京都国立博物館で展覧会初日の先月25日に見たが、今月8日の最終日前日にも見に行った。どちらも無料観覧日であった。25日は桜の開花前、8日はすっかり散っていた。

博物館の南玄関を入ってすぐ右手に大きな枝垂れ桜がある。遠目に見ると全体が赤っぽくてまだ蕾のようであったのに、近くに行ってみると、すっかり花弁が落ちて萼だけになっていた。今年の京都の桜は天候不順でさっぱりだった。毎年円山公園の有名な枝垂れ桜を見ているが、今年は9日にすぐ近くまで行ったのに立ち寄らなかった。昨日今日とまた雨で、明日の日曜日はどうにか天気が回復するようだが、もう駄目であろう。円山公園は東に少しずつ小高くなっている。そのため、枝垂れ桜の東側に立って西を眺めるとちょうど目線の高さの視界に入る。その位置から今年の満開の状態を撮影した写真をある人のブログで見た。するとどうも様子が違う。枝振りがとてもさびしいのだ。筆者は同じ位置から去年も一昨年もはがき大のスケッチブックに簡単に写生したが、それと比べてわかった。枝がかなり取り払われている。虫食いでも発生したのであろうか。あまりに無様な姿なので、今年は見ないでよかったと思う。きちんと管理されていてもどうにもならないことがある。寿命なのかもしれない。そのことをこの展覧会に2回目に行った際にも多少感じた。紙を食べるあの銀色の虫である紙魚(シミ)が作品のうえを這っていたのだ。まさか博物館の展示作品のうえにそういうことがあっていいのかと心配になった。最後の部屋に若冲の作品が6点展示されたが、そのうちの巻物「菜虫譜図鑑」の最初の方に描かれている蕨のすぐ近くに紙魚はいた。他の人は気づかなかったようだが、筆者はじっくりと観察したのですぐにわかった。紙魚はゆっくり移動し、やがて巻物から離れたが、また他の作品に移動したかもしれない。春であるので虫が作品目がけてやって来るのはわからないでもないが、紙魚は大体は家の中の紙の多いところにいる。そのため、作品についていたのかもしない。博物館や美術館の所蔵作品は2年に一度程度は薫蒸されて虫やその卵は完全に無害にされるが、個人蔵の場合はそうは行かないので、そうした作品に付着している虫が這い出すことはある。「菜虫譜図鑑」はたくさんの野菜とともに蝶や蜘蛛、百足などの虫もたくさん描かれている。紙魚が絵に這い回っている光景は、絵からそのまま動き出したものにも見えたが、いかにも若冲らしい出来事ではないか。

無料公開日であったためもあるだろうが、訪れた2回ともかなりたくさんの人が入っていた。京都への観光客が最も多い時期であったので、ついでに立ち寄った人は多かったのではないだろうか。会期が2週間少々と短く、チラシや図録が作成されていなかったのは残念だ。ふたつ折りの1色刷りの無料パンフレットはもらえたが、図版の掲載はない。この展覧会は文化庁が諸外国の文化交流のために海外で開催している日本の古美術展の帰国展だ。去年12月3日から今年2月26日までアメリカのサンフランシスコ・アジア美術館で「TRADITIONAL UNBOUND-Groundbreaking Painters from Eighteenth Century Kyoto」が開催された。そのレセプションや美術館のファサードの広告の様子、また館内の人々が鑑賞する状態などの写真は、今回の展覧会の会場となった京都国立博物館本館中央の天井の高い部屋に展示されていた。それなりに盛況であった様子が伝わった。また、それらの写真からわかったが、展示作品はアメリカと京都は同じではない。今回は多少少なく、全40点だ。それでも大きな作品が主で、これだけの名品揃いを一堂にしかも安い常設展示料金で鑑賞出来る機会はそうざらにはない。もう少し宣伝が行き届いてもよかったのではないだろうか。京都国立博の所蔵が14点、東京国立博が1点、後は大和文華館、サントリー美術館、出光美術館、醍醐寺三宝院などから1点ずつ借りられたもので、個人蔵も16点混じる。