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●VIVIENNE WESTWOODの襟
宴を 朝から開く 立ち呑み屋 コイン数えつ おっさん浮かれ」、「若作り 気づきつするや 気の若さ 傍目に痛し 本人痒し」、「襟なしの Y首シャツを 下に着て Yシャツの襟 正して出社」、「制服は 正しく着ての 格好よさ 世を征服の 気分になる余」
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去年12月29日にイギリスのファッション・デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが81歳で死んだ。1941年生まれのビートルズと同世代で、生誕地もリヴァプールのすぐ南部だ。今日の最初の写真は65歳の彼女が2006年に大英帝国勲章をエリザベス女王から授与された際、バッキンガム宮殿で記者団によって撮影されたもので、帽子から靴まで全身自作ブランドで身を固めている。高齢の彼女は西洋人にありがちな魔女のような尖った顔つきだが、20代半ばにロンドン生まれのマルコム・マクラーレンと出会った頃は優しい顔の美人で、マルコムにキスされる普段着の写真の表情は素朴な健気さが伝わって実に素晴らしい。彼女がポール・マッカートニーと一緒に収まる写真もあって、大英帝国勲章をもらって以降のものと思うが、DAMEの称号を得てSIRの称号を持つポールと同格になった。つまりビートルズほどの有名人ということだが、ポールはヴィヴィアンの服を着るのだろうか。それはさておき、最初の写真の右は記者たちに向かってスカートを翻した瞬間に撮影され、陰毛が見えている。彼女はパンツを履かずに女王に面会したことを勲章の授与後に記者たちに明かした。「Don‘t worry! I am NOT wearing PANTS!」そこにパンク精神の健在性がある。65歳の老女の陰毛など誰も見たくないかもしれないが、このスカートをまくった写真はセクシーで美しい。筆者は現在69歳の家内にこのヴィヴィアンと同じ服装をさせたいと思っていて、それなりにアイテムを揃えているが、エレベイティド・シューズだけは小柄過ぎる家内には似合わない。その厚底ハイヒールではすぐに捻挫するはずで、筆者と出歩く時はいつも5,6キロは歩かされる家内にはスニーカーが最適だ。それに家内に同じ服装をさせてもスカートをまくっての陰毛露出は絶対に聴き入れない。冗談はさておき、ヴィヴィアンは70年代前半に「SEX」というブランドを立ち上げ、その後のファッション・ショーでは若い女性の下着のパンツの股部分に勃起した男根のイラストを描いたことがあって物議をかもした。Tシャツの胸に同様の男根のイラストやY字型の陰部記号をプリントしたこともあり、彼女は一時期セックスが念頭から去らなかったと書いている。若ければそれも当然だが、思い立ったことはやらねば気が済まない性格であったのだろう。芸術家はそういうところがよくある。アイデアが湧けばそれが人々に歓迎されようがされまいが、まず具現化したくなる。その連続から名作が生まれる。
●VIVIENNE WESTWOODの襟_b0419387_21520004.jpg 自己主張の強さがなければ有名にはなれない。オノ・ヨーコもその好例で、信念を貫く覚悟と勇気があって個性はやがて多くの人々に認められる。階級社会のイギリスでヴィヴィアンはビートルズと同じ労働者階級出だ。農村に生まれ、母は綿織物職人、父は靴屋であったから、その出自にふさわしいファッション・デザイナーとなったと言える。オノ・ヨーコは日本の上流階級出身で、たとえばビートルズと出会って、労働者階級の人が金持ちになると独特なファッションをすることに気づいた。それは上流階級にはない一種の下品さを特徴とするが、そのイメージが拡散されるとやがて多くの若者に受け入れられて流行となり、上流階級も真似するようになる。同じことは日本の桃山時代や江戸時代にもあったことで、下着がだんだんと上着の小袖になって行った。今のTシャツがそれに相当するかもしれない。