先月25日に京都国立博物館で見た。毎月第2、4土曜日は常設展が無料で、それを見込んで出かけた。今月2日までの会期であった。雛祭りがとっくに終わった今頃書くのは具合が悪いが、昨日がからくり人形のことを書いたので、続きとしてはいいかと思う。

筆者は子どもは息子ひとりであるので雛人形には縁がなかった。妹がふたりいるが、家は雛人形を買う余裕はなかったし、飾る場所もなかった。だが雛祭りには小学生の頃のひとつの思い出がある。筆者は声変わりがするのがとても遅かった。中学生になっても高い声のままであったが、子どもの頃、裏声を使って童謡の「雛祭り」をよく歌い、周りのみんなを笑わせた。「あーかーりーをつけーましょーぼんぼりにー…」と、ラジオから聞こえて来る童謡の女の子の高い声とそっくり同じように歌えた。もちろんジョ-クで歌うのであるから、女の子っぽい身振りも交えたが、それが大いに受けて、妹ふたりはいつも笑い転げた。「にーちゃん、いったいどっからそんな声が出るのん?」。妹でも出せないような高い声であったわけだが、声変わりがしてからでもやろうと思えばかなりのところまで再現出来たが、今でも同じように歌える気がするほどだ。それでもその歌は学校では学ばなかったはずで、一体どこで覚えたのであろう。誰かが歌っていたのを聴いたのでもないし、きっと2、3度程度ラジオかTVで接したのであろうが、それだけ子どもにも覚えやすいメロディをしている。童謡は大人になってもよく記憶しているもので、その後の音楽の好みをある程度は左右するかもしれない。その次に雛祭りに関する記憶は、日本切手に詳しい人ならすぐにわかるが、1962年3月3日に発売された10円切手「ひなまつり」だ。この切手が発売された時、筆者は8歳で、まだ切手収集は始めていなかったと思う。だが、興味はあった。最初に郵便局で記念切手を買ったのは同年の8月3日の「アジア・ジャンボリー」だ。これ以降はずっと発売日に郵便局で買うようになった。「アジア・ジャンボリー」を買う前にすでに何枚かの切手を入手していて、毎日飽かずに眺めたものだが、そうした1枚に同年7月7日に出た「たなばた」の切手もあった。青い夜空のもと、男の子と女の子が笹の七夕飾りを眺めているデザインだ。空の青さが今までの切手にはない鮮やかさで、それが新時代到来の予感のように思えた。切手にしては軽いデザインと色合いだが、今にして思えばそれなりに時代をよく象徴し、いい切手に思える。
「ひなまつり」の切手は背景が茶色だ。これはかなり地味で違和感があった。今でもそう思う。キモノ姿の女の子がひとり女雛を手にしている。男雛の方は緋毛氈のうえに置かれたままで、後ろには少し梅の木も見えている。この切手は年中行事シリーズとして4種のみ出たが、残り2枚は「七五三」と「節分」だ。もっとたくさんのシリーズを出してもよかったと思うが、この当時はこうした比較的少ない枚数のシリーズ切手がよく出た。子どもの頃の雛祭りに関する記憶はその程度だ。その次に30代に「流し雛」に少し関心を持ったことがあるが、この話は割愛する。そして次に雛人形が意識の前に登場して来たのは、数年前に伏見人形を収集し始めてからだ。伏見人形には男雛と女雛が立ち姿で一体化した「立ち雛」がある。これは雛人形の最も古い形としてよく、昔からよく絵にも描かれている。もちろん伏見人形の「立ち雛」が最初のものではなく、普及品として土で模倣したものだ。「立ち雛」は今でも大人が行事感覚をいわば手軽に楽しむためにはよい。置き場所に困る昨今では雛祭はこうしたもので代用するしかないだろうし、それでも充分な気がする。筆者は人形となると、妹が使ったものがわが家にもあったのでそれなりにいろいろと記憶があるが、日本人形のよさを本当に知ったのは伏見人形を集め始めてからだ。