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●「PERUSAL」
打たれ むちむち無知も ひた走り 鹿もひしひし 知るかもしかと」、「陰を踏み 陽拾い上げ 酷熱化 要は捨てれば いいんとちゃうか」、「ろくなこと ロックなことと 言い換えて 音なしさびし おとなしく聴く」、「お辞儀する 人形見かけ おじげづく 謝る汝 誤りいかに」
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丸尾丸子さんのアコーディオンを聴いてからアコーディオン奏者に関心を抱いた。それでYouTubeを見ていると、アメリカのGUY KLUCEVSEK(ガイ・クルセヴェク)というアコーディオン奏者兼作曲家の存在に気づいた。早速CDを買い始め、ここ数か月はそれらばかりを聴いている。ガイのホームページには20数枚のCDがあると記される。筆者が現在所有するのは9枚で、これらとは別に他国のアコーディオン奏者との共演盤が2枚ある。本来なら全部購入したうえで書きたいが、入手困難なものが多い。またアメリカのeBayにあっても、とても高価だ。KLUCEVSEKをクルセヴェクと発音するとSを省くことになるが、これは本人に確認して正しいのだろう。1947年2月にニューヨークに生まれ、現在75歳だ。苗字からして東欧系であることが想像出来る。ガイは99年に『TRANSYLVANIAN SOFTWEAR』と題するCDを発表している。今日の最初の写真の右側がそれだ。先祖はルーマニアやハンガリー辺りに住んでいたのだろう。ガイは91年にポルカばかりを収めた2枚組のCDを発売し、それらは日本では別々に出たが、ジャケットには英独仏の3か国語でガイの初期経歴についての記述がある。それによればガイは86年に周辺の作曲家たちにポルカを委嘱し、それらの32曲の大半が前述の2枚のCDに収められ、残りは別のCD,さらには後年のCDで再録した曲もある。委嘱された作曲家はジョン・ゾーンが創設したTZADIKレーベルを中心した人たちで、その意味で前衛的ポルカばかりと言ってよい。それはガイから頼まれることで初めてポルカというリズムのダンス曲を知った作曲家がいたからだが、ガイはヨーロッパの正統のポルカを2拍子ということだけで拡張可能なことを、名前は忘れたが、メキシコの民族音楽の名アコーディオン奏者の作品を知ることで思いついた。したがってガイが委嘱して書かれた32曲のポルカは、ジョン・ゾーンの音楽を知る人からすれば当然はちゃめちゃな要素が前面に出て、一度聴けば充分と思う人が少なくないと思う。だがそうした曲ばかりではないのはもちろんで、32曲の委嘱されたポルカはそれらを作曲した人物を知るにはよい作品であり、またガイの演奏能力の高さを知るにもよい。つまりガイはアコーディオンと密接な関係のあるポルカを基本に、それを前衛的に拡張する一方、独自の作品の境地に至ったアコーディオン奏者兼作曲家で、人脈作りに長けて、アメリカの前衛音楽シーンにおいてアコーディオンを扱う筆頭とみなされるようになった。
 前述の2枚の前衛ポルカ・アルバムの解説に、ガイはペンシルヴァニア州西部のスロヴェニア系のコミュニティで育ち、10代前半からポルカやワルツ、ツイストやチャチャその他のダンス音楽を作曲し、結婚式やピクニック、クラブなどでポルカやワルツを演奏する一方、ウォルター・グラボフスキーにクラシックのアコーディオンを学んだことを書く。グラボフスキーはさまざまな作曲家のアコーディオン曲をガイに紹介したというが、その中にホヴァネスの名前があることを筆者は興味深く思う。ホヴァネスのそうした曲がCD化されていることは知らないが、楽譜のみの形で存在する現代音楽作曲家の作品はおそらくかなり多いのだろう。CDはある一定枚数以上売れなければレコード会社は出そうとしないからだ。今なら個人で楽譜以外の形で作品ないし演奏を発表することは簡単だが、ガイが若い頃はまだそうではなかった。ともかく、ガイはグラボフスキーに出会って演奏家と作曲家の両方で活動することを決心し、やがてジョン・ゾーンなどのニューヨークの前衛音楽家と出会い、自作曲の録音に彼らの協力が得られるようになる。話を戻すと、『TRANSYLVANIAN SOFTWEAR』からはザッパ・ファンは68年にザッパが「トランシルヴァニア・ブギー」と題する器楽曲を録音したことを想起するが、ガイはブギーに触発された曲は10代には書いたと思うが、録音はないだろう。