今や多くの人が集まる正式な場でもジャケットの下にTシャツを着用する有名人がいる。それはさておき、ビートルズの登場以降、アメリカも含んでイギリスではロックが経済的に有力な輸出産業となり、ロック音楽をやる労働者階級の若者が急増した。日本でも事情は同じだ。70年代はイギリスの経済的閉塞状況から若者はより過激なロックを求めるようになり、70年代半ばにはパンク音楽が流行し始めた。それは経済力のない若者の衣服や化粧の自己主張とつながり、演奏する音楽に似て、安手の既存のものを破壊的に改変する態度を貫いた。ヴィヴィアンのブランドはそこから出発した。彼女がデザインする服の過激さは運命的に出会ったマルコムが過激主義者であったことの影響が大きい。またマルコムの若い頃の写真からは彼が被るマウンテンハットなどから着こなしの絶妙なセンスが伝わるが、彼は83年春にヴィヴィアンと別れ、音楽活動を中心とするようになる。やがてヴィヴィアンは若い男性と再婚し、次々に新しい感覚の洋服を発表する。それらは過去のファッションに学んでそれらを現代に活かすデザインで、70年代のパンクロッカーにふさわしいものというより、ナポレオンの軍服など、伝統的な制服のエレガントさを重視したものが主流と言ってよい。若い彼女が70年代のロックのイメージにふさわしいファッション・デザインを持続することは流行の観点から不可能であった。また彼女も同じことを繰り返す気がなかったからだ。根本の精神はそのままに絶えず前に進むには過去の豊富な伝統を研究するしかない。どのような分野でも過去に大方のことは前例として存在し、その部分を摂取して現在に適応させることが創造の本質でもあるからだ。それに彼女の最初の創作は自分でデザインして自分でミシンや針を扱って縫うことにあって、誰でも出来る手作り精神が基礎にある。デザインを他者に指示して作らせるのはもっと後のことで、経済力がない最初は自分で作るしかない。
 パンク・ミュージック全盛から半世紀経った現在、パンクの精神は死んだかと言えば、永遠に若者の内部に巣食っている。それは若者に限らない。たとえばベン・ワトソンはザッパの音楽をパンクではないかと評した。その見方はバロックの精神を文化全般に押し広げたエウヘニオ・ドールスと同じものと言ってよく、パンクは20世紀後半の最も重要な芸術運動のひとつであったと将来評論家が出て来るようにも思う。パンクに似たものとして百年前のダダがあったが、それは知的な人々によるもので、パンクは大量の無名の若者が根底にあって形成された反権威の姿勢だ。上品な人の神経を逆撫で、1964年にビートルズのジョン・レノンが貴族を迎えたステージの演奏で、観衆に拍手を求めながら、金持ちは宝石をじゃらじゃら鳴らすように笑いを込めて皮肉った精神の延長にある。「まあ、なんて格好なの!」と昔のいわゆる厳しく躾られた夫人が眉をしかめるような過激な化粧や服装を若者がするのは、目立ちたい思いと常識に抗議して独創性を主張したいからだ。しかしそうしたいわゆるパンク・ファッションが広く行きわたると、本来のパンク的創造性は減退して模倣に安住する。つまりパンク精神から言えば退化が始まる。チョイ悪親父と言われる人々は格好を真似ているだけで、どれも同じように見え、逆に個性を喪失している。パンクから半世紀経って、今や日本で金やピンクに髪を染める人はどの街でも珍しくない。彼らにオリジナルでありたいとの意識がどれほどあるかとなれば、ほとんどは「型」を取り入れているだけで、真のパンク精神を宿して前人未踏の創造に心を燃やし続けている人は極小であろう。ヴィヴィアン・ウエストウッドは最初にマクラーレンと「LET IT ROCK」という店をロンドンに開くが、マクラーレンの何事も破壊したいという欲求は、ヴィヴィアンにとっても「破壊して作る」ことであって、言い換えれば手を加えて別のものにするという意味ではダダ的創造にほかならず、衣服となれば着用が可能なものでなければならない。ただしそのデザインの源泉を誰も考えつかないようなところから持って来る。筆者が好きなヴィヴィアンのメンズ用のデザインの中に「アルコホリック」ないし「ドランケン」と呼ぶスタイルのものがある。