人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●「LONELY SOLDIER BOY」
昨日は元日本兵の上野石之助さんが63年ぶりに日本に帰った来たニュースがあった。ロシア語で「イシノスキー」という名前になっているそうだが、その一見冗談かと思える発音はおそらくローマ字の「ishinosuke」をそのままロシア語に転写してものだろう。



●「LONELY SOLDIER BOY」_d0053294_0163872.jpgそれはさておき、ロシア人女性と結婚して子どもが3人生まれていることは幸せな様子を見るようでまだ救われる。昨夜書いた『二等兵物語』では、主人公の凡作に彼女がいて兵舎まで面会に来るのを同僚の兵士が羨望の眼差しで見る場面があった。京都で徴兵されてひとまず同じ地で訓練を受けていれば実際はそういうこともあったろう。そしてそのまま終戦を迎えたのでまだ幸運であったと言わねばならない。筆者は所有する写真集『碑なき墓標 ガダルカナル・ラバウル・ニューギニア』をたまに開いて眺めることがある。毎日新聞社が1970年に1050円で出した本で、ここには貴重な古い写真が満載されている。ジャングルで朽ち果てている日本兵の骨や遺品、錆がいっぱいついた戦闘機などの写真はまだそんなものだろうという気にさせられるが、もっと衝撃的なのは、まだ戦いが激化する前に撮影された兵士の戦闘や日常の生活の様子で、顔を知っている人が見ればきっと誰それと特定出来るものだ。看護婦や慰安婦たちを写したものもある。それらのにこやかに語り合っている様子はピクニックのような平和な印象を伝えるが、その後にあったアメリカ軍の総攻撃によって地獄が待っていたことを知っている現在からすれば、そのあまりにも落差のある残酷な変化に言葉を失う。「陣中閑あり」と題するページでは、ラバウルの兵士たちが温泉に入っていたり、防空神社を作って奉納演芸大会を開いていたり、あるいは内地からの小包を解いている写真もあったりするが、そこに写っている人々の何人が無事に戦後を迎えられたことだろう。現地に残された遺骨が高度成長期に日本から全く顧みられずに野晒しになっていたのもひどい話で、死んだ者は浮かばれない。これは昨今の殺人に遇った者が殺人者よりも軽んじられている事情とどこか似た感じにさせるが、つまりは死んだ者はそれでおしまい、すぐに忘れ去られるという事実を示している。死んだ者を不幸な者と置き代えてもよいかもしれない。人間は自分が不幸になりたくはないから、世の中の不幸なことに積極的な関心を抱かない。殺されたり不幸になる者はそいつの責任で、自分の知ったことではないとの思いだ。いじめ問題の根底にはこれと同じものがある。
 それにしても63年ぶりに故国に戻って来るとはどんな思いだろう。63年がどれほど長いのか短いのかだ。長いようで短い、また短いようで長いのが人生で、その時その時によって思いもまた変わるものだが、たとえば40年ぶりにまた出会う対象があったりすればそうしたことを実感出来る。ここで取り上げる「悲しき少年兵」という曲は、ネットで調べたところによれば、1961年1月に大ヒットしている。作曲は59年であるので、日本では同年か60年に発売されていた可能性がある。当時はヒット曲の寿命は場合によっては数か月と長かったので、おそらく60年後期の発売だろう。となると筆者が9歳になったばかりの頃で、やっぱりという気がする。この曲がラジオからよく鳴っていたことをはっきりと記憶するが、それは冬であった。これは確かだ。なぜそうかと言えば、家の電球の明かり、部屋の中の温かさ、冬布団やたどんを入れた小さな炬燵、母の笑顔などを曲のメロディと分かち難く覚えているからだ。この曲には特徴的な女性のバック・コーラスがある。それは「ロンリ、ロンリ、ロンリソチャッボ、ロンリ、ロンリ、ロンリソチャッボ…」と高い声で冒頭から始まるが、その意味がわからないままに強く記憶した。