人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●「にこっと笑って」by 弦花
けずに 女心は わからぬと 愚痴をこぼすは もてない男」、「多夫多妻 これが理想と 言う若さ 結婚せずに 夫妻はなきに」、「気がかりを ひとつ減らして ひとつ増え 障害物の 多き人生」、「人並みを 思うことなし 別格は 人の波見て 吾加わらず」●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_15083389.jpg 何の木かわからないが、CDの紙ジャケットの裏表につながる形でほとんどモノクロに加工された大木の写真が使われ、その密集する枝葉の中央に「ヨリソウ カゲ」の手書きによるレトロ風のアルバム・タイトルが白抜きで印刷される。その下に別の書体でシンガー・ソングライター名の「弦花」が記されるが、彼女はコロナ禍以降演奏活動を止め、またツイッターでは別の名前「山澄」に変え、その投稿はフォロワーのみが見られる。「山澄」が彼女の苗字かどうかは知らないが、この言葉は彼女が1枚だけ出した前述のアルバムのジャケット写真と合わせれば、田舎暮らしをする自然愛好家と思わせもする。だが田舎の定義は相対的なものだ。東京からすれば大阪は田舎で、大阪からは京都や奈良が田舎になる。奈良でも田舎の度合いは各地によりけりだが、ともかく彼女は奈良県に住み、アルバム写真のような眺めが近場で得られるのだろう。歌詞を印刷した三つ折りのリーフレットの裏表はたぶん午後遅くの山中の林らしき光景の写真で、モノクロに近いながら緑や桃色がわずかに見え、表紙の中央を占める太い木の背後にスマホかカメラのようなものをお互いに翳す若い男女らしい影が垣間見える。それが「ヨリソウ カゲ」を意識した演出なのか、また木の背後に人物が半ば隠れているのかどうかも定かでないが、アルバムのジャケットのいわば大木に対峙してその全景を捉える解放的な写真とリーフレットにおける林内部の写真との対比が、彼女の二面性と言えば語弊があるが、陰陽の二面に関心があることをうかがわせるに足る。陰陽は音楽では短調と長調になぞらえ得るが、あるひとつの楽曲は短調でも途中で長調に転調することは多々あり、またその逆もあって、あることの内部には陰陽が混在していると言える。陽気一辺倒のお笑い芸人に見えて彼らはひとりになると悲痛な顔をすることはあろうし、またそれでこそ人間であって、陰陽の混ざり具合すなわち悲しみがあって楽しさが引き立つことを面白いと達観することが長い人生航路を過ごして行くには欠かせない。悲しみのどん底にある気がしている時にも世間はいつもどおりに動いている。そのことが自分の存在を無視していると思えばなおさら悲しみに沈むが、人生の舞台に顔を出してやろうとわずかでも前向きな気持ちを持つのがよい。そうすれば白けて見えていたものに愛着を覚えられるようにもなる。自分のことはよくわかっていると思い込まないことで、ちょっとしたことで人間は落ち込むが、ちょっとしたことで気分は晴れる。もちろん弦花さんはそのことをよく知っている。それゆえ陰陽を示すリーフレットとジャケットの写真だ。
 「ヨリソウ カゲ」は「ヨリソウ」が陽だ。「カゲ」はすばり「陰」で、彼女の曲を読み解く鍵はやはり陰と陽と言わねばならない。繰り返すとそれは短調と長調で、彼女の作詞作曲は言葉の陰陽と旋律の短長を掛け合わせたものだ。そこに複雑な綾が生まれるという、いわば歌詞を伴なう音楽におけるあたりまえのことを基本に意識した態度が見られる。それは音大で把握したことだろう。ところで筆者は彼女のライヴを3回見たが、最初にツイッターのダイレクト・メールが彼女から届いたのは2019年1月だ。その時の文面に150字ほどの自己紹介があり、「知り合った方だけに話ししている内容です」とのただし書きがあった。その自己紹介文の内容を以降に見た彼女のライヴの感想の投稿時に筆者は書いていいかどうかを彼女に訊ねないまま今日に至っているが、彼女の作品をより理解するうえで、また筆者がこの文章を書くうえで最低限触れておきたいことがある。それはまず彼女が音大在学中に出産、そして結婚したことだ。