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●『自在の輪』続き
●『自在の輪』続き_b0419387_13171543.jpg餅を食べるか柏手を打って神社に参拝すればアレシンスキーはなおのこと日本を理解したと思うが、本書で述べられる仙厓の弟子を自任するほどの敬愛ぶりが日本の読者にどう捉えられるか、アレシンスキーはそのことをどう期待したか、そのことに触れるのがこの投稿の役割と言ってよい。昨日の2枚目の写真に戻ると、これは原書を撮ったものだ。右はブルトンの70年の書斎、左ページは表紙の扉裏で車輪、そして次のページではその車輪を持つ人力車、さらに次のページではその人力車を含む日本の19世紀の手紙かはがきに描かれた絵の全図が紹介される。アレシンスキーはこうした古い紙類を業者から購入し、そこに絵を加えることで自作を作った時期があって、本書ではそうした作品が紹介される。この人力車を含む絵は素人によるもので、そこにアレシンスキーは補筆せず、そのまま鑑賞用として所有したのだろう。ついでに触れておくと、2ページ目の人力車の図の下に「Pour Micky」(ミッキーに捧ぐ)とあって、この献辞は新潮社版にはない。さて、本書冒頭の人力車の車輪の絵の引用は、アレシンスキーが日本映画の『無法松の一生』を見たのではないかとの想像を誘う。三船敏郎主演のリメイク版は58年に封切られ、ヴェネツィア国際映画賞で受賞した。それはアレシンスキーの来日から3年後のことで、アレシンスキーはフランスでその映画の評判を知って見たことはあり得る。あるいは坂東妻三郎主演の43年のオリジナル版を来日以前に見た可能性もあり、同映画に感動したこともあって日本に関心を抱いて来日したとも考えられる。そして先の「ミッキーに捧ぐ」の献辞は、同映画をアレシンスキーに教えた人物の愛称かもしれない。深読みのし過ぎかもしれないが、本書の図版の選択は大いにこだわりがあったはずだ。ましてや本書導入部の図版となればなおさらで、それに本書執筆の原点に『無法松の一生』があったと考えることは楽しい。またその映画では回転する人力車の車輪が何度も映し出される。字が読めない無学な無法松の一生は回転する車輪のごとくの労働であり、また走馬灯を思い出せば、誰にとっての人生も回る車輪にたとえてよく、それが止まるときは死だ。『無法松の一生』でも主人公の死は車輪の停止で暗示される。本書執筆時のアレシンスキーは活力がみなぎり、人力車の車夫のように、あるいは馬車馬か機関車のように猛烈に仕事をした。その創作行為は命を削ることであって、「補遺と異文」には『画家というものが例外なく、自作の死刑執行人を兼ねているのを思い出す(donnent à penser que tout peintre cache un exècuteur d‘oeuvres)』と書かれる。これは飛び散った絵具にまみれた部屋の壁が死刑場を連想させるからで、絵の完成を死刑の完了にたとえる思いがある。
 「exècuteur」は「監督」の意味だが、ここでは「死刑執行人」がふさわしい。自作に対する死刑執行とは、完成した絵は「終わった」のであって、画家は次の執行に取りかかるからだが、死刑の方法すなわち作画行為は熟練するほどにある程度パターン化に向かうし、各作品は関連しつつ変化して行く。そのように捉えるとアレシンスキーの絵への解釈が進みやすい。ところがその解釈は一画面にひとつの絵を描く場合はいいとして、アレシンスキーはしばしば複数画面を組み合わせて大画面とし、それら複数画面をどの順序で見て行けばいいかを示さない。そのことに関して書く前に、昨日の2枚目の写真右について戻る。これはひとつの車輪がページをめくるごとに人力車のそれであることがわかる仕組みなっていて、わずか3ページの3図だが、パラパラ漫画の機能を持っている。そのデザインは日本版では献辞が省かれたことに加えて無視された。それは原書にない目次が見開きページで設けられたからでもあるが、この目次はあまり役立たない。本文は170ページほどで活字は比較的大きく、また図版が大量にあるので、目次で調べるよりもページを繰るほうが早い。