「
至福とは 後ろめたさの なきことと 私腹太らせ 笑う人言う」、「空耳か 吾呼ぶ声に 振り向いて 遠き昔を 虚空に描き」、「鯨肉 昔安物 今は牛 豚やチキンに 稀に馬鹿」、「物差しを 変えて気づくや 別世界 気持ち切り替え 新発見を」
今月1日にザッパの新譜『FUNKY NOTHINGNESS』が届き、その感想を書いた。
その中でアラン・ホヴァネスに少し言及した。彼のCDを最初に買ったのはこのブログを始める以前で、四半世紀ほどと思う。5枚だけ所有し、もっと集めてから感想を書く気でいたが、「ホヴァネス―ザッパ」の関係で今後考察されてよいと書いたので、早速ホヴァネスの作品を紹介することにする。ホヴァネスはHOVHANESSと綴り、「HOVHANESSNESS」とすると、「ホヴァネス性」となって、確かに彼の音楽は一度聴いただけで特長がわかり、またわかりやすいと言ってよい。アメリカ人だが、父がアルメニア人で、アルメニアのシンボルとなっているアララト山についての壮大な曲「ミステリアス・マウンテン」がある。それはアララト山に限らないが、今日の最初の写真の上右のCDのジャケットに描かれる、あるいは写真がアララト山そっくりだ。筆者はその山の名前の酒があることをホヴァネスの曲を最初に聴いた頃に興味を持ち、ようやくつい先日ネット・オークションで手に入れた。久しぶりにホヴァネスの曲を聴くと贅沢な気分になり、その瓶のラヴェルに印刷されるARARATという文字ロゴを見つめながら、ゆっくりと一杯飲んでみようかと心が動く。ともかく、ホヴァネスについてようやく本カテゴリーに投稿する機会が訪れた。生きている間に気がかりは減らして行くべきで、それをひとつこなすと気分はよい。なるべく新たな気がかりは作らないことだが、新たな日には新たな出会いがあり、新たに心は動く。その意欲がなくなれば人生はおしまいだ。今のところ筆者は意欲だけは旺盛だが、体力が減退すれば気力もそうなるだろうから、気力と体力は長く保ちたい。こう書くのもホヴァネスは長生きしたからだ。WIKIPEDIAによれば2000年に89歳で死んだ。膨大な曲を書いたが、録音されていない曲や楽譜が出版されていない曲のほうがおそらく圧倒的に多い。全集CDが出ないものかと思うが、その機会はホヴァネスの人気が沸騰しない限り無理で、たぶん百年ほど先のことだろう。それでもホヴァネスの曲はどれも雰囲気が似ていて、筆者が所有する5枚でも充分と言える気がする。そこがザッパとは大きな違いと言いたいところだが、ザッパの53年の生涯はホヴァネスに比べると作家人生はかなり短いものの、どの人生も煮詰めるとその個性は単純化されるのではないか。そして芸術家は結局のところ、自己を真に表現するのであるから、その真はひとつで、それが各作品に共通して表われると言ってよい。
そう書きながらザッパの『200モーテルズ』を思い浮かべるが、ザッパは本当のところどういう音楽をやりたかったのかという疑問が湧く。成人になるまでに黒人のR&Bに心酔する傍ら、ヴァレーズを敬愛し、ザッパの作品はギター片手のロックと管弦楽曲に大別される。後者は作曲に手間がかかり、楽譜を完成させても演奏してくれる楽団を雇うのに大金を要する。それでザッパはロックで儲けてその資金を自作の管弦楽曲の演奏と録音に回した。ホヴァネスは管弦楽曲のみであるから、大量に作品を書いても演奏してもらえる機会は自分で見つけなければならず、またそれはめったになかったであろう。オーケストラがホヴァネスのCDを録音するにしても、それが一定以上の枚数売れないことには話にならず、そもそも録音する以前にどの楽団と指揮者が関心を抱くかが問題で、税金や金持ちの支援金によって演奏の機会を設けることも画策しなければならない。それでザッパはそうした経済的に貧しい作曲家が援助金目当てに奔走することを風刺した曲を書きもしたが、ではザッパの管弦楽曲が生前頻繁に演奏されたかと言えば、全くそうではなく、『200モーテルズ』以降も新曲を書きながら初演の機会をうかがい続けた。80年代になってついにブーレーズによる初演もあったが、アメリカではほんとど無視され、レコードはザッパ・ファン以外にはほとんど売れなかったはずで、ザッパ・ファンもほとんど聴かないだろう。そうしたアメリカないし人生に対する苦味を痛感していたからには、そのことが曲に反映しないはずはなかった。その点がザッパの不幸であったと言ってよい。しかし自力でよくぞブーレーズに演奏させるまでの管弦楽曲を書いたと思う。それは実に稀なことで、比類のない根気に支えられた独学と独立独歩の行動はやはりヴァレーズを敬愛し続けたからだろう。ザッパの管弦楽曲を作曲順に眺めると、苦味が増して行くその原点に『200モーテルズ』に収録される幼ない頃の自然を描写した曲がいくつかある。