声楽科を卒業した後、家庭に収まって音楽とは縁のない生活を長らく続けたが、36歳からギターを週一回、4年間学び、39歳で本格的に音楽活動を始め、前述のCDを2019年5月に発売した。彼女は大学でオペラ歌手を目指しながらクラシック・ギターの講義も1年受けた。つまり大学での学びが基礎になってシンガー・ソングライターになった。10数年眠っていた音楽への思いの再燃は、オペラ歌手にはなれなかったことの代償行為か。自分の詩を自分で演奏しながら歌うことはオペラ歌手にはない創造行為だ。また若くして結婚し、子育てなどが一段落した後での活動は、豊富な経験に裏打ちされた作品性を示唆し、女性芸術家のひとつの興味深い見本を提供している。夫婦共働きかどうかはひとまず問わず、主婦が自分の内部から湧き上がる創作意欲を作品として吐き出す行為は、世間では時間と金を使う単なる暇つぶしと取られかねない場合が多々ある。だがそれを言えば男性も同じだ。本人はいっぱしの芸術家ぶった気持ちで創作するが、箸にも棒にもかからない作品しか生み得ない人は大勢いる。そこで指標となることは、作品が世間でどう受け入れられるか、簡単に言えば収入につながるかだ。経済的な利点がない場合、世間はそれを趣味とみなしてまともに評価しない。だが、たとえば金持ちの主婦が趣味で作ったごくつまらないものでも、彼女の知り合いの範囲において作品展を開くと飛ぶように売れることはよくある。そのため彼女は同種の人間が構成する狭い範囲にしろ、いっぱしの名のある芸術家として自惚れることがあろうし、そうなればやがてもっと広い世間に名前が知られて行く可能性が出て来る。有名になることは必然ばかりとは限らない。偶然間違った方法で有名になる場合があり、芸術についてもそれは何かという問題までに曖昧にされる。しかし作品の格調はやはりある。
●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_15085316.jpg
 自分が好きであれば、その作品が芸術でなくても全くかまわないと多くの人は思っている。その態度は正しい。それで10代の女性アイドルを追いかけるおじさんがいるし、ライヴハウス通いを趣味とする高齢男性もいる。生きる元気をもらいたいために若いエネルギーの発露に触れたがる。それは高齢になっても変わらないどころかさらに増すこともある。そこに男は女を求め、女は男を求めるという本能を持ち出すと、男女ともに相手の異性が若いほどによいという思いがひとつの真実として立ち現われるが、一方的な憧れは自由にしてよくても、実際に触れ合う場合、高齢男性が若い女性を、またその反対に高齢女性が若い男をとなると、不自然さが顔を覗かせる。その考えは道徳に縛られていると言うことは出来るし、また男女では生殖能力の年齢差があって男女は同じには言えない部分があるが、現在活動中の創作家に対して作品は作者と切り離せないと見るか、作者がどういう人物であっても作品のみを評価するのかという立場の違いの問題も含んで作品の質の評価は強固な基盤を持たず、人気の度合いは絶対的なものではない。簡単に言えば、弦花さんの経歴を知ったうえで彼女の曲を聴くとまた違った面が見えて来るのかそうではないのかとの問題があって、結局筆者のこの文章も彼女の曲のどこに焦点を合わせるべきかに収斂する。主婦である彼女の曲はどういう人々に歓迎されるかとの思いが筆者にはあるが、もっと端的に言えば若さを得たいため、また私的な関係を持つ可能性がゼロではないと図々しく夢想する男性客にとって彼女はどう見られるかだ。昔と違って今では芸能人は結婚して子どもを産んでも熱心なファンはついて行くが、それはその芸能人の生き方に同意出来るからで、10代のアイドル歌手とは違うと言ってよい。だがそう断言するとまたややこしい問題がある。つまるところ、結婚していようがいまいが、本人の魅力が問われ、その魅力はわずかに知った段階においても華があるかどうかで判断される。その華とは大勢から秀でて目立つ何かだ。その目立つ点をたとえば弦花さんは学生の頃に結婚して出産したことだと言われると心外だろう。彼女が大阪のライヴハウス「HARD RAIN」で演奏した時、「ストレインジ・フルーツ」と題して企画されて集められた数人のひとりとしてであった。弦花さんを、あるいは彼女の作品を「奇妙な果実」と形容することは言い得て妙だが、ではどこが奇妙なのか。多くの女性シンガー・ソングライターとは違って結婚して家庭を持っていることと言えば、それは正しくないとしても、一方でそうであるからこそ獲得出来たものがあるはずで、その成果を奇妙と見るのはライヴハウス界では当然ではないか。つまり彼女はシンガー・ソングライターとしては異色で、その分強みもあればまた弱みもあり、女性によりファンが多いことが想像される。創作の希望を与えるからだ。
