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●『日本の書』
●『日本の書』_b0419387_22380658.jpg情は時代や国を経ると伝わり方が違うかどうか。昭和を懐かしがるとして、筆者のように昭和半ば生まれの者と平成時代生まれとでは差があるのかどうか。そこにはモノに付与されている個性が時代を超えて普遍的かどうかという疑問がある。あるモノの個性は時代や国によって注目される点が違うことは当然あり得るし、本質も読み違えられることはあるだろう。そうなると国宝がいずれは価値なしと思われることも否定出来なくなる。世紀を超えて古典とみなされている作品が時代によってそうではなくなることはあまり信じたくないが、日本の漫画やアニメが世界中で歓迎され、またそれに伴なって漫画やアニメがさまざまな古典と結びついた最先端の伝統とみなされる機運が顕著になっていることのほうに気は向く。筆者は人気漫画やアニメをほとんど知らないので、そうしたことを語る資格はないが、若い世代に圧倒的な人気のある漫画やアニメは日本文化を国際的に売り出すにはまたとない存在で、それを無視する、あるいは否定的な態度を採れば、時代遅れの人間と烙印を押されるだろう。日本が誇る前衛文化の最たるものが漫画やアニメと信じる人物に、アレシンスキーの絵画は意味不明でそれゆえに面白いと言っても話は嚙み合わない。それはさておき、一昨日と昨日投稿したアレシンスキー展の感想の続きを今日は書く。同展が開催された国立国際美術館でアレシンスキーが1955年に来日して撮ったモノクロ映画『日本の書』が上映されていて、筆者はそれを一度だけ見た。この映画は茨木市の国立国際美術館で85年開催の『絵画の嵐・1950年代』展でも上映されたが、筆者は同展を見ながらそのことに気づかなかった。それで遅まきながら今年の3月に初めて見たが、筆者が4歳頃の東京や鎌倉、京都が映り、同時代の邦画を見る以上に生々しく感じ、その餘情が今も去らない。記憶がおぼろになっている部分が多いが、幸い本展の図録に同映画の代表的な場面が写真図版で紹介されている。今日掲げる5枚の写真のうち、2、3枚目は映画から採られたものではなく、アレシンスキーら一行は映画の撮影とともに写真も撮っていたことがわかる。また『自在の輪』の感想に書いたように、同書には同様の映画撮影時の写真が1点載せられていて、映画とは別にこれら来日時の写真の全貌の披露が日本であったのかどうか気になる。アレシンスキー展では他に近年のアレシンスキーの制作の様子を記録したカラー映画も上映されたが、それらはごくわずかしか見なかった。またそのわずかな場面でアレシンスキーは紙の上に絵具が染み込まないように紙を仮貼りした状態で描き、その後その仮貼り紙を取り除く様子が映し出され、筆者が携わる染色では第一義であるその防染技法が使われていることに、アレシンスキーの日本の表現技法に対する関心の強さを思った。
 その絵具の防染技法を駆使したアレシンスキーの作品は図録掲載図版になく、90歳手前の高齢になっても新技法を追求していることがわかるが、それもさておき、昨日書き忘れたことを思い出したので寄り道をしておく。昨日載せた図版の「パラッツォ・グラッシ」は何をどう描いているかがわかる絵で、その意味ではほっとさせられる。それに、写実的かと言えば、画面最下段の波は誇張した記号性が顕著で、北斎の「神奈川沖浪裏」の波頭に学んだ工夫も見える。描く対象を簡略化、誇張化することは漫画やアニメの最大の手法だ。その意味では漫画やアニメは明らかに江戸時代の浮世絵につながっている。アレシンスキーの作品の中では「パラッツォ・グラッシ」は例外的にわかりやすいが、なぜそうした写生に近い画風をもっと追求しなかったのかという疑問が去らない。それとは別に、その絵の三連アーチの出入口と波の記号的表現の混在は、写実性と独自の記号化の同居であって、いかにも漫画的ではあるが、何を描いたのかよくわからない物もあって、それらも同様に単純化ないし記号化されているので、この絵に描かれるものはすべて同一平面上の独自の記号化と言っていいのだろう。