
「
烈士をば 気取る為政の 瞳には 童も見抜く 鈍さの極み」、「目立ちたし 金もほしきや 脳足りん 騙す才能 見込まれ飼われ」、「俗物の 俗さ加減の 順位かな ラジオにテレビ ネットで人気」、「素晴らしき 人に会えねど 作はあり 美女に遭わねど 二歳児可愛」一昨日の投稿の最後はもう少し説明しておいたほうがよい。正午過ぎに電話があり、家内が出た。西京警察の生活安全課の○○と名乗り、最近電話による詐欺でふたりが逮捕され、彼らが所有していた57名の名簿にわが家の電話番号と住所が載っているという。途中で筆者に代わり、同じことを聞かされ、また注意勧告を受けたので、「わかりました、注意します」と応えた。それで終わりかと思いきや、相手は電話を切ろうとしない。どうも怪しい。まあ聞いてやれと思っていると、家内に代われと言い始める。電話の音は途切れがひどく、電波の届きにくい地域からスマホでかけて来ているのだろう。手元の紙に相手の名前を控え、即座に松尾の交番に駆けつけて事情を話した。西京警察には該当する人物がおらず、やはり詐欺であることがわかった。帰宅すると家内はまた電話があったと言う。そして途中で別の落ち着いた声色の男に代わり、筆者の偽造ゆうちょカードを所有しているが、それがどうのこうのという話をし始めたそうだ。家内は強制的に電話を切ったが、わが家を訪れて本物のゆうちょカードと隙を見て交換するつもりであったのだろう。ゆうちょや他の銀行口座に100万円も入っておらず、詐欺のし甲斐がないのに、年末でもあって詐欺師らは荒稼ぎの時期と思っているのだろう。その話を先ほど「風風の湯」でMさんにすると、以前Mさんの母親が電話詐欺で近くのコンビニで300万円振り込みをさせられたと聞いた。相手は大阪の元知事で今はTVタレントで荒稼ぎをしている弁護士の事務所に勤務する人間と名乗り、それで信用してしまったらしい。入金後すぐにコンビニに駆けつけて事情を説明しても相手はアルバイトで埒が明かなったと言う。コンビニのその機械に300万円が入っていると思うとそれを壊してでも取り返したくなるが、すでに詐欺野郎は遠くにある銀行から引き下ろした後だろう。それにしても最も安全と思っている家の中で遠隔操作の詐欺によって大金が奪われるのであるから、安全な場所はどこにもない。高齢者がそうした詐欺師からの電話を退けることが出来たとして、今度は白昼堂々と玄関を破って侵入され、強盗に遭うことが増えるだろう。しかし嫌な事件や話に患ってここに書くのは言葉がもったいない。ヘッセの『車輪の下』や『知と愛』には俗物は登場してもほんのわずかしか触れられない。筆者も知識欲のない人物にかまっている暇はないと改めて自覚する。つまり雑音のシャットアウトだが、そう思いながら毎日が雑事ばかりで過ぎて行く。それで今日の投稿もその雑事の最たる内容だ。

今日は昨日の補記を書いておく気になった。それは「オレオレ歩き」についてだが、道に迷う筆者は帰宅後に忘れない間に歩いた道筋を地図上に記すようにしている。今日は3枚の地図を掲げる。最初は
9月10日、大阪本町のムジークシューレという一室にアコーディオンの演奏会を聴きに行った帰りだ。天神橋筋商店街で買い物をして帰るつもりであったから、本来は真っすぐ北上するのが近道だ。ところが何を勘違い、あるいは遊び心が出たのか、筆者は地図上の赤線のように、南西隅からオレオレ歩きをして北東に歩き、桜宮橋の東詰めに至り、そこで仕方なしに方向転換して橋を西に越え、そこから北西に向けてまたオレオレ歩きをした。当日はカメラを持参することを忘れたので、3か所の蘇鉄の写真を撮ることが出来ず、また気になった物や場所もいつか改めて訪れて撮影することにした。そのためにも歩いた道筋を記録しておくのがよい。一番気になったのは藤田美術館が新しくなっていたことだ。歩いた道から建物の外壁代わりの大ガラスを通して内部の観覧客たちが見えた。またオレオレ歩きをしながら天神橋筋商店街に必ず着くと予想しながら、大塩平八郎で馴染みの同心町を通過し、JR天満駅の南端に着いた時は声を挙げそうになった。まさかそこに至るとは思わなかったからだ。結局目指すスーパーのすぐ前に出て来たことになって、直角三角形の直角を挟む二辺を歩くという遠回りをしたが、普段運動不足の筆者にはちょうどいい散歩となった。さて2枚目の地図は
