蚕食になぞらえていいのかどうか、英単語の辞書を1ページずつ覚えてはちぎって食べるという話を学生時代に耳にした。全ページを食べ終え、残った厚い表紙を見て満足した時、辞書に載っていた単語を全部覚えて自在に使えるかとなれば、それは怪しい。仮にそれが出来たとして、英米の名詩人と同じ程度の詩が作れるかと言えば、まあ無理な話だ。筆者は英語の辞書を1ページずつ食べることは無駄な行為と思うが、それほどの切実な学ぶ意欲はわかる。人間は記憶したことを忘れる動物で、食べたページに載る英単語を数年後に思い出せないことは多々あるだろう。その時は辞書を借りて調べればいいが、手元にあれば手っ取り早い。それで筆者は本の物理的破壊は全く好まない。辞書以外の他の本は一度読むと内容がわかってもう不要という場合は確かにある。しかし数年後、数十年後に再読すると違った感慨を抱くこともある。そのためにも読み終えた本は手元に置くほうがよいが、もちろん内容による。筆者の読書歴によれば、翻訳本は意味が把握しにくい箇所が多く、そうした箇所は消化不良となって長年気がかりになる。意味がつかみにくいひとつの理由は、その本が言及、引用している他の本を読んでいないからだ。それでそれらの知らない本を繙く必要を思うが、その派生の広がり具合に手を焼き、無視したままとなることのほうが圧倒的に多い。これはただただ浅学ゆえで、本を読めば読むほどに自分の無知さ加減を痛いほどに知り、一方で重ねた年齢を思って愕然とする。興味深い本を読んでいる時は人生の最良の時間を味わっている気にはなり、つまり無知な者に読書の楽しみがあることは神の采配かと思う。筆者は全く読書家とは言えない。読むことは好きだが、駄文と知りつつ書くことはもっと好きで、それでこのブログでは読んで興味深かった本の紹介をごくたまにする。それは他者に知らせたいという欲求からではない。筆者は飛び抜けた才能を持っている人は好きだが、基本的に他人に関心がないので、他者からどう思われようと気にしない。筆者は給料をもらう生活をしなくなってからのほうが長く、その意味で怖い人はいない。畏敬するのは個性的な仕事を遺した人で、となれば読書する本の種類と範囲は絞られ、いわゆる古典的名著ということになる。そうした本の著者の顔はどれもやはり知的そのものに見え、そういう顔つきになりたいと大それたことを思う。顔で人を判断するのはよくないと言われるが、考えていることは、つまり生活ぶりは顔に表われる。不思議なもので、知性のない人にも知性のある人はそれなりに識別出来る。とはいえ、知性があるように見える偽物はいっぱいいて、だいたいそういう者ほど有名になって世間から持てはやされるが、それは知性のない人が圧倒的多数を占めるからだ。政治家にそういう種族が混じりやすいのは誰でも知っていることだが、どうしようもない。
今日は明日投稿する本との関係で70年代に新潮社が出版した叢書『創造の小径』について書く。この叢書はこれまでブログで何度か言及した。70年代のこと、筆者は設計会社に勤務していた頃、よく地下鉄の梅田駅で降りて紀伊国屋書店の美術書コーナーに立ち寄った。今もあるのかどうか知らないが、当時は出版社が内容見本を作り、それがそうした大型書店の一画によく置かれていた。本が出版されるとそうしたパンフレットはほとんど不要になるのでなおさら目につく機会は少なくなるが、筆者は割合そうした内容見本を大事に保管し、段ボール箱ひとつ分ほどは所有している。そうした内容見本は刊行本の一部を紹介しながら、推薦者の文章がよく載せられた。今は本の帯にそうした有名人による推薦文が印刷されるのではないか。『創造の小径』は全18巻の触れ込みで、創刊の巻はピカソの『イカロスの墜落』であった。この厚さ1センチ少々の本の販売価格が、内容見本が印刷された1974年8月で4000円であった。当当時LPレコードが2000円で、その倍の価格であるから、レコードもよく買っていた筆者は『創造の小径』に強い興味を抱きながら、手を出しにくかった。それで新刊では第2回配本のロラン・バルトの『表徴の帝国』と第10回配本のロジェ・カイヨワの『石が書く』の2冊しか買わなかった。