「
穹窿の 意味知らぬ子の 丸き目に 虹の半円 映りて隆起」、「AIに 愛を尋ねて 愛想なし 人がそれ真似 人の世冷えて」、「子雀や 飛んで間もなき 痩せ姿 親のふっくら とんでもなきや」、「交わりの なきはさびしき ひとつ雲 自販機の茶の ぬくもり嬉し」
先月4日の「ザッパロウィン23」で少しだけ触れたビートルズの最新で最後の曲「ナウ・アンド・ゼン」について今日は取り上げる。とはいえシングル盤を買わず、YouTubeで聴くのみでの感想だ。いつかはオーディオの大音量できっちりと聴きたいが、その最良の方法は先月発売された通称『ビートルズ青盤』の2023年版の2枚組CDがいいと思っている。ビートルズのアルバムには企画編集ものがかなりある。最初の発売は1966年末の『オールディズ』で、このLPを発売と同時に筆者は買って今も所有する。ヒット曲集だが、全曲が以前発売のヴァージョンとは音質が違う。それにイギリスでは未発表の「バッド・ボーイ」が入っていた。筆者はこのジョンが歌うロックンロールのカヴァー曲が大好きで、当時一緒によく歌った。『オールディズ』のジャケットB面は来日公演の際に缶詰めにされたホテル内で撮られた写真が使われた。ジャケット表のイラストもカラフルで楽しく、このアルバムが正式にCD化されていないのはもったいない。もっともCD時代になって、主にシングル盤をまとめた『パスト・マスターズ』と題するアルバムが2枚出たので、その前半の1枚は『オールディズ』の代わりと言えなくもない。他の企画アルバムのLPは『ラヴ・ソングス』や『ロックンロール』といった2枚組も発売されたが、それらは公式のCDになっていないはずだ。筆者がそうした編集盤LPに興味があまりなかったのは、正規発売のシングル盤、4曲入りのEP盤、そしてLPを買えばビートルズの全曲が入手出来たからだ。シングル盤のほとんどはほぼ同時発売時のLPに収められず、EP盤は64年の1枚のみがシングル盤にもLPとも曲目がだぶらなかった。そしてベスト盤は『オールディズ』のみがビートルズ解散前にイギリスで発売され、日本盤も出た。同アルバム以前に日本独自の編集盤もあったが、ビートルズが67年に全世界でアルバムを統一してからは製造されなくなった。70年だったか、解散後に通称赤盤、青盤の各2枚組LPがジョージ・ハリソンの選曲によって発売された。上記の理由で筆者はその2種のアルバムを買っていない。同じ曲を二度買うつもりがないためだ。手軽にビートルズのエキスを知りたい人にはいいが、全曲を聴きたい人には不要だ。価値があるとすれば、ジョージの選曲という理由で、また青盤と赤盤はジャケット写真が同じ場所で同じ並び方で撮影された初期と晩期の4人で、姿の変貌ぶりが見ものだ。今日の最初の画像は青盤のCDで、ジャケットの4人の写真は『アビー・ロード』のジャケットに使われてもよかった。

「ナウ・アンド・ゼン」の発売に合わせて赤盤青盤は曲を増やし、またここ5,6年における新リミックス・ヴァージョンを使ったうえで再発売された。リミックスはビートルズの録音で有名になったジョージ・マーティンの息子ジャイルズ(Giles)が手がけ、ネット情報によれば賛否があることがわかる。EMIとしては今後もビートルズで商売をして行くので、時代に合わせて新たな磨きをかけようというのだろう。それは音を自在に変える技術が年々開発されていて、そうした技術を応用すればどうなるかという興味もあってのことと想像する。ジャイルズがビートルズの録音をいじくったことは、ポール・マッカトニーとリンゴ・スターが健在なのでお墨付きは与えられているが、ふたりが世を去れば歯止めは利かなくなるだろう。遺言でポールがそれを禁止したところで、後世の者は勝手なことをする。それは絶対確実だ。その手始めが赤盤青盤を含め、ここ数年のジャイルズの仕事だ。ところで、筆者は2023年の最新の青盤だけでも買おうと思いながら、YouTubeに赤盤も含めて全曲が投稿されていることを知り、何度か聴いた。パソコンからの粗末な音なので詳細はわからないが、意外な発見はままある。それらを列挙するのは切りがないが、おおまかに言えばこれまで気になっていたことが改善されている。