「
刑罰か 花粉因みの アレルギー 痒き発疹 痛み血まみれ」、「出歩けば 花粉まみれで くしゃみかな 植え過ぎ杉で 子孫に害が」、「杉花粉 役に立たぬか 糠床に 混ぜて漬けるや バイオ培王」、「売茶翁 今は生きれず 何を売る 売り手不要の 自販機時代」
先ほどイギリス王室のキャサリン妃と子ども3人が一緒に撮影された家族写真に加工の跡が見られるとして配信が撤回されたとのニュースがあった。早速その画像を調べたところ、今日の最初の写真の赤い矢印のように、シャーロット王女を抱えるキャサリン妃の左手首上端で、王女の髪の毛が一部不自然に白っぽく、その箇所を含む横方向の帯状に加工した痕跡がわかる。たぶんキャサリン妃の左の指と甲が暗く写っていたので、その全体をわずかに明るくしたのだろう。筆者はキャサリン妃の左手がおかしいというネット情報によって画像を拡大して加工箇所を発見したが、その指摘がなければ疑わないし、わからない。一部を明るくする加工は形を変えることとは違って加工の範疇に入らないと思うが、社会の階層の頂点に立つ王室であれば許されない事情はわかる気はする。下々に模範を示さねばならないからだ。しかし同じほどの有名芸能人から無名の一般人は、SNSに載せる写真は加工のし放題だ。それどころか整形手術でもはや原型を留めない不気味な顔を自慢する若い女性をネット上でたまに見るが、喜劇的ホラー映画が現実に浸食し、美しい顔とは何かをなおのこと考えさせる。知性を伴なった顔が美しいと言われても、大多数の知性とは無縁の人たちは見栄え重視になるのは致し方がない。それはさておき、先ほど筆者は家内に家の中で顔を撮影してもらった。今日の残り3枚がその写真で、その最初のものはキャサリン妃の手首に加工跡があることを知る直前に加工を施した。それはマフラーの下からわずかに覗く黄色のシャツが筆者の肌と同じ色に写り、首元が不自然に見えたからだ。それでシャツの肌色を元の黄色に変えたのだが、そのわずかな加工でも非難される時代がやって来るのだろうか。またそういう加工をAIが確認出来るとして、さらにAIでは見抜けない加工技術が登場するはずで、「よく見せたい」という人間の意識が変わらない限り、つまり美を求める人間の本性が変化しない限り、画像加工はなくならない。それどころか、加工とは手を加える、すなわち手作りで、これは人間の本質だ。筆者の本職は手のみで作る友禅染で、筆などの道具は使うが、機械は使わない。ところが完成したキモノをその技術を知らない人が目の当たりにしても、すべて手染めであることがわからず、版画か印刷したものに思うようだ。今や魚や野菜でも工場製品と変わらないものになり、観光客がレンタルするキモノも帯ではインクジェット・プリント製品が登場し、縫製は当然ミシンで、消耗品扱いだ。
今日の2,3,4枚目の写真を撮ったのは、去年12月に撮った写真が不出来であったからだ。それはわが家の前で家内に撮影してもらい、筆者以外に邪魔なものが入った。その箇所を消すのが面倒で没にした。撮影した理由は被っている帽子を示すためだ。ネット・オークションで入手した黒色の綿製品で、手作りだ。筆者は毎年耳たぶにしもやけが生じ、血が滲んでいた。暖房費をケチった生活が明らかにわかるので、家内は何年も前からそれをどうにかしろとうるさかった。「風風の湯」での知り合いの嵯峨のFさんは部屋に冷暖房を一切入れずに過ごしているが、わが家ではストーヴはたくさんあるものの、ガス管工事でガス・ストーヴは使えなくなり、またデロンギのオイル・ヒーターは3台もあるのに電気代が異様に嵩むために使っていない。それで昔の電気ホーム炬燵に電気カーペットを併用し、ストーヴを使っていない。そのために耳たぶにしもやけが出来る。外出時は耳たぶを覆う帽子を被ればいいと考え、去年11月にネット・オークションで手ごろなものを見つけた。ただし真っ黒は無粋で、自分で装飾を施すことにし、ヴィヴィアン・ウエストウッドのズボン裾をカットした生地を転用してアップリケを施すことにした。その作業の途中で、大阪福島のとある公園での461モンブランの演奏があった11月12日に被って出かけたが、その後作業を続け、12月上旬に完成した。それからはスーパーなど外出の際はほぼ必ず被ることにし、耳たぶにしもやけが生じなかった。