古本屋にもしばしば訪れていたので、他に3,4冊は半額ほどで売られていた古書で買った。古書はありがたい。読んだ人が1ページずつ食べてしまわずにそのままの形でほとんど保たれているから、半額で手に入るならば2,3年待ってもそれを買うほうがよい。そしてインターネット時代になって古本はさらに安価で入手しやすくなった。それにほとんど半世紀前に出版された『創造の小径』は当時の古本と変わらない価格で手に入る。と言いたいところだが、『石が書く』のみはネット・オークションでも1万円以上の価格だ。75年11月の発刊当時4400円であったので、現在1万円でも安い。筆者は『石が書く』を皮切りにカイヨワに関心を抱き、図書館から本を借りるなどもしてほとんど全著作に目を通したが、咀嚼出来なかった箇所はままあって、また読み返したいと思っている。それはさておき、『石が書く』は三度読んだ。また染色作家のK先生にも読んでいただいたが、感想は「カイヨワは大した人物ではない」というものであった。その理由は深くは訊いていないが、ジョルジュ・バタイユが圧倒的に魅力的といった言葉を耳にした。カイヨワはバタイユに否定的で、そのことからわかるようにカイヨワは真面目一徹で遊びのない雰囲気があるのだろう。しかしカイヨワは遊びを真面目に研究し、人間の生の基本に遊びがあると考えていた。その他さまざまなことに関心を抱き、そのことについて本を書いたこと自体、遊びと言ってよいが、筆者のこのブログも遊び以外の何物でもない。
筆者が20代半ばに『創造の小径』に出会えたことはとても幸運であった。だいたい20代半ばで人生を決定する出会いは誰しも経験する。言い換えれば人生は20代半ばで決まる。もっと言えば幼少時に決まり、筆者が『創造の小径』の全巻を手元に置くことは生まれた途端に予告されていたことに思える。そのように感じられる者は幸福だろう。ともかく、この文章を読んで『創造の小径』を知った中年やそれより年配の人がこの叢書から適当に選んで読んだとしても、あまり感動を得られないように思う。決定的な本との出会いは10、20代にあるからだ。そういう世代で良書と思える本や著者に出会えない人は、一生出会えない。『創造の小径』はその題名からして、創造に特別に関心のない人は最初から食指を動かさない。創造することで収入を得て生活を営む人はたぶん1パーセントに満たず、なおさら『創造の小径』はあまり売れないだろうと新潮社は考え、それもあって印刷部数が少なく、本の価格が当時としてはかなり割高になったのだろう。筆者は今も『創造の小径』の内容見本を大事に保管している。全18巻は古書で容易に入手出来るが、この内容見本を大切に保管している人は少ないだろう。本の内容見本は海外でも製作される。最近筆者はガリマール社が『形体の宇宙』のシリーズを発刊するに当たって作った内容見本の小冊子をe‐bayで落札した。判型は『形体の宇宙』と同じで、冒頭にアンドレ・マルローとジョルジュ・サールの文章があり、その後に同シリーズの刊行予定の巻の紹介が続く。その刊行予定の内容がきわめて興味深いのは、最終的に出版されなかった巻の紹介も図版つきで載っていることだ。その内容見本もやはり肝心の本に比べて現存数はかなり少ないはずで、筆者は今から自分が死んだ時にその内容見本がしかるべき人の手元に行ってほしいと心配している。ついでながら『形体の宇宙』の日本語版も新潮社が手がけ、その配巻が終わった直後にスイスのスキラ社が企画した『創造の小径』シリーズを翻訳出版することにした。『形体の宇宙』すなわち日本語版の『人類の美術』を先に全巻入手していた筆者が『創造の小径』もいずれ全巻所有するのは当然のことであった。ところがまともに読んだ巻は半数というありさまで、それほどに筆者は本をよく買うが、読むのは後回しになっている。忘れているからではない。長年気になり続けている。それに読み始めたはいいが、途中で挫折する場合もよくある。翻訳が悪いからだと勝手に決めつけているが、その考えは半ば正しい。まともな日本語になっていないと思える場合は少なくないからだ。それは原書の文体を尊重し過ぎる場合と、翻訳者が意味を正確に把握出来ていない場合も含むだろう。そういうもどかしい思いをたまに抱くので、フランス語がよくわからないまま、原書がほしいと思うことはある。