この「酔っ払い」が意味するように、ボタンをかける位置を自分が自由に調節出来たり、どちらかの身が片方より長かったり、着用時に左右どちらかの胸辺りにおおきなたるみが出来たりする。つまりだらしなく見えるのだが、あえてそのように見えることを狙ったデザインで、実際に着用するとかなりフォーマルに見える。それでいてもちろんどこにもないデザインであり、過激だ。そうした一見まともに見えつつエレガントさを強く意識したデザインは、普通のフォーマルよりもきりりと見える。もちろんデザインも縫製も複雑で、その分商品価格は高くなる。
 その点は既存の勢力に異を唱えるパンク精神からすれば矛盾だが、ヴィヴィアン自身は自分のブランドの服をたくさん買わないことを客に勧めていて、高級ブランド化して若者に手が届かない価格になることに対して申し訳のなさを感じていたと言ってよい。若者向きの女性ブランドとなれば、いつどの国でも若い女性には自由に使えるお金は乏しく、ヴィヴィアンのブランドは高嶺の花になる。そこで彼女は複数ブランドを設立し、一品物から量産物にランクづけしたが、量産ブランドでも割高であるのはその量産がユニクロのそれとは違って商品数が極端に少ないことから説明がつく。一方、既存の有名ブランドに対抗して斬新で格好いいデザインを追求すれば、シンプルな基本によけいなものを付与する方向に進みがちで、そうなればデザインは複雑化し、その分商品価格は高騰するのは仕方がない。綿のシャツ1枚で10万円近いとなれば、もはや上流階級の商品だが、そのシャツの縫製を見ると、素人目にもこれほどの緻密で丁寧な縫い目はないと驚くほどに見事な技術を呈している。それにデザインがシンプルなようでいて複雑で、大量生産が不可能なことがわかる。今日の3,4枚目の写真は『VOGUE ON』と題するヴィヴィアンの創作の生涯を紹介した本に載るもので、3枚目左は袖なしの黒のシャツにヴィヴィアン自ら「ROCK」の文字を象って鶏の骨と針金の鎖で縫い付けたものだ。右の3人の女性が立つ写真は右端がヴィヴィアンで77年撮影だが、彼女らの奇抜な姿は半世紀後の現在の日本では振り向く人がさほどないだろう。ヴィヴィアンが着るチェック柄の生地を使ったボンデージのセットアップは、男性用のものが商品化されているが、ズボンの両脚を紐でつなぐデザインは歩きにくくはないかとの想像は案外そうではなく、着用者によれば予想以上に着心地がよく、合理的でもあると何かで読んだ。そうした若者にありがちの奇抜な手作り精神はファッション・デザイナーの根本を示している。鶏の骨を使った「ROCK」デザインのシャツはたぶん博物館に入っていると思うが、遠目に同じように見えるプリントものは復刻商品化されている。実物の骨の縫い付けはいかにもパンクロッカー向きでも、他者が同じアイデアを真似ればパンクでも創造でもない。ヴィヴィアンの精神を学ぶべきで、若者がそれをするならば基礎は手作りだ。それは女性が得意とすることと言えば今では男尊女卑と言われそうだが、自らの手で作ることの楽しみを知る者ならば、自分で着る衣服を生地から作ることは無理としても何らかの手を加えたいと思うことは普通だ。そのことに理解ある人ならヴィヴィアンのデザインを好むのではないか。ただし筆者は彼女のメンズのブランド商品でも正直なところ、着たいと思うものは百点にひとつもない。若者向きのブランドゆえにそれは当然とも言える。
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 そのことはイギリスでもいい年齢の大人であれば同様だと思うが、『VOGUE ON』には今日の4枚目右の写真のようにヴィヴィアン好きの議員がいることが紹介される。彼女はヴィヴィアンの顧客で熱心なコレクターとされ、一見してヴィヴィアンのデザインとわかる帽子から服、靴に至るまでの身なりで議会に出ているという。ジョンブルハットは大き過ぎるように見えるが、小顔の彼女にはそれがよく似合い、同じ帽子を4枚目左の若い女性も被っている。隣りの男性が被るのはその白いものだ。