日本語版のこの目次は複雑に絡み合う本文と写真を少しでも筋道立てて読めるようにとの配慮からだが、アレシンスキーが用意しなかったからにはよけいなものと言ってよい。原書と日本版の最大の違いは前者が左閉じで本文は横組みであるのに対し、後者は右閉じで本文縦組みであることだ。横向きの文章を縦にしても不具合は基本的には生じないが、ページの繰りが左右反対であれば、挿入される図版の配置は変わり得る。見開きページ両面やあるいは1ページ全面を1点の図版が占める場合の配置は変えようがないが、それでもたとえば昨日書いたエリザ・ブルトンによる甲烏賊に彫った作品の図版のように、原書ではページを繰った次のページに図版が配置されることで読者は意表が突かれるのに対し、日本語版では見開きの左ページにその図版があって、エリザの文章を読む前にその図版に目が行き、意外性の感動はない。これは図版の配置が翻訳文の量に左右されることから致し方がないことでもあるが、それでも工夫すれば原書により近づけることは出来た。原書の図版配置のせっかくのドラマ的起伏が日本語版では変質していることの例として、今日の最初の図版を説明する。この上下4段の図版は上の2段がどちらも左が原書で、右が日本語版だ。下の2段については後述する。まず最上段の図版は、「硝子細工通り」の言葉を含むアポリネールの詩に言及するエリザの話に関連させてアレシンスキーが掲げた古い絵はがきの写真だ。エリザはおそらくこの実物を見ておらず、本に書くに当たってアレシンスキーが「奇蹟の庭」、そしてアポリネールの詩に登場するフルート吹きの男について行った女たちをイメージさせるために用いたものだ。
●『自在の輪』続き_b0419387_13173259.jpg フルート吹きの男に女が群がったという詩は、自らフルートを吹くアレシンスキーを喜ばせたと思うが、本書には女性への関心はほとんど見られない。その点はアンドレ・ブルトンとは大違いだ。アレシンスキーが同性愛者ではないかとの思いは本書後半を読めばたいていの人は思い至ると思うが、実際のところはわからない。話を戻す。女3人を写す絵はがきは原書ではページ中央上部、本文幅いっぱいに掲げられる。日本語版では写真の大きさはやや縮小されてページ右下にあり、文章を読み進めながら目をそちらにちらちら向けるように機能し、文章が主で図版は従の位置にある。そのことは最初の写真の2段目からもわかる。左の原書では「硝子細工通り」を含む古い絵地図の図版が本文幅いっぱいにあって本文に割り込んでいる。この文章と図版の対等の扱いが、日本語版では図版が本文の版組から外れて上左隅に移動することでやはり文章が主となっている。そのため本文を理解しようとするあまり、図版は横目で眺めるだけでほとんど素通りする。これが本文に割り込んでいれば、いやいやながらも目に入り、そこで文章を読むことを一時中断する。次に最初の写真の3,4段目を説明する。3段目が日本語版、4段目が原書で、アレシンスキーの作品図版の配置が全く異なっている。前述のように、アレシンスキーは組作品を1枚の画面によく構成する。それがちょうど本書が出版された頃のようで、以降そうした小画面を複数含むさまざまな大画面の作品を描く。3,4段目の作品は69年制作の「天体と天災」で、表紙を含めて10点組の彩色銅版画だ。原書ではまず表紙の1点を提示し、次ページに残り9点を左上から順に右、そして下方向に並べる。この文章の読み進め方に倣った図版配置は、右から左へと本文が進む日本語版では変える必要がある。ところが3段目に赤い数字で示すように、日本語版では全10点とみなし、各図版を時計回りに見開きページに配置した。これは全図版を車輪の回転のように配置することで面白味を狙ったと好意的に捉えられるが、成功しているとは言い難い。というのは、原書との比較によって7から10までの4点は下から上へと見て行くことを知るが、4点をページの下方から上へと順に見て行くことは日本語の文章の流れに反し、戸惑いが残るからだ。アレシンスキーが日本語版の印刷前の版下を見たとすれば、こうした図版配置をどう思ったことか。おそらく縦組みの文章を読んだことがないので、文章と図版の組み合わせの微妙なことはわからないだろう。さて、アレシンスキーは10図組の「天体と天災」をやがて大画面の組作品とする。これは1点でありながらたとえば20図を含み、またそれらの図をどの順序で見ればいいかわからない。ということは先の彩色銅版画に付した番号もほとんど意味を成さず、10図をどの順序で見てもよく、数図でもよいことになる。
