「
轆轤首 待ちくたびれて 伸び過ぎて 相手のもとに にゅーと顔出し」、「恐々に 尋ねてみれば やはり恐 びくびくすれば 見くびられるや」、「堂々と 尋ねてみればひるまれて あんた恐いわ 偉そうにして」、「偉い人 偉そうにして 偉く見え アホな人には アホと呼ばれて」
相楽園の蘇鉄を採った写真の枚数を減らすため、ほとんどを2枚を1枚に組み合わせ直した。そうすれば書くべき文章の段落数が大幅に減る。それで写真が全9枚であれば投稿は3回ではなく2回でもよかったが、承天閣美術館の蘇鉄よりか貫禄のある蘇鉄園であるので3回がよいと思い直した。筆者がブログに投稿する写真は基本的に500×360ピクセルだ。これを2枚で1枚に加工しても同じ500×360にするため、その半分の1枚の写真は360×250となるが、2枚の間に2ピクセルの空白を設けるので、360×249ピクセルにする必要がある。500×360の写真を縦横比率を守って360×249に縮小すると、360は259ほどになって249では10ピクセル足りない。つまり最初はどの写真も500×360に加工するのに、その写真を2枚で1枚に加工し直す際、元の2枚の写真は縦を10ピクセル削ることになる。これが厄介な場合がある。かなり厳密に構図を決めて500×360に加工しているものを、改めて縦を削るからだ。それで仕方なしに10ピクセル削る場合と、500×360の写真の縦横比率を変えて360×249にする場合がある。後者では写っている内容はそのままでわずかに扁平になるが、筆者の安物カメラでは現実を正しく真正面から撮っていることはなく、左右も上下もわずかに傾きがある。左右の傾きは筆者が撮れば必ず右が少し下がるので、水平に戻す加工をする。その時に生ずる水平線のギザギザの歪み線によって本来の写真の傾きを変えたことがわかる。上下の傾きは小柄な家内が筆者を撮る場合と、筆者が家内を撮る場合に差が出るし、被写体とカメラの距離も関係する。それはともかく、500×360の写真2枚を同じサイズの1枚に加工し直すのは上記のように手間がかかるが、10ピクセル削らずに縦を10ピクセルすなわち4パーセントほど縮小しても写真は不自然に見えない。スマホには足を長く伸ばして加工出来るアプリがあるようだが、轆轤首のような長い女性の足の写真を見ると筆者はとても気色悪くなる。蜘蛛か奇形であってとても美しいとは思えない。人体の各部はおおむね調和が取れていて、轆轤足ではないが、足だけ手術で長くすれば絶対に全体の均衡美が失われる。明治生まれの人の全身像の写真を見ると6等身と言ってよいほどで、とても頭が大きく見えるが、キモノを着た写真では不自然に見えず、小柄ながら全身のバランスが取れていて、当時背の高い男をデクノボウと呼んだことに納得も行く。ところが日本の人体美の基準がここ半世紀で大きく変わった気がする。
ヴァン・ドンゲンの絵が予告したように今はとにかく背が高いことが格好よさの最大条件だ。筆者から見れば能無しに見える顔つきの男でもモデルや芸能人になり、またイケメンと呼ばれている。最近身長が175センチない男は男の権利はないと言った女がいた。そういう女は女の権利がないと小柄な男は思っているし、賢い男はみなそうだ。人間が蘇鉄のように生育条件がよければどこまでも大きくなる動物であれば、やはり大柄な蘇鉄は小さな蘇鉄を馬鹿にするだろうか。絶対にそうではない。どの蘇鉄も最初はごく小さいからで、たまたま育つ場所が違って成長具合に差が出る。筆者はTVで女性が男性の身長は高いほどによいと言っている場面に出会えば、必ず「身長3メートルの男を探せ」とつぶやく。そんな男はいるはずはないが、2.5メートルならいるかもしれない。ともかく世の中の多くの女がそういう男を求めれば、それこそ男はデクノボウになることを望み、こぞって手術をして足を伸ばすか、遺伝子操作で足長人種を生み出せとデモ行進するだろう。遠い未来はさておき、男の高い身長を望んでも2メートル少々が限界とすれば、彼らは小柄な人を馬鹿にするだろうか。そうだとすれば蘇鉄以下だ。それに2メートルはない大多数の人はやはりその人物をデクノボウと呼ぶ。デクノボウは背が高いだけで取り柄のない男のことだが、これが小柄な男のひがみかと言えばそうとは限らない。長い歴史から人は小柄な男に偉大なことを成し遂げて来た場合が多いことを知っているからだ。もちろん長身の偉人もいるが、それを例外とみなすほどに身長2メートルは日本ではきわめて珍しかった。だが戦後日本の栄養がよくなって今は男の平均身長は175センチになっているのかもしれない。それでは前述の女の発言はさほど小柄男性を侮蔑していないことになりそうだが、栄養状態をどんどんよくしても平均身長2メートルにはたぶんならない。蘇鉄も同じことが言えるかもしれないが、蘇鉄は品種改良によって今はいくつかの種類があるはずで、成長が比較的早く、また棕櫚とまでは言わないが、背がかなり長く伸びるものがありそうな気がする。それが面白いとなれば、商売人は遺伝子改良して轆轤首のような長い幹の蘇鉄を生み出すだろう。植物がそうなったところで人間は面白いと言って珍重するだけで恐がらないが、遺伝子操作が今後どこまで広がってどのようなデクノボウ的、あるいは轆轤首的な生物が登場するかわからない。それで身長3メートルの男がよい女の望みもかなう。だが男はどういう女を望むのか。大柄女を好む小柄男はたまにいるが、身長3メートルの女に抱きつく小柄な男はまるで赤ん坊で、子宮に出入りして遊ぶことを互いに歓ぶかもしれない。普通のセックスに飽きればいずれ人間はそういうことを本気で考える。轆轤首のお化けを生み出した先人は人間の捉えどころのない気味悪さを見抜いていた。
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