 彼女の強みとは結婚してそれなりに安定した暮らしをしていることだ。芸術家は安定しては駄目だとの意見もあるが、ある程度の安定がなければ創作は続かない。弦花さんが安定の暮らしから詩と旋律を紡ぎ、編み物のように織り上げるには時間も費用も要するが何よりも大事なことは作ろうという前向きな意思だ。創作の原点にそれは欠かせない。誰でも漠然と作りたいと思う。そこから進んで実際に作り始め、完成させることは別問題だ。それこそが植物にたとえると「花」であって、弦花さんは音大を卒業して初めて「ヨリソウ カゲ」で当時の彼女のさまざまな思いを網羅した。網羅という言葉はふさわしくない。網羅したのであればもう次に言いたいことはないか、あっても二番煎じになるからだ。それで「ヨリソウ カゲ」は当時の彼女の思いの一部を吐露したもので、その部分から欠けているものがどう広がっているのか、あるいは彼女自身気づかずに眠っているのか、それとも充分気づきながら自粛して表明しなかったのか、筆者はいろいろと気になりながら、もちろん彼女の私的なことに立ち入る思いはなく、アルバム「ヨリソウ カゲ」からしか彼女の内面を覗き込むしかない。だが、仔細にそうしてもアルバムに収録される全9曲の歌詞がどれも彼女の実生活の思いを正直に綴ったものか、あるいは架空の思いを混ぜたものかはわからない。後者を嘘と言ってしまうのはよくない。想像で書いたことでも何らかの真実が背景になければ他者の心には響かない。結局のところ9曲の歌詞はどれもそれなりに彼女の真実を伝えると考えるしかない。また彼女の歌の表現性は「軽み」よりも一種の「重み」により近く、詩はどれも私小説性が濃厚だ。それはアイドル歌手の歌とは一線を画し、また音大出であることと30代半ばの人生経験豊富な女性の貫禄を伝える。こう書けば彼女は褒められているのかけなされているのかわからないだろうが、ここには書かないが、彼女の経験はやはり重い。そのことが彼女の作曲と歌唱に反映している。そこに「奇妙な果実」とたとえることの正統性があるが、「奇妙な」は彼女の場合、奇を衒ったものとの意味では全くない。流行歌に範を採った曲ではなく、またギターを弾きながら歌うフォーク・シンガーのイメージとも違い、つまりはライヴハウスでもっぱら演奏する女性シンガー・ソングライターとしては珍しい部類に入るのではないか。それはやはり子どもの頃から歌好きで、オペラ歌手を目指して声楽を学んだことに原点がある経歴ゆえで、正統的で真面目と言えば堅苦しい印象を与えるので、軽薄さとは無縁と言っておくのがよい。ではそういう彼女や彼女の曲に華があるのか。「弦花」と自称するからには彼女は女、そして花を意識している。華は大輪の花を意味する。彼女が真の華を獲得するには曲をもっと書くべきだ。しかし京阪神を股にかけた彼女の旺盛なライヴ活動はコロナで中断された。
●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_01140652.jpg ライヴハウスでのレパートリーはCD収録の9曲以外にあったのかどうか知らないが、筆者が聴いた限りでは毎回最初にアルバムの最初の曲「お月さま」が歌われた。これを彼女の代表作として本日の投稿の題名にするつもりであったが、全9曲を聴き込むうちに思いが変わった。全9曲は計33分ほどでLP時代でも少ない。もう2,3曲あればと思うが、9曲でひとまず当時の彼女の言いたいことが尽くされていたとみなすほかない。月への賛歌である「お月さま」は夜の曲だ。しかも冒頭の歌詞「ぽっかりと空に浮かんだまん丸おおっきなお月さま」からいちおうは満月に対する思いを歌うが、月は太陽とで陰陽を成し、アルバム冒頭に「陰」の曲を持って来ながら、その「陰」を歌詞全体で礼賛している点で「陽」の曲となっている。