「
瞭然が 漠然と化す 自然さを 断然拒む 俄然敢然」、「シガーなき しがなき暮らし シュガーあり 肺癌よりも 糖尿がまし」、「プログレを プログに縮め 意味通ず プロでは誤解 プならはてなと」、「ロックとは ロックで飲んで 聴いて酔う ウィスキーに言え お前もウィと」
松本和樹さんからたまにメールがある。6月26日に松本さんから誘いがあって五条大宮のパラダイス・ガレージでしばし時間を過ごした。同店が7月末で閉店するので、I店長への挨拶も兼ねた会合であった。I店長は店の経営とは違うことをやりたいとのことで、それが見つかったのはいいことだ。人生は好きなことをするに限る。それが自由な気分をもたらす。同店ではこれまで松本さん主催で3回の「大ザッパ会」が開かれ、呼ばれた筆者は適当なことを話して来た。6月に会った時は次の「大ザッパ会」の開催については具体的な話は出なかったが、その後大阪心斎橋にあるロック・バーのSTARLESSで開こうと松本さんから連絡があり、今月16日に集まりがあった。同店のN店長とは5,6年前にどこかでお会いし、名刺もいただいている。それにはKING CRIMSONのアルバム『STARLESS』のジャケット・デザインを踏襲した滲み文字が横向きに印刷され、ロックに詳しい人はすぐにそのことがわかる。だが筆者は同アルバムを所有するのに聴いたのは数回で、キング・クリムゾンの音楽には馴染めないままだ。それゆえN店長が彼らの音楽のファンであれば話はあまり合わないかとぼんやり思っていた。ロック・ファンは誰でもすぐに打ち解けるかと言えばそうではないだろう。どの時代のどの国のロックが好きかは世代によって著しく異なる。超有名どころのミュージシャンや曲目はたいていのロック・ファンは常識的に知っていると言う人がいるかもしれないが、そうとも限らない。ビートルズの名前や曲名を平気で口にする人と話しても、全曲を隈なく知っているとは限らず、むしろほとんど何も知っていないことが多い。それを言えば音楽をよく知っているとは何かという問題が浮かぶ。ある人が何かに対して知っている度合いを客観的に調べることは本人を含めて誰にも出来ない。それに知識も感情も無限だ。TVでは曲のイントロを数秒聞かせて何の曲かを当てさせるクイズ番組がある。筆者はビートルズやザッパならわかるが、それ以外はさっぱりで、ロック好きとはいえ知識は乏しい。そこから思うに、ロック好きが集まって楽しいひと時を過ごすとして、それは少しは知っている、あるいは興味があることに対して、新たな何かをもたらしてくれる機会が望まれる。ロック・バーはそうした機会を与えてくれる代表的な場所だろう。とはいえ筆者はそうした店にほとんど行ったことがなく、そもそもロック音楽について話す身近な相手もこれまでいないも同然であった。
そういう筆者がザッパの音楽に関してはかなり詳しいというので、たとえば松本さんから話す機会を与えられ、全く口から出まかせ同然のことを即興で語って来たが、幸いザッパ・ファミリーは古い未発表録音を大量に所有し、それらを元に毎年最低二回は新譜を発表するので、筆者は最新盤をネタにして大ザッパ会や、毎年11月上旬に大宮高辻のライヴハウスで開催される「ザッパロウィン」の舞台転換の合間に話す機会が与えられている。しかし正直な話、ブログでザッパの新譜についてはかなり詳細な感想を書いて来ているので、ネタはあまりない。というのは嘘で、ザッパに関してならば無限に話せる気はしている。絶えず何かを考えているというのではなく、ふと『ああ、こうしたことはこれまで考えたことがなかったな』と思い浮かぶことがままある。その意味で筆者にとってザッパないし彼の音楽は死んでいない。死者は忘れ去られるとよく言われる。そのとおりで筆者は死者をほとんど思い出さない。逆に言うと、会ったことのない異国の遠い死者でもその作品に感心すると、作者をごく身近に感じる。つまり生きている。これは作品を創造しない人には無関心ということになりそうだが、作品を作らなくても面白い個性の人はいて、話して楽しい人は好きだ。さて、「STARLESS」は「星なし」の意味で、店に窓がなく、店内から空が見えないだろうと予想したが、そのとおりで、10人ほどで満席のカウンターだけの店だ。筆者は何度も噂を聞きながら同店に行く機会がなかったので、松本さんとは心斎橋のユニクロの前で待ち合わせをした。その時刻より30分ほど前に近くに着き、夕暮れの雑踏の中、心斎橋筋商店街を東に入った東西の道を2,3回往復して同店を探し回ったが探せなかった。松本さんに会って同店に連れて行ってもらうと、『やはりわからないはず』と納得したが、心斎橋筋商店街からは想像以上に近かった。