●『自在の輪』続き_b0419387_13174867.jpg 今日の2,3枚目の写真は本書の半ばの少し前に掲げられる「車輪類従(Rapprochements)」と題する車輪の類の図版集からで、70ほどの古今東西の車輪を象る造形の一部だ。この類集の直前にアレシンスキーはノルマンディのとある村で作った「車輪言葉」のリストを示す。タービン、発電機、太陽系、雨傘、日傘など100項目足らずで、「車輪類従」はその言葉のリストと必ずしも対応していないが、車輪に関係が深い絵と言葉の双方はアレシンスキーの絵画を読み解くヒントになっている。「車輪類従」は世界各地の造形を積極的に猟取する態度をほのめかす。実際アレシンスキーは旅を好み、各地での体験を作品の画題としている。もちろんそれは特定の場所での特定の感情を絵に固定するのが目的ではなく、使い回しが可能な表徴としてだが、同じように見えるその記号的な要素絵が別の絵で同じ意図で描かれるとは限らないだろう。これは「車輪言葉」に羅列されるように、車輪が太陽や月、あるいは太陽系全体のメタファーになり得ることからもわかる。すなわち車輪は自在で、アレシンスキーの絵は自在に表徴が組み合され、鑑賞者は自在に見てよい。またするしか術がないような絵となっている。2,3枚目の図版を説明すると、どちらも上が日本語版、下が原書で、図版の位置が入れ替わっている箇所があるのは先の説明のとおりだ。3枚目上右下の「車輪類従」を意味するフランス語と矢印が、2枚目下左下とは反対方向に変えられているのは当然として、その隣りのページの全7図は最上段の2図のみ左右が入れ変えられている。3枚目の見開きではその点は正しい配置に変えられている。そして最後の日傘を差す若い女性を撮影する若いアレシンスキーらを捉える写真は55年の来日時の映画撮影の光景だ。この日傘の女性の場面はその映画に使われなかったと思うが、日傘のクローズアップは使われたかもしれない。先の「車輪言葉」のリストには卍が含まれているが、3枚目の写真の最初はある民族が使う分銅に卍が浮き彫りされている。その隣りは奈良の寺院の軒瓦、さらに隣りの図版は円形看板の中に「ハーメルンの笛吹き男」が象られ、「硝子細工通り」が出て来るアポリネールの詩との関連を読み取ってよい。また輪回しをする少女図は昨日掲げたキリコの「街の憂愁と神秘」を想起させるが、輪の中に裸の男がいて、拷問の図だ。これはアレシンスキーより5歳若いロラン・トポールの作で、シュルレアリスム系の画家であろう。気になったので早速調べるとRoland Toporで、59歳で亡くなっている。ユダヤ系の風刺画家で、作品は超現実主義的ユーモアと形容され、どれも残酷な絵と言ってよい。車輪の刑はヨーロッパにも中国にもあって、その様子を描いた残酷な絵の図版はいくらでも見つけられるはずだが、「車輪類従」にもいくつかそうした古い絵画が紹介される。
●『自在の輪』続き_b0419387_13180417.jpg
 前述の10枚組の彩色銅版画「天体と天災」を制作するに当たってカナリア諸島の火山島に旅行したことが本書の後半に書かれる。また「火山学」と題する7点組のうち、その火山が噴火して黒々とした溶岩を流す様子を描く3色刷りによる1点の図版が、溶岩を流す夜の火山の写真とともに同じページに掲載される。旅好きのアレシンスキーがカナリア諸島に行ったのは、ブルトンがかつてそうしたからだが、思い違いでブルトンが滞在した島とは違う火山島に上陸し、そこで過酷な経験をした。だが、その経験を作画に活かし、「天災」を象徴する一代表として、火山の噴火や溶岩流出をモチーフとして使うことにした。