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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『FUNKY NOTHINGNESS』その1
き音の 増幅されし 主の声 ラッパ聴く犬 立派なロゴに」、「短くて よくなきことの 短気さは 身近な人に なきことよろし」、「切り取りは よきことのみと 言い聞かせ 生まれたままの 顔削る姪」、「本質を 極力縮め 伝えろと 能なしの人 威張る本質」●『FUNKY NOTHINGNESS』その1_b0419387_18295932.jpg 一昨日ザッパの新譜が届いた。CD3枚組なので今日から3回に分けて感想を書くつもりでいる。大半の曲は70年3月にロサンゼルスのレコード・プラントで録音された。ジャケットの見開きの左に演奏メンバーが記され、ザッパ以下、黒人でヴァイオリンとヴォーカルのシュガーケイン・ハリス、キーボード、サックス、リズム・ギターのイアン・アンダーウッド、エレクトリックとアコースティックのベースのマックス・ベネット、ドラムスのエインズリー・ダンバーの計5人で、一発録り以外に後にザッパがマルチ・トラックのテープに移すなど、さまざまな録音テープの状態で収蔵庫にあったものを今回ジョー・トラヴァースがまとめた。最も良質な部分はザッパが『チャンガの復讐』に収め、また後年に別のアルバムに収録したが、後にドゥイージルが発表した曲も含み、そうした部分的に小出しにされていた形の大本の録音が今回は出揃った。ジョーが明かさないだけで、今回のアルバムから外された同時期の録音はまだあるかもしれない。それはさておき『チャンガ…』と本作を比べると、当時のザッパの多作性と前進性がよくわかり、大量の録音からいかにごくわずかしかアルバムに収めなかったことに、しばし呆然たる思いが湧く。今回のCD3枚はLPならば6枚に相当し、『チャンガ』はそれを1枚にしたと言いたいところだが、本作から『チャンガ』に使われた曲は3曲で、しかも半分以上をカットした。つまり本作の最良の核となる部分を『チャンガ』に使用したものの、ザッパが本作の残りをゴミと考えたかどうかは聴き手の判断による。ザッパが採用しなかったのはLPの収録時間制限のためにやむを得ずとの理由があったはずだ。一方では饒舌過ぎる演奏部分を認識したとも思える。それは『チャンガ』と比較してのことで、ザッパの逡巡と決心をいろいろ考える楽しみが本作にある。「決心」は『チャンガ』に表明されたが、「逡巡」はザッパの場合、他のアルバムや企画と関連してあまりにややこしい。またそのややこしさは『チャンガ』そのものにも表われている。『チャンガ』の面白さはそのややこしさ、言い換えれば多彩性にあり、当時のザッパはとにかく作品に多くの要素を詰め込んだ。その多次元のひとつの低次元が本作で、その意味で『チャンガ』よりもわかりやすい。本作のたぶん十数分の一が『チャンガ』に使用されたのに、『チャンガ』よりわかりやすいとなれば、本作の価値を低く見積もっていることになるが、ザッパが結果的に本作の大部分を発表しなかったことからはそれは正しいだろう。
 本作の録音時期と同じ頃、ジョージ・ハリソンは『オール・シングス・マスト・パス』を録音した。日本盤の発売から1か月は経っていなかったと思うが、筆者は母に無理を言ってレコード代金をもらい、休日の昼下がり、雨傘を差して徒歩20分のところにあった、定価の1割引きで買えるレコード店に向かった。40代前半の夫婦が経営し、奥さんはしっかり者の美人であった。それはいいとして、芝生に置いた椅子に座るジョージが4体の地面に横たわる人形に囲まれて座る写真が白黒で印刷された箱入りのLP3枚で、誰でもと思うが、3枚目のリンゴ・ジャムの瓶が印刷された黄緑色の紙の中袋に入った『アップル・ジャム』の盤は1,2枚目の十分の一以下の回数しか聴かなかった。エリック・クラプトンなどのミュージシャンを集めたジャム・セッション盤で、これは後にジョンとヨーコが発売する2枚組LP『サムタイム・イン・ニューヨーク』のうちの1枚の片面に収録されるライヴ演奏と関連づけるのがいい。それは69年年12月にロンドンの劇場でプラスティック・オノ・バンドがジョージやエリックなどを招いて「コールド・ターキー」と「ドント・ウォリー、キョーコ」を演奏したもので、ジョンとヨーコのワン・コードによる曲のジャム・セッションであったが、『アップル・ジャム』はジョンとヨーコという強烈なしかも歌い手を欠き、またどの曲も主題とその展開ではなく、ブルースの3コードないしワン・コードによる即興演奏で、背後にヨーコの叫び声があればまだよかったと思わせる。このことはエリックとは違ってジョージはジャム・セッション向きのギタリストではなく、ビートルズ時代がそうであったように主役の背後に控えて存在と言ってよく、実際ジョージは『アップル・ジャム』以降、同様の曲を発表しなかった。