10月29日の大阪だ。これも丸尾知子さん目当てに出かけたアコーディオンの演奏会で、その前に難波で展覧会を見ることにした。地図のA地点の天神橋筋六丁目駅から赤線のようにオレオレ歩きをして御堂筋に出るつもりが、JR環状線の高架沿いでやはりまた蘇鉄を見つけた。早速カメラをかまえたはいいが、シャッターが下りない。何度試しても同じで、電池切れとわかり、それを買うために大型スーパーに寄ることにした。そこから真っすぐに南下してBに至った。その時右手の道を進むべきと思いながら、左に進んだ。それは間違いで、結局天神橋筋一丁目のCに出た。それなら最初から地図のAからCに至る日本一長い商店街を真っすぐに南に向かえばよかった。ただしそうするとカメラの電池切れはわからないままにアコーディオンの演奏会に行ったはずで、11月3日の投稿は写真がないことになった。かなり遠回りしたことを無駄と考えるのではなしに、初めての道を少しは歩いて蘇鉄を見かけ、また電池切れがわかってそれを早速購入出来たことがよかったと思えばよい。ものは考えようで、立腹したことを思い出すより、楽しかったことに目を向けるべきだ。それはともかく、Cから天神橋を南に越え、そこからまたオレオレ歩きで難波に向かったが、遠回りしたために展覧会はほとんど5分しか見られなかった。

次に3枚目の地図だ。先月23日に茨木の国立民族学博物館に家内と出かけた際、また西国街道歩きを決めていた。家内にそれを伝えると絶対に拒否するので、展覧会を見終わっても黙っていた。そしてめったにないことだが、モノレールに乗って初めての豊川という駅で降りた。そこから西国街道は間近で、東に歩くことにしたのだ。茨木市内の西国街道歩きは1年ぶりだ。
去年は1日早い11月22日に「みんぱく」の企画展を見た後、西国街道に至り、それを西進した。去年投稿した「西国街道、その27」の地図で言えば左端のE地点すなわち今回の3枚目の地図の左上隅のA地点までを西にある豊川駅から目指した。そのことは写真つきで改めて書くつもりでいる。Eから歩くのではなしに、豊川駅からEを目指したことは正解であった。日没まで時間があったからだ。ただしやはり西国街道歩きの後に道に迷った。どんどん暗くなったからだが、緊張して歩いたのでよく覚えている眺めがいくつもある。それらをつなぎ合わせて歩いた道を地図上に青線で記した。まず空腹であったので、西国街道歩きを終えてすぐ、国道171号線と西国街道の交わりの地点に去年も目に入った大阪王将で食事した。筆者はマーボーフワトロ天津飯、これはスージー・クワトロも喜ぶだろう。家内はサクトン定食で、玉ねぎの炒めが足りず、食後気分を悪くし、地図のAB間で座り込んで吐いた。それでも夜道を駅目指してサクサクトントンと南下しなければならない。Aから南東方向に歩けば阪急茨木市駅があることは知っているが、その途中の道は半分以上は初めてだ。去年はAから超満員のバスに乗ったが、今回は歩くのもいいと考えた。ただし特にAからBはあまりに殺風景で、それは我慢せねばならない。B地点は171号線を横断する地下道だ。それを南にわたってほとんど人に遭わずにCまで行くと、見慣れた建物に気づいた。以前富士正晴記念館を訪れた時に見覚えた建物だ。その真向かいにコンビニがあって、そこでパッションフルーツを買ったことは以前に書いた。