「
愚者の顔 描いてぐしゃり 踏みつけて 愛国言うな 憂国を聴け」、「Iの国 YOUの国とは 違えども 愛を憂いて ともに信ずる」、「草花や そうかお前も 生きたしか 摘まれ踏まれて すぐに消えるも」、「この時が 花であること 後で知る 生きる意味とは 笑みとの出会い」、「パラボラの 花弁広げて 熱集め 虫は無視せず 匂いに向かい」

今日の写真は今日撮った。昨日裏庭で芍薬が咲いた。2006年1月に島根の大根島で買った牡丹の2本の苗木の白はうまく成長し、毎年大輪の花を12ほど咲かせるようになったのに、赤は確か2、3年で枯れた。真っ赤ではなく、今日の写真のような桃色と呼ぶにふさわしい品種だ。枯れた赤牡丹を放置していると、完全に死んだのではなく、毎年芽が出て来た。牡丹は芍薬の苗木に接ぎ木して育てるのが普通だ。その接ぎ木した部分が枯れ、元の部分は生き残った。それを掘り起こして植木鉢に戻し、放置していた。毎年わずかに成長し、去年の春は花をつけるかと思うほどに元気さが見えた。今年はもっと葉が勢いよく伸び、ついに蕾を5,6個つけた。さてどんな色の花か。赤牡丹であったので当然赤だろう。少し大きくなった蕾の下の方がほんのり赤味を帯び、想像が正しいことがわかった。市販の切り花に比べてかなり小さな花だが、10年ほど放置して開花するとは、その生へのしぶとき執着に驚くほかない。先日植木の仕事に8年従事していた人に訊くと、芍薬の鉢植えはうまく育たないとのことで、それはやはり10年近くは要するとの意味だろう。それにしてもよかった。諦めずに10年見守り続けた結果、牡丹ではなく、元の姿の芍薬が咲いた。これを台木にしてまた牡丹の苗を接ぎ木するといいのだろうが、白牡丹のすぐ際にこの背丈の低い桃色の芍薬が座り込んでいる姿もなかなかよい。庭の片隅に昔鉄砲百合を植えた。それは球根を買えば必ず咲く。わが狭き裏庭が牡丹の次に芍薬、そして百合と、さまざまな美女のお出ましとなる様子を思うと楽しい。この芍薬を地植えしてやりたいが、合歓木や椿、ぐみ、藤など高さ数メートルの木が植わり、地面に空きがほとんどない。どうでもいいような灌木を切れば空間は確保出来るが、そうした植物も長年の付き合いで処分する気になれない。そのことが筆者の蔵書やCDがたまり続ける一方である理由でもある。筆者が死んだ後、それらが散らばり、またゴミになることを想像するのはとてもつらい。それで今この瞬間が愛おしい。二三度しか会っていなくても強く印象に残る人がある。そんな人のことをたまに思い出すとまた会いたくなるが、会わなくても思い出だけで充分かと思い直す。会っても以前と同じ感情にはならない可能性もある。それはともかく、密度の濃い時間を味わうのに花や芸術がある。ああ、それにしてもよかった。枯れ死せずにようやく花を咲かせてくれた。10年ほど粘り強く見守った甲斐がある。

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