そのことを踏まえてザッパの本作を聴くと、ザッパが主題とその変奏に費やした才能であったことがわかる。つまりビートルズのように2,3分のポップスを書く才能がありつつ、その曲の中間部を即興でいくらでも長く、また変化に富む形で演奏することが出来た。となれば前者の才能に優れたジョージであるので、『アップル・ジャム』に収録される即興演奏の4曲にそれぞれ主題を最初に奏でていれば、本作のザッパ曲のようになったかもしれない。ジョージがその方向を採らなかったのは、エリックやザッパのようにギタリストとして立つという意識がビートルズの中にあっては希薄、あるいは持つ必要がそもそもなかったからであろう。それよりもジョンやポールのように歌えることが出来たので、そのふたりに倣って自分が歌える曲を書くほうがよかった。ザッパはビートルズ的な作曲の才能以外にギターの即興演奏の能力を極める思いがあった。その観点から本作を見れば理解しやすい。簡単に言えばポップスとジャズの双方の才能を駆使した。
●『FUNKY NOTHINGNESS』その1_b0419387_18301716.jpg 本作の紙ジャケットの銀の光沢はザッパのアルバムとしては二例目で、今回はザッパの顔で見栄えがよい。この30歳のザッパの顔は『チャンガ』のジャケット写真のあくびする顔と違って、真面目に思索する目つきだ。この写真が当時アルバムに使用されていれば、ザッパのイメージが変わっていたのではないか。ロックに限らず、どの世界でも長年経って真価が見えて来る作品は、知的な人物が猛烈に腕磨きをしながら思考を続けることでしか生まれない。それを言えばザッパのアルバムの売れ行きに差し障るか。さて、本作のディスク1は11曲で74分だ。最短曲は44秒の「TOMMY/VINCENT DUO」で、ヴィンセントがザッパであることは即座にわかる。トミーは新たに雇ったイギリスのエインズリー・ダンバーで、ふたりの即興演奏だ。同じ題名で8曲目に7分弱のヴァージョンがあり、ディスク3には23分に及ぶヴァージョンがある。3ヴァージョンをばらばらに配したのはテープがそうなっていたからで、多チャンネルのマスター・テープは存在せず、いくつかの部分が異なるマルチ・トラックのテープに存在し、特にドラムスの音に差があったので今回の発売に際してそれらの音質を整えた。この44秒のヴァージョンで特長的なことは他のふたつとは違ってザッパはベースを弾いている。ディスク1で少しだけ聴かせ、ディスク3に長大なヴァージョンを置いたのは、ザッパのアルバムの手法に敵い、本アルバムの劇的効果と一体感をもたらしている。アルバム・タイトルの冒頭曲「FUNKY NOTHIGNESS」は2分弱で、ディスク3の最後に「リプライズ」的に1分弱のヴァージョンが収められる。そのタイトルの頭に「FAST」がつくように、演奏のテンポが速い。この曲名の和訳をひとまず「ファンキーさゼロ」としておくが、本作の冒頭に収められた理由は本作では最も古い67年の録音であるからで、ザッパはアコースティック・ギター、ロイ・エストラーダのベース、モーターヘッド・シャーウッドがリズム・ギターを弾く。当初『チャンガ』の冒頭に収められるはずが、未発表のままとなった。ザッパはギターと「primordial grunts」(荒くて低い唸り声)のブルース調の歌声をユニゾンで発し、キャプテン・ビーフハートの声とそっくりだ。ファンキーさの欠如というのはザッパの謙遜か本音かだが、ジョージ・デュークやまた本作ではシュガーケイン・ハリスを起用し、69年以降ザッパはよりファンキーさを求め、それが本曲の録音以後すなわちオリジナルのマザーズの解散時以降であるから、謙遜かつ本音であったとみなしてよい。短い曲ながらブルース志向を端的に示し、また黒人ミュージシャン特有の歌い方を模すことは他のザッパ曲になく、ジョー・トラヴァースが書くように、もっと長いヴァージョンが見つかる可能性がある。
 ディスク1については書くことが多い。それで今日は5曲目「チャンガの復讐」についてまず書いておく。これはドゥイージルがかつてアルバムに収録した4チャンネル・ヴァージョンのステレオ化で、約9分半の長さはたぶん同じだろう。確認するのが面倒なのでこのまま続ける。「地下室ヴァージョン」に副題があって、70年3月にザッパの自宅の地下室で録音された。ディスク2,3にも「チャンガ」は収録されるが、この地下室ヴァージョンが最も古い。この曲は主題がごく簡単で、五音音階から成る。ザッパのギター・ソロはDのドリア旋法で、鍵盤楽器ならば終始音をDと定めて白鍵ばかりを使う。ギターでは鍵盤楽器よりもその音階を習得することは難しいだろう。Dのドリア旋法はDマイナーとは一音が半音違い、Dドリアではミとファ、そしてシとドの間の半音が音階では左右対称の位置に存在し、安定感がある。これはザッパがギターで即興演奏を繰り広げながら、終始音を常にDに保てば聴き手はそのたびに区切りを感じる。そしてザッパはいわば無限にその音階でソロを弾き続けることが出来る。