N店長は無口で、それは当然だ。客から話しかけられると答えるというのがバーでは常識で、筆者はいろいろ質問しようと思いつつも、集まって来た客との挨拶からすぐに「大ザッパ会」が始まったので、N店長とはほとんど話をしなかった。10人ほどしか入れないことがわかっていたので、いつもの筆者手作りのお土産は10セット用意した。それが今日の最初の写真で、いつものごとく裏庭に咲いていた鶏頭の花を安物の水彩絵具でぶっつけ本番で描いた。自慢するほどのことではないが、毎回筆者は裏が白い厚紙でほぼ正方形の袋を作り、その表面に鶏頭を目前に練習なしに、そして一度の失敗もせずに描いて来た。それに会合がある当日に描くことにしていて、絵の内容はその日の鶏頭の花の状態に負っている。つまり鶏頭が咲いていなければ別の花にする必要があるが、今までのところ、そういう不都合はなかった。
お土産10セットの中身はDVD-Rだ。アレックス・ウィンターが300ドル支援の客に提供したザッパのさまざまな映像だ。パソコンで焼いたはいいが、当日N店長に確認していただくと、録画されていなかった。筆者のパソコンあるいは焼き方が悪かった。焼いたはずの映像はグーグルのマイドライヴに保存しているので、当日集まった客からメール・アドレスを聞き、保存してある場所のURLを教えることにした。当夜の客は店長、筆者、松本さんを除けばH、O、K、Y、H、K2、K3の7名で、満席になった。筆者が初めて見る人が5名いたが、紅一点で初対面の女性のOさんは二度ほど筆者を見ているとのことで、それは「ザッパロウィン」でのことだろう。Kさんは11月の「ザッパロウィン」のチラシを同店に置いてもらうために仕事帰りに来店した。松本さんもお土産を用意し、それは去年春発売の『THE MOTHES 1971』から選曲したCD-Rで、枚数が少なく、筆者は元ネタを所有するのでもらわなかった。さて、筆者持参のザッパのアルバムは『THE MOTHES 1971』のLP盤を初め、『ZAPPA/ERIE』など計6作で、店のドアに近いところに立ってそれらを順に示しながら話を始めた。最も熱が入ったのは最新の『ファンキー・ナッシングネス』(ファンキーさゼロ)で、『チャンガの復讐』の元ネタとなったインスト曲の圧巻さを強調した。その後筆者は気になっていたことを話し始めた。それは66年秋に録音され、翌年春に出た2枚目のアルバム『ABSOLUTELY FREE』中最大の曲「BROWN SHOES DON‘T MAKE IT」についてだ。この曲の歌詞はアルバム名の意味を補完している。またその後のザッパの多くの曲と関連があって、ザッパはこの2枚目のアルバムを出して死んでいたとしても、彼の精神はほとんど言い尽くされていたと言ってよい。これはデビュー仕立てのどのミュージシャンや創造者にも言い得ることで、最初に基本となることはほぼ全部言い切ってしまい、その後は細部を展開して行くだけだ。言い換えれば20代半ばのザッパは完成していた。そのこともどの芸術家にも言えることだが、特に音楽家は勝負が早い。30代になれば技術は高まるが、もう斬新な創作は無理と言ってよい。その意味でザッパはオリジナル・マザーズを解散する69年までが真に価値ある音楽を創造したとの意見は正しい。しかしそのこととファンが69年以降のザッパの音楽が好きであることとは矛盾しない。歌詞内容の密度が高く、また解釈が一筋縄では行かない「BROWN SHOES…」よりも、その歌詞の一部を引いたわかりやすい曲のほうが人気が高いのは当然でもあるからだ。それはそれとして、やはり「BROWN SHOES…」は吟味し尽くされる必要がある。特に日本においてはそうだ。
ただしそれをやるとなれば日米の民主主義の差異という面倒なことに深入りせねばならず、現在の日本ではそれは無理だろう。自己規制する意味からではなく、ザッパの人格を正しく示し得たとして、それに理解を示す音楽ファンはごく少ない気がするからだ。この曲では13歳の色気づいた女子が登場する。そして彼女は父親世代の年配者を手玉に取る。そういう社会の暗部はアメリカだけではなしに、今や日本でも増加し、明らかになって来ている。日本はアメリカに2,30年遅れて同じことが流行るとよく言われるが、本曲の歌詞はようやく現在の日本で理解されるようになったのではないか。大ザッパ会で筆者が言いたかったのはそのことだが、補足すればザッパは学校を卒業し、好きな音楽でレコード・デビューを果たし、結婚もし、後は猛烈に好きな音楽をやるだけで、その意味で完全なる自由を手に入れた。本曲の歌詞は大統領を初めとした政治家や弁護士を揶揄する一方、TV文化や配管工を嘲弄し、13歳の女子が平気で性交することを謳うが、ザッパは作曲家である矜持を持って、その意味では禁欲的であった。