そこから駅まではもう近い。ただし地図で示したDEFはそれぞれ印象深い地点でありながら、青線どおりに歩いたかどうかは定かでない。Cに至った時、今回の地図の赤線の中ほどのFを目指した。そこから小学校や駅前商店街に一直前に南下する本町通りに出たかったのだ。そこを以前歩いたことがあり、商店街で買い物をして帰るつもりがあったからだ。ところがCから東にJRの高架まで歩けばいいことがわかっていながら、途中で南に折れた。オレオレ歩きを念頭に置いていたからで、その南に入った道の先をまた東に折れることを何度か繰り返せば本町通りに出ると予想した。それで今回はDのJRの高架下を歩き、Eに至った。そこは昔は茨木川で、現在は堤の緑地とそれに沿う川端通りだが、前回歩いた時に越えた道とは違うなと思いつつ、信号を東にわたった。 帰宅後に調べてわかったが、以前歩いた時に横切った堤の信号はひとつ北のFであった。E地点の道路をわたった直後に信号が赤に変わり、家内は信号を待つ自転車に乗った若い女性に駅まではどう行けばいいか尋ねた。彼女は信号が青に変わり、また赤になっても家内に詳しく説明してくれ、Eから堤沿いの道を南に行けば大きな通り沿いの左手にG地点の茨木神社があることがわかった。筆者は女性の言葉にしたがわずに、地図上に青で示したように、堤内のちょっとした公園を横切ってすぐの南東に下る暗がりの狭い坂道を進んだ。坂を下りて進むと突き当りに至った。左折を繰り返して来たので当然その時も左折した。それが間違いであった。斜めの道を歩いたために方向感覚がわからなくなった。その突き当りでの左折は北向きであった。先を進みながら四辻ごとに左手のずっと奧に土手が見えた。あれをまた向こう側に越えねばならないと考え、F地点である堤、そしてそれに沿う道路を越えてまた住宅地域に入った。そこでどこをどう歩いているのかわからなくなったことを自覚し、たまたま四辻の角の家の小さな庭に出ていた高齢の女性に道を訊いた。ところで、Aから駅のHまで、大通り沿いは別にして遭遇した人は先の信号待ちの女性以外はほとんどその女性のみであった。まだ6時頃の市内というのに、日が暮れるとサラリーマンの帰宅者以外はほとんど外出しないと見える。それは嵐山でも同じで、高齢化が進んだためもあるだろう。女性は庭に出てごそごそと何かを取ろうとしていたようで、背中を曲げてしゃがんでいた。こんどは筆者がその高齢女性に声をかけた。彼女はつい最近も80代の男性が2時間もうろついて駅がどこかわからないと道を訊かれたと言った。そして親切にもその直後にわかりやすい場所まで案内すると言われた。暗がりで道案内をするになるほど筆者と家内は不審人物には見えなかったのだろう。とはいえ筆者は奇妙な帽子を被り、家内曰くどう見ても古稀過ぎの普通の老人には見えないので、暗がりが幸いした。数十メートル引率され、別れてからすぐに堤を上がると先の小さな公園で、また南東に下る人影のない暗くて狭い坂道が目に入った。ふたたびE地点に来たのだ。狐につままれた気がした。当然そこを下らず、堤上を南下した。前方に昨秋建設中であった市役所近くの大きなビルは完成してすでに営業中、シースルーのエレベーターを初めすべての窓が明るく点っていた。1年前はそれが建築中で、万博公園に向かうバスの中から眺めたものだ。堤の左下はずっと茨木神社の境内で、明かりの中、白いキモノの禰宜の姿が眼下に見えた。茨木神社の鳥居前の大道路を歩くのは不満であった。地図の赤い線の本町通に至って商店街で買い物をして帰りたかったからだが、地図上に道筋を描くと、そのルートをたどればなおのこと「オレオレ歩き」として形が整ったことがわかる。
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