「
倣いつつ 自我が顔出し 自画自賛 マネを真似して まあねと言われ」、「お祭りを 新たに始め 今は苗 せめて十歳を 数えて実り」、「考えろ カンガルーでも 勘がある 親父のギャグは 自虐の感が」、「何事も 出鱈目と知る 古稀過ぎて 無茶も続けば 立派な型に」
9月の「大ザッパ会」にレザニモヲの963(くろみ)さんが「ザッパロウィン23」のチラシをロック・バーSTRALESSに置いてもらうついでに参加した。チラシのデザインは相変わらずさあやさんの手によるもので、最初の案を筆者はさあやさんから送信してもらったところ、猫にしては少し不自然なので少々の訂正を提案したが、彼女からイタチとの返事があってなるほどと思った。なぜザッパ顔のイタチか。そのユーモアが即座にわかる人はザッパロウィンのライヴを見ようとするだろうし、見て味わいどころがわかる。しかしザッパ人気はごく一部のロック・ファンに留まっている。だがどのロック・ミュージシャンも「ごく一部」のファンを抱え、その程度の差は誰にも明確にわからない。そういう心もとない状況下でレザニモヲのふたりはザッパニモヲのメンバーを集め、また別の対バンドに声をかけ、毎年ザッパロウィンを開催し、昨日の開催が5回目となった。コロナ禍でも続けたほどに思いは強く、そうした不利な条件下でのライヴを経てふたりはより自信がついたのではないだろうか。今年の開催では筆者は手製の土産とは別にヤマハから出版したザッパのアルバム解説本の1冊を抽選で来客に提供することにし、その文言をさあやさんに伝えてチラシの最下段に加えてもらった。その抽選を当初はあみだくじにするつもりが、会場でそれを引いてもらうことは困難と想像し、チラシを小さく正方形に切り、何度か折って三角籤にすることに決めた。多めに見込んで40個ほどとにし、STARLESSで1枚もらったものでは間に合わず、さあやさんに連絡して9月30日に四条大宮のバス停で待ち合わせをして数枚を受け取った。そうして追加分を作った籤を来客にどう配布するかを考え、ふたつのバンドが出演する合間の筆者の語りの際に配ることにし、籤を収納するビロード布の巾着袋を用意した。どうでもいいことだが、去年買ったウィスキーについていたおまけの袋で、ザッパ色すなわち紫色でもあったので捨てずに保管しておいた。その袋に籤を全部入れると筆者でも当たりがどれかわからない。そして客席を順に回って袋から籤をひとつ取ってもらったところ、全部配布しない間に
ギタリストの眞九郎さんが驚いたような笑顔で筆者を見たので、当選籤を引いたことがわかった。彼はザッパの音楽に詳しくはないはずでちょうどよかった。また籤は不要と首を横に振った男性がいたが、すでに本を所有していたのだろうか。ともかくザッパ祭りであるから、賑わいの足しになったようで来年のザッパロウィンでも1冊提供するつもりでいる。
さて、「大ザッパ会」では10セット作ったお土産は、籤の数に合わせて40は必要となった。9月と同じく、裏庭に咲く鶏頭の花を描くとして、40枚をいちいち現物の花を前にして水彩絵具でぶっつけ本番に描くことは1枚10分としても6時間半は要する。毎回当日に描いているが、40枚をまとめて一気に描くことは無理だ。今回は3日に半分描き、昨日もう半分をこなした。9月と似た絵になったが、最も立派に咲いている花を選べばそうなる。言い換えれば2か月経っても鶏頭の花の状態はさほど変わらない。とはいえ今年はかなり遅めの6月17日に種子を蒔いたので、その分秋の遅くまで咲く。ザッパの音楽と鶏頭の花は関係がないが、見事な鶏頭の花を自宅で咲かせることに執着しているうえ、長い間咲き続ける花なので、描くには便利だ。40セット用意したその中身のCD-Rは本来なら9月の「大ザッパ会」で紹介すべきであったかもしれないが、ザッパロウィンの開催が決まっていたので、そのお土産にすることにした。会場の夜想では963さんに頼んでそのCD-Rを話す筆者の合図によってある曲をかけてもらうことにし、計画どおりのことは話せた。また話す直前、去年の経験から、筆者に当てられる照明の眩しさを避けるために、今回は用意したサングラスをかけた。それで早速ツイッターでは筆者の人相の悪い顔の写真が投稿されたが、まあいいじゃないか、中村君。この「中村君」が何を指すのかわかる人は70歳以上のはずで、最近筆者は家内がしばしば驚くほどに昭和30年代の歌謡曲を口ずさむ。「なんでそんな古い歌を知ってるの?」と家内は不思議がるが、ビートルズを知る以前の10代にラジオから流れていた曲は意識しないうちに記憶の底にこびりついていて、それが自分でもわからぬ拍子に口から出て来る。それを言えば鶏頭の花もそうで、以前に書いたように幼ない頃の鮮烈な記憶がある。同様の記憶の長年の保存と蘇りは誰にでも同じように生じているはずで、世代が違えば記憶される世間の事柄も違うが、たとえばザッパの曲を幼少時に親から聴かされ、大人になってそれが蘇ることがあるだろう。大部分の人にとってそれはそれだけのことで終わるが、百人にひとりくらいは表現者がいて、たとえば筆者が鶏頭の花の絵をザッパ音楽の集いにお土産に用意することが、それを受け取った人に何かのかすかな影響を及ぼす可能性はある。そのようにして人類は全体として過去の人の記憶を変容させながら伝えて行く。何が言いたいかと言えば、ザッパの音楽も世代を越えて新たに考察され、新たな価値観が受け継がれるのであって、そのことにザッパロウィンが役割を果たして行くことを信じるのでなければ、ミュージシャンとしてはやり甲斐がないのではないか。ザッパの曲を演奏するミュージシャンはまだまだ少ない。あらゆる形でもっと広く演奏されることを筆者は望んでいる。
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