「
粽より 柏餅かな 子どもには 親も嬉や 端午の節句」、「背伸びして あちらこちらの 青梅を 摘めば雨露 顔にかかりて」、「梅酒より 梅干し漬ける 値上げの世 毎日ひとつ おかずにしよう」、「ひと月も 摘むのが早し 小梅かな 待てば大きく 育って落ちて」
今朝10時過ぎ、裏庭で雀に古米を与えた後、用水路が干上がっていることに気づいた。大雨の予想に際して上流の水門堰が閉められたからだ。年に何度かそういうことがある。渇水期の2月に締め切られることもあって、それに気づけば裏庭の特に合歓木の枝の剪定を行なう。枝の半分ほどは伐った直後に鋸で手元にたぐり寄せ、それを隣家の裏庭に放り投げる。枝の長さは長い場合は4メートルほどある。たぐり寄せられないもう半分は用水路に落ち、水嵩が多ければ下流に流れて行く。長さ数メートルあるので下流のどこかで引っかかる場合があるが、その割合は5本に1本ほどだ。残り4本は筆者が探せない下流へと消え、罪悪感を覚える。今年2月は枝を10数本伐り、流れた数本は下流300メートルほどまで探したが、1本だけ回収した。それはともかく、2月に上流の水門が閉められると水深は5センチほどとなり、その状態に気づけばたいてい合歓木の枝払いに取りかかる。そして水路に落ちた枝や葉を回収しながら、上流から多量の水が流れて来ないかと心配するが、一度も流れて来たことはない。2月に合歓木の枝払いを4回ほど行ない、その疲れが原因でひどい発疹が筆者に出たと家内は言う。半ばは当たっているだろう。枝払いは用水路の底から5,6メートル上の幹の又に跨ったままのことだ。その状態で長さ3メートルの鉄パイプの竿の先に取りつけた鋸が届くか届かない遠い箇所をもっぱらギコギコとやるので、体の向きを変に強制したまま腕に力を入れる。普段使わない筋肉を動かすので、自分では気づかないが疲れが溜まる。年々体は衰えるので、来年はまたひどい発疹に見舞われるかもしれない。発疹の免疫がつくかどうかだが、ついても体力が衰えて行くので毎年発疹が出る可能性が高い。今日の最初の写真は梅の実を収穫する前に用水路に降り立って撮った。2枚目は梅の木を見上げた。これは白梅で、同じほど成長しているすぐ隣り合う紅梅には実は2,3個しか出来ない。本当は収穫は6月がよい。1か月先であれば2,3倍の大きくなる。ただし熟れて用水路に大半が落下する。青梅状態でも落ちることはよくあって、毎年たぶん3割は下流に流れ去る。背伸びしつつ傘の柄で枝を手繰り寄せながら実を摘むが、その作業中にもボトボトと水路に落ちる。それでも最低2キロは収穫出来る。梅酒は去年漬けたので今年は梅干しにする。毎年交互だ。ほとんど種だけの小さな梅干しになるが、ないよりはいい。自分で植えた梅の木であるから、果実を見殺しには出来ない。とはいえ筆者はあまり梅酒を好まず、梅酒の瓶は増える一方だ。10年ほど放置しようか。
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