そう考えると大作「ボキャブラリー」に近い作かもしれない。同作の計32面の小画面は写実的で記号的な絵が多い。それらは「パラッツォ・グラッシ」のように特定の場所を示さず、また部分図でもあるから、それこそばらばらに存在する語彙と言ってよいが、4面が縦に連なる計8作はどれも4コマ漫画のように何らかの特定の関連を持っているはずであるのに、漫画のように言葉がないため、アレシンスキー以外は誰もその意味することが正しくはわからない。もちろんアレシンスキーは言葉での説明、つまり特定の意味を伝えることで絵がわかりやすくなることを拒否していて、鑑賞者は何度も同作に対峙して考えるしかない。しかしたいていの人はその暇がないままに、何となくわかったような気になるか、無視して諦めるかして、いずれ忘れ去る。ところが筆者のように食い下がる者もいて、しきりに考えるが、絵は写真とは違う何かを表現し得る媒体であることをまずは理解してその先を進もうとする。そして疑問も湧いて来る。漫画やアニメは実際の人物が演じる実写版がしばしば制作されるが、そのことを考えてもアレシンスキーの絵は漫画やアニメと比較することは出来ない。「パラッツォ・グラッシ」は実際の眺めが目に浮かびそうだが、それはドローンを使って上空から眺めた映像に近く、アレシンスキーが現場で実際にはそういう視点を確保出来なかったことを考えれば、やはりこの絵も実写版からは遠い。漫画やアニメはある一定の何かを鑑賞者に伝えるために描かれていて、意味不明のものはないが、それが混じれば鑑賞者は違和感を覚え、作者が導きたい方向から思いが逸脱してしまうからだ。
 筆者が漫画やアニメを面白くないと思うのはそのことだ。意図された筋立てから結末に向かうことは俳優が演ずる映画でも同じだが、人物も含めて漫画は記号の集積であり、その記号性は作者ごとにわずかに異なるだけで基本はどれもごくわずかなものを繰り返し使っているに過ぎない。アレシンスキーの「ボキャブラリー」の画面はもっと単純な記号の集まりだが、ある一定の意味の汲み取りがなされないように各画面は連ねられている。その鑑賞を遮断するような方策のどこが面白いのか。筆者は同作に戸惑うだけで、名作と思えるほどに思考していない。ただし、絵を構成する最小単位の要素である意味でのヴォキャブラリーの考えには賛同する。昨日書いたように筆者は左右対称の切り絵を作る際に、描く対象の記号化を目論むからだ。そしてそこではルソーの「眠るジプシー女」に描かれる満月への思いが去らない。満月は誰が描いてもまん丸で、そのほかにそのような単純な記号的な世界共通の物があるだろうか。満月を正円で描くことと、「パラッツォ・グラッシ」における波の表現は同一線上にはない。満月では作者の個性を発揮する表現の余地は乏しいが、波の意匠化ははるかに豊富だ。もっともそれとて人によりけりで、満月の内部をウサギの餅つきに見立ててそれを優先して描くことで満月を示そうとする画家はいるかもしれず、波に無関心な画家であれば、波の動きに何の関心も催さないだろう。ともかく対象を描く際のこの記号化の程度の落差をアレシンスキーがどう考えているのか。現実は記号化しやすい満月のようなものから全くそうではない物との混在だが、子どもにとっては満月も人も同じで、ごく単純で数少ない線で描けるものとして認識している。どれも同じように見えるそうした子どもの絵から脱して、画家が個性を主張するには、たとえば人物をどう描くかということに宿る無限の記号性の可能性から何かを選び採る必要がある。漫画家やアニメ作家はそのことにおいて独自性を発揮している。アレシンスキーは「ボキャブラリー」において、そうした記号性を人をほとんど除いて網羅したかのようだが、樹木や階段や城壁はほとんど写実であるのに、何を記号化したのかよくわからないものが混じる。そこにアレシンスキーの曖昧さ、中途半端な記号化があると言えそうだ。これは樹木や階段、城壁が満月と同じようにそもそも記号的なものであることから説明がつくとも言える。つまるところ、満月をただの正円で描くことに比例してたとえば城壁をジグザグの線で単純化すれば、もっと記号的に均質な絵に近づくが、そうなればそのジグザグ線が城壁か、他の何かであるかが判別不能となる。アレシンスキーはそこまでの記号化の徹底を望んでいない。そのことは正円を描けば必ず満月を示すかと言えば、仙厓が言うように丸餅にも見え、極端に記号化するほどに曖昧さが高まることからわかる。