京都国立博の所蔵が多いのは、展覧会のテーマゆえ当然であろうが、それでもひょっとすれば毎年持ち回りで東京、京都、奈良の各博物館から主に作品を集めて海外展を企画するのではないだろうか。国立博物館は今は九州が加わっているが、そこが同じように海外に見せるべき日本美術の代表的なものをたくさん所蔵しているのかどうかは知らない。年に1回程度、海外に積極的に日本の古美術を持って行って展示するのはとてもいいことだ。輸送中の事故の心配もあるが、それを言えば何も出来ない。日本美術が海外に紹介されるのと、交換としてまた向こうの美術品もこっちに持って来られる。
「18世紀の京都は、新しい思想や旺盛な芸術意欲に支えられて、かつてない革新的な文化が開花し、円山応挙、長沢芦雪、池大雅、与謝蕪村、伊藤若冲、曾我蕭白などの個性的な画家たちが輩出されました…」とパンフレットに書かれているように、今若者にも人気のある若冲を初め、文人画の粋も見ることが出来、京都国立博ならではの豪華な絵師たちの競演といった雰囲気だ。点数は渡辺始興が1、蕪村6、呉春4、大雅5、応挙5、芦雪6、蕭白7、若冲6で、バランスはよく取れているだろう。ただし、大家ばかりなので、もう少しマイナーっぽい絵師があってもよかった気がする。だが、それはアメリカで開催する展覧会を考えれば無理がある。時代を画した代表的な絵師の紹介を何度も重ねた後で各流派の紹介がなされ、そんな機会の中であまり目立たない絵師にもそれなりに光を当てて行くことになるからだ。そして日本でもまだそういうことが積極的に行なわれているとは言い難い。江戸時代の絵に関する日本人の一般的な関心は、フランスの印象派絵画の10分の1どころではなく、もっともっと低いはずで、なかなかマイナーで玄人受けする絵師の認知度は高まらない。それは江戸時代の絵がどちらかと言えば地味で、しかも文人画となれば文学、特に漢詩や俳句、和歌の素養もある程度は必要となって、とても敷居が高いことによる。見ただけで目が楽しいという絵は少ないのだ。本当はそうではないのだが、その味がわかるようになるにはひとまず関心を抱いて積極的に近づく姿勢が必要だ。こちらから歩まなければ向こうから何も言って来ない絵が多いのだ。絵は理屈ではなく、見ればすぐにわかると言うが、音楽にしろ、絵にしろ、そういうものは本当は多いとは言えない。予めの関心や知識に乏しいと、一度聴いたり、見たりする程度では全くわからない方が自然なのだ。そして、物事を根気よく知ろうとする人はいつの時代でもある一定の少ない割合しか存在しない。若冲の絵が若者に人気が出たのは、文人画を鑑賞する素養のようなものが不要であったからで、この点は蕭白にも共通する。華麗だとか、グロテスクだとか、とにかくぱっと見てそれなりに訴えて来るものが若冲と蕭白にはある。しかし、大雅や蕪村の絵はそうではない。よく味わえるようになるには何度も作品に接し、しかも文人画というものの本質を理解しようと努める必要がある。それには20代では無理で、ある程度の年齢を重ねる必要があろう。
絵師に格があるとすれば、文人画家が最も高いとされるのではないだろうか。少なくとも今での識者の日本画の捉え方の中ではそうだ。応挙の評価は昔から高いし、またその絵は誰にも理解しやすいものと言ってよいが、応挙が蕪村をどう考えていたかと言えば、応挙にはない文人としての才能に一目置いていた。誰よりも上手に描くことが絵の大事と思っている人は、絵を狭く考えている。上手に描くとは、本物らしく描くことだろうか。あるいは真に迫っているかであろうか。そんな表現ではなく、むしろ、絵に品格があって、それが他の誰よりも別格に思わせる何かがあることが大切だ。それは一般的な意味での上手下手を越えたところにある。文人画家はそんな品格を大事にしたが、それは鉄斎が言ったように、「万里を旅して万巻の書を読む」という心がまえが必要で、絵よりもむしろ学の方を大切にする。