こうした流行歌は次々と生まれるヒット曲によってやがてラジオからはすっかり流れなくなる。「ロンリ、ロンリ、ロンリソチャッボ」の意味が何かは英語を知る今では容易に推察出来るが、この数か月ほど、妙にこの曲が思い出されてある日ネットで調べてみた。「ロンリソチャッボ」が「LONELY SOLDIER BOY」であることや、その日本語タイトルが「悲しき少年兵」であることもすぐにわかった。そして間もなくレコードも入手出来たが、歌詞カードを見て即座に自分が思っていた曲であることを確認した。そしてすぐにターンテーブルに乗せて1回聴いたが、45年ぶりとは思えないほど細部まで正確に記憶していた。それほど9歳前後の子どもの耳は正確ということだ。懐かしくて何度もレコードを聴き直すことはせず、1回で充分であった。自分の記憶の中にいつでもはっきりと蘇らせることが出来るからだ。63年と45年は18年の差があるにしてもあまり大差ないのではないだろうか。となると、本当に人生はあっと言う間の出来事に思える。
 1961年の自分をはっきりと思い出させる物は写真や成績票やそのほかそれなりにいろいろとあるが、ある特定の記憶の空気のようなものと強くつながったものと言えば音楽が一番で、それもモノで把握するにはレコードということになる。この曲のレコードはやがてビートルズを好きになった筆者は当時は実物を見ることはなく、本当にここ1か月ほどで初めてネット上で確認した。ネットの威力はとんでもなく優れていると言わざるを得ない。ネットがなければなかなか曲名も確認出来ず、また実物のレコードを探すのも日数や手間を大いに要した。ジャケットは2色刷りで、これはこの当時としてはごくあたりまえで、そのシンプルさがいつも書くようにたまらなくよい。素朴でありつつもモダンで、時代を正直に証明している。どんなに洒落てみても結局は誰しも時代から逃れられないことを示していて、そう思えば誰かを出し抜こうなどとじたばたしても始まらない気がする。むしろそうしてもがいたものほど後の時代になってみれば浮いた存在で見られたシロモノではないかもしなれい。このレコードのジャケット下には電球のてっぺんに小さく印刷されているものと同じ東芝のロゴマークがあって、その右横に「東京芝浦電気株式会社」とある。この曲から2年後のビートルズ時代になってこれは「東京音楽工業株式会社」に変化するが、そんな差があることも妙にありがたい。この曲がオールディーズの廉価盤CDに収録されているのかどうか知らないが、こっちの中古レコードが10倍高くても筆者は迷わずに買う。音質の問題ではないのだ。ジャケットやレコードの紙袋の質やそのデザインがオリジナルであるということは、他の何かに代えられないものなのだ。そのためにこうした古いレコードを買う人はそれが本当にオリジナルであるかどうかにこだわる。よく売れるレコードでは、次の2、3版は少しジャケット・デザインを変化させることが多い。それでは駄目なのだ。筆者はそこまでこだわることはあまりないが、それでも初版である方がよいことは確かだ。因みにこのレコードは350円の価格が印刷されていて、初版は間違いないと思うがどうだろう。紙袋の片面にはアメリカのキャピトル本社のあの円形ビル写真がはっきりと写っており、もう片方には同時期のキャピトルのシングル盤の紹介が8点出ている。この盤はレコード番号が7P-200だが、123がシナトラの「国境の南」、195がナット・キング・コールの「枯葉」、そして204がネルソン・リドル楽団の「遙かなるアラモ」となっている。レコードは赤盤で、これを透かして景色を眺めると懐かしさがこみ上げる。