それらの瑞々しい、そして神秘性をなぜもっと押し広げようとしなかったのかとの疑問や残念感が筆者にはある。ザッパの書く歌詞は風刺が主だ。それも苦味の反映だが、風刺せずに別の何かを表現するという態度を風刺と同じほど持ち続ければ、ザッパの曲の世界はもっと広くなったように思う。そうならなかったのは、ザッパは自宅スタジオとツアー先のステージに人生のほとんどを過ごし、自然に浸る外光派でなかったからと言ってよい。それでたばことコーヒーに身体を浸し続け、前立腺癌で死んだ。それはザッパのような仕事ぶりでは予想されたことのように思う。長生きするのは遺伝子の影響が大きいと思うが、ザッパは普通の男にありがちな酒や女で身を滅ぼす代わりに、仕事三昧で人生を縮めた。好きな仕事であるのでそれは不条理だが、人生が不条理であることをザッパはよく知っていた。
しかしザッパは自然を無視しただろうか。そうではないことは最晩年の『ザ・イエロー・シャーク』が示している。そこでは海とその汚染が大きなテーマになっている。汚染に関してはデビュー当時からザッパは問題視していたが、海を直接の素材に使うことは初めてのことだ。ザッパの祖先はシチリア人で、海には馴染みがある。それに父は大西洋を渡ってアメリカに移民した。ルーツを想えば海は欠かせないテーマであった。それを『ザ・イエロー・シャーク』で取り上げたことは、その後はさらに自然について描写する管弦楽曲を書いて行く思いがあったかもしれない。汚染も含めて自然描写を抒情的に行なうには、ロックでは役不足で、管弦楽団を使って雄大に表現せねばならない。その萌芽は『200モーテルズ』にあり、ザッパはそれを忘れたのではなかったが、ロックとそれを引っ提げてのツアーが長年続いた。その間にも自作の管弦楽曲の上演と録音、アルバム化を画策し、実行したが、その成果は多くはなかった。さて、『FUNKY NOTHINGNESS』が録音された1970年、ホヴァネスは今日の投稿の題名曲「そして神は鯨を創りたもうた」を録音した。この曲は前述した「神秘の山」と双璧で今のところ代表作と言ってよい。ザッパも旧約聖書の創成期に倣った曲を70年代前半に書き、神は男、次いで女を創った後にプードルを創生した云々と始まる歌詞を書いた。ザッパのプードルに対してホヴァネスの鯨では、雄大さで言えば勝負はついている。それにザッパは風刺と笑いが主眼であり、ホヴァネスは率直に鯨の雄大さを管弦楽器と鯨の鳴き声を録音したテープとの混合で曲作りをした。そこにメルヴィルの『白鯨』との関連を見ることは正しいだろう。ザッパはそういう人間の非力さに対する畏怖すべき自然を作曲で表現しようとはしなかった。だが、管弦楽器と録音テープの使用はヴァレーズが自作曲で行なったことであり、20歳頃のザッパも同じような曲を書いたので、ホヴァネスのこの曲は新しい手法とは言えない。それに管弦楽器の使い方はビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に感化されたところがある。つまりホヴァネスは時流をよく読んでいた。この曲は70年2月にニューヨーク・フィルの委嘱で書かれ、6月に同楽団によって初演された。ちょうど『200モーテルズ』の時期と重なり、こうしたポップス性のある管弦楽曲が書かれる機運にあった。ザッパはこの曲の初演は知らなかったかもしれないが、後に評判は聞いたであろう。筆者所有のCDでは89年(上左)と94年(上右)のCDに収められ、ザッパは前者を聴くことが出来た。とすれば『ザ・イエロー・シャーク』の発想の契機になった可能性がある。同公演で最初に演奏された「序曲」は海を交響詩的に表現し、そこに海の生物を感じ取ることが出来る。ただしザッパは鮫を扱い、ホヴァネスの鯨より小さい。
ホヴァネスの母はスコットランド人で、ホヴァネスの出自はそのまま彼の音楽の個性と強く関連づくことになった。「神秘の山」は父親を意識した曲と言ってよいが、アルメニアやトルコ辺りの音楽に関心を抱くだけではなく、戦前はインド音楽をアメリカに紹介し、また日本や韓国にも旅行して音楽の幅を広げた。「神秘の山」も「そして神は鯨…」も一度聴いただけでヨナ抜きのペンタトニックで主題が書かれていることがわかる。そのため日本の映画音楽かと思わせられるが、ホヴァネスの音楽は特定の映像を必要としない。それがあれば美しさが半減するだろう。そのため映画音楽とは一線を画した厳格さ、清浄さがある。ザッパは20代前半に2,3の映画音楽を書き、そこに用いた管弦楽曲をマザーズにおいても演奏し、必ずしも映像と音楽は密接につながってはいない。そのことは映画『200モーテルズ』でも同様で、ザッパにとって映像を音楽と不即不離の関係につなぐものではなかった。これは耳だけで充分で、目は不要との思いだ。