「
窄む裾 見窄らしいと ベルボトム ラッパ吹きなら 大ぼらも吹け」、「ぼられても 学びと思う 世の旨さ 出世魚の ボラを見習い」、「見て習い 聴いて習うや 奏で方 楽器鳴らして 気楽別格」、「極楽の 気分窄んで 小雨降り 当て外れても 地獄よりまし」
先月10日、大阪本町のビルの一室で開催されたアコーディオンの演奏会について書く。今年の猛暑は例年にない厳しさで、日が暮れてからスーパーに行く以外は何もする気になれなかったが、先月10日の正午頃にツイッターを見ると、丸尾知子さんが当日午後2時から大阪で演奏することを知った。丸尾さんは演奏間際に告知することがままある。筆者は通常ならば演奏2時間前にそのことを知れば出かけないが、その日は即座で行くことにした。そして記されている会場の地図を簡単に紙に鉛筆で記し、慌てて1分ほどで着替えて家を飛び出した。電車に乗ればわが家から梅田まで1時間弱であるから、2時間あれば充分会場に着く。ただし筆者は必ず道に迷う。その日も丸尾さんのツイッターでの告知にしたがってメトロの谷町4丁目の3番出口から出ると小雨が降っていて、何を勘違いしたのか、本町通りではなく、一本南の中央大通りを西に向かった。道行く男女3人に次々と訊ねて本町駅まで行ったが、目指すグリーン・ビルの看板がなく、結局3番出口に逆戻りした。そこで「ああ、本町通りか」と思い出し、その道の南側を西に向かった。時計を持たないが、まあ30分くらいは道をさまよった。小雨は降り続いているが、筆者の体温で雨水は乾き、代わりに汗まみれでたぶん湯気が立っていたはずだ。予想どおり緑色地のグリーン・ビルの看板が見え、小さなエレベーターで5階に上がった。扉が開いた時、筆者の真正面50センチに丸尾さんの後ろ向きに立ち、人の気配を感じた彼女は振り向き、そして「お洒落!」と言った。紺色の水玉のセットアップで、普通の高齢男性ではまあ絶対に着ない目立つ服だ。部屋に入ってすぐ、筆者は左手に向かい、当日のプログラムを受け取り、折りたたみ椅子が並ぶ最後尾に近いとろに座った。すると丸尾さんがやって来て筆者の右隣りの椅子に腰を落とした。当日は前後に40分の演奏があり、中間に10分の休憩があった。前半の演奏中で休憩時間の間、丸尾さんは筆者の真横にいたが、筆者が座ってほとんどすぐに演奏会は始まり、演奏中は小声でも話しにくいから、丸尾さんとはほとんど話さなかった。そして休憩時間がやって来た時、丸尾さんの前に座っていた京都在住のアコーディオン弾きだろうか、年配の男性が立ち上がって振り返った。丸尾さんに久しぶりに会ったらしく、ウクライナ語のことなどを大きな声で話し続け、丸尾さんは戸惑いながら相槌を打ち、その男性の話を休憩時間中、聞く羽目になった。男性の話で筆者が特に気になったことについては後述する。休憩が終わってすぐに出番の準備のために丸尾さんは姿を消した。
プログラムをもらった時、今年11月11日に去年と同じく寝屋川の市民会館で開催される京阪アコーディオンの演奏会の告知チラシが挟まれていた。椅子に座ってそれを知った筆者は隣りの丸尾さんに「またやるのですね」と言うと、彼女は無言でうなずいた。それはさておき、演奏が終わった後、片付けや会合があって丸尾さんは筆者の相手が出来ない。それで筆者はエレベーターに乗る直前、部屋の最後尾に立っていた米谷麻美さんに話しかけた。今回彼女に演奏の出番はなかったが、手伝いに駆けつけたのだろう。彼女は去年の京阪アコーディオンの演奏会で司会と演奏を務め、彼女の姿の写真を当時のブログに載せたが、当然彼女は筆者を知らない。筆者は自己紹介のつもりで去年の演奏会についてブログに書いたことをさりげなく話したが、彼女はそれを読んでいないだろうし、読んだとしても印象に残っていないはずで、彼女は明らかに訝りながら派手な色柄の衣服の筆者を見据え、話は弾みようがなかった。エレベーターで下に行ったところ、雨は上がったばかりのようで、地面は濡れてアスファルトから熱気が上っていた。そして本町通りを東に行って地下鉄に乗ればいいのに、いつものようにすぐに「オレオレ歩き」をすることに決め、何度か道に迷いながら天神橋筋商店街に着いた。