また2023年版でありながら、多くの曲はここ6,7年の間にリミックスされたものを使い、ジャイルズは父が手がけた最初のデジタル化のその先に進んで、ビートルズの全曲をリミックスし終えたのであろう。ザッパもそうだが、6、70年代のビッグネームのロッカーたちは続々と50周年記念盤を発売し、たいてい1万円以上であるため、筆者は興味がありながらザッパ以外は手を出さずにいる。購入しても2,3回しか聴かない。そうした50周年記念盤は現在70代の裕福なファンに向けてのもので、死に土産に買ってもらおうとの魂胆でもある。常識的に考えて最良の演奏は6、70年代に発売済みで、50周年記念盤に収められる3,4枚の余分なディスクには、残りかすと呼ぶにふさわしい演奏しか入っていない。良質の曲があってもごくわずかだ。そしてビートルズに関しては、良質の未発表曲やヴァージョンは『アンソロジー』の全3集で底をつき、残る商売手法はたとえばジャイルズに細部をいじらせることしかない。しかもその細部は元の録音テープに隠れ気味であった音を前面に出す程度で、異なる演奏とは言えない。ザッパの曲がジャイルズの手法で作り直されれば、200年や300年経っても「新譜」の発売に困らない。その意味でビートルズ・ファンはかわいそうだ。極細部が異なるだけの同じ曲に何度もお金を使わされる。したがって筆者はYouTubeで2023年版の赤青盤は我慢する。10年後にはどちらも1000円で中古盤が買えるはずで気長に待つ。

ネット・オークションでは2023年版以前の曲目の少ない赤青盤の紙ジャケットCDがよく出品されていて、2023年版かどうかは表ジャケットからは区別がつかず、裏面の曲目を確認せねばならない。今日の2枚目の画像が2023年版のそれで、筆者がオレンジで囲った9曲をジャイルズは増やした。2枚のLPには収まらず、今回は3枚組LPとして発売されたのではないだろうか。そのことを墓下のジョージ・ハリソンがどう思っているかだが、ジャイルズはジョージのことを考えて9曲のうち2曲を彼の曲とした。これはビートルズ時代から考えて妥当な割合だ。筆者が2023年の青盤CDがほしい理由は、今日の3枚目の写真が示す2009年発売の全曲CDボックスに収められる紙ジャケットのデザインやサイズと同じで、縦長のその黒い箱にはどうにか青盤の紙ジャケCDが入るだけの隙間があるからだ。またその全曲CDボックスには「ナウ・アンド・ゼン」は入っていない。ポールが言うようにビートルズ最後の同曲が、かつてジョージが選曲した基盤にジャイルが曲を追加し、さらには音を少々変えたベスト盤である青盤の最後に置かれることは、黒い箱にその最新の2023年版の青盤を収めたい気持ちを起こさせる。これは黒い箱に詰まるビートルズの全曲という遺骨に新たに「ナウ・アンド・ゼン」を葬る思いと言ってよく、同曲が筆者の生前に発表されたことにひとまず感謝したい。ポールの年齢からして、また新たにビートルズ曲として加工したいジョンの曲がないはずであることからも、同曲は真にビートルズ最後の曲で、あらゆる面から見てもそれにふさわしい価値を具えている。そのことは後述するとして、2023年版の青盤がほしい理由は「ナウ・アンド・ゼン」以外にある。それは68年の『ホワイト・アルバム』の2曲目の「ディア・プルーデンス」が、今回は前曲「バック・イン・ザ・USSR」のジェット機の離陸音に被さらずに始まることだ。ビートルズがアルバムにおいて曲間の無音を省略した最初は67年の『サージェント・ペッパー』だが、『ホワイト・アルバム』でもその手法が使われ、「ディア・プルーデンス」の冒頭はジェット機音のフェイドアウトとギターのリフのフェイドインが重なって、「ディア・プルーデンス」のみを取り出すことは不可能な状態にあった。スタジオでは各曲が個別に録音されたので、ジェット機音がない「ディア・プルーデンス」のテープは存在するはずで、ジャイルズは今回の青盤で初めて離陸音が完全に消えてから「ディア・プルーデンス」のリフが始まるようにした。しかもフェイドインではなく、最初のギターの一音がとても大きくクリアで、それだけでも筆者のように68年の発売時から聴いているファンにとっては驚くべき喜びで、同曲のイントロの1,2秒を聴きたいためにその青盤がほしいのだ。
