり絵を描いたり、また美しい女性を追っかけていたという印象が強い。画家としての腕前は不明だ。今回の展示には自画像を描いているところを背後から撮影した写真や、もう1点最初の妻とそれを描いた絵とが並ぶ様子を写したものがあって、モノクロながらボナールに近い作風がわかる。これはもっともという感じだ。結局画家としての評価が少しも聞こえて来ないところを見ると、ドンゲンほどの高い名声を得なかったことは明らかで、暇潰しの道楽であったのかもしれない。この点はブレッソンとも多少共通する。写真家が画家になりたがるのは、日本で言えばイラストレーターから画家に転向した横尾忠則と同じようなことかもしれない。
 カメラを入手したラルティーグはすぐに身の周りの人々を片っ端から撮り始めた。それらは幸福な家庭像の典型を示すとともに、時代の空気をもよく伝える貴重な資料にもなっている。ラルティーグはそうしたプライヴェートな写真を日記と同じように考えて、世間に売り出す魂胆はなかった。そこがよけいに写真を品のよいものにしている。見ていてほのぼのとして気持ちがよい。写真家に限らず、大抵の創作者は心のどこかで有名になりたいとの気持ちが渦巻いていて、それがさまざまな形で表に滲み出て来る。服装や物腰、考え方、視線、顔つき、そして作品にそれらがどうしても出て来るから、それらに接する者は時として一瞬のうちに毒されると言おうか、何とも言えないいやな気分に陥ることが少なくない。有名になりたいとの野心はよいものを生み出す原動力にもなるが、変なアクを発散させる源になりやすい。虚飾につながりやすいからだ。そうした虚飾にすり寄って行きたがる人はいつの時代でも多いから、虚飾だらけの芸術はいつの時代にも人気がある。虚飾と無縁でいられる人間はいないから、もちろんそんな虚飾のすべてが嘘というのではない。そこでまた先の車に乗るモデルのルネ・ペルルの写真を見ると、大抵の事情を知らない人は、金持ち連中特有の虚飾の固まりに思えて、どこか白けるかもしれないが、この写真を撮るに至ったラルティーグの人生のドラマをそれなりに知ると、おそらくひとつの真実の姿を見て全然別の感慨を持つ。それはこの写真をどこかに売ってお金を得ようとしたり、また売名行為が目的ではなかったためだろう。好きなものばかりがこの写真に正直に収まっているからでもある。それは車であり、きれいなファッションであり、美人なのだが、ラルティーグはカメラを持った当初は家族や親類、自動車レースなどをもっぱら撮影し、10代半ばで最新ファッションに身を包むパリの女性に強い関心を抱き始めた。そんな経緯を知ると、車に乗る美人モデルの写真は生活の延長上にそのまま必然的にもたらされたものであることもわかる。ラルティーグの子どもの頃の顔を見れば、いかにも優男で、長じて美人に大いに持てたことはよくわかる。深くつき合った女性は数知れずだろうが、生涯に結婚は3回だ。それだけ女性との愛憎劇に見舞われたと言ってよく、そのことも写真に彩りを添えている。
 1900年にカメラを買ってもらったことは象徴的だ。20世紀の文明の変化や流行をつぶさに体験し、それらを隈なく撮影し続けたが、時事問題とはかかわらずにいた点はブレッソンとは大きく違っている。また芸術家と交流があったにもかかわらず、その肖像写真はあまりないうだ。20世紀は車や飛行機の発明など、乗り物の速度が増した時代だが、ラルティーグはこの変遷に関心が強く、自動車、飛行機、飛行船を盛んに撮っている。父が24馬力の真っ赤な車を買ったのは1906年でそれは時速30キロで走った。30年代までの写真には車が写り込んだものがとても多いが、車で遠出をして撮影することを楽しみにしていた様子がよく伝わる。こうした車の愛好は金持ちであったことも当然だが、祖父はモノレールの発明家で、兄ジスーも子どもの頃からスピードの出る乗り物などを盛んに工夫して作っていた発明家であったことの影響が大きい。『ジスー考案の「タイヤボート」』(1911)という写真があるが、これを何の説明も受けずに見ればわけがわからずに戸惑うだろう。水に浮かべたタイヤの中にひとりの男が入って浮かんでいる。帽子にサングラス、スーツ姿だ。ただふざけているだけで、60年代以降の写真に思える。だが、これは兄ジスーが考案した乗り物で、兄はそれを記念するために、ぱりっと身なりを整えて真面目な顔つきで弟に撮影させたのだ。そこにはいかにも幸福で優雅な家庭の様子がうかがえ、それを写真を通して傍らで見る者も微笑ましい気分に浸れる。金持ちが着飾って訪れる競馬場も被写体の対象によく選ばれ、また大通りを歩く子犬を連れた若い婦人の写真はまるでシリーズ写真のようにたくさんあるが、そうした一連の10年代、20年代のパリの風俗を捉えた写真は見ていて溜め息が出て来るような芳醇な香りがある。日本人が明治にパリに憧れた理由もよくわかる気がする。