 つまりアレシンスキーは文章のように意味のある何かを絵で表現したいのだろう。ただし、繰り返しになるが、何を表現しているか不明な作品が多い。たとえば「ボキャブラリー」では右から2列目の作に登場する逆三角形の仮面らしきものだ。これはブルトンの書斎にあったアフリカの仮面を単純化したものかもしれないが、煉瓦造りの城壁や川に架かる石の橋の階段とは違って、現実にはあり得ないか、あってもほとんどの人には馴染みのないものだ。本来記号は子どもにも意味がわかる。そうでなければ記号としての役割を果たさない。ところがアレシンスキーの記号的な絵画要素は意味不明のものが混じる。オレンジの皮から人の顔やその他のものを連想し、そして描くからには、写実を単純化して記号性を導くことだけがアレシンスキーの画法ではなく、煙に巻くと言えば言い過ぎかもしれないが、何を描いたのか判別困難な画面を提示することに喜びを見出す意地悪さのようなものがある。その点は仙厓とは大違いだ。仙厓は単純に、つまり漫画的に描くが、何を描いたのかわからない絵はない。それでいて意味は狭められず、絵は賛と相まってさまざまなことを思わせ、また多様なイメージをもたらす。仙厓を師と仰ぐアレシンスキーと仙厓の作を比較して困惑するのはそこだ。仙厓の絵がきわめてわかりやすいとして、そのことが意味不明のアレシンスキーの絵が面白いということとは矛盾しない。どちらも面白いが、その面白さの質が異なる。共通しているのは快活さだが、前述のようにアレシンスキーのそれはあえて理解を拒むような態度が強い。理解を拒むとは合理性の拒否と言い換えてよい。それはフランス的ではないことでもあるが、ボッシュやアンソールのようにフランドル、ネーデルランドの伝統に連なる意識があるからか。さて、アレシンスキー展の図録の巻頭論文にアレシンスキーについて、「中学校から放校処分になったお墨付きの劣等生にとって、学校とその教条主義に対して経験が優先された」と書かれる。この引用の前半は図録巻末の年譜になく、アレシンスキーの意外な面を伝えてその絵画の本質を垣間見せている。中学校を退学させられたほどに教師の手に負えなかったことは、左利きを右利きに矯正させられたことへの反発が一因であったかもしれない。だが10代半ばで国立高等建築・装飾芸術学校に入り、20歳から本格的に描き始め、24歳で森田子龍と文通し、28で来日して映画『日本の書』を自費で撮影するという行動力は、「教条主義に対して経験優先」の言葉どおりで、自己に必要なものを海外にまで探し求める直観的行動力は見上げたものだ。その海外に出る気質はベルギーがオランダに隣接することから理解され得る。それにしてもアレシンスキーが森田子龍の墨象に着目し、文通までしたことは、長い伝統上にありながら教条主義を否定する墨象の作家に自分と共通する気質を見たからだ。
●『日本の書』_b0419387_22382309.jpg 『日本の書』は17分で、伝統的な書を前半で紹介し、後半で子龍などの前衛書が登場し、いずれも書き手の姿がよくわかるが、女性の筆の運びはいかにも滑らかな動きで、男性は無骨かつ暴力的に紙に挑む振る舞いが面白い。この映画の最も印象深い点はそのことで、男女の書道家で明確な差がある。そういうことを現在ことさら唱えると性差別と言われるが、女と男とでは体が違い、となれば動きに差があって当然だ。ともかくアレシンスキーは書がどのようにして体を動かして書かれるのかに関心があり、そのことを目の当たりにするために来日してこの映画を撮った。したがってこの映画に登場する書家はみな舞踊家と言ってよい個性的な動きを見せ、書が手先ではなく、体全体で表現する芸術であることがわかる。今日の最初の写真のタイトル画面は宗達の絵と光悦の書の共作とされる古今和歌集だろう。