先の3色刷りの図版における溶岩の流れる様子は、黒蛇がとぐろを巻くように文様的に描かれ、交通標識のように誰が見ても噴火と溶岩を単純化して描いたことがわかり、それだけに大いに力強い。アレシンスキーがヨーロッパでは間近に見られない溶岩流出を目の当たりにしたことは、天体や天災の本質の実感であって、本書では「旅行」と題する節で旅の経緯について語りながら69年作の「カナリア諸島」の図版を掲げる。同作は縦長の小画面を横方向に8つ、縦に4つを配置し、その全体を細長い額縁状の絵で囲む。その額縁状の絵はさらに細かく区切られ、多くの異なる絵が連なっている。額縁内の8×4のいわゆる本画に相当する部分は、一見して噴火とわかる絵が最下段に多いが、他は蛇のような動物か人の顔がわずかに混じるのみで、ほとんどは独特の記号性、つまりアレシンスキーがこの時期の他の作でも同じように描く単純化した形体は、何を具体的に描いたものかわからない。ただし、題名からしてカナリア諸島で特に目につき、写生したものであることは確かだろう。この「カナリア諸島」は漫画のコマを、文学性を無視して適当に抽出し、脈略なく配置したかに見えるが、ある程度は小画面の位置の移動は可能でも、たとえば火山を描く絵を最下段に置くのは、噴火がカナリア諸島でのおそらく最後の圧倒的な経験であったからであろう。さて今日の4枚目は見開きページいっぱいに掲げられる68年の「天体と天災」で、紙に墨一色で描かれた。同じ寸法の横長画面を縦に4つ、横に5つ並べたように見え、各図をどの順序で見ればよいか戸惑いながら、ほとんどの人は最上段の車輪を思わせる5点にまず目が向くだろう。となれば最上段の左端から右へ進み、次は2段目に移動して、横文字の文章を読むように進むかと言えば、各図は脈絡がなく、たちまち鑑賞者は物語を紡ぐことが不可能であることを知る。こうした同じサイズの小画面の組作品は、アニメーションのコマ撮りか、あるいは白黒写真のネガのべた焼きを思わせながら、やがてそれらとは共通性がないことを知る。というのは、「天体と天災」の画面左下隅は小画面の縦幅が不規則で、2面分が3面に分割されているからだ。
 この規則を崩す構成は本書になぞらえ得る。長編小説のように各章が厳密かつ綿密に組み立てられるのとは違い、アレシンスキーは破綻を一部に加えることを好むのだろう。その破綻は偶然と言い換えてよい。即興で描けば偶然は混じる。全21図の「天体と天災」は最初からそのように構成することを意図したものではないはずだ。紙に墨で描くからには、画面の大きさはある程度決まるし、描き損じもしばしば起こるだろう。それで同じ寸法の紙に描きながら、描き損じした場合は画面を少し切り取るなどして、たとえば左下隅の3枚の定形に収まらない作品が出来たのだろう。40枚か50枚か、とにかくたくさん描いた作から気に入ったものを選び、それを貼り合わせることで大画面の「天体と天災」が出来たはずだ。その作業は本書の執筆と同じと言ってよい。となればやはりコラージュということになるが、繰り返すとどのような作品もコラージュの手法は使われる。長編小説も交響曲もそうで、後者はいくつもの小さなモチーフを展開させながら長く連ねる。アレシンスキーの作画方法は音楽家のそれにたとえてよいが、音楽は必ず始まりから終わりまで作曲家が決め、鑑賞者は黙ってそれにしたがうしかない。一方、アレシンスキーの「天体と天災」はどの箇所から見るべきという決まりがない。鑑賞者は戸惑いながら視線を回してはある一作を見つめ、そして別の作に目を移す。その自在性は同じ作品を見つめながらなかなか飽きさせない。ある交響曲を何度も聴くと、どこでどの好みの主題やその変奏があるのかわかる。それはそれで楽しみだが、アレシンスキーの「カナリア諸島」や「天体と天災」の各小画面はある程度移動が可能で、見るたびに新たなことに思い当たる。つまり自在性がより多い。それでいて各図は輪のように関連があり、それを読み解く楽しみも用意されている。ストラヴィンスキーは言葉を用いない音楽は何物も表現しないと言ったが、ある音楽にどう感動すべきかは作曲家が強いることは出来ない。また強いた音楽は見え透いて飽きやすい。