地図上に歩いたルートを記すと見事な「折れ折れ」、すなわち四辻ごとに同じ方角に必ず曲がっていて、初めて歩いた道も含み、途中いくつもの意外な発見は面白かった。筆者は苦労をいつもそのように解釈する。ただの徒労と思うと癪であって、何事にも面白みはあると思えばよい。ただし、そういう筆者と一緒に歩かされることは家内でも嫌がるから、ひとり歩きの際のひとつの趣味だ。人生はひとり歩きそのものと言ってよいが、筆者はごく稀にしても気の合う人、女性であればなおさらいいが、そうした人と一緒に歩くことを好む。肩を並べて一緒に歩くことはごくわずかにしろ、人生を一緒に歩んだことになる。その意味で言えば、今回の演奏会で筆者が椅子に座った直後、丸尾さんが隣りに着いたことは、ごくわずかでも筆者と一緒に歩いたことと同然と言ってもいい。当日は出かける際にあまりに慌てたこともあって、カメラを持参し忘れた。それで演奏会場の写真が今回はないし、前述した意外な発見を撮影出来ず、いつか同じ道を歩くために地図上に歩いたルートを記した。ただしその地図の画像は今回は載せない。また演奏会場となった部屋は縦長で、その北側すなわち本町通り沿いの窓際で演奏され、演奏者も含めて40人ほどがいたように思う。誰でも入れる発表会とはいえ、アコーディオン奏者相互の腕の見せ合いの場と言ってよく、多くの一般客が見込めるほどではないことを経験上わかっているのだろう。SNS時代とはいえ、どのような催しも大勢の客が見込めるのではないことは昔と変わらない。
筆者はアコーディオンの門外漢だが、小学生で馴染んだ学校の教室に置かれたオルガンに似た響きから、懐かしくて柔らかい音色にノスタルジーを感じる。同じ鍵盤楽器ながら、音色が硬質なピアノとは違い、雅で繊細なチェンバロとも違って、親しみ、和みという第一印象を抱く。それは誰しもではないか。その本質によってアコーディオンの音楽は独自の位置を占めている。中学生になってビートルズに心酔した筆者だが、20歳になるまでに時代はエレキ・ギターの強烈な音を伴なうロック音楽全盛期となり、その後さまざまな音楽を聴き続けて来た耳からすれば、アコーディオンの音色は斬新に響き、それが目下のところに丸尾さんらのアコーディオン弾きに対する関心になっている。そしてたとえば今回の演奏会によって改めてアコーディオンがロックの流行とは無関係に愛好家によって演奏されて来たことを知り、いわば現在のアコーディオン界の一見本に接する思いがした。それは端的に言えば今回の演奏会の題名にあるように、吉田親家さんからその門下生につながるアコーディオン史の広がりと多様性だ。さらに手短に言えば今回プログラムに「友情出演」と記される小野寺彩香さんと丸尾さんのふたりの女性の演奏にひとつの大きな進歩がある気がする。とはいえ門外漢の筆者は小野寺さんや丸尾さんの方向性をさらに追及しているアコーディオン奏者がいるのかいないのかは知らない。アコーディオンが小学校の教室に据えおかれたオルガンを個人が持ち運びやすいものに改良したものとすれば、オルガンが演奏出来る曲よりも演奏可能な曲は少ないのだろうか。それはアコーディオンの種類すなわち鍵盤数の多寡に応じる問題でもあるし、また演奏者の技量にも負うはずで、同じリード(reed)の音色であってもアコーディオンならではの特性、美点があるだろう。アコーディオン弾きはそのことに着目もするので、その楽器を選ぶと思う。持ち運び出来て胸の前に掲げて演奏可能であることは、野外向きだ。またマイクを通せば街角と言わず、大観衆を前にしての演奏も出来、実際そのようにアコーディオンを採用するミュージシャンはいるが、その原点はたとえばビアホールなど、人が集まる場所でのムード作りに最適であるからだ。電気を必要とせず、ひとりで和音を伴なって主旋律を奏でられる携帯楽器となればアコーディオンしかないと言ってよく、ギターよりも大きな音が出る。それにハーモニカと違って両手だけを使うので、演奏しながら歌うことが出来る。この利点によってアコーディオンは不滅と言ってよいが、アコーディオンが誕生した歴史からして、アコーディオン独自の曲目は限られているだろう。それでアコーディオンでは演奏されなかった曲をアコーディオン向きに編曲したり、また2台以上のアコーディオン用に編曲したりして、アコーディオンの可能性を広げている。