 歌手のジョニー・ディアフィールドは知らない。ジャケット裏面の解説の最初にこう書いてある。「キャピトル・レコードが今売り出し中の新進ロック・シンガー、ジョニー・ディアフィールドのデビュー盤をお贈り致しましょう」。この後にはおそらくヒット曲はなかったと思う。1曲だけの大ヒットという歌手が大勢いるし、それでもそうした曲に恵まれないミュージシャンからすればたいしたものだ。このアメリカの歌手は、遠い日本で9歳の少年がラジオから耳にし、それを45年経ってこうして思い出を書き綴ることを想像したであろうか。人間は自分の知らない間に他人に影響を及ぼしている。そう思えばこんなブログの日々の文章にしてもまた誰かの記憶に残らないとも限らない。それがどうしたと言えばそれまでであるし、そんなことを言えば人間など結局何の存在意味もないことになる。これだけではどんな曲か想像しにくいが、解説には「…マーチ風のドラム、エレキ、ギターが刻むビギン調のロック・リズムをバックにディアフィールドは想いを込めて歌います」とある。ホ長調で、見事に2分35秒だ。歌詞は意味がわからずに聴いていた9歳とは違って、今では英語を1回見ただけで全部理解出来る。3番まである。1、2番が終わった後は間奏がなくそのまま2度上がった転調をして3番が歌われる。一連の物語になっているが、これは英詩のバラードの形式を踏まえている。17歳になったばかりの少年に海軍から徴兵の報せが届く。恋人に別れを告げ、荷物をまとめて船着き場に赴く。2番の歌詞では船に乗った少年兵の気持ちの揺れが描写される。「彼女は自分に忠実でいてくれるかな?」と思いながら、写真をじっと眺め、そして涙する。3番はついに復員して港に戻って来るが、群衆の中に彼女の姿はない。あまりにも単純な内容で、ポップスに実にふさわしいと言ってよいが、今ではこんな物語風の歌詞を持つヒット曲があるのかないのか、筆者にはよくわからない。ビートルズの「ロッキー・ラックーン」は同様の物語曲で、こうしたストリー性のある歌詞が一時期は着実に受け継がれていたことがわかる。ディアフィールドの声は甘く、女性が騒ぐアイドルにふさわしいが、この程度の味ならいくらでも当時は歌手がいたであろう。日本でもそれは同じだ。当時はそれなりに騒がれても今は誰も知らないような歌い手はたくさんいる。となると、この曲が日本で大ヒットして、当時を記憶する人にずっと知られていることはひとつの偶然にも思える。そこそこよく出来たポップスに過ぎないが、それでも大切な思い出をさまざまな人に植えつけたことでまだ当分は記憶されてよい。筆者が高齢になって世を去る頃になれば、それこそ本当に誰も知らない曲になるかもしれないが、そんなことはどうでもよい。世間の評価が高かろうが低かろうが、それは関係ない。自分が記憶していることのみが大切なのだ。ところで、17歳で兵士になって恋人とも別れなければならなかったという歌詞は、改めて考えてみれば重い。1961年の日本ではそういうことはなかったが、アメリカは違ったのだ。この曲から四半世紀を経てザッパが同じようにアメリカの徴兵に関する曲を書いた。そこでもある日突然徴兵の通知が来る。「徴兵されたくないよー」とおどけて歌われるが、結局言っていることはこの曲と同じようなことで、楽しいことをみんな犠牲にして兵隊にとられる理不尽を描く。徴兵制度のない日本ではどこか遠い国の出来事のように若者は思うかもしれないが、いつまた日本にそれが復活するかもわからない。昨夜も書いたが、兵士は哀れなものだ。香月泰男や浜田知明がさんざん描いたように、そこにはただただ悲しみがあるばかりだ。そんなわかり切ったことをなぜ人はいつまでも繰り返すのか。ラバウルやニューギニアのジャングルの中で飢え死にしたり、体をばらばらにされて殺されることがそんなに聖なることか。全く悲しき人間と言うしかない。
by uuuzen | 2006-04-20 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●『二等兵物語』 >> << ●『アンリ・カルティエ=ブレッ...

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?