これは「ヨリソウ カゲ」と同じで、ひとつの事物に対する相反する両面を彼女が見ていることになる。また「月」は古代から女性の象徴で、この曲の歌詞は本来男性が歌うべきものとしてよいが、男女を入れ替えられる歌詞は2曲目の「一輪のバラ」にも言える。同曲の歌詞は「ある晴れた昼下がり……少年の前に一筋の光が差し込んだ……彼の心に真っ赤な一輪のバラを咲かす」といった内容で始まり、このいわば初恋についての歌詞は少年と少女を入れ替えても全く不自然ではない。男性がこの曲を歌う場合はそうすればよく、同じことは60年代前半のアメリカの流行歌にはよくあった。また弦花さんがこの曲を少年の経験としていることは、10代後半で結婚した彼女のご主人の弦花さんに対する鮮烈な記憶かと想像することも可能だが、恋の対象となる相手を一本の赤い薔薇の花にたとえることは男女差はない。つまり本曲では男の「陽」と女の「陰」が入れ替え可能で、その点で「お月さま」に通じている。これは弦花さんが男性的女性で、彼女は本来女性的男性に憧れがあることを暗示させもする。もっと言えば彼女は両性具有的で、ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』のようにはあからさまではないにしろ、男女の社会的役割に対して何らかの異議を持ち、その意味できわめて今的な女性と言っていいかもしれない。ただし彼女は女性の権利を声高に唱えるよりも、男女は共に「カゲ」となって「ヨリソウ」べき存在であって、女性の役割を自覚しつつ男性と対等になりたいとの思いが勝っているだろう。上記の2曲は彼女の自信作のはずで、アルバムの最初に続いて聴くと鮮烈な印象を覚える。また同2曲は「月」と「花」で、聴き手は次に「雪」を求めたくなるが、それについての曲はない。それもあって筆者は9曲を並べ変えた。それは曲目を陰陽で振り分け、曲配置を陰陽交互にし、またある一日の出来事を述べるヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』のように順序立てた。ただし遠い山を虫眼鏡で覗けば像が転倒するのと同様、彼女の深い意図から全く外れているかもしれない。
●「にこっと笑って」by 弦花_b0419387_15090987.jpg その順序を列挙すると、5「にこっと笑って」、3「底なし沼」、2「一輪のバラ」、4「ひみつのじかん」、7「小さなおまじない」、6「りんご」、1「お月さま」、9「こえがききたくて」、8「今でいい」となる。5、2、7、1、8は筆者が思う「陽」が支配する曲で、3、4、6、9は「陰」の面が強い。9曲では均等に二分出来ないが、5曲が「陽」、4曲が「陰」であることと、「お月さま」を「にこっと笑って」に置き換えてもアルバムの冒頭曲は「陽」が占める。筆者が思うに、「夜」の象徴の月を謳うよりは、時間に無関係な、そして素直な女心を優しく歌う「にこっと笑って」を最初に持って来るのがよく、上記の並べ替え配置で何度も聴くと全体の起伏がわかりやすく、アルバムはより統一の取れたものになると感じる。同時に「雪」を謳う歌詞の曲の欠落が惜しまれるが、全9曲は「お月さま」のように歌詞が時間帯を示さない場合や自然の観照とは関係のない曲もあって、「雪月花」を持ち出すのはやや的外れかもしれない。上記の曲配置では最後の2曲を入れ替えている。この2曲は前述した「重み」が顕著で、「こえがききたくて」の次に全曲中最も堂々と歌われる「今でいい」を聴くほうが終幕にはふさわしい。「こえがききたくて」は恋の相手の声を聴きたいと切実に歌いながら、最後にしばし休止があって、再開後に思いを翻して相手への想いを否定する。この曲の歌詞もいかにも女性らしいが、男でも同じところはある。それはともかく、「ひみつのじかん」の歌詞「彼には帰る所がある 私とずっと居られない」と合わせると、彼女がご主人以外の男性への想いを募らせていることを想像させるが、詩は現実の体験とは限らない。それに現実の思いを作詞したとしても、30代半ばの女性が夫以外の男性に心がしばしときめいても何ら不思議ではない。それに「こえがききたくて」では相手の男性への恋慕を打ち消している。