これを最初に掲げるアイデアがアレシンスキーにあったとは思えず、おそらく森田子龍の助言によるだろう。映画はアレシンスキーが監督し、撮影は40年から日本に避難していたハンガリーのカメラマンのフランシス・ハール、編集はジャン・クランジュ、音楽はアンドレ・スーリが書き、チェンバロやバスフルート、チェロ、打楽器を計5人が担当する。また映像にはないが、序文はドートルモンが書き、その翻訳が図録に載る。ナレーションはロジェ・ブラン、音響がポール・ルポンス、編集は57年に行なわれた。『日本の書』と題するからには過去のどの作品を、また現存書家の誰を取り上げるかは難問であったと思うが、前衛画家のアレシンスキーであるからには、子龍などの前衛書道に着目し、その紹介に焦点を合わせるのは当然だ。それゆえ伝統的、教条的な書家はこの映画を評価しないだろう。光悦と宗達の共作を最初に見せるのは、古典的名作として評価が定まっていることに加えて、中国にはないその優美な仮名混じりの文字と背景の絵との調和が見事であることに西洋人でも気づくためと思える。確か映画の最初はぼっちゃん刈りの4,5歳の男児が公園の片隅にしゃがみながら土の地面に円形の落書きをする場面だ。その背後に路面電車が走り、柳の木もあったように思うが、京都ではなく東京だろう。冒頭に落書きの様子を持って来たのはアレシンスキーの指示に違いない。その幼児にアレシンスキーは幼ない頃の自分を重ねたのだろう。円形の落書きは『自在の輪』に連なり、もちろん仙厓の円相図とも関係する。ところで、落書きは子どもの遊びの代表的なひとつで、大人になれば街角の建物に自分を示す記号文字のタギングをスプレーで書くことが80年代から急増した。その子どもじみた迷惑行為は子どもの落書きと違って、世間に自己の存在を示そうという自己顕示欲の記号で、ほとんど同じことはその後登場したSNS上の罵詈雑言にも表われている。
 脱線ついでに書く。そうした悪意ある遊びはロジェ・カイヨワは破壊行為とみなして評価せず、いじめを戯れの遊びと言い換える悪意を『遊びと人間』では取り上げなかった。つまり「いじめ遊び」が伝統的な遊びの中に含まれることを無視した。いじめは遊びではないとみなしたからだが、ひとりで落書きする子どもに対して横やりを入れてその落書きをさらにめちゃくちゃにするいじわるな子どもはいつの時代にもいて、遊びが喧嘩に発展することはよくある。カイヨワはもちろんそのことに着目して遊びを4つのカテゴリーに分類して大人社会の戦争が起こることまで論じた。話を戻して、カイヨワは落書き遊びを4つのカテゴリーには含めなかった。何事にも例外があり、遊びにも分類不可能なものがあることを認め、それら例外的な遊びを4つのカテゴリーの欄外に置いた。列挙すると、「騒ぎ」「はしゃぎ」「ばか笑い」「凧あげ」「穴掘りゲーム」「トランプの一人占い」「クロスワード」で、「落書き」は含まれないが、「凧あげ」は「独楽」も含み、そこに「落書き」を入れても差し支えない。カイヨワは遊びの4分類の一方で、パイディアという「遊びの本能の自発的な現われ」ないし「即興と歓喜の原初的な力」を意味する言葉を用い、それを「いっそうの努力、忍耐、技、器用」を意味する「ルドゥス」と対峙させた。パイディアとして「跳ね踊りからでたらめの絵まで、取っ組み合いからどんちゃん騒ぎまで、…」と書き、落書きをパイディアに含んでいる。先の横やりのはしゃぎ行為もそれに属するが、いじめという悪意が4つのカテゴリーとどう関係し、また欄外に置くべきとして、さらにはパイディアのひとつとみなせば、何か重要なことが漏れてしまう懸念を感じる。つまり、いじめを中心に『遊びと人間』を読み替えると新たな何かが明確になる気がするのだが、話を戻すと、子どもの落書き遊びを『日本の書』の最初に取り上げたことは、幼ないアレシンスキーが落書きを楽しみ、やがてルドゥスを積み重ねることによって一流の画家になって行く覚悟がもうその頃には整っていたことを示す。『遊びと人間』では遊びを職業と分ける一方、ルドゥスの特異な形態として産業文明が生んだ「ホビー」を取り上げる。それを収入の道を別に持ちながら、「楽しみを目的として企てられ持続される、無償の二次的活動―コレクション、芸ごと、修理や発明工夫の楽しみ」と定義する。趣味が高じてそれを本職にする人はあるし、本職を持ちつつ趣味でも収入を得る人もいて、プロとアマの境界の曖昧性はカイヨワの時代にもあったはずだが、前者のみが全人生を賭けて全力である仕事に没入するとは言い切れないにしても、カイヨワの著作を読むと、アマでは不可能な知能の広がりに圧倒されることは確実だ。その点は仕事の多彩性と多作性を見せるアレシンスキーでも同じで、ホビーとは一線を画している。