漫画やアニメもその感動をわかりやすく強いることが最大の目的となっている。アレシンスキーの絵は音楽と同じで何も表現しないものと言ってよい。言葉が書き込まれないからには、何を意味しているかは判然とせず、また火山の噴火が描かれているとわかったところで、それを怖いと思う必要はない。つまり、『無法松の一生』のような涙を誘う人情物語とは無縁のことを描き、作品に湿り気が全くない。前述したロラン・トポールの作品のように残酷さや痛ましさも排除されている。存在するのは火山の噴火に魅せられたアレシンスキーの絶大な活力で、手短に言えば、鑑賞者は元気がもらえる。それはダダを理解した時の感動に酷似する。湿り気が絶無とすれば干からびて味わいに乏しいことになりそうだが、干からびさせるその源にアレシンスキーは同感する。
●『自在の輪』続き_b0419387_13181884.jpg
 本書掲載の図版をあまり多く掲げると本書を読む必要がないと思う人がいるかもしれない。それもあって必要最低限のものを選ぶが、今日の5枚目の写真は同様のものとどちらがいいかを考えて決めた。没にしたのは本書の冒頭近く、アレシンスキーがエリザ・ブルトンの家の書斎を訪れ、アンドレが収集したアフリカの仮面や彫刻など目につくものから1点ずつ描いたものとその元のオブジェを対照させて見開きページでいくつか紹介した図版だ。今日の5枚目の左ページ下の鳥もその訪問時の素描だろう。その右にある鳥を象ったカナダ産の螺鈿細工は昨日の2枚目の写真右ページ、すなわち本書最初の図版に写る。アレシンスキーはこれを忠実に描こうとしつつ、勘違いしたのか、螺鈿細工では両翼を大きく広げる鳥の、向かって左の翼を下嘴のように捉える。だが、また螺鈿細工の鳥を見直すとペリカンのようにも見え、アレシンスキーの見方が間違いとは言えないことを知る。アレシンスキーは素早い速度で素描しながら、忠実な模写を考えず、おおまかに捉える。それでよいと考えていた節は、前述の筆者が没にした書斎のオブジェを適当に選んで描いた素描からも明らかだ。この実物に忠実ではない写生を技術の足りなさと思う人がいるかもしれない。5枚目の写真の上は左右ページともそうしたことを思わせるに充分で、子どもの絵のようだ。それはともかく、筆者が没に見開きページの図版は、5枚目のこの鳥の螺鈿とその素描の対比で事足りると思ったからで、またこの5枚目では右ページの説明なしでは何かわからない写真とその素描が重要だ。下方の3枚の写真はアレシンスキーの友人がアレシンスキーの目の前で切れ目なしに剥いたオレンジの皮で、それをいくつも重ねたままにしてついには黴が生えるまで保管しながらアレシンスキーは写生した。リンゴの皮でも切れ目なしに皮の全部を剥くことはたやすいが、アレシンスキーはそういう器用さに感嘆するほどに、おそらく不器用なのだろう。そのことは5枚目の写真の子どもじみた素描からはわかる。それはさておき、アレシンスキーはオレンジの長くつながった皮のどこが面白いと思ったのか。これは切れ目のない意識の流れにたとえてよい。車輪であれば転がりながら「車輪類従」に載せられる車輪に近いオブジェに変化して行くことになぞらえ得る。そう思うと、前述したカナリア諸島で遭遇した火山を描いた作品における黒蛇状の溶岩がこのオレンジの皮とつながる。もちろん蛇もそこに含めてもよいし、曲がりくねる線路や道路もそうだ。このようにアレシンスキーは独自の絵画言語を作り出し、それらを変形させながら作品を描く方法を60年代に始めたようだ。これは詩のような絵画と言える。ただし言葉を使う詩人とは違い、明確に何を示すのかわからない絵画言語を組み合わせるので、作品に永遠に対峙してもアレシンスキーの思いは理解不能かもしれない。