ガイはTZADIKからは3枚のCDを出しているものの、同レーベルで大きな位置を占める「ラディカル・ジュウイッシュ・カルチャー」のシリーズからは出しておらず、ユダヤ系ではないだろう。ガイはTZADIKではリーダー・アルバム以外にゲスト参加がままあって、たぶん筆者はそうしたCDを数枚は所有しているが、全部を持っておらず、目下のところ入手したガイのアルバムのみを聴いている。そしてガイのアルバムをざっと聴いてまず思うことは、自作曲はメロディが美しくて典雅さが目立つことだ。中国や日本的なメロディを持った曲も書き、ワールド・ミュージックと言うか、世界の曲に関心があること、そしてジョン・ゾーンの影響で実験的な、またユーモアのある曲もあって、移民国家のアメリカを代表する矜持が見られる。筆者が特に好きな曲は今日の題名の「ペルーザル」だ。これは「熟読」の意味だが、なぜこういう題名であるのかわからないところにまた面白味があるが、ガイの楽譜を熟読して演奏すべしとの意味か、あるいはガイが他者の作曲家の楽譜を熟読して作曲法を学び、そしてこの曲を書いたための題名であろうか。ともかく9枚のアルバムを何度か聴きながらいつも筆者はこの曲に戻って来る。家内は悲しい曲と言うが、ニ短調のメロディは一度聴けば忘れ得ず、単純さと複雑さが同居した面白味がある。それについては後に詳しく書く。
 ザッパは多くのミュージシャンを雇って共演したが、その中にアコーディオン奏者はいなかったと思う。ハモンドなどのオルガンや他のキーボードのほうが音色が多彩で、また音域も広いのではないか。ガイはそのことをよく知っていて、アコーディオンが不当に評価されていることに反旗を翻したように見える。だが脳裏に浮かんだメロディはアコーディオンで鳴り響いているのは当然として、別の楽器で代用したほうがいい場合はその音で作曲する。ガイにとって同じ曲がアコーディオンのみと他の楽器を加えた場合の二種の録音があるとは限らないが、たとえば本曲のように稀に二通りでの演奏が別々のCDに収録され、ガイがどの箇所を別の楽器で鳴らしたかったのかがわかる。アコーディオンのみならばひとりで練習し、録音すれば済むが、もっと豊穣な音色を欲する場合、誰かに委ねるパートの楽譜は別に用意し、しかも録音時には雇う必要があって、よほど自信があって好きな曲しか、多楽器による編曲ヴァージョンをCDで発表することは出来ない。しかしジョン・ゾーンと親しくし、TZADIKからCDを出している幾多のニューヨークのミュージシャンとも交友があれば、しかるべき賃金は支払うのは当然としても友人扱いで割安にはしてもらえるのではないか。それはともかく、アコーディオンのみの演奏曲も楽しいが、選別した他の楽器を組み合わせてオーケストレーションされたガイの楽曲は多彩で深い味わいがある。蛇足ながらそのことで思うのは、日本のライヴハウスで活動するミュージシャンがガイの曲のようにチェロやヴァイオリン、木管楽器などを加えて演奏する機会がとても少ないことだ。筆者が知らないだけでそういう活動をするミュージシャンもいるとは思うが、音大でそうした楽器を専攻した人がもっとライヴハウスできちんとしたオリジナル曲を演奏してほしい気がする。きちんとという形容詞を使ったが、それはガイの楽曲にぴったりであるからだ。CDではガイの長い即興演奏はほとんど含まれないものの、交友ミュージシャンの名前を見れば、コンサートではそうではないことが想像される。むしろ即興演奏の場のほうが多いかもしれない。そうした演奏を多く含むガイのライヴ盤があっていいのに、実情はそうではなく、端正にまとまった、つまり楽譜に書かれたとおりに演奏する曲ばかりとなっている。その点はたとえば去年5月に投稿したジーナ・パーキンスとは大いに異なる。その理由を考えるに、ジーナの顔に現われている一種の狂気さはガイにはないことだ。ガイは柔和かつ真面目で、喜怒哀楽を瞬時に切り替えて表現する過激さを旨とする即興演奏には馴染まない。その理由はやはりアコーディオンは小型の携帯オルガンであって、それのみで主旋律と和音を奏でられ、多彩な音を自己完結気味に発することが可能であるからだろう。