筆者はドイツ語は学校で教わったが、フランス語を20代前半までに学びたかった。人生に後悔がいくつもあるとして、筆者の場合、そのことが最も大きい。話を戻して、『創造の小径』の内容見本は最初に安部公房、大江健三郎、武満徹、杉山寧、池田満寿夫の推薦文と言おうか、期待文が載る。続いて1ページに2冊ずつ、計12冊を著者の顔写真つきで簡単に内容を紹介する。つまり74年8月に全18巻のうち、12冊の題名と訳者が決まっていて、そのことは今日の最初の写真の内容見本の表紙に掲げられる12冊の表紙写真からもわかる。内容見本の表紙裏に書かれるピカソとスキラとの対話のエピソードから、この叢書のスキラ版は50年代に企画が浮上したことがわかるが、実際の刊行はたぶん70年からだ。そして月1冊ではなく、依頼していた著者が書き上げれば出版という形を取った。新潮社版が発刊され始めた時、スキラ社は予定していた全巻を出版し終えていなかった。これは『形体の宇宙』でも同じで、新潮社は結局同シリーズの全巻の翻訳本を出さなかった。それはほとんど半世紀にわたった原書の出版に応じ切れなかったからだ。それほどに息の長い出版をフランスが手がけることが時流に合っているのかどうかだが、マルローの没後はガリマールの後継者にマルローの考えが伝達されたとは言い難いところがあるのは、やはり半世紀近く経てば時代が変わり、創刊当時の予定をそのまま続けることは商売上難しいからだろう。日本では叢書や全集はせいぜい2,3年の間に出版し終える必要があると考えられているのではないか。半世紀経ってもまだ完結しないではファンの多くは死んでしまう。しかしザッパの音楽は半世紀経っても新譜として古い録音が公にされていて、それを追い続けることがファンとしては人生のひとつの楽しみとなっている。また話を戻すと、『創造の小径』の著者はフランスやそれに隣接する国の画家、詩人、評論家などで、芸術に関心のある人は必読と言ってよい。ただし、現在著者のほとんどは物故し、著者の多くがシュルレアリスム関係であるから、古い内容であることは確かだ。だが日本ではさほど知られていない人物も交えての書き下ろしで、創作の糸口が垣間見えること、また理解が及ばないとすればその原因を知ることの楽しみがある。創作者でなくても芸術ファンは多い。そうした人をターゲットにすればこの叢書は売れ行きが見込めると言いたいところだが、簡単に読み流せる小説と違って、硬い内容の、しかも把握しにくい翻訳本であれば、売れ行きはさほど見込めない。新潮社版はスイスのスキラ社から直送された図版のネガを使って印刷したとのことで、スキラ社から翻訳の版権を買い取るにも費用をそれなりに要し、1冊4000円以上の高価にならざるを得なかったのだろう。だが、高価であれば大事にして何度も読み返そうという気になる。筆者はそうだ。
それにこの叢書から派生する同じ著者の別の本へと広がる「別の小径」を知り得る。おおげさに言えば全18巻の10倍の別の本への小径が用意されていて、おそらくそれらの別の本からさらに10倍の別の本が連なっていて、それらを蚕食して行くだけでも人生の月日はとても足りない。1冊ずつ食べ尽くせるならまだいいが、理解が及ばない箇所が必ずある。それが気がかりとなっていずれ再読し、「ああ、なるほど、こういうことだったのか」という新たな発見があることが多いが、それは一方で別の本への扉を開いて来たからだ。その最初の出入口として『創造の小径』の叢書は20代半ばの筆者に影響を与え、今も与え続けている。さて、本によって創造の過程、糸口を明かすことは、文字による説明であって、この叢書の著者はみな文章の達人ということになる。だがピカソの『イカロスの墜落』はピカソが文章を書かなかった。ピカソは「イカロスの墜落」と題する絵を完成させるまでにどれほどの習作を重ねたか、そのことを図版で示す。そして文章はガエタン・ピコンが書いた。これはピカソに文才がなかったためと思っていいが、あるいはスキラ社から依頼されながら、73年に91歳で死んだことを思えば、文章を練る気力がなかったかもしれない。