 切れ目なしに剥かれたオレンジの皮のみをレアリスムの手法で描いてもそれが面白い絵になり、居間に飾ることを望む絵画愛好家がいるだろうか。10年か20年前か、記憶にないが、創画展で漁船に積まれるロープを100号サイズで描いた作品を見た。極度に複雑に込み入った古いロープの山で、その一本ずつの撚りも忠実に描いてあって、たぶん制作に数か月は要したはずだ。筆者はその絵を見ながらその画家がなぜそういうものに関心を持ったのか理解出来なかった。この世のあらゆることが複雑に絡み合っているとして、その様をロープの山で表現したかったのだろうか。として少しも楽しくない絵で、精神を病んでいるよう思えた。アレシンスキーはレアリスムに関心はない。そうした絵画はゴヤの時代ならまだしも、やがて写真が代用するようになった。それでも写真を見てそれを忠実に描こうとする似非レアリスム絵画が人気で、しかもそうした画家は若い女性のエロを忍び込ませて絵を理解しない金持ちの財布を緩めようと画策する。もっと言えば、そうした真の絵画に無縁な人々はアレシンスキーの絵を絶対理解出来ず、またしようとも思わない。アレシンスキーがブルトンに倣ってカナリア諸島に行き、誤って火山島に上陸して溶岩の流出を目の当たりにし、そういう経験をごく単純化して絵画にした。その行動はブルトンへの敬愛から生まれながら、偶然によって予想外のことに出会った。そしてそれを絵画の要素として使う。間違いゆえの経験も縁と思えるからだろう。縁とは切れ目なしに剥かれたオレンジの長い皮だ。筆者が20代半ばでアレシンスキーの名前を知り、その後に本書を買い、月日を開けて二度読んだことは縁に感じる。ただし縁は無数に生じ、どの縁を長続きさせるかを誰しも毎日決める。それで捨てた縁は縁がなかったと諦めるのであるから、縁とは円と同じく自在なものだ。この投稿を読んで本書を読もうとする人は筆者と縁があるかもしれないが、筆者にはそのことはわからない。その関係はアレシンスキーと筆者の関係にも言える。筆者にアレシンスキーは縁があったが、アレシンスキーは筆者を知らない。それが悲しいことかと言えばそうではない。アレシンスキーの絵の読み解きに途方に暮れるとしても、絵が持っているエネルギーはよく伝わる。作品はそれで充分に役目を果たす。さて、繰り返すと本書はアレシンスキーの絵を解読するための手がかりが豊富に述べられ、絵の解読には文章が必要なことを思うが、アレシンスキーは言葉で語ることの出来ないことを絵に表現すると本書の序の最初に書いている。それは多分のブルトンの『ナジャ』のテーマと通じて、アレシンスキーにもよくわからない何かであろう。つまり自己を発見して自己をより知るために絵を描くが、いつまでもわからない何かが残る。
●『自在の輪』続き_b0419387_13183568.jpg
 今日の6枚目の写真は仙厓の墨絵だ。アレシンスキーは仙厓を師と仰いでいる。それで「車輪類従」の最初に仙厓の円相図を掲げた。6枚目の写真は仙厓の賛があり、それを読まねば仙厓の意図は理解出来ないと言ってよいが、絵だけでも充分に楽しく、誰しも頬を緩める。原書ではこの絵の賛が図版横に日本語で印刷される。それは原書では唯一のことで、フランス人向きにフランス語に訳すべきであったが、アレシンスキーは賛の意味がわからなかったのかもしれない。日本語版では誰でも賛が読めるのと出版社が考えたのか、図版横に活字で記されない。賛は「座禅して人が 佛になるならば」と書かれ、座禅したから佛になるとは限らない人の愚かさや滑稽さと、座禅して誰もが佛になるのであれば蛙もそうだと言っている。仙厓はそのふたつの意味を込めたが、アレシンスキーは自作に言葉を添えないので仙厓の絵とは大いに違う。ではなぜ仙厓を師と仰ぐのか。本書巻末の訳者による解説はアレシンスキーのことを『西洋人の野狐禅とは縁のない人と見受けられる』とある。一方で仙厓の有名な「〇△□」の作品のオマージュと言ってよいアレシンスキーによる同様の丸、三角、四角を三原色で描き分ける作品について、『たとえパロディの意図があるとしても、私たちの微笑を誘うのみである。ただし、野狐禅風の渋味などを西洋人に振りまわされたら、私たちとしては挨拶のしようがないから、この極彩色の仙厓には、まだ西欧的稚気の救いがあるといえばいえる。』と評し、大いに同感出来る。アレシンスキーは仙厓の絵を見てその単純でありながら対象を的確に捉えている技量にまず驚いたであろう。そのことは前述したブルトンの書斎のオブジェの素描からわかるが、まだアレシンスキーは対象に忠実に描いている。