 最初の結婚は1919年(25歳)で、ビビ(マデリーン・メサジエ)というオペラ座の音楽監督の娘が相手であった。「知的でチャーム、ユーモア・センスの女性」と説明があったが、いかにも育ちのよい、そして古風な美人顔だ。ドンゲンや俳優たちと交遊を楽しむ日々が続き、24年に長女が誕生するが、生後3か月で死に、また不況によってラルティーグ家は逼迫し、ビビは浮気を始める。やがてルーマニア生まれのモデル、ルネ・ペルルと知り合う。ビビを撮影した写真が多く展示されたが、それがルネに変わって行くところは人生の波瀾をよく伝えていた。単のラルティーグの写真用のモデルではなく、男と女の関係が先にあって被写体として使ったという気配が明らかで、そのため写真に生命がこもっている。いい女の写真を撮るにはその方法が一番でまたそれしかない。ビビとルネはお互いをどう思ったか知らないが、ラルティーグはどっちも親密に撮影し、それらの様子は今では世界中の人が舐めるように鑑賞出来る。それはどこか残酷かもしれないが、面白いと言えばこれほど面白いものもない。小説よりもドラマティックで、絵画よりもっと細部がはっきりとわかり、写真と写真の間の時間を想像して20世紀の歴史の流れすら思うことも出来る。ルネとも長くはなく、34年にココ(マルセル・パオルッキ)と結婚する。父はカンヌとドーヴィルのカジノの主任電気技師だ。この結婚はビビよりやや位が落ちた感じで、写真もどういうわけかビビやルネのように展示されていない。あまり美人ではなかったのかもしれない。ラルティーグも遊んではおれず、50年まではモード雑誌でイラストを描いたり、カンヌなどのフェスティヴァルで美術担当をして過ごすことになる。第2次大戦中はフィルムも入手出来ず、南仏に滞在してパリにはほとんど行かなかったが、44年8月25日のパリ開放には駆けつけて数百枚を撮影した。同年1月のパリの「ラ・リュンヌ通り」という写真では人気がほとんどない様子を写して、いかにも消沈するパリを伝えている。同年はモンテ・カルロで27歳年下のフロレット・オルメアと出会い、パリ16区の区役所で儀式なく結婚式を挙げ、両親と同居することになった。50歳で23歳の女性と結婚とは、よほど持てた。3度目の結婚は慎ましいものであったが、この女性と結婚したことによって運命が大きく変わり、戦後はいよいよ名前が知られて行く。55年にはピカソやコクトーを撮影し、多くの雑誌で掲載されて話題となり、絵の個展を国の内外で開催することにもなる。この頃にはトリフォーなどフランスの映画監督からスチール写真の依頼も受けた。
 62年は妻とアメリカ西海岸へ船旅をしたが、帰りの飛行機が遅れたためニューヨークを経由した。そこでラルティーグが所有する古いアルバムを偶然見た写真エージェンシーが、少年時代の写真をニューヨーク近代美術館の写真部門のキュレーターに見せたところ、話が進んで同館に42点が収蔵されるに至った。翌年それで初個展が開催、同年11月号の「LIFE」(ケネディ暗殺事件号)に10ページにわたって作品が掲載され、このことによって一躍有名になった。60年代から70年代終わりまでにロンドンやパリ、アメリカなどで撮影した面白い写真もあるが、それらは他の作家でも撮影出来るものに思え、やはり子ども時代からビビとの結婚、ルネとの出会い頃までの写真に最も味わいがある。戦前としては珍しかったのかどうか、別にそうする意味もないような場合でもラルティーグはよくパノラマ写真風にかなり横長に撮影した。感度の低いフィルムであったためか左右が少しずつ暗く写っているが、今回はそうした部分をカットして展示されていた。展示された写真は生前にラルティーグが選んだもので、版によってはトリミングが異なるのだろう。また、これはブレッソンとも共通するが、人物が飛び上がって空中にいる瞬間を捉えた写真が目立つ。シャッター速度は300分の1で、これは今のカメラではあたりまえにしても10年代から20年代ではまだそうではなく、ラルティーグの冴えた技術を示すものであるだろう。同じ時期にカラー写真も多少試みている。現在のカラー写真と原理が違うかもしれないが、まるでサラ・ムーンの写真のようにセピア色がかってぼーっとして写り、とてもいい雰囲気の仕上がりだ。そしてビビを撮影したものが特によい。ラルティーグの最高傑作のひとつとして記憶したい。そこに虚飾は全くなく、ただ落ち着いた静かな生活が見える。いい時代の豊かなカメラマンが撮った私生活と言えばそれまでだが、最初の女房に心底惚れて、その魅力のすべてを撮りたかった様子がよく伝わる。そんなラルティーグの眼差しを見ていると、男は本当にいつの時代でもこのとおりだと思う。
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by uuuzen | 2006-04-22 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON | Comments(0)


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