ジャイルズは古いファンやマニアのために「バック・イン・ザ・USSR」と「ディア・プルーデンス」を完全に切り離しのだろう。しかし「ディア・プルーデンス」の大きな音のイントロはジェット機音に隠れて鳴っていたものと当然同じで、ジャイルズの「切り離しヴァージョン」を聴いた後では筆者はなおさら68年のLPの感動を思い起す。それはジェット機音に隠れたフェイドインでありながら、あるいはそうであるからこそ、同曲のその後の展開がドラマティックであった。というのは、同曲はフェイドアウトで終わるからで、遠くからやって来て遠くに去るという感覚が同曲を支配し、それが歌詞と合わさって懐かしい思い出に感じられる。そう思えばこの曲はプルーデンスという名の女性を誘いながら自然の中で戯れた後、彼女が消えてしまうという悲しみを宿している。同じ境遇をジョンがもっとあからさまに歌ったのは3年前の「ノルウェーの森」だ。居心地のいい女の部屋で一夜を過ごしたのに、翌朝は何もかも消えていた。その喪失感はジョンの幼児体験の反映だろう。それで母性を強烈に味わわせてくれるヨーコにのめり込んだ。ジョンには精神的に強い女性が必要であった。話を戻すと、ジャイルズは「ディア・プルーデンス」のイントロをフェイドインにしなかったが、最後のフェイドアウトはそのままにした。これは遠くからやって来て遠くに去るのとは違って突如眼前に現われた存在が次第に遠のいて行く状態で、このほうが人間に出会いを考えればより現実的であるかもしれない。だがどのような一目惚れにも助走期間と呼べるものはある。運命的な出会いと思ったことも、運命として予定されていたのであれば、それはその出会いがある以前の歳月が助走でありフェイドインだ。そう考えると筆者はいきなりギターの音色が大きく始まるジャイルズの今回のヴァージョンは、ジェット機音のみ省いて68年時と同様、フェイドインがよかったのではないかと思う。だがそれはジャイルズのヴァージョンがあれば自分で簡単に作り得る。そのように思えば、これまでかすかに聞こえ始めたギターのリフがいきなり際立って出現するのは、過去の不明瞭さが払拭されて新鮮な思いをもたらす。『サージェント…』の最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の冒頭も前曲の最後の拍手が被さっているが、ジャイルズは今回の青盤で同曲のイントロから拍手を除いた。フェイドアウトするジェット機音や拍手音はわずかであるので、そのだぶりがなくなった程度はどうでもいいようなものだが、マニアにとっては特筆すべきことだ。ジョンやポールは理由があってジェット機のフェイドアウトにギター・リフのフェイドインを重ねたが、ジャイルズはそれを知りながら、各曲独立のベスト・アルバムであれば、曲のつながり箇所をクリアにすることは許されると考えたし、そのほうが曲の独立性が際立つ。
さて、2023年版の青盤の最大の価値はやはり「ナウ・アンド・ゼン」だ。これはジョンが射殺される2年前の78年にカセットに録音された。それをヨーコはポールに与えていたが、何分カセットでは音質がよくない。雑音をいかに除去し、ジョンの声を鮮明化するか。海賊盤CDではその最初のカセット・ヴァージョンが昔から紹介されていたようで、今ではそのデジタル・データを元に個人でジョンの声をさまざまに加工することは可能だ。AIの技術は一般人でも利用可能で、その質は今後劇的に改善されるかもうそうなっているだろう。というのはYouTubeではポールがシングル盤として発売したこの曲の6分45秒に及ぶロング・ヴァージョンが投稿されている。聴き比べると、ロング・ヴァージョンはポールが省いたジョンの一際高い声で歌うサビが二度繰り返され、やはりくどい。ビートルズの曲は2分半が基準で、長くてポールが編集したように4分程度だ。「ザッパロウィン23」で筆者は本曲のジョンの声がどうも不自然に聞こえると言った。それはAIで声だけを取り出したヴァージョンを聴いての感想で、楽器の大きな音の中に混じると気にならない、というか気づかない。だが生前のジョンの声やジョージのギター音を使い、そこに現在の演奏音を被せたのであるから、そのことを知って聴くと不自然さは拭えない。同じスタジオでの音の加工でも、ある曲全体がごく短期間に実施されるのであればそうした違和感はないというか、認識されない。