ポルカやシャンソン以外にアコーディオン用に専門に作曲して来た人がどれほどいるのか知らないが、それはアコーディオンの構造的特質や独特な奏法に対して深い知識を持つことが求められるはずだ。そのこともアコーディオン独自の名曲が誕生しにくい理由に思える。つまり、アコーディオンの名曲があるとすれば、アコーディオン奏者であることが求められる気がする。こう書きながら筆者が思い浮かべているのはヴィラ・ロボスだ。彼は管弦楽曲を書く一方、ギターのための曲もたくさん書いた。そのことでギターの地位が大いに高まったと言ってよい。ヴィラ・ロボスのような大家がアコーディオンのために大いに作品を書けばと思うが、20世紀半ば以降のクラッシク音楽畑では大作曲家が生まれにくくなっている気がする。そこで思うのはアルゼンチンのアストル・ピアソラだ。彼が奏でるバンドネオンはアコーディオンの仲間で、ピアソラはバンドネオンの地位を高めるために活動したと言ってよい。以前書いたことがあるが、そのことは彼の作品にそのまま言い表されている。つまり、酒場などで演奏される旧来のタンゴに終始せず、コンサート会場で演奏される曲を書くことを目指し、その夢は実現したと言ってよい。その音楽のヒエラルキーに対するピアソラの考えにかつて中村とうようが反対したのは、クラシック音楽嫌いからして当然としても、音楽にヒエラルキーがあることは当然でもある。大作曲家と言われる真の天才がクラッシク音楽を作り上げて来たからだ。そのヒエラルキーの頂上にあるクラシック音楽が王侯貴族のためのものであって、民主主義時代の人間がそれを否定する考えはわからないでもないが、場末で生まれたタンゴが未来も同じように同じ場で愛好されるとして、そこから飛び出してじっくりと鑑賞するに値する音楽を目指す作曲家が出て来ることは誰にも否定出来ない。中村とうようがピアソラのそうした態度を否定したところで、結果的にピアソラの曲は有名になり、おそらくコンサート会場でしばしば演奏されている。バンドネオンがポルカやシャンソンのように大衆の音楽のための楽器としても、ヨハン・シュトラウスがポルカの名曲を書いたことからして、ピアソラが望んだことは全くおかしなことではあり得ない。流行音楽が消耗される娯楽であって、古典音楽が価値普遍の芸術であると峻別は出来ないが、娯楽は多くの人に供するもので、単純明快なものに人気が集まる。芸術にそうしたものはもちろんあるが、作者のファッションの見栄えや言動など、時代に応じた附属的なものが削ぎ落された時に作品の真相が明らかになり、またそうした風雪に耐え得る作品や作家は没後百年以上経なければ、古典となる風格が多くの人には見えて来ないだろう。またそれは本人がいかに作品に高貴さを望んでもそのことが作品から伝わるとは限らず、その逆も言えると思う。
ややこしいことを書いたが、次のエピソードを思い出す。以前にブログに書いたことだ。フランスのどこかのレストランかバーで高齢の無名のピアニストが働いていて、ある時彼はショパンのバラード第1番を弾いた。それはよろよろで間違いだらけであった。そのピアニストはかつてクラシック音楽を学んだのだろう。ところが一流の演奏家になれないまま、齢を重ね、糊口を凌ぐために演奏している。たいていの客はそのバラード第1番の下手さ加減はすぐにわかるし、またいたたまれない気持ちになるだろうが、その高齢のピアニストに一抹の高貴さも感じるだろう。そうした店であれば誰もが知るシャンソンの名曲を弾いていれば客は喜ぶし、また演奏家も技術のなさを曝すことにはならない。ところがショパンの名曲を弾く。それはショパンの音楽を知らない人にはあるいは素敵な曲と思うかもしれないが、ショパン好きは我慢ならないだろう。その演奏がよれよれであることは一流になれなかった者の悲哀を示すが、客からすれば人生を垣間見る得難い瞬間で、立派なコンサート会場で聴く一流のピアニストの演奏ほどに感じ入ることもあるだろう。それで筆者は誰かが書いたそのエピソードを覚えている。それはともかく、ショパンのバラード第1番は手軽な流行歌よりも高みに存在していることは確かと言ってよい。難曲でしかも多くの人を長年にわたって楽しませて来た名曲はクラシック音楽に存在する。