「
遣唐使 見当するも 運任せ 学ぶことこそ 命となれども」、「情熱を 燃やし続けて もしやあり もやし野郎も 香具師も情あり」、「山の下 森に降り積む 白い雪 はかなきかなと 広し道行き」、「遠くから 目立つ帽子の ピエロかな 今日はお祭り 生演奏も」
今月5日の「原田しろあと館」での461モンブランの演奏会、終了後に質問したいことがいろいろあったが、男性数人の山下カナさんを囲んでの談笑が終わりそうになく、筆者は森祐介さんに今度はいつ演奏するのかと訊ね、「大阪の福島で」との返事を聞いて会場を後にした。その福島区での演奏が12日であることを彼らのツイッターで知った。11日は寝屋川で丸尾丸子さんが参加するアコーディオンの演奏会があり、翌日も大阪に出かけることはかなり億劫だが、天気がよければ出かけてもいいかと考えた。そして当日の朝、家内に大阪に出るかと訊く前に窓の外を見ると、あいにく曇天でとても寒い。さてどうしたものか。1時間ほどの間に家内に三度訊ね、そして雲の隙間から陽が照り始めたのでついに出かけることにし、家内は大急ぎで化粧を始めた。家を出たのは11時過ぎで、12時半から演奏は着いた時は終わっているか、あるいは最後の1、2曲は間に合うかと思った。演奏を最初から楽しめないならば出かける意味はあまりないが、以前から見学すべく入手していた施設のチケットが2枚ある。それを手提げ袋に放り込んだ。ごくたまにしろ、筆者と大阪に出ることを家内はとても喜ぶ。そして住み馴れたはずの京都より断然大阪がいいと言うが、筆者は大阪でも京都でも場所によりけりで、結局どういう人が近くに住み、親しくなれるかだ。それは大阪でも京都でも同じだ。しかし、たとえば豊中の高級住宅地に住む文化度の高い人は、筆者のような貧乏人は相手にしない。文化度は経済力に比例すると言う人がいるが、文化人は貧乏人からでも輩出する。最近金森さんから、筆者の昔の文章にストラヴィンスキーの「アゴン」についての記述があるが当時日本でその曲はレコードが発売されていなかったのにどうして聴いたのかと質問された。82年にストラヴィンスキー生誕百周年記念として定価72000円のLP31枚組が日本に200セット直輸入され、当時31歳の薄給の筆者はその1セットを無理して買った。わずか1行を書くためにそういう覚悟は時に必要だ。つまりは貧乏人でも知を求めて大胆な金遣いをする場合がある。さて、梅田に着くと小雨が降っていた。慌てたために傘を持って出なかった。JRの環状線の乗り場まで上るのが億劫で、一駅先の福島まで歩くほうが早いと思いながら結局環状線に乗った。電車はホームで2、3分停まったままで、やはり歩いたほうがよかったかと苛々し始めた時にようやく動き始めた。フェスタが開催中の駅南西にある公園には行ったことがないが、小雨でもあってその方角に走ると、すぐにアコーディンの音色が響いて来た。
家内は筆者の20メートルほど後を着いて来る。人混みの公園に入ってステージを探すと、赤い布を敷き詰めたステージに461モンブランが演奏中ですぐに「情熱大陸」が始まった。たぶん最後の曲だ。416モンブランのツイッターには、10月に高槻富田の寺で彼らが演奏した時、筆者が知る男性は駆けつけると最後の「情熱大陸」の演奏中であったと書き込んでいた。筆者らはそれと同じ体験をした。フェスタは思ったほど人は多くなく、客席もまばらに見えた。山下さんを真正面に見ながら筆者は接近し、5メートルほどのところに達した。すると筆者の笑顔に彼女は気づき、笑みを返した。その瞬間が得られただけでも出かけてよかった。筆者はその時の彼女の姿を忘れないだろう。ふたりの演奏中の写真を右や左に移動して3枚撮った。雨粒はやや多くなり、4分弱の「情熱大陸」が終わると係員の男性が舞台下手の大きなスピーカーにビニール袋を被せ、461モンブランは隣りの白テントに入った。公園の隅にさまざまな売店のテントがあり、筆者らは福島県の物産テントで少し買い物をし、その近くのテントでは昭和時代の福島を捉えた白黒写真を眺めた。ステージの方角を見ながら写真を2枚撮り、461モンブランの姿がないかと遠くを眺めると、人混みの中に山下さんが見えた。彼女もこちらに気づき、すぐにふたりは走って来た。筆者のキャットビーニーの帽子が目についたのだろう。今年の時代祭の時と同様、筆者は探してもらう相手から目立つ姿、特に帽子を被ることにしている。