「今でいい」は人生のさまざまな岐路に遭遇しながら現状を肯定する内容で、いわば弦花版の「マイ・ウェイ」だ。それは本アルバムを作り上げたことへの自信とつながっている。それゆえ筆者はアルバムの最後に聴くのがよいと考えるが、「今でいい」の歌詞は3曲目の「底なし沼」で歌われる「人の心だけはミステリアスなもの 本当のことなど誰が知るのだろう 自分の心さえわからなくなってく」の精神的不安定さや自己嫌悪から一転して何もかも言い切ったところがあって、聴き手は満腹の思いにさせられる。それはともかく、「お月さま」は雨で月が見えなくても空の背後に常に存在していることの安心感を歌い、彼女の暮らしの安定を伝える。「お日さま」でないのは昼間に人は働き、農民でない限り太陽をさほど意識しないからだ。仕事が終わって昇る月に人は安らぎを覚える。夜に開場するライヴハウスで弦花さんが最初に「お月さま」を歌うのは客への労いの意味もあるだろう。
 最初に戻って「ヨリソウ カゲ」をさらに吟味する。「ヨリソウ」は「寄り添い合う」と捉えれば仲よきことを意味するが、いつの間にか忍び込んで寄り添って行かねばならない負の存在と考えれば、「陽」ではなく「陰」に近い言葉になり、それが「カゲ」とつながれば、昔に流行した肺に出来る結核の「影」を連想させもする。だが彼女は「ヨリソイアウ」では長ったらしいので「ヨリソウ」にしたはずで、やはりそこに「陽」の思いが込められている。同じ四字に固執するのであれば「ソイアウ」でもいいが、彼女がそうせずに「ヨリソウ」としたのは、「寄る」は「夜」に通じ、冒頭曲「お月さま」の印象を補強すると直感したためとも考えられる。一方「カゲ」はどの漢字を充てるか。「影」しかないようだが、陽に対する陰や翳でもよく、また「景」もある。この字は「京」の上に照る「お日さま」ではないが、「日光」のことで、またそれによって生ずる「日の影」の意味もある。つまり「カゲ」と表記すればこれは「景色」と捉えてよく、「カゲ」は全存在とその見え方の根本を表わす。そう考えれば「ヨリソウ カゲ」はたとえば日陰の身のふたりを意味すると限定的に捉えずに、人間全体に通じるべき言葉であって、しかもその根底に「個」や「孤独」が貼りついている。人は寄り添っていても孤独を感じることはある。ヴァージニア・ウルフは出産しなかったが、献身的な夫がいたのに入水自殺した。世界が陰陽で成り立つならば、健康に対して病気があり、精神の病から自殺することも否定し切れない。ところで「弦花」の「弦」は「玄」つまり「黒」を含んで「陰」になぞらえ得るようだが、中国では千字文の最初にあるように日月が輝く「天」は「玄」で、「地」は「黄」とされるから、「弦花」はいわば「天上に咲く花」で、全体として「陽」とみなせる。弦花さんはコロナ禍がなければライヴ活動を続けていたか。数年途切れた活動を元に戻すことはたやすくない。それにライヴハウスはコロナ以前の状態に戻って来ているが、客が集まりにくくなっていると聞く。大きな出来事があれば時代の流れは変わる。そういう時こそ作品行為を楽しみとする者の出番ではないか。幸福な家庭に満ち足りると芸術家は堕落するとまでは言わないが、つまらない作品を生みがちであるのは幾分正しい。独身女性はそうでない女性より自由で、性生活を含めて奔放に生きることにさほどためらわず、そういう女性が作詞作曲した場合、妻である女性以上に喝采を浴びがちだが、弦花さんなりの「奇妙な果実」を味わいたい人は必ずいる。筆者が言うまでもないが、人や作品との出会いを多くして、「作らなければつまらない」と彼女が「にこっと笑って」思ってくれることを期待したい。最後に、「にこっと笑って」は平凡な曲のようでいて真実味、普遍性がある。筆者は深夜にひとりで聴きながら、まるっきり月並みな言葉だが、とても癒される。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

by uuuzen | 2023-04-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●「初使い 中古買っても 新カ... >> << ●『久坂葉子詩集』

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?