また女性が着る赤のジャケットは黒い襟がハート型で、これはヴィヴィアンの代名詞のようになっていて、黒の普及品のジャケットでもそのデザインは採用されているし、コートにも適用されている。ただしヴィヴィアンの服は小さいサイズを基本にデザインされていて、筆者は44を着るがわずかにきつく、46では大きく感じる。家内はレッド・レーベルでは1がよく、2ではやや大きい。これは太った人はヴィヴィアンを着るべきでないとの彼女のメッセージと思うが、若者は概してお腹が出ておらずにスリムというのが理由だろう。つまり中年以上になって腹が出て来れば物理的にヴィヴィアンは似合わず、着用出来ない。とはいえヴィヴィアンの商品はタイト気味のデザインの一方、体形を隠すFサイズの服もよくあって、そこは時代を読んでいる。しかし彼女が亡くなったからには新しいデザインはどうするのだろう。アングロマニアのレーベルは復刻商品を手掛けているとされるが、昔と同じ型紙を使っても生地やその柄は別のものを使わざるを得ないだろう。しかしそのことで文句を言う人はさしてあるまい。復刻商品はそれだけデザインが古典化している証であって、古典はヴィヴィアンのパンク精神に反すると言えそうだが、彼女はパンク時代以降、ヨーロッパを中心に世界中の衣服のデザインや美術を少しずつ学び、彼女の「マイ・ブーム」が商品デザインに反映されて行った。つまり見聞を広めて行ったのだが、基本のパンクは忘れず保持し、金儲けするだけに留まらず、マクラーレンとの生活から学んだ信条か、政治に関係する社会的な行動を続けた。その点が日本その他の有名洋服ブランドとの大きな差で、彼女のブランド服を着ることはそういう矜持を示すことでもある。彼女は2,30代向きにデザインする一方、イギリスが得意とするテーラーの縫製技術を駆使し、制服にデザインを学んだ一群のものがあって、その洗練具合は大人が着用可能なものだ。一見普通のジャケットに見えながら、細部に変形へのこだわりがあり、服に関心のある人は即座にその差がわかる。ただし筆者は彼女がよく使用するイギリスを象徴するチェック柄の生地をほとんど好まず、また自分にとって奇抜過ぎるデザインはよく知っているので、ヴィヴィアンのブランドがどれもよいとは全く思っていない。
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 筆者は母に妹ふたりの過程で育ったせいもあってか、縫製や刺繍、織物に関心が強く、若い頃にそれらの技術を習っておくべきであったと悔いている。以前にブログに書いたが、18か9の頃、カッターシャツを好きな生地とデザインで誂えてくれる店の存在を知り、自分でポケットや襟などをデザインした長袖の水色のシャツを作ってもらった。そのこともあってか、筆者はいつも襟つきのシャツを着用し、Tシャツを好まない。ヴィヴィアンの襟つきシャツには奇妙なデザインのものが多く、襟の大きさが左右で異なる有名なものもあるが、自分の年齢に照らして似合わないことを知っているので買うつもりはない。さて、昨日投稿した写真の筆者と家内はどちらもヴィヴィアン・ウエストウッドの麦藁帽子を被り、筆者は紺色のマウンテンハット、家内は黒のボーラーハットで、日差しが強い季節には風が通って気持ちがよい。冬場は同じ形のフェルト製のものを被るが、服に合わせて色を変えるとなると何個も必要だ。それに折り畳める服と違って帽子は置き場所に困るうえ、ヴィヴィアンのマウンテンハットやボーラーハット、そしてジョンブルハットという代表的な3つの形の帽子はどれも高価で、復刻製造されていないオリジナルでは5万円以上する。それでどのような服にも合わせやすい黒や紺色を優先的に買うが、茶系統でも焦茶から黄土色まで数種があり、青や水色、灰色や赤、紫、緑、白もあって、帽子好きにとっては格好の収集の対象になる。しかしたぶん出かける際に気に入りの色ばかりを着用し、大半は死蔵するだろう。帽子に合わせた服をどうするかという問題があるからで、もちろん靴や小物も含めてヴィヴァアンで揃えるのが理想だが、若い人では経済的に難しい。筆者がぜひとも欲しいと思った最初のヴィヴィアンの製品は10数年前のことで帽子であった。