 そのことを承知でなおかつアレシンスキーの作画行為が遊びの色合いを濃厚に漂わせているのは、その漫画的な描法による。西洋絵画の教条主義から脱するのであれば、外国に見られる表現に目が行く。そしてアレシンスキーは日本の書に出会い、たとえば森田子龍の作品がどのような土壌から出て来たものかを目撃しようとした。だが、前衛書道が教条主義から離れるほどに、それは根なし草に見られる。その意味ではアレシンスキーの作品も同様だ。そして根なし草的な表現はホビーとみなされがちだが、余暇の作業としてよいホビーと違って、『日本の書』で取り上げられる前衛書道家は書によって生計を立てるプロであり、教条に囚われないところに根差している。それは教条主義の立場からは伝統無視に見え、知識が足りないと思われるが、教条主義に染まりながら案外伝統を知らない人は多い。『日本の書』では次に小学校の児童たちが教室の机で半紙に漢字を書く学習風景が映し出される。男の先生はいかにも当時の厳格な雰囲気を漂わせるが、黒板に貼った紙にその先生が書く、確か「静」の文字は筆さばきが見事で、現在ではもうそのように書ける先生はほとんどいないだろう。子どもたちもなかなか達者で、手本どおりにゆっくりすらすら書いて行く。アレシンスキーがその習字の授業の場面を挿入したのは、書の教条主義の見本を提示したかったからというよりも、日本社会に子どもの頃から教えられる書の精神性と白い紙に墨で書かれる書の美しさであろう。教条主義であっても、そこには美が優先する。書の伝統を子どもたちが自ら実践する義務教育は西洋にはないもので、アレシンスキーはそれを羨ましくも思ったであろう。現在でもどの義務教育の学校でも書は教えられていると思うが、担任の先生が習字の授業もこなすという筆者の世代とは違って、たぶん習字専門の先生がいるのではないか。またその傾向は毛筆で書く機会が激減する一方の今後は加速化するように思う。映画での順序は定かではないが、禅僧が「大道」と大書する様子の場面があった。今日の3枚目の写真がそれだ。禅僧の書は勢いが激しいものが目立つが、映画での禅僧の書はいささか線が細く、またそのことが日本における禅の衰退を暗示しているようにも感じられた。そのかつての禅僧の書の勢いを復活させたのが、この映画で取り上げられた江口草玄と森田子龍だ。今日の2枚目の写真は左端がアレシンスキー、中央が草玄、右端が子龍で、子龍は文通する間、アレシンスキーをもっと高齢であると思っていたそうだ。今日の5枚目の写真は上が子龍、下が草玄で、どちらも何本も束ねた筆で極太の書に挑んでいる。この紙に屈み込んでの書き方は鬼気迫るものがあり、この映画の最大の見どころだ。文字はもはや読めず、そこに絵画と接する、あるいはそれを凌駕しようとする書の持ち味がある。
●『日本の書』_b0419387_22383872.jpg 子龍や草玄が書く場面の前に、草玄が店で筆を買い求める様子が紹介された。カメラが商店街の中央にあって奥を見通し、両側に並ぶ店舗の同じ大きさの白地に黒で店名を書いた看板の羅列が印象的で、その商店街はおそらく京都の寺町三条上がるであろう。それらの看板は統一があって整然とはしているものの、遠近法のなせるわざか、かなりうるさい感じがした。現在の寺町通りでも看板の形と色は統一されているが、もっと目立たなくなっている。あるいはそれはどの店も賑やかになり、また日本家屋が稀になったためであるとも言える。アレシンスキーはまだ寺町通りの店舗が江戸時代の名残りを漂わせる頃に撮影した。それが今となっては貴重だが、現在の寺町三条上がる界隈はまだ少しは京都らしい雰囲気はある。