つまり本曲はジョンが生きていればどのようにアレンジされたかわからない状態であることの違和感が伴なう。その理由のひとつは先に書いたジョンが歌ったサビ箇所の除去だ。それはさておき、本曲は涙なくしては聴くことが出来ない。そのことをまずポールは長年思っていたはずで、ジョンの歌う「Now and then,I miss you.」の下りはポールの思いそのままであるはずで、80を過ぎてますますポールはジョンの詩とメロディ、そして歌声の才能を惜しむようになったのだろう。筆者はビートルズを中学生から聴き始めた時、何と言ってもジョンのほうがポールよりはるかに好きであった。父母の愛に恵まれなかったジョンの絞り出すように歌う激しい叫びやささやき歌う声に筆者は同情し、励まされた。筆者は父の愛を知らずに育ったが、ジョンと違って母のそれには大いに恵まれた。そういう違いはあったが、本来あってしかるべき親の愛の欠如は乳幼児に決定的な欠落感とそれゆえの激しい希求の態度、思想を育むはずで、ヨーコがいみじくも言ったように、そのように不幸に育った子は詩人になるしか道はない。ジョンは場末の酒場で飲んだくれの無名の詩人にならずに、ロックンロールと出会い、そしてヨーコと出会って本曲を書いた。ビートルズから独立したジョンはビートルズ時代とほとんど変わらない純粋さと才能を保ったことがわかる。
ビートルズの解散後、メンバー各人がソロ・アルバムを出した。それらからビートルズ的な曲を選んで『アビー・ロード』に次ぐビートルズ・アルバムを編集しようと考えたことのある人は多いだろう。そして結局それがどうにも収まりの悪いものになる事実を知って失望する。解散後の4人は『ホワイト・アルバム』で露わになった個性をより尖鋭化し、ビートルズとしてのまとまりは不可能となった。それを誰よりもよく知るポールが本曲を最後のビートルズ曲に仕立て上げたかったのは、いかにもジョンらしい曲でありながら、ビートルズ曲としても通用する個性を認めたからだ。それは聴けばわかる。AIを使ったことやジョージが録音しておいたギター音やまた弦楽器の伴奏を加えるなど、過去からつながりながらしかも「現在的」なビートルズを提示出来る手応えがあったことと、ジョンが78年に録音した複雑な構成からサビを除去することで曲の訴求性を高められると判断したことが、よりビートルズらしい曲とした。なぜサビを省いたか。本曲はAマイナーの半音を一か所含むペンタトニックからGの同じペンタトニックとから成る。つまり白鍵ばかりでGの音階とすれば第7音がなく、Aマイナー音階では第6音がない。歌詞で最も重要な、またそれだけでいいと思わせるのが、AマイナーからGに変わった途端に歌われる「Now and then,I miss you.」だ。これは短調から長調に代わって安定した調子で歌われはするが、歌詞が欠落感の表明であるため、切々さが支配し続ける。ポールがこのGへの転調をサビとしたのはビートルズ曲の伝統からして正しい。ジョンが1オクターブ高い声で歌う本来のサビはEの五音音階で黒鍵の使用があるが、それがGのサビに戻る際の音の動きはやや複雑で、ポールがその本来のサビを省いたのは不安定さを内蔵するジョンの曲をより直截にわかりやすくし、ビートルズ時代にジョンが本曲をポールに提示したとしてもポールはジョンのその高音のサビを除くように助言したはずだ。つまり、本曲は真に「レノン=マッカートニー」と呼ぶにふさわしい共作となった。そのことをヨーコがどこまで予想したかわからないが、ポールを信頼し、ぜひとも充実した伴奏を編曲し、末永く愛される曲としてポールが仕上げてくれることを信じたであろう。従来の青盤は最後がポールが歌う「ロング・アンド・ワインディング・ロード」であった。2023年版ではその後に本曲が置かれ、ビートルズがたどって来た長くて曲がりくねった道で失って来たものを惜しみ、懐かしんでいる感をもたらす。ポールにすればそのようにビートルズの新曲がもう作り得ないことを本曲に託したとも見え、これからは一般人がAIを使ってもっと自由にビートルズ曲を加工出来る時代の幕開けが始まったことの宣言ともなっている。その意味でもビートルズは今もポップス界の先端を走っている。
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