ただし中村とうようの思いに沿えば、西洋のそうしたクラッシク音楽の伝統は西洋では当然でも日本を含めて他の国ではそのまま受け入れられるものかという疑問は湧く。そこで西洋でもバッハの時代からドイツ以外の地域からその地方独自の音楽要素を摂取することが行なわれ、20世紀になるとドイツやフランスからすれば辺境の国からその国独自の音楽が取り入れられることが加速化し、クラッシク音楽はさらに豊かになった。その延長上にヴィラ・ロボスやまたピアソラがいる。世界的に認められなくてもある国の限られた地域や場所で人気を博す音楽は無数にあるし、そういう世界での作曲家や演奏家の巨匠の価値は世界的に天才と認められている音楽家よりもヒエラルキーが下であるとは断定出来ず、それは個人が決めてよいことと言えるとの意見は、遠い国の会ったこともない巨匠よりも身近に演奏が楽しめて会話も弾むミュージシャンのほうがはるかに自分には価値があると主張する考えを導くが、それはそれとして天才と身近な魅力ある才能は別のものであるという意識は芸術好きであれば誰もが持っているし、またそうでなければならない。つまり、やはり音楽や才能にはヒエラルキーがあるということだが、最高位のヒエラルキーに属する才能や作品を好まない人はいる。ともかく、筆者は典雅な作品があれば卑俗なそれもあり、それを知ったうえでそれぞれを楽しむべきと言いたいのだ。
今回の演奏会のプログラム裏面に出演者名簿があって、茨木の吉田教室、金剛アコーディオン教室、ペンシエーロ、ムジークシューレ大阪、松原アコーディオンクラブ、神戸市東灘区文化センター教室の以上6か所から9名、そして友情出演の2名と吉田親家先生という顔ぶれで、題名のとおり、6か所の教室はみな吉田さんの門下生が切り盛りし、友情出演の2名も吉田さんに一時期でも学んだとみなしてよい。吉田さんは確か東灘の生まれか育ちであったと聞いたが、今回演奏した6か所の教室からの出演者はみなそれぞれ教室の代表者ではないだろうか。一番の若手は友情出演の小野寺彩香さんと丸尾さんで、他は全員60代以上と思う。また、鳥飼千嘉子さんはムジークシューレ大阪に所属し、今回の会場はアコーディオン教室として使われていることがわかる。となればなおさら広く一般客に聴かせるというより、吉田先生門下の近況報告会の趣が強い。また出演者の演奏曲はおそらくどれも吉田さんに学んだか推薦されたものである気がするが、とすれば今回の演奏曲目全体が吉田さんの視野に入っていて、端的に言えば吉田さんのレパートリーの豊富さを示しているだろう。というのは演奏会の最後に司会者が吉田さんのCDがネット・オークションで2万円で売られているが、今回は2500円であったか、数枚を持参しているので購入を勧めていた。筆者は買わなかったが、早速ヤフオクを見るとそのCDが2万円で売られていて、18曲が収録される。バッハやショパン、グリーク、サラサーテ、アルベニス、シューマンの名曲からロシア民謡が含まれ、日本の歌謡曲はないが、流行歌よりも古典となった曲を選ぶところに前述した音楽のヒエラルキーに対する吉田さんの思いが垣間見える気がする。あるいは歌謡曲のカヴァー演奏をCDに収録するには著作権料の支払いの問題があるからかもしれない。また西洋音楽の古典曲であればアコーディオン用に編曲することの腕試しの点が大きいからだろう。それに初心者から熟練者用に幾通りかに編曲可能なはずで、そういう技術も吉田さんは伝授しているのではないだろうか。さて、司会の木谷千加子さんについてネットで調べると「元府障教」とあって、大阪府下の障害児の学校で教えられていたことがわかる。また茨木の吉田教室の青木実さんだったと思うが、若い頃に京都の円山公園でアコーディオン云々と話され、これは安保反対の学生運動でアコーディオンが奏でられたことを指すはずで、昭和30年代の若者にアコーディオンが果たしたひとつの役割があった。そこから何となく吉田門下が共産党の思想に近い人たちの集まりかという想像に及ぶが、その言葉がまずければ平和や差別撤廃の活動により積極的な思いを持った人々と言ってよい。