それがもっと自在になるのはたとえば今日の6枚目の写真の両ページ上部の素描で、右はオレンジの連なった皮にはほとんど見えない。一方仙厓の絵はどのように単純な捉え方でも何を描いたかはわかる。この明瞭さがアレシンスキーの作にはない。たとえば仙厓の円相図はただの円形だが、アレシンスキーは車輪にこだわり、その円の内部の空虚さを装飾的と言ってよい過剰な線で埋めることを好む。これは禅画とは反対方向にあって、野狐禅に染まっていると思われかねないが、究極の円である円相図から先の別の円の表現となると、車輪、そしてその類集に広く目を向けるしかない。それで先に引用した訳者の思いは、アレシンスキーの立場から見れば、丸、三角、四角を墨一色ではなく、三原色で描き分けるしかなかったのであって、それが野狐禅的とは一概に言えない気もする。仙厓が「〇△□」を多色で描けばやはり三原色を使ったかもしれないからだ。またアレシンスキーには仙厓にはなかった墨以外の色をどう使うべきかという、画家としての思いがあった。
 そのことは「補遺と異文」より前に簡単に触れられ、「補遺と異文」では詳しく紹介されるニューヨーク在住の中国系の画家ウォラス・丁(テイン)のアトリエと作品紹介から推察出来る。筆者はウォラスの名と作品を本書で知るのみだが、アレシンスキーほどには作品は売れていないのではないか。しかしアレシンスキーもウォレスもどうにか生活出来て制作が続けられるのであれば、有名になるかどうかはあまり関心がなさそうだ。芸術家とはそういうもので、最初から収入と交換に作品を提供するデザイナーの仕事とは違う。アレシンスキーが仙厓を敬愛する一方でニューヨークに頻繁に行ってウォラスと交友したことは、東洋への関心の深さが改めてわかる。本書ではウォラスによる草書体の「龍」の一字の図版が紹介され、起筆箇所は龍の頭部で長い舌も出しているが、キャプションには「龍」とは書かれない。アレシンスキーはその絵画的書が描かれる際のウォラスの運筆に感嘆する。その切れ目なしに剥いたオレンジの皮を広げたような書に、線の太細、墨の濃淡によって豊かに表現する抑揚が見られたからだ。それは習字をする日本の小学生でもわかり、ウォレスの「龍」は漢字を書く者であれば誰でも同様に書けると言ってよいが、白い紙に筆によって表意文字を墨で書くことのないヨーロッパ人には、書における舞踊のような手や体の動かし方が理解出来ない。ウォレスのアトリエは窓硝子や壁などが絵具の飛び散りで絵具が層を成しているが、壁面にびっしりと貼り詰められた女性のヌード写真やその大量の写真に捧げるかのような男根を象ったブロンズ彫刻数点の写真を本書が掲げるのは、アレシンスキーが男、そして画家としてウォレスと同じような生の活力を持つからであろう。そしてアレシンスキーも床に敷いた大きな紙に日本の筆で一気に描き、同じようにアトリエ全体を絵具の飛沫まみれにする。そのアクション・ペインティングばりの手法の多彩な原色使用についてはウォレスの感化を受けているだろう。「補遺と異文」の最後で仙厓の「〇△□」の図版を掲げながら、それをウォレス好みの虹色で彩る、前述したアレシンスキーの作がある。仙厓の円相図はアレシンスキーには月か太陽に見えるだろうが、仙厓はもっぱら餅にたとえた。その連想はアレシンスキーには思いも寄らず、それで本書の表紙にピスタチオを周囲に12個配した丸いクッキーの図版を用いた。円が白い丸餅であるからには、『創造の小径』のロラン・バルトによる『表徴の帝国』の巻に論じられるように、日本は記号的表現の本場だ。アレシンスキーは独自に編み出す表意文字的な記号的絵画の集積によって、詩か物語のような絵画を描く。その意味を解読するにはアレシンスキーの文章をたくさん読むべきだが、そうしたところでアレシンスキーにもわからないところがあるだろう。それでも死ぬまで描き続ける。
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by uuuzen | 2017-11-14 23:59 | ●本当の当たり本
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