そして毎月21日の弘法さんの市と25日の天神さんの市に欠かさず出かけ始め、いくつかの露店業者と顔馴染みになった。そんな中に雛人形が好きな人もあって、必ずと言ってよいほど目立つ場所に人形や御殿飾りを置いている。御殿飾りは上方に特徴的な雛飾りだ。古道具の露店が売るものは大きさは立派でももっとちゃちで、ブリキのような軽い金属を主に用いて作った安物だ。そのため、あらこち飾りがなくなっていたり、また歪んでいたりする。そんなものを誰が買うのかと思うが、業者は自分が好きで買い込んでいるらしく、売れなくてもかまわないようだ。売れるものなら何でも買って来て置くというのではなく、大体どの露店業者もこだわりがあって好きで買って来たものを中心に並べる。そういう商売のやり方は好きだ。
雛飾りは赤い毛氈を敷いた5、6段の飾りが本式だとばかり思っていたが、それは江戸(東京)の方式で、上方では違うことがわかった。今回の展示では贅の限りを尽くして作られた御殿飾り雛が、展示室正面突き当たりに3つ並べて展示された。まず、天保14(1843)年のもの。これは総檜造りの御殿を最上段に置き、その下に2、3段を設けて人形や「おくどさん」を置く。御殿は非常に立派だが、全体に整理されていない印象を受ける。「おくどさん」は「かまど」のミニチュアで、女の子に小さい頃から御飯炊きなどの家事を教え込む道具として雛飾りが役立っていたことがわかる。それだけ上方は実質的であったということだ。おくどさんのほかに、前述した伏見人形にも存在する「立ち雛」や、また布製の「這い子」を飾るが、これはあらゆる雛飾りが完成されるまでの原始形の人形をそのまま取り込んで来たゆえの方式であろう。そうした伝統を持たない江戸では上方とは違って新しい雛飾りを創出しやすかったと思える。次の2点はどちらも民間からの寄贈品だが、まず明治9年に京都の旧家で生まれたばかりの長女のために調えられたもの。これはわたり廊下に式台(玄関)がついた御殿が最上段にあって、その中に前述の天保14年の飾り雛と同様、男雛(向かって右)と女雛の内裏雛を置く。その下には5人官女や稚児を、また前庭には3月3日の宮廷行事の鶏合(闘鶏)を置き、京雛ならではの有職への配慮を見せる。御殿は、今で言うドール・ハウスのミニチュアの精巧な家どころではない。写真で見ると本物の大御殿さながらに風格があって、御所がどういう場所かをよく知っている者の目からすれば、こっちの雛飾りの方が本物をより再現しているように見える。次に東京のものだが、これは関東大震災後に5年かけて製作された。頭装束や小道具など、みな明治の名人が携わったため明治雛と呼ばれている。最上段は向かって左に男雛、右に女雛を飾り、背後に金屏風を立てる。宮女5人、囃子方は7人で、能楽ではなく雅楽を演奏し、舞楽人形や女性の仕丁も加えている。内裏雛の置き場所は上方とは反対で、これはどちらが正しいというのでもないらしく、伝統的な宮中の席次によれば上方が、明治になって宮中に西洋式の儀礼が導入されてからは東京のものが理にかなっている。上方の御殿を飾る風習は今では全く廃れ、日本中がみな東京方式になった。その豪華な段飾りは江戸時代の終わりに華やかな武家の雛飾りにならって完成されたもので、「大名家の雛道具には、姫君の婚礼道具と文様も制作技法もまったく同じで、婚礼道具の縮小版ともいえる豪華な品が見られます。このように華やかな雛道具を加えた飾り方が町方にも影響を与え、「段飾り」が完成したと考えられます…」とパンフレットには書いてある。小さくたたむことなど出来ない御殿はちょっとした箪笥以上の大きな収納箱が必要で、日本の家屋の実情を考えると東京方式が収蔵には便利だろう。