それはともかく、この叢書は図版が見もので、美術書の趣が強い。それでパラパラと図版を見ただけで読んだ気になるが、図版と文章がほとんど無関係の巻もあって、やはり図版を見ながら文章を読むところに醍醐味がある。その意味で当初予定されていた音楽家のジョン・ケージがどのような内容を考えていたのか、大いに興味をそそるが、結局ケージは依頼に応えず、出版は見送りになった。スキラ社にすれば図形楽譜がふんだんに紹介され、現代音楽の視覚的な面白さが明らかになると考えたのだろう。ケージが駄目ならケージと交流があったブーレーズに依頼すればよかったと思うが、ブーレーズはパウル・クレーの絵画を提示しながら、自作曲についての思想を書いた著作があり、それはこの叢書の1巻となっていてもよかった気がする。ともかく、芸術家が自己の思想を1冊の本として書き下ろすこの叢書は、図版と文章の響き合いが特長で、自作を自分の言葉で説明するもので、画家は絵だけ描けばよいという考えからは遠い。画家や音楽家が文章で自作を説明することはヨーロッパでは珍しくない。もちろんそうした文章は本業の作品に比べて軽視されるが、現代は芸術を言葉で説明する必要があるほどに難解なものになって来ているのも事実だ。またその文章は評論という側面よりかは詩の延長であると言ってよく、本業の作品と同じほどに独特な場合がある。それはともかく、ジョン・ケージの次に哲学者のミシェル・フーコーの巻が予定されていたのに、これも実現せず、フーコーがどういう図版を選んで何を書いたかは永遠にわからない。
今日の最初の写真は内容見本を広げて左に表紙、右に裏表紙を示したものだが、表紙の12巻は発刊されたものと題名も含めて必ずしも同じではない。そうした細部の違いがわかることもこの内容見本の価値と言えるが、それはたとえば題名の場合、出版ぎりぎりになっても翻訳者と新潮社側が協議したことを想像させ、そのことも「創造の小径」を伝えて面白い。そのことは表紙の図版についても言える。表紙のデザインはスキラ版を踏襲しはするが、どの巻もそうされていないことは内容見本の表紙写真の12冊を出版された巻との比較でわかる。また邦題は結果的に当初案よりわかりやすくなっていることは、ぎりぎりまで考察することの重要性を確認させる。本は一旦世に出てしまうと、よほどのことがない限り、題名や内容を変えることは出来ない。また新潮社版はスキラ社が全巻を出版した後に企画されたものではなく、したがって前述したように新潮社の内容見本、あるいはスキラ社が刊行本で予告しながら、世に出なかった巻がある。それが著者に依頼しながら著者が結局執筆を断念したためか、あるいは書き上げたのにスキラ社が発刊を見送ったのかはわからないが、当初予定されていた著者がわかるだけでも読者は想像を逞しくする楽しみがあり、70年代には世界にそうそうたる創造家がいたことを改めて知り、現在同様の叢書の企画が可能かどうかを疑問に思う。これは筆者が70代であり、現在活躍中の芸術家をほとんど知らないか、知っていても興味が湧かないことを示しもしている。無名の芸術家でもこの叢書の趣旨に沿う内容の文章を多くの写真の援用によって綴ることの出来る例はおそらく無数にあるが、本草書で取り上げられた巨匠ほどの名声がなければ出版しても売れ行きは見込めない。つまり、70年代当時の無数の創作者から、文章と写真で創作の秘密を解きほぐす才能があり、しかも絶大な人気を得ている者だけが選ばれたのだが、そういう人物が日本で多くいるかとなれば、きわめて怪しいのではないか。筆者はこのブログを始めた理由のひとつは、文章と写真図版を掲げられることの利点に注目したからだ。それでブログ以前にホームページで自作やその工程を紹介したが、創作の起点となる事柄がどのように変容して最終的な作品になるかという「創造の小径」に的を絞って書いたことはたぶんない。もちろん写生から初めてそれが最終的に作品にどう表現されるかについて説明はしたが、写生の前段階としての、つまり最も大事な創作の契機となることを凝視し、その正体を明かしながらそれが鑑賞者の内面に届くためにどう腐心するかという、それこそ真の意味での「創造の小径」を書いたことはほとんどない気がする。ただし、この叢書の著者の全員がそのことを明確に意識して書き下ろしたかと言えば、そんなことはない。「小径」は一本ではなく、無数にある。