草玄が筆を購入した店がどこかはわからないが、おそらく現在も営業しているはずで、それは寺町通り沿いにあるとは限らず、そこから脇道に入った老舗であろう。店の暖簾や狭い店内など、アレシンスキーにとっては禅寺のたたずまいと同様、興味深いものであったに違いない。その日本らしさは草玄や子龍が書に挑む部屋からも伝わる。四畳半か六畳の襖部屋で、当時どこにでもあった日本家屋だ。今日の4枚目の女性ふたりの部屋も同じで、しかも彼女らはキモノを着ている。それが撮影のためのサービスかと言えば、おそらくふたりとも日常的にキモノ姿で作品を書いていたと思える。写真上は篠田桃紅、下は森田竹華で、ふたりの書く姿は一度見れば生涯忘れ得ないほどに印象的なものだ。草玄や子龍とは別の意味でアレシンスキーは彼女らの書が成されて行く様子を目の当たりにしながら、書の神髄を感得したに違いない。一言すれば雅の美だ。特に篠田の濃厚な色気と呼んでいい書法は風で柳が揺れるようで、あざとさをはるかに超えて自然そのものに見える。彼女のキモノがまたいかにも彼女らしくて個性的で、いわゆる恰好よさの頂上にある。竹華は縦長の紙の左側に座り、少しずつ後退しながら流れるような仮名を書く。それは篠田とは違って意味のある言葉を書くからでもあるが、最初に映った光悦の書からつながり、しかも現代性を表わしたもので、篠田の作とは対極にある。禅僧を除いたこれら男女二名ずつの人選は子龍に教示されたものだろう。当時彼らが日本の書を代表すると言えば反論は大きかったのではないか。子龍の墨象は子龍が死んだ後は急速に忘れ去られた感がある。あるいは若手に模倣され、それは現在まで続いてTVなどでも紹介されるが、筆者が感心するものは皆無だ。その理由は墨象が教条とされるからでもあり、また読めない墨象の作品と違って、読みやすいながらも形の美を勘違いして醜悪さを露呈しているからだ。表現は必ず人格を示す。模倣でいっぱしの作家を気取る者はそれに応じた作しか生み得ず、またそういう作品は生前は持てはやされてもすぐに忘れ去られる。
●『日本の書』_b0419387_22385302.jpg 教室での児童の習字風景は、図画工作の授業での課題をこなす児童の姿と同列に扱えるだろうか。習字はひたすら手本どおりに書くことを学ぶことで、明治期では図画の授業も手本どおりに描くことが目立った。それでは創作の力がつかないという批判があって、戦後は特に図画の授業は自由に描かせる風潮が高まったようだが、カイヨワの考えによればそれはパイディアに留まりやすい。表現力を高めるためにはルドゥスが必要で、それが図画工作の授業では課題となる。ところが習字では好きな語句を好きなように書かせることはない。その強制された課題をひたすらこなすことがアレシンスキーの目に奇異に映ったであろうか。習字は墨を擦る精神統一の時間をまず要し、次に失敗しないという緊張を抱えて半紙に向かう。失敗とは手本から遠い筆使いをすることだ。児童は手本の文字の美しさに感心しながら、それを懸命に真似ることで文字の美しさがどういうものであるかを学んで行く。そのことには普遍性があって、習字を学ぶ者はいつでも手本どおりに書くことから始める。我流では見出すことが困難な具合の悪い癖は、教師の指摘を受けることで簡単に気づく。絵よりも書のほうがはるかにそう言える。そのため、形の美しさを学ぶには臨書は最適と言ってよい。そうした臨書は素人には模倣に過ぎないように見えるが、書き手の技量によって明確な個性が宿る。そこに習字の不思議さと面白さがある。そうした伝統的な書においてもたとえば副島種臣のように個性が破格に表われる場合があって、その延長上に子龍の墨象が生まれて来た。ただし、アレシンスキーには副島の書の味はわからないか、子龍の墨象の作品より味気ないものに見えるだろう。ところで子龍の墨象が副島の書とは別の方向に過激化したものであるとして、ではその先にどのような書の展開があるのかと、書の素人でも疑問に思う。そこで待っているのが児童の習字のようにともかくまずは手本どおりに臨書することが肝心という思いではないか。その経験なくして書の楽しみはわからないはずだ。