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 そのことがガイがジョン・ゾーンとその関連のミュージシャンとはある一定の距離を置いているように見える理由でもある気がするが、その点についてはTZADIKからアルバムを発売するミュージシャンの全容を知る必要があるのでこれ以上は触れない。ガイはTZADIK以外のいくつかの会社からアルバムを発売していて、それらの会社が他にどういうミュージシャンのCDを扱っているかをホームページで知ると、ガイが世間からどういうイメージで見られているかがおおよそわかる。それに世間ではよく知られていながら、ロックやジャズでは副次的ないし無視されがちなアコーディオンという楽器を思えば、ガイの立場は特殊にならざるを得ない。前述のジーナ・パーキンスはクラシック音楽で使用されるが、やや孤立した位置にあるハープを奏でながら、一方では小型の独創的なハープにギター用のマイクを多数取りつけてエレキ・ギター以上に派手で過激な音色を手に入れ、その分活動と表現の場を大きく広げた。アコーディオンは多種あるとはいえ、個々には完成された楽器で、ピアノのようにそこに手を加えて変わった音色を出すことも出来ない。その意味で先入観をもって演奏が聴かれる立場にあるが、ガイが打破したいのはそのことだろう。そのためにあらゆる音楽を学び、アコーディオン以外の楽器を加えた楽曲を書く。それは必ずアコーディオンを含むと思うが、そうではない曲もあるかもしれない。作曲の能力はどのミュージシャンにもあるものではなく、あっても多人数用に書いた楽譜が演奏される機会はほとんどないだろう。その点はザッパも大いに悩んだことで、自分で演奏することは即座に出来ても、多人数で演奏されるべく書いた楽譜はまず経済力が問題となる。繰り返すとそれが日本のライヴハウスではめったにチェロやその他の弦楽器が登場しない理由でもあろう。そう考えると今の手元にある9枚のガイのアルバムはそれぞれ見事に個性を出し、相互に似たものがない。筆者はそれら9作を均等に聴いていないのでまだガイの広範な魅力を存分に味わっておらず、それゆえどれは一曲を選ぶとして、迷いはあるが最初に買ったCD『FLYING VEGETABLES OF THE APOCALYPSE』に収録される本曲にいつも戻る。この曲は筆者が所有する9作では最も早期の91年発売で、ガイは44歳で名曲のひとつを書いたことになる。それは表現者として当然ながら、本曲が88年の作曲であることを『TRANSYLVANIAN SOFTWEAR』で知るに及び、同年から91年までの3年間でガイの交友が広がったこともわかる。というのは『TRAN…』では本曲はアコーディオンのみの演奏であるのに、3年後の『FLYING…』ではヴァイオリン奏者がふたりにチェロも加わっているからで、アコーディオン曲として書きながら、弦楽器を加えた曲をまず発表したかったことがわかる。
 本曲のこれらふたつのヴァージョンを聴き比べると、ガイのアコーディオンを奏でる能力と自作を編曲する才能がわかる。筆者は最初に弦楽器を加えたヴァージョンを聴いたせいか、そっちを聴く頻度が高い。弦を擦るひりひりした音がアコーディオンのリードが発する音と混じり合い、この曲の切なさを増幅させている。哀愁を帯びたメロディはガイの曲では珍しくなく、『FLYING…』やその他のアルバムでも同じ感興を催す曲がままある。それらが似ていると言えばガイの才能を貶めることになるのでその言葉は使いたくないが、甲乙つけ難いそうしたどこか儀式的な曲は神社の雅や清浄さを愛する人には歓迎されるはずで、先に典雅という言葉を用いたのはそのためだ。ガイには先達に敬意を表する曲がままある。その代表はピアソラに捧げた曲で、一聴してピアソラの曲を聴いている気分になるほどに特徴をよくつかみ、また印象深い曲に仕立て上げている。先達を言えばガイはオリヴェロスも尊敬し、彼女の特徴を模したような即興曲もあるが、先達も含めてアコーディオン奏者を広く探って、可能であれば共演、不可能であればその業績を自作の糧とする態度を持ち、アメリカを代表するアコーディオン奏者と言える。アメリカは移民社会の国家であるから、ガイにすればそうした移民が持ち込んだ音楽の特質を学び、それらを混交させたうえで自作を書くという態度にある。それこそが真のアメリカの音楽になるからだ。その立場はザッパにもあったが、それが顕著であったのは60年代末期から70年代初頭にかけてに留まるだろう。