それはカトリックで育ったことが大きな原因と思うが、金を儲けて有名になれば若い女性を次々に自由にセックスの相手にしたいといった、普通の男のNASTYな欲望には厳しい態度が本曲の歌詞からは見える。ホワイトハウス前の芝生で13歳の女子にNASTYなことをさせたいという歌詞は、性交の意味ではなく、脱糞と捉えるべきだが、そうなると本曲の13歳の女子に対して政治や大統領批判をさせたいという意味となる。つまり性行為にしか興味のない13歳の女子に政治に批判的であれとの諭しだ。そのことは後年の「選挙登録をせよ」のスローガンにつながってもいる。ザッパにはグルーピーがいて、近寄って来る若い女性には事欠かなかったと思うが、セックスの欲望に溺れる普通の男のイメージはザッパにはない。それはビートルズも同じで、世界的に有名な表現者になるにはまずは創作第一で、その意味で禁欲的であらねばならない。だが筆者にはそれを理解する人が多いのか少ないのかわからない。本曲の歌詞から垣間見える政治不信は特にロナルド・レーガンに対してのものだ。レーガンは67年1月にカリフォルニア州知事に当選した。また曲名はジョンソン大統領が66年にヴェトナムを電撃訪問する際に灰色のスーツに茶色の靴を履いていたことを見た者がその趣味を否定した言葉で、そうした身なりのセンスのなさが政治力に影響するとザッパは言いたかったのだろう。本曲が書かれた当時はヴェトナム戦争が盛んな頃で、贋の性行為録音テープを製造した罪で短期服役したザッパには徴兵令状が届かず、それこそ完全に自由な気分で政治家に対し、またアメリカの平均的な人々の文化知能に対して言いたい放題であった。
この曲がザッパ初期の代表作である別の理由は、あらゆる音楽要素が詰め込まれていることだ。その代表は基本のロック・バンドとしてのマザーズだけでなく、管弦楽器を起用し、その楽譜をザッパが書いていることだ。ビートルズにはそういう才能はなかった。複雑な構成をひとりでこなしたいザッパで、半ば冗談のような本曲の歌詞を書き、それを舞台劇のように演じ、演じさせ、背景に敬愛する黒人ミュージシャンのR&Bを真似たロック音楽を鳴らし、場面転換に管弦楽曲を被せる。これは短いロック・オペラであって、後年の『200 MOTELS』の小規模な組曲と言ってよい。しかし聴き手によってはただただ騒々しいだけの曲に思えるだろうし、ザッパもそのことを否定しなかった。アメリカの猥雑な部分に着目した歌詞であるのでそれは当然だ。それほどにザッパには周囲あるいはザッパが見る地域社会の平凡な人々はTVに毒され、醜悪で無能な政治家にいいように騙され、学校でもろくなことは教わらず、13歳の女子が近親相姦や売春を平気でやるというふうに映っていた。それを日本に置き換えるとどうか。ザッパはアメリカの民主主義の欠陥を見ていたとして、その改善策はあったのか。その話になるとまた別に述べる必要があるが、現状を批判し、それを作曲の糧、実際の歌詞として若者に訴えることは、ロック音楽全盛期となれば無益とは考えなかったし、実際訴求力はあった。ただしそれは他者から見れば正義感溢れる常識的で知的な行為としても、ザッパの考えを容易に信じない人もいる。ロック・ミュージシャンとなれば世間から『ろくなことをしない連中だ』と見られるのはごく当然で、そうした右翼と言ってよい人々が歓迎するカントリー・ミュージックをザッパが嫌悪したのはわかりやすい。ザッパはノンポリでは全くなく、大の共和党嫌いであった。反共産主義で名を挙げた元俳優のレーガンへの嘲笑はデビュー時からで、レーガンが大統領になってからはさらに共和党主義者を呪詛した。そうしたザッパは日本の政治下でどう受け入れられるか、あるいはべきか。筆者の筆が鈍るのは昔からその点に関してだが、政治家や有名人が禁欲的であるには宗教が基盤にあって威力を持ち続けるべきであるのに、怪しい新興宗教に金でがんじがらめになる一方、肝心の仏教は形骸化し、ザッパのような真面目な努力型、そして権力権威に物申す人物は疎んじられるのはまだしも、今やネットの力で汚名を被せられる。その点は本曲が書かれた60年代より強化されているように筆者には思えるが、となればますますザッパの音楽や精神は顧みられない。毎晩TVでお笑い芸人の馬鹿面を見てインスタント食品を食う貧しい人々が増えるほどにそうなるし、確実に日本はその道を邁進している。格好よさを自認する男はNASTYな13歳の女子に乗ることが好きな醜い男にだけはなってはならない。
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