ならば学者はどんな下手でも絵の格が高くなるのかと言えば全くそうではない。ここで言う学は、蛸壺の中に棲むような専門馬鹿的なことではない。文人画家はまず中国の古典に精通し、しかもそれを日本に置き換えて物事を見たり考えたりする態度も必要だ。そうなって来ると、応挙のように絵ばかり描いていたではどうにもならない部分がある。したがって応挙は蕪村にかなわない学というものを謙虚に認めていたであろう。いつの時代でも人はさまざまで、愛好家のレベルも同じように存在するで、応挙を一番の絵師と思う人もあれば蕪村をそう思う人もある。それは個人の自由であって筆者がとやかく言うことは何もないが、筆者はここ数年は文人画に関心がある。それは長年よさがあまり素直に実感出来ないのに、なぜか気になる存在であるからだ。そのような文人画家は多くいる。一方、応挙の作品も代表作をすべて見たわけではないので、まだその巨匠であるゆえんが実感出来ているとは言えないが、それでも今回の展示にあったような大きな襖絵や屏風を見ても、とても上手とは納得はするがそれ以上ではない。まだ呉春の方がうんとわかりやすく、またしっとりとした情感もあって、京都でいかに呉春が愛されたかは明確に理解出来るし、筆者も好むところだ。呉春は応挙に負けないほど絵は上手だが、そうした意味では蕪村は弟子の呉春より上手ではない。だが、一見不器用に見える蕪村には、呉春が全く太刀打ち出来ない名作がいろいろとある。そこに人格の大きさというものを見てしまう。
今回の展示でも大雅と蕪村の部屋は筆者には最も理解出来ない空気が漂っているにもかかわらず、侵し難い雰囲気に満ちた様子に長く留まって鑑賞していたい気にさせた。芦雪はどうか。筆者は芦雪の絵を、70年代前半に至文堂から出ている『日本の美術』の1冊「応挙・呉春」を買って知った。その本に筆者の18世紀京都画壇への関心の芽生えがあるが、当時は応挙や呉春よりもまず芦雪の達者な筆さばきにすっかり感心した。それは竹と雀を描いた絵であったが、その後芦雪の絵の実物をたまに見ることがあっても、最初の感動以上にはないのが不思議だ。今回もそうであった。重文の「蓬莱山図」が出ていたが、確かに芦雪の代表作のひとつで芦雪にしか描けない個性的な絵なのに、見ていて酔えるところまでは行かない。巻物の「花鳥蟲獣図巻」は、最初に別の絵師が竹を描き、後で芦雪がその竹に見合うように、その合間に花や鳥、虫などを描いた。まるで曲芸だが、それほど達者な技術を持っていて、実際その手馴れた筆の跡は呉春をさらに粘着質にして華麗にした趣があるが、それでも筆者の心の奥にはさほど響いて来ない。その意味で言えば蕭白も同じかもしれない。だが、蕭白にはたまに人間的な弱さのようなものが見える気がして、まだ面白い。蕭白は樹木の枝振りを描く際、その先端部に必ずある一定の形の特徴を出す。それは実際の写生ではなく、頭の中、いや手が勝手に覚えてしまった癖だ。その特徴を確認するたびに、「ああ、いつもの蕭白だな」と思うが、去年ネット・オークションで、この枝振りの下を行く2頭の牛の後ろ姿を描く水墨掛軸が出品された。1頭は土坡の向こうに消え去りかかっていて上半身だけを見せていて、もう1頭は手前に全身をさらしている。枝振りが紛れもなく蕭白のものであることと牛の後ろ姿の何とも言えない滑稽さと悲しみが少し入り混じった様子に、まず真作間違いなしを思って入札したが、15万円以上になったのでやめた。それはさておき、蕭白のおどろおどろしい人物画とは違って、動物を描いた比較的小品には、そういった人間味が時としてよく滲み出ている。ところが芦雪にはまだそうしたものは筆者には見えないでいる。芦雪は蕭白のエキセントリックさと呉春の情緒性、それに若冲の華麗な著色画の雰囲気を併せ持っている気がするが、全く18世紀の京都画壇には驚くべき絵師たちがいたことをもっと多くの人が知るべきだ。