しかし今年は暖冬であったから、その帽子を被らなくても、しもやけにはならなかったかもしれない。それはともかく、耳を覆えば外気に触れる割合は激減し、昭和時代の貧乏人の象徴であったしもやけが出来ないことは子どもでもわかることであったのに、72の爺さんがようやく腰を上げてそのしもやけの対処を半分自作の帽子で行なった。そのことは特筆しておいてよいと判断し、こうして写真つきで投稿しておく。耳当て箇所の裾端にホック・ボタンを自分で縫い付け、その雌雄ボタンをはめると顎を完全に覆うことが出来る。そうなると風が吹いても耳は万全で、音もよく聞こえるので不便はない。なお、この帽子を被る際のマフラーは必ずセサミ・ストリートでお馴染みのクッキー・モンスター柄で、30数年前から着用しているお気に入りだが、その紺と青の色合いは半手作りの帽子の色合いとほぼ同じであることが面白い。セーターも同じ色合いのものを所有するが、面倒なので今日の撮影では着用しなかった。因みに写真の多色のセーターも3,40年前のものだ。スーパーに行く際も写真の帽子とマフラーで、風を通さないコートは着るが、たぶん「変な爺さん」と目立っているだろう。実際そうであるとの自覚があって気にしてはいない。「今年こそ 耳にしもやけ 作らぬと 耳当て帽子 作りすっぽり」
もう一段落書く。2、3週間前から早くも花粉の飛散が伝えられた。去年の筆者は花粉症から発疹が特に両脚に生じ、それが5月半ばで治った。アメリカの大西さんから贈ってもらったヒマラヤの岩塩を湯に溶かし、「風風の湯」に行かない日、つまり1日置きにそれを膝がすっぽり収まる容器に熱湯で溶かし、発疹患部を温めることを続けて完治したが、今年は5月中旬までまだ2か月ある。それまでの間、今年の花粉症が筆者の身体にどういう影響を及ぼすか。いいように考えれば、去年免疫が出来て今年は花粉の被害はないと思いたいところだが、すでに花粉の害を被っている。今朝西院でのライヴを誘う金森さんにメールした内容を繰り返すと、終日両眼が痒く、瞼を擦り過ぎて皺だらけになり、またくしゃみが出始めると10回ほど続く。そして手元には洟をかんだティッシュの山で、上半身に発疹が生じて来た。特に気になったのは1週間ほど前からの心臓の上の痛みだ。何の兆候かと心配したところ、昨日「風風の湯」でその箇所を見ると、発疹が生じていた。その付近に同様のものが数か所あって、背中にもいくつか生じているが、特に痛む部分にバンドエイドを貼りつけた。心臓ではなくて皮膚なので安堵してはいるが、去年の経験からすればやがて発疹は全身に広がり、完治までに1か月は優に要する。また両脚に数十か所となれば歩くのに苦労するから、今はじっと我慢の爺だ。ここ2、3日は外出しないのに何となく疲れを普段以上に感じ、10時間ほど眠った。体が花粉と対決しているのだろう。数日前に「風風の湯」で親しくなった太秦のMさんに露天風呂で話したが、子や孫のために日本中で植えた杉の手入れをする人がおらず、また外国産の木材の価格に勝てず、放置されたまま花粉を撒き散らして今や4人にひとりが花粉症で困っている。後代によきと思って為すことが負の効果をもたらす事例で、そのことを確定させないためにも杉山を有効利用すべきだが、人口減少と、金にならない話には誰も関心を持たないので放置される。それを教訓とするならば、親は子どもや孫のことを思わず、好き勝手をやるべきだ。まあ筆者はそのように生きているが、それはそれで子どもが迷惑するはずで、結局誰しも自分が信じることにしたがって生きるしかなく、また誰でもそうしている。何が言いたいかと言えば、必ず子孫のためになるという驕った考えは、大多数の人に迷惑をかけかねないことだ。せっせと杉を植え、他人に迷惑をかけないことが美徳と教えた先人は、今の花粉症で苦しむことをどう思っているのだろう。あたりまえに考えて杉山は不自然そのもので、それが人間に害を及ぼすことは賢い子どもなら気づく。植林者の子孫がいるのであれば杉をどうにかしてもらいたい。杉を植えたのは将来金になるからで、金儲けをたくらむ連中はろくなことをしない。下の写真はそういう人物に見える。
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