バンドを常にしたがえるザッパよりもアコーディオンひとつでコンサートが可能なガイは自作で曲の要素のハイブリッド化はよりたやすかった。筆者はまだ聴いていないが、アンデスや日本の盆踊りの旋律に学んだアルバムがあって、そういう態度がガイの音楽に厚みと深みを与えている。10代から作曲を始め、たとえば本曲は44歳であるから、完成度が高いことは当然であろう。劇場用の委嘱作品がままあり、アコーディオン奏者というより本格的な作曲家の貫禄を示すが、そのことはTZADIKからアルバムを発表している、たとえばジーナ・パーキンスも同様で、演奏家の顔とは別に作曲家としての存在感を放っている。作曲は音楽以外の芸術に関心を寄せることが契機にあると言ってよい。ガイの2004年のアルバム『THE WELL-TAMPERED ACCORDION』と題するアルバムがあり、その題名の「タンパード」のAをEに変えた「テンパード」はバッハの平均律クラヴィア集に使われる言葉で、ガイがバッハを意識したことがわかるが、「タンパード」であれば『充分いじくり回したアコーディオン』の意味となって、ジョン・ケージのプリペアド・ピアノを連想させる。さすがガイは前衛音楽に若い頃から馴染んだだけはある。
 同アルバムには別の機会に触れる予定のある曲以外に、同アルバム名の曲集が後半を占めている。2分ほどのアコーディオンの独奏曲が12曲で、TZADIKから何枚かCDが出ているTEIJI ITOに捧げた曲や、筆者は名前を知らないBRIAN REHRへの追悼曲を含む。バッハやショパン、ドビュッシーを意識した小品の組曲集と言ってよく、どの曲も編曲次第で規模が拡大する可能性を秘める。またそれは時に短いメロディがミニマル的に繰り返される特徴を含むことでもあり、また明らかにトランシルヴァニアやアラビア、ユダヤを思わせる音階も含むが、曲の途中で突飛な変拍子を使う曲はなく、概してどれもおとなしい印象がある。若い頃にポルカやワルツで大勢を楽しませた経験があるガイは踊りたくなるリズムを用いても、ザッパのようなぎくしゃくした複雑なリズムは使わない。さて本曲は主題がふたつあって、8小節から成るAを2回、次にやはり8小節のBを2回つなぎ、計32小節で完結する1分少々の長さの4拍子の主題を次第に複雑に編曲されながら繰り返し9分ほど続く。弦楽器つきヴァージョンもアコーディオンのみの演奏も端正かつ華麗で、演奏家としての面と作曲家のそれが合わさったところに生まれ得た。主題はどの国の音楽を思わせるか。強いて言えばアンデスの音楽に近いが、耳馴染むとこれぞガイという気がして来る。それで筆者は目下のところ彼の代表曲としている。最初の一回の主題はいわばバッハの『ゴルトベルク変奏曲』で言えばその最初のアリアで、バッハが同曲で最初のその主題の提示以降、あらゆる形で多彩に変奏を繰り広げたことにガイは範を取り、アコーディンひとつでその技術の粋を聴かせる。ただし前述のように最初に発表されたヴァージョンはアコーディオンにヴァイオリン二挺とチェロが加わり、アコーディオンのみのヴァージョンよりもカラフルだ。どちらもYouTubeに上がっていて、注目度はさほどではない。アコーディンのみのヴァージョンは弦楽器つきのそれよりも演奏が困難であろうか。たぶんそうだろう。ガイは自作曲の楽譜をネットを通じて販売しているが、本曲のそれはホームページに掲げられていない。ガイにとって代表作とするにふさわしくなく、また耳のよい人ならば何度か聴くと演奏出来るほどの曲であるからかもしれない。冒頭の1分少々の主題提示はそうで、小学生でも音を拾って演奏するだろう。ところがその後の展開は話は別で、ガイが本曲を9分にまで拡張したのはアコーディオンの可能性の限界を提示したかったからであろう。しかしどれほど演奏が困難かそうではないかは筆者にはわからない。それゆえアコーディオン奏者には聴いてもらいたいが、日本でのガイの知名度がどれほどか筆者は見当がつかない。いつか丸尾丸子さんに本曲の話を聞きたいと思っている。また本曲の演奏が生で楽しめる機会があればなお嬉しい。
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by uuuzen | 2023-01-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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