これはたとえばジョンがヨーコとのステージでブルース・コードの主音の和音のみで演奏するのと違って、ギターの単音の旋律が切れ目なしに唐草(アラベスク)のように続いて行くことであって、ソロ全体として起承転結をつける必要上、時に10分に及ぶソロ全体で聴き手に劇的な変化を感じさせねばならず、またそれにはさまざまな短い特長的な旋律を生み出す場が得られる、あるいはザッパはあえてそうした新発見の創造の場として長いソロを設けることにした。これは教会旋法に則りながらその音階から斬新な旋律を導くという意図があってのことで、指慣れで誰もがどこかで聴いたことのあるような月並みな旋律を素早く繰り出すというのではない。そうしたソロは聴き手は存分に聴き馴れていて、猛烈な速度で奏でられても印象に残らない。「チャンガの復讐」の主題は物足りないほどに単純で、教会旋法でなければ最低ふたつの和音を伴奏で交互に奏でさせながら、ザッパはそのうえにソロを展開する。ジョン・レノンがワン・コードの和音をジャカジャカとヨーコの叫び声の背後で打楽器のように奏でるのとは違い、ザッパは旋律の演奏にこだわる。それは即興演奏から新たな曲を見出す、いわば合理的な方法で、ザッパは声を出して歌う分、ギターのソロでそれを代用し、その演奏から気に入る特徴のあるメロディを見つけようとした。ギターを歌うように使ったことはギタリストとして当然だが、自在に弾くことからこれぞという瞬間を見出すのは、ソロを奏でている間は「逡巡」と言ってよい。その「これではない」の連続の中から時に「これしかない」という瞬間が得られる。「これではない」は「耐えざる練習」だ。それをジャム・セッションで実施し、その過程で「これしかない」という「決心」を得た。
●『FUNKY NOTHINGNESS』その1_b0419387_18303904.jpg
 繰り返すが、頭で考えるのではなしに、常に練習あるのみで、その中からしか名品は生まれない。ブルースの三和音に沿った16小節のソロは黒人のジャズ・メンがさんざん可能性を追求し、そこにロック系のミュージシャンが乗り出し、ザッパもその流れに加わった。そしてブルースの三和音ではないが、別の三和音の16小節の連続で類稀なソロを披露したのが『ホット・ラッツ』収録の「ミスター・グリーン・ジーンズ」だが、「チャンガの復讐」の主題は同曲よりかなり単純だ。それは意識してのことで、単純な旋律ほど覚えられやすい。しかしその主題の後に続く長大なソロが同じように単純であっては意味はない。教会旋法はワン・コードのようなもので、変化に乏しい。それを基礎に華やかなソロを披露するにはギターで歌える必要がある。これは詩人のように喜怒哀楽を表現することであり、音色の豊富なエレクトリック・ギターはそれを可能にする。「チャンガの復讐」のザッパのソロに起承転結があり、表情の変化に富むかどうかは聴き手によるだろう。仮にそれに成功しても、それは慣れになりやすい。つまり即興が定形になってしまう。その恐れをザッパは常に意識していたろう。ブルースの三和音であれば、どのように演奏してもほとんど予定調和の結論しかない。ザッパはそれに飽き足らずに教会旋法を用いたと思うが、それもジャズから学んだ。ディスク1の6曲目、6分半の長さのある「BASEMENT JAM」は「チャンガ」と同じくDのドリア旋法によるザッパのギター・ソロで、筆者はこれを最初に聴いてピンと来たことがある。曲のほとんど最後に聞き覚えがあり、それが79年のアルバム『シーク・ヤブーティ』に収められる短い会話曲「世界のすべてのファンに何が起こった?」の背景に流れている曲であることがわかった。自慢するのでもないが、この「地下室ジャム」を一度だけ聴いてその会話曲を想起する人はよほどのザッパ・ファンだ。ただし、その会話曲ではもうひとつ別の曲が被さっている。そのままの形ではないが、『200モーテルズ』に収録される曲で、ザッパがなぜそうしたファンに馴染みのない曲を『シーク・ヤブーティ』の会話曲に用いたのだろう。そこまで詮索すると高度なザッパ学に立ち入ることになる。それで、ともかくザッパは未発表にしていた「地下室ジャム」のテープを79年に引っ張り出し、それを背後で流しながら、新メンバーに会話をさせ、それを録音した。それがさして意味のない他愛なことか、それともザッパは何かを意図していたのか。そのことはわからないが、79年以来謎であった会話曲の背後にわずかに流れるギターとドラムスの掛け合いが、70年の「地下室のジャム」であることがわかった。これだけでも本作が世に出た意味がある。またジョー・トラヴァースは解説に上記のことを書いていないのは、ファンの発見の楽しみを奪わないためだろう。
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by uuuzen | 2023-07-03 23:59 | ●ザッパ新譜紹介など
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