「創造の大道」と題されないところにこの叢書の炯眼ぶりがあって、したがって全巻をくまなく読了したところで、創造の平野のすべてを眼下に収めることにはならない。それは創造という一枚の大きな葉に無数に空いた虫食いに等しいもので、創造の秘密はどの創造者も自ら開いて行くしかない。またそうした勇気をこの叢書が与えてくれる。とはいえ、この叢書のどの巻も翻訳文であることも手伝ってわかりやすいとは言い難い。読み終えた後、消化不良の部分が長年気になることがある一方、すっかり忘れてしまって著者が言いたいことのエキスだけ何となくわかった気になるが、それもとにかく読まずには経験出来ない。さて、新潮社版は18巻で終わったが、その発刊順序はスキラ社の発刊に応じなかった。日本ではほとんど知られない人物か、あるいは日本語版の制作が困難であったからだろう。前者としてたとえばフランシス・ポンジュ、後者はデュビュッフェが相当する。デュビュッフェの巻の原書を筆者は手に取っていないが、どうやら全ページがデュビュッフェの手書き文字と絵で構成され、その手書き文字の下に小さく日本語で翻訳文を添えるしか方法がなかったと思われる。以下の羅列の1から18は新潮社版の発刊順で、題名がふたつあるのは左が当初案、右が発刊時のものだ。19から25は新潮社が手がけなかった。スキラ社は全26巻を世に出したが、レヴィ・ストロースの『仮面の道』のみは2分冊で発刊し、それを新潮社は1巻にまとめて出版し、他の巻よりもかなり厚くなった。スキラ社版は無線閉じで造本はあまりよくない。これは個人が購入後に皮装のハードカヴァーにすることを想定したものでもあり、実際そうした装本が限定版として200部ほど作られた。日本ではそういう伝統はほとんどなく、新潮社版は箱入りで布クロス装という贅沢なものになった。それで高額になったとも言えるが、立派な造本で書棚にこの叢書が並ぶ様を眺めるのは楽しい。
1、パブロ・ピカソ『イカロスの墜落』
2、ロラン・バルト『表徴の帝国』
3、ミシェル・ビュトール『絵画のなかの言葉』
4、ル・クレジオ『ハイ』→『悪魔祓い』
5、ガエタン・ピコン『素晴らしき時の震え』
6、アラゴン『冒頭の一句』→『冒頭の一句または小説の誕生』
7、スタロバンスキー『道化のような芸術家の肖像』
8、ロジェ・カイヨワ『石が書く』
9、クロード・シモン『盲目のオリオン』→『盲いたるオリオン』
10、エルザ・トリオレ『言語化作業』→『ことばの森の狩人』
11、イヨネスコ『発掘』→『発見』
12、アレシンスキー『遊動輪』→『自在の輪』
13、マンディアルグ『わが恋人ボナ』→『ボナ-わが愛と絵画』
14、アストゥリアス『三つの太陽』→『マヤの三つの太陽』
15、アンドレ・マッソン『世界の記憶』当初はジョン・ケージ
16、オクタヴィオ・パス『大いなる文法学者の猿』当初はロブグリエの『エデン以前』
17、レヴィ・ストロース『仮面の道』当初はミシェル・フーコー
18、プレヴェール『想像的なるもの』→『想像力の散歩』
19、フランシス・ポンジュ『La fabrique du pré 草原の生地』
20、イヴ・ボヌフォア『L’arrirére-pays 後背地』
21、ルネ・シャー『La nuit Talismanique護符の夜』22、アンリ・ミショー『Emergences-résurgences 出現-再燃』
23、ジャン・デュビュッフェ『La Botte À Nique 糞ったれブーツ』
24、ジャン・タルデュー『Obscurité du jour その日の暗闇』
25、フランシス・ベーコン『L’art de L’impossible 不可能な芸術』
26、ホアン・ミロ『Carnets catalans カタロニア語ノート』●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→