自分が理想とする形の帽子をネットで1,2万点を探し続けたところ、これだという形のものがあった。それがヴィヴィアンの黒のボーラーハットであった。筆者は友禅の仕事柄、花の写生に各地に出かけ、20歳終わり頃から帽子とサングラスに関心があった。春は紫外線が強く、サングラスなしで涙がぽとぽと流れ続けたことがあり、サングラスは必需品となったが、人相が悪くなるので普段は着用しない。頭髪はまだ豊かなほうで禿げ隠しのために帽子は必要ないが、白髪隠しにはなるかと思い、外出時にはほとんど必ず被る。そのため、同じ世代の高齢者を見ると帽子によく目が行く。筆者のようにヴィヴィアンを被っている人は見かけず、いかに筆者が世間から浮いているかを自覚しつつ、それもいいかと思い直す。というのは筆者の生き方と言えばおおげさだが、そもそも世間から浮いている。つまり常識外れだが、家内以外の他者に迷惑をかけず、ひとり好き勝手しているだけで、悪い意味ではない。
 どこかで読んだが、ヴィヴィアンのボーラーハットはアメリカかの有名な研究家にデザインさせたもので、百年前の同類の帽子に準拠しつつ斬新さがあって、一瞥でヴィヴィアンのブランドであることがわかる。僅差を認識するのは関心があるからだ。そうでない人には山高帽はどれも同じに見える。このことはあらゆるものに言える。そのわずかな差が巨大に認識され、優品を識別する。だが蓼食う虫のたとえがあるように、デザインが優れているかどうかは人によりけりで、ヴィヴィアンの山高帽よりほかのブランドのものがいいと思う人はあるだろう。そうであるから毎年新たなファッション・ブランドが生まれる。ファッションは音楽と同じく流行だ。それを言えばあらゆる芸術がそうだ。伝統芸術でも時代に見合う表現が求められる。その理屈で言えばヴィヴィアンのブランドは今では時代遅れと言えるかもしれないが、前述のように復刻商品が作られるほど古典化した名デザインがあり、それに着用者は自由に何を着合わせるかで現在性を発揮出来る。全身ヴィヴィアンで整える必要はなく、自分の好みで色や形で全身をまとめればよい。またそうするしか、普通の経済状態では無理だ。今日の2枚目の写真は上が家内が着る「Bird Collar」(鳥襟)の長袖シャツで、袖もかなり変わったデザインで、色違い黒が同時販売された。同じデザインのもっと派手な色柄のシャツも製造されたが、プリントのシルクスクリーン原板はもうないはずで、復刻は無理だろう。このバード・カラーのシャツは最初の写真のヴィヴィアン・ウエストウッドが着ている。襟を糊で固めて強くしたのか、鳥の羽のように襟が尖って伸びている。そのように襟を自在な形にして着用が可能で、ヴィヴィアンには襟に工夫を凝らしたデザインが目立つ。Hals Collarと綴るのか、オランダの画家フランス・ハルスの絵に登場する人々が着るシャツの襟を思わせるものもある。襟の裾の長さが30センチほどもあって、異様に長いその襟は両方を結ぶなどして着てもよい。女性用のシャツでは凝った襟がとても多く、人が対面した時、真っ先に目が行く顔から首元を、ヴィヴィアンが重視していたことがわかる。2枚目の写真の下は昨日筆者の着用写真を投稿したヴィヴィアンのロングシャツだ。襟ボタンを外して肩にかけるとヘンリーネック・シャツのようになり、襟を正しい位置にすれば首元に隙間が出来て女性っぽくなる。ヴィヴィアンは男性の服は女性的デザインが少々混じるほうが男っぽくなると考えていた。それで男女兼用可能な作が多く、このシャツもメンズだが女性も着用出来る。黒もあるが、筆者は断然白がよく、生地全体に施される小さな穴開き刺繍が昭和レトロを感じさせて面白い。襟のデザインだけで衣服史が書けるはずで、実際あると思う。ヴィヴィアンはパンクを標榜しながら古典に学んで上品さを忘れなかった。
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by uuuzen | 2023-05-21 23:59 | ●新・嵐山だより
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