演奏会の前半はみな高齢者で、40年近いアコーディオン歴を持つ金剛アコーディオン教室の高橋美智子さんというベテランによる「DOMINO」や松原アコーディオンクラブの中川徹さんが弾き歌いする五輪真弓の「恋人よ」など、曲名は知らなくてもどこかで聴いたことのある名曲ばかりが8曲演奏された。司会の木谷さんは腰を痛めたかで体内にボルトを入れられ、医者から演奏を止められたが、10分ならいいと言われて今回二重奏で「カレルフィンスカヤ・ポルカ」を披露した。2,3人の演奏にはところどころ演奏のミスがあったが、発表会であるので緊張されたことと、高齢であるためと思えばよく、先のショパンのバラード第1番を弾く高齢のピアニストと同じように、それはそれの味わいがある。後半は最初に鳥飼さんと吉田さんの二重奏による「パリのお嬢さん」と「レッツ・ダンス・ポルカ」で、前者は誰もが聴いたことのある曲で、3拍子で主題が短調のシャンソン、後者はこれぞポルカという明るく弾むような曲。次に30数年のキャリアがある松原アコーディオンクラブの結城和子さんの出番で、バッハの「主よ人の望みの喜び」とフランスのアコーディオン奏者アンドレ・ヴェルシュレンの「スタイル・ミュゼット」を弾いた。後者のシャンソンの哀愁味は次の増谷さんの「インディファレンス」(つれなさ)に継がれた。もっと速いワルツで、筆者は映画『夜の訪問者』の主題曲を思い出した。フランス映画なのでそれは当然かもしれない。増谷さんの次の「小鳥のさえずり」でも演奏ミスは目立ったが、難曲であるためかもしれない。さて、最後は友情出演の小野寺さんがバッハの『管弦楽組曲第2番』からロンド、ポロネーズ、バディソヌの3曲を続けて演奏した。去年秋の寝屋川での京阪アコーディングクラブのコンサートでも彼女は同じ曲を弾いた。筆者は20代半ばでバッハのこの曲が大好きになり、LPを買った。今それを引っ張り出して聴いたが、全7曲のうち、今回演奏された3曲は最も印象に残りやすい。元は管弦楽曲で、それをアコーディオン一台のみで演奏するには編曲の妙もさることながら、やはり技術的にはとても高度に違いない。ピアノによる編曲があるのかどうか知らないが、ピアノよりも難易度は高いはずで、またこの曲はピアノよりもアコーディオンで奏でるほうが味わい深いと想像する。3曲のうち2曲目のポロネーズの中間部では片手が主題を終始奏で、もう片方の手が原曲で目立つフルートの音色を模したように別の旋律を奏でるが、その対位法によるふたつのメロディの混合は最も聴かせどころとして彼女が練習を繰り返したはずで、原曲の持ち味がより露わになっていると言ってよい。元が管弦楽曲であるから、その雅な音楽を聴けばアコーディオン一台による編曲演奏など取るに足らないと思うかもしれないが、原曲の真髄がより把握しやすくなるとも言える。
次に丸尾さんが登場し、聴き手は気を落ち着かせる暇もなく、ハチャトゥリアンの『少年時代の響き』から「トッカータ」が演奏された。調べるとハチャトゥリアンは1947年の44歳でピアノ曲集『こどものためのアルバム』の第1集、65年に同第2集を発表しており、『少年時代の響き』はその第2集に相当する。ハチャトゥリアンと言えば「剣の舞い」で、筆者の世代は小学校の音楽の授業でその曲を聴き、たちまちそのメロディを覚えたが、それは当時日本のラジオでおそらく頻繁に流されていたからでもある。それほどに5,60年代の日本ではハチャトゥリアンの人気があった。また当時はソ連の作曲家として紹介されたが、明らかにロシアとは違う民族音楽的な旋律で、彼はアルメニア人だ。アルメニアと言えば筆者はホヴァネスをただちに連想し、また彼が戦前にインド音楽に魅せられた結果、戦後アメリカの西海岸にラヴィ・シャンカールの音楽が流行し、それがロックに流れ込んだことを思うが、ハチャトゥリアンは雄大なホヴァネスの音楽と違って、もっとロック的な過激さに満ち、それゆえ演奏困難な曲が多いと想像するが、それは丸尾さんが演奏した「トッカータ」からも明らかであった。2分ほどの短い曲だが、「剣の舞い」と同じ作曲家の作品であることは誰しも一聴して納得する。ピアノ曲をアコーディンで演奏することの困難さのうえに、元来の難曲さを加え、演奏を聴きながら筆者は椅子から跳び上がりそうになった。今回のコンサートでは図抜けて異色で、また技術の粋を示したと言ってよい。また小野寺さんのバッハから始まっていきなり20世紀のしかも65年のビートルズ時代のハチャトゥリアンの曲であるから、友情出演の2名は吉田さんの撒いた種を拡張して開花させている。丸尾さんが次に弾いたのは映画