そこにアレシンスキーの絵画を持ち出せば、名画の模写を経てはいないが、先人画家の作品を検証し、参考にする態度を若い頃から持ち併せていて、伝統とつながることを忘れていない。とはいえ、アレシンスキーの線は日本の書のようにどの線にも緊張感がみなぎり、美しさを意識したものとは言い難いように見える。線そのものの美よりも、線で構成された絵画全体が意味を持つものであればよいという立場で、美を意識せずに書く禅僧の書に近いかもしれない。美に囚われている限りは美は得られないと言えるからだが、そういう境地に至るにはそれこそ最初は手本どおりに書く練習を重ねる必要があるとするのが日本の伝統的な考えで、アレシンスキーがそういうことを滞日中に子龍らとどこまで話し合ったのかと思う。
●『日本の書』_b0419387_22390752.jpg アレシンスキー展の図録を入手して最初に読んだのは巻末のアレシンスキーによる62年の「贈り物」と題する文章だ。『日本の書』を撮影して船で帰国したアレシンスキーが玄関前に一晩置いた結果、篠田桃紅から贈られた巻いた紙は翌朝ゴミ回収車に持って行かれた。桃紅はその和紙に何か描けばどうかと勧めたというから、映画の撮影を通じて親しくなったことがわかる。旅の疲れから迂闊であったアレシンスキーは、桃紅に対して懺悔の気持ちもあって「贈り物」を書いたが、当時そのことが桃紅に伝わったのだろうか。存命中の両者がその後に会ったのかどうかもわからない。子龍からは貴重な筆を贈られ、それを使ってアレシンスキーは手荒に扱って描きつつ、現在もそれを大事にしている写真が図録に載る。筆の高価さを知ったからでもあるが、子龍がとびきりの優品の筆をお土産として与えながら、やがてアレシンスキーはその価値を知り、また子龍との出会いを噛みしめて、55年の出会いを昨日のごとく思い出すことは感動的だ。そういう出会いは当人たちが有名にならない限り、他者には伝わらない。それにしても妻を伴なって自費で日本へ向かい、映画を撮ったアレシンスキーの行動力と計画性には舌を巻く。経済的な問題を考えればなおさらだ。20代半ばでそのような視野の広がりを持ち、興味を追求する行為があってのアレシンスキーの作品だ。その本質を書との関係から探る機会を『日本の書』は提供しているが、地面に置いた紙に描くこと、毛筆を使うこと、即興で描くこと以外に顕著なことは、「表徴の帝国」とされる日本において顕著な画題の記号化だ。アレシンスキーは漢字の象形文字に憧れながら、独自のそれを写生を通じて単純化あるいは逆に複雑に装飾化し、漢字を使う国の人にだけではない、いわば万人共通の記号的絵画を目指すが、桃紅や子龍の作と同様、鑑賞者は自由に感じ取ればよいし、またそうするしかない作品だ。それは最初に芽生えたパイディアにルドゥスを積み重ねることで新たな創造を紡いで来たものだ。そこにはカイヨワが唱える遊びの4つのカテゴリーであるアゴン(競争)、アレア(運)、ミミクリ(模擬)、イリンクス(眩暈)がみな含まれていると言ってよい。昨日までアレシンスキーについて長々と書いて来たことにそれら4つのカテゴリーを照らせば、書き足りないことがありながら、どの画家、あるいは音楽家でも、遊びを根源に抱き、ルドゥスを高く厳格に掲げて制作に勤しむことを思う。一方ではアール・ブリュットの芸術や幼児の絵画にそれなりの魅力があるのは事実で、そのことを盾にどの作品もパイディアとみなして無視を決め込む人がいつの時代にもいる。また本人はルドゥスをきわめていると思いながら、無駄な努力としか言いようのない駄作を作り続ける人もいるが、ホビーと目されても本人が楽しければよい。それがなければ生きている意味がない。
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by uuuzen | 2017-11-20 23:59 | ●その他の映画など
●『ピエール・アレシンスキー展』続き >> << ●『書の歩み―中国書道史―』

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