筆者は矢継ぎ早に416モンブランに質問した。メールで訊ねるよりも手っ取り早いからだ。やがて山下さんは楽器が雨に濡れて気になることを言い、筆者は話を止めた。家内は黙ってそばに立っていたが、帰宅した後、家内の知らない話を筆者が多くしたと言われた。それに筆者の顔がくしゃくしゃで見ていられないと言ったが、まあ仕方がない。雨の下での立ち話の内容はここには書かないが、森さんに一週間前と同じく次はどこかと訊ねた。「神戸です。その後は年内は予定が入っていません。」多忙を理由に筆者は追っかけファンにはなれず、遠くて高槻辺りでの演奏でなければ出かけない。それはさておき、たぶん間に合わないと思いながら、最後の曲に触れられて運がよかった。筆者の聴きたいという情熱のおかげか。公園内の時計を見ると演奏が終わったのは1時5分ほど前で、約25分の演奏であったことになる。曲目は知らないが、4,5曲のはずで、「原田しろあと館」での演奏の後半部と同じと考えていいだろう。ということはその程度の長さのセットをいくつか保持し、制限時間とギャラの関係もあってセットをひとつかふたつにするのではないか。もちろん2,3曲の異動は絶えずあるはずで、それはある程度は演奏場所に合わせると想像する。レパートリーの全部を聴くには数十以上のステージを見る必要がありそうだ。
福島区での演奏はここ数年続いているとのことだ。「原田しろあと館」でも同じで、他の多くの場所もそうだろう。それは彼らがどの会場の主催者にも人気があることを示している。そうした定期的に演奏可能な場所を数十か百ほども持てば新規開拓の必要はない。ただし、定期演奏場所がいつまでもあるとは限らず、またファンを飽きさせないためにはレパートリーを変え、増やす必要もある。もちろんふたりはそんなことは承知で、着実にファンを増やして行くに違いない。416モンブランはいわば筆者が初めて自発的かつ強く焦がれるように演奏に接したいと思ったミュージシャンだ。それは山下さんの女としての魅力が第一義であるためでは全くない。ふたり揃った美しい見栄えと演奏が実に見事であるからだ。そのことは文章では伝わらない。京阪神を拠点に演奏するふたりの演奏を間近で接するには、ツイッターで告知される演奏会に出かければよい。今のところはまだ入場料はライヴハウスのようには高額ではない。ふたりは多くの人がよく知る曲をレパートリーにするとはいえ、コンサーティーナとアコーディオンとなると編曲は必要だ。その妙味が彼らのどの曲にもある。それに「情熱大陸」では中間部にソロの絡みがあって、それが原曲にあるのかないのか、あるとすればどう違うのか、興味が湧く。同様のカデンツァは「リベルタンゴ」ではもっと長く披露された。筆者が所有するピアソラの74年の同名タイトルのCDヴァージョンではメンバーの即興はなく、461モンブランの演奏より退屈だ。ということは、ふたりは編曲以外に即興の才能も持ち、それをさらに磨けばジャズ・ミュージシャンとの共演は可能になり、活躍の場はさらに広がる。山下さんはジャンルに関係なく、いい曲は演奏したいとツイッターに書く。その態度もよい。世代の差から筆者はアニメの名曲を知らないが、「原田しろあと館」で演奏されたそうした曲は聴き応えがあった。それは編曲のせいも大きいだろう。とにかく瞠目すべき才能のふたりだ。オリジナル曲にこだわるミュージシャンはライヴハウスを拠点にする。その暗い洞穴のような場所とは違って野外あるいは「原田しろあと館」のような特別の場所での昼間の演奏は聴き手を選ばない。それは461モンブランの望むところだろう。となれば彼らはほとんど満たされた境遇で活動をしている。今回筆者は山下さんにオリジナル曲を提案した。シンガーソングライターになることを勧めるのではなく、「情熱大陸」のような器楽曲でよい。表現への情熱があればカヴァー演奏でもオリジナル曲でも他者を感動させ得るが、461モンブランならではの看板曲があってよいと思う。山下さんのツイッターの自己紹介文の最後の言葉「パニック障害、限局性恐怖症」に対して筆者は言うことがないが、ひとつだけ書けば、筆者の度が過ぎた会話やこうした文章が強すぎる刺激を与えないことを願う。
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