段飾りの雛人形以前には男雛と女雛の2体のみをセットにしたものがいろいろとあって、前述の「立ち雛」、そして「享保雛」「寛永雛」「元禄雛」「有職雛」などが今回は部屋の左右の壁面に飾られていた。みな古色を帯びているので、素直に美しいとは思えない。元来古い人形はどこか不気味なものだ。それが江戸時代のものとなるとその独特の表情もあって、なかなか入り込めないものがある。そのため人形の味わいがわかるようになるにはある程度の年齢に達する必要があるように思う。筆者も50になるかならない頃にようやく伏見人形の本当のよさがわかったが、一旦その味を知ると他の人形もそれなりにすっと入り込める。だが、好き嫌いはやはりあって、「立ち雛」は別として、他の雛人形は女性のものという気がしてほしくはない。今回は雛人形だけではなく、京人形がいろいろと部屋の中央に置かれたガラス・ケースの中に展示された。だが、あまり数は多くなく、ちょっとした入門程度にしかならない。また、伏見人形はなかった。これは大量生産の玩具という建前から省略されたのであろう。伏見人形が博物館入りするのはまだ100年は早いかもしれない。展示されたのは「嵯峨人形」「御所人形」「賀茂人形」「衣裳人形」の4種で、珍しいものとしてはまず「賀茂人形」だ。これは伏見人形よりはるかに数が少なく、人形好きの一部にとっては圧倒的な人気があるようだ。人形の本には必ず紹介されるが、実物を見る機会は少ない。今回も「雀踊り」のセットの2体しか出ていなかった。素材は柳で、顔や手足はそのまま木肌の風合いが生かされている。衣服は縮緬や金襴などの裂を木目込み、全体として木の肌は布地の対照が独特の風合いがあって面白い。柳を使用するので大きなものはないようだ。せいぜい高さ10数センチだ。木目込み人形は今では珍しくないが、賀茂人形がその祖であることを知っておきたい。「主題は多様だが、いずれも明るく楽しい表情に満ちている」とパンフレットにある。三条寺町の平安画廊のオーナーの中島さんは子どもの頃によくこの人形で遊んだそうだ。上賀茂の地元では昔はよくあったものなのだろう。
「嵯峨人形」は話にはよく聞くが実際に見たのは今回が初めてと思う。木彫りのうえに衣裳文様を胡粉で厚く盛り上げ、極彩色を施す。かわいらしいという感じはあまりない。表情が独特で今では同じものを作っても歓迎されないのではないかと思う。今回の展示は唐子人形で、首がうなづくようにからくりが仕組まれている。こうした動きをするものは初期の制作だ。伏見人形のような落とせば壊れるようなものとは違い、かなり高価なものであったのだろう。この点は賀茂人形も同じで、今見ても精巧かつ豪華な雰囲気がある。「衣裳人形」はその名のとおり、衣裳を着せた人形だが、衣裳は脱がせられない。衣裳をまとった胴体に首や手を加えたものを言う。「子どものかわいらしい姿を写したものと、婦女・遊女・若衆など当世の風俗を写す浮世人形がある」とのことだ。「御所人形」は説明の必要がないだろう。木彫りであるのは先の2種と同様だが、これは胡粉で全体を真っ白に塗り重ねた後、磨き上げて光沢を出す。ずんぐり頭で、3頭身の丸みを帯びた形をしている。体を白く塗る点や3頭身であることは伏見人形と共通しているが、御所人形にしかない香りの高さがあって、時としてとても入手したくなるものが見る。顔の表情は作り手によってさまざまで、中には嵯峨人形のようにどう表現していいかわからない不気味さに近いものもないではないが、目がぱっちりとして今でも全くストレートに美しいと思えるものも多い。好みもあるだろうが、筆者は京人形の最高峰は御所人形と思う。3頭身で表現することは今のキャラクター人形の先駆であって、「かわいい」という言葉のその原点もこの人形にあると言ってよい。だが、御所人形のよさが本当にわかるには、子どもを赤ん坊の時から育てた経験をする必要があるだろう。人形の美は絵画鑑賞よりもっと別の奥深さがある。そして決して女や子どもだけのものではない。