『イル・ポスティーノ』の主題曲だ。筆者は何年か前にこの映画の感想を書いた。映画はチリの有名な詩人ネルーダの隠喩の言葉が、イタリアの田舎のいわば無教養な男性の愛を結実させるきっかけになることを描き、丸尾さんがこの映画の主題曲を自身で編曲して演奏することは、彼女がシンガーソングライターとして書く歌詞における立場を説明するだろう。以前書いたことを調べるのが面倒なので簡単に書くが、彼女の自作曲に宇宙探査ロケットが役目を終えた最後は惑星に衝突させられることを歌うものがある。そのロケットは人間各人で、誰もが役割を持ちながらやがてそれを終えて死ぬ。逆に言えば用済みにならない限り、生きる。その最適な例が吉田さんということだ。丸尾さんの演奏の後に「講師演奏」として吉田さんが二曲披露した。最初は有名な「チリビリビン」で、次の曲はシャンソンと思うが、題名は知らない。前述したCDには「チリビリビン」が収録されるので、後者もそのCDに入っているかもしれない。
さて、先に書いた休憩時間中の男性が丸尾さんに言ったことについて。これは別の機会に譲るつもりもあるが、勢いで書くことにする。その男性は丸尾さんが学校の教師であることをやや非難気味に言った。どういう表現であったか、正しく覚えていないが、つまりは生活が安泰しているとの一種の嫌味だ。芸術を目指す者が収入の安定を図って教師になることはよくある。芸大を出ればたいていは美術や音楽の教師に職を探す。それが無理な場合はアルバイトしながら作品を作るか、あるいは創作を断念して企業に就職する。筆者は芸大卒ではなく、また企業を辞めて不安定かつ最低クラスの収入で生活して来ている。芸術家になるにはアカデミックな教育を経なければならないと、たとえば芸大の先生たちは言う。筆者はそういう教育を受けておらず、したがってどれほど技術巧みな、また芸術性豊かな作品を作っても、まず評価の俎上に載る権利がない。それは雅の領域には入れず、鄙に留まるということだ。そこに先に書いた音楽におけるヒエラルキーの話を持ち出してもよい。つまり筆者はどうあがいても作品は雅とはならず、田舎じみた、つまり無教養さが丸だしの鄙びたものとみなされる。アコーディオンは音楽のヒエラルキーで言えば雅には属さないだろう。それは市井で歓迎される楽器であり、鄙びた音色に美点があると言える。ではアコーディオンでバッハなどのクラシック音楽を演奏することは、芸大卒の正統派を目指す者から見ればどのように意義あることと映るのかそうでないのか。アコーディオンによるバッハ曲はいわば鄙による雅だ。それは教師として生活をそれなりに安定させて獲得可能な編曲であるとは言えない。つまり教師であろうがアルバイトの低賃金で暮らそうが、何を目指すかが大事だ。そして安定した収入があれば芸術行為にとってはよくないという見方はどれほど正しいのか。大方のミュージシャンは費やす時間からすれば音楽をやる以上の何倍もの時間を収入のための別の仕事に費やす。となれば音楽行為は趣味と言ってよいし、実際そう呼んでよいミュージシャンがおそらく9割以上を占める。それはその他の芸術でも同じだ。しかし収入がなくては生活が成り立たない。好きな芸術行為を続けるためにはなるべく収入が多く、しかもそれが持続的に安定したほうがよい。丸尾さんが教師を辞めて音楽活動に専念するとなれば、生活難から音楽行為どころではなくなる可能性はある。あるいは稀な幸運があれば、夭逝はするが、立派な作品を花火のように遺すかもしれない。ただしそれは過酷な生活を伴なうはずだ。筆者は女性には心身ともに労苦少なく表現行為をしてほしい。偏見かもしれないが、女性の心身を病んでの表現行為は本人が思っているほどに芸術性は豊かではあり得ない。女性の貧困は痛々しい。それを跳ね返す強さを持ち合わせる女性はいるが、強がりと本当の優しさは同居しにくい。
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