同じことはホヴァネスにも言える。映像は人間であれば覚醒している時でも睡眠中でも見ているものであって、不純性を避け得ない。それゆえ画家は唯一の映像としての絵画に完璧を追求する。ホヴァネスがそう思ったかどうかはもちろんわからないが、彼の作品を聴くと聖なるイメージからそのイメージを除いた聖なるものの核を感じる。聖なるものにイメージがないとは視力のある動物からすればおかしな言い方になるが、真に聖なるものは形を超えているのではないか。つまりイメージで捉えられず、したがって音楽で表現するしかない。言い換えれば音楽を生じさせる演奏者やオーディオ装置は単なる媒介者で必要悪だ。これは一旦ホヴァネスの曲の核がわかると人生が変革することであって、どの演奏者がどういう演奏をしているかが気にならず、ただただ続いて行く音楽がこれ以上はない純粋さで、思い起せばすぐ脳裏に漂っている。そこにザッパがよく風刺した贋物的ないし俗物的なうすっぺらが混じっていないかどうか。人間であれば誰しもそういう側面を持っている。マルローが言ったか、彼をそう評したのか、偉人と呼ばれる人にはどこか胡散臭さがあると何かで読んだことがある。マルローにそういう側面がなかったとは言えない。だがそういうことも含めてやはり偉大と称えられる人物を人類はごく稀に生み出す。清濁併せ飲むといった平凡な言い回しではなく、濁りに見えそうな部分も清いのであって、それが自然であり、人間であると思うしかない。その清さこそが汚れていると人間に幻滅を感じる人がままあろうが、その幻滅が汚れているのであって、自然の美しさに感動し、心を清浄に保とうとすれば、あらゆるものが肯定出来る境地に至れる。それは錯覚かもしれないが、音楽で何が出来るかと考えた時、ホヴァネスの作品はその最高の妙味を体現していると筆者は感じる。
ホヴァネスはペンタトニックの曲ばかりを書いたのではない。アルメニアを意識すれば当然中東の音楽を取り入れるだろう。そこにインドや韓国、日本を置くと、シルクロードに沿う音楽を網羅したことになりそうだが、ホヴァネスの曲は借り物を全く意識させない独創性がある。それゆえ筆者は5枚のCDで充分と先に書いたが、もっと多くの作品を聴くとさらにホヴァネスの途方もない広がりを知るだけで、20世紀のアメリカが生んだ作曲家としてはジョン・ケージのひとつの対局にある。筆者はケージのCDをホヴァネス以上にたくさん所有するし、また20歳頃に関心を抱いたが、彼の音楽はホヴァネスのようにはわかりやすくはないし、また聴いて楽しいものは少ない。ホヴァネスの曲はわかりやすいあまりに看過されている気がする。そのわかりやすさは映画音楽やイージー・リスニングのBGMみたいなものとの誤解による。つまりザッパがよく言及した俗受けを狙った贋ものっぽさを指摘されそうだが、それこそ耳がそうした大量の音楽で汚れ切っているからで、虚心で聴けば同じような音楽が他にないことに気づく。ところでホヴァネスは6回結婚し、最後の奥さんは日本人であったという。長命であったので複数回の結婚は不自然ではないが、6回は多い部類だろう。ホヴァネスがそれだけ気難しかったのか、ほかに原因があるのか知らないが、6回結婚しながら音楽の本質が変わらず、どれも似ているようでどれも違う音楽を書き続けたことは気力と体力の急激な消耗を嫌い、確実着実に生を営み、創作を心がけたことを示している。つまり無理をしなかったと筆者は言いたいのだが、その無理がないことが曲に表現され、聴き手は何らかまえることなしに音に浸ることが出来る。そこがザッパとは大違いだが、ホヴァネスがザッパのように複雑な曲を書かなかったという意味ではない。ホヴァネスには4重フーガがあり、その複雑ながら天上の気分を味わわせてくれる音楽は現代アメリカの他の音楽家は誰も書かなかった、書けなかったものだ。トランペットやフルート、ヴィオラ、あるいはハープやギターの奏者を主役にした曲は楽器の音色がこれほど美しかったかと覚醒させてくれる仕上がりで、音楽は自然に始まって自然に終わる。マザーズがデビューする前年の63年には「メタル・オーケストラのための交響曲」を発表したが、その題名に興味を覚える音楽好きはぜひとも聴いてほしい。多民族国家のアメリカを真に代表する音楽家として将来評価されるはずで、多くの民族に開かれている点で今後の日本の管弦楽曲の創作に何らかのヒントを提示している気もする。ホヴァネスの生涯は漂泊であったような気がするが、権威を傘に着ず、ひたすら作曲し続けた多作ぶりに感心する。芸術家は何と言ってもまずは多作であるべきで、創作しない日はないというほどでなければならない。そうでない贋者ばかりが有名になるが。
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