「
捻出の 労苦楽しむ ゆとりとは 湯を取られても 水あればよし」、「傷治る 不思議さに神 思う吾 いずれ死神 来たるも不思議」、「満ち足りた 気分ほしさに 満月を ひとりで見つめ 花の字思う」、「雲間から 覗く月待ち 夜霧過ぎ くしゃみ三回 忍び逢いなし」
予想どおりに今夜はすっかり曇天で満月が見えない。それで昨夜撮っておいたものを載せる。雲の間から出て来るのを数分待った。今夜のような空ではいくら待っても見えないことがわかっているし、今にも雨が降りそうだ。そんな時は諦める。諦めるか待ち続けるかの判断は雲の量による。待っても無駄かどうかを決めるのは動物も同じで、執着し過ぎては時間の無駄とばかりに断念して次の行動に移る。これは人間の男女の仲でも言えるが、時に執着のあまり、人生の終着駅に着くことを厭わない者がいる。みっともないとわかっていながら、どうしようもないとの気持ちはわかるが、やはり冷静になればみっともない。久坂葉子が自殺した原因は恋愛相手から冷たくされたことがひとつだろう。相手の男が久坂から死の間際に書いた手紙を受け取れば、もはや仲直りの不可能な自殺に腹をくくった彼女に対して後ろめたさや敗北感しか思い浮かばず、久坂の自殺が生涯抜けない棘のように刺さったままになることは容易に想像出来る。自殺に追い込んだ男が悪いかもしれないが、自殺によって勝利を得たかのような久坂もそうとう意地が悪い。富士正晴はそのようには書かないが、男優の立場になれば同じ男としてそのように久坂を捉えてみることをしたはずだ。自殺する者は悲劇を抱え込んでいるが、自殺された恋愛相手も同じような、そしてもっと長い年月の悲しみを抱く。そこで男は相手が平気で相手を次々に変える蓮っ葉な女であると思うようにして自分の責任を軽く見るようにする場合があるが、久坂の最後の恋愛相手になった男優は、その意味で久坂のキスが女郎のようだといったようなひどい言葉を投げたのかもしれない。だが男女の仲はさまざまで、男の辛辣な言葉は久坂がそういう辱めの言葉を好むと直感したからかもしれず、表に出ている手紙だけは実際のところはわからない。それでも久坂が予想して書いたように久坂の死は1週間で忘却され、そのように他人の死をいつまでも覚えていないのは、生きていかねばならない動物では当然のことだ。強烈な印象を抱いた対象をたまに思い出すという存在にして記憶の中に仕舞い込む。そしてたまに思い出してもそれだけのことで、去った者にはそのことがわからない。だが死んだ者にはそれはどうでもいいことで、久坂のように本を出したかった者は作品の評価を後世に委ねつつ、また少しの自負はあった。その死後の名声を思うことは鶴見俊輔が書くように「非常に多くの名誉心」のゆえかもしれないが、「底をつらぬく勇気を感じさせる」ことは確かだ。今日は久坂以外のことも書く。
2枚目の写真は先日触れた御物『伊都内親王願文』から集字した「花満月」の三字だ。インタヴューや記事などをよく部分を切り取りし、そしてつなぎ合わせて記事にすることが曲解につながるとして反対する人がある。『伊都…』の一部を抜き取り、他の部分と合成した「花満月」の三字は、橘逸勢がその三字のみ書けば、おそらく字の大きさも含めてそのようには書かなかった。三字は長い文章における抑揚の中でそれぞれにそのように書かれたもので、その長文における抑揚を無視して三字を抽出して組み合わせてもそこには逸勢らしさは幾分減じているはずだ。そのことは『伊都…』に何度か書かれる「大」の文字を見てもわかる。そのどれもが違う。活字では同じ字は同じ形になるが、手書きでは毎回わずかに異なる。それは文章の中に占める位置や前後の文字の相互干渉によるが、そういう筆跡のリズムを臨書で学ぶところに楽しみがある。それを経て逸勢の個性を把握し、その後にたとえば「花満月」の三字を書けば、それは逸勢の魂が少しは乗り移ったような作品になり得るし、またそれは今日の2枚目の集字とはかなり違うものになるであろう。つまりこの「花満月」をひたすら臨書しても逸勢らしい作は望めず、『伊都…』の全文を何度も臨書することが大切だ。そう考えると筆者がしばしばある文章の引用を行なうことは誤解を与える可能性が大だ。それを承知で先ほど思い出したが、鶴見が久坂の詩『月ともののみ』を古典的な完成に達していると評価したことに対する筆者の考えを先日書き忘れたので、次にその詩について説明する。当時久坂は17歳。以下全文。「その人は/桃のかわをスーッとむきました。/なかから/感傷的な(センチメンタル)なおじょうさんの/ボーッとほほをあからめたような/果肉(み)が出て来ました。/それは甘くって、やわらかでした。//その人は/しずかに、ちっとも音をさせないで、/桃の実をたべました。/萩むらに月がゆれてる頃でした。」ザッパの初期の曲の歌詞「DUKE OF PRUNES」はこれをもっと過激かつ滑稽にした表現だが、久坂のこの詩が暗喩するものは誰しも思うように、「その人」が「おじょうさん」より年配の男で、「おじょうさん」がセックスの対象として受け入れられる落ち着きと知性を持っていることがよく伝わる。「桃」と「萩むらに月」であるので8月がふさわしいが、この詩は6月18日に書かれた。梅雨の夜のねっとりさと蒸れた桃の甘さがよく伝わる。性への目覚めを越えて期待が読み取れもするが、年齢を考えれば至って健康だ。しかし17歳の女性がこれほどの詩を書くことは稀であろう。「月ともののみ」の題名は、月が「その人」が桃の果肉を頬張る様子を照らす様子に焦点を絞ったもので、「おじょうさん」の「甘くって、やわらか」な「果肉」をことさら思い浮かべる必要はないが、桃の実の割れ目は誰でも尻のそれを連想する。
3枚目の写真は一昨日、嵯峨に買い物に行く途中で見た
中ノ島公園の鵜屋の壁面に貼られた抗議文だ。全部で5,6枚あった。写真右奥が渡月橋南詰めで、観光客は誰もこの貼り紙に注目していないようであった。3日の夜、「風風の湯」で家内が85Mさんの奧さんからこの貼り紙について耳にした。早速翌日見たところ、昨日剥がされたようだ。ところで去年9月、毎日放送の「報道情報局」からツイッターにダイレクト・メールがあった。それに気づいたのが今年2月で早速返事を送った。返答の中に「嵐山の鵜小屋は景観上好ましくない」とあって、筆者は初めてそういうものかと思った。鵜屋の完成後、コロナ禍があって、開店休業状態と思っていたところ、実はそうでもなさそうであることが抗議文から知った。鵜屋は竣工時のままで、周囲に雑草が茂っている。内部も同様だろう。どういう経緯でこの鵜屋が出来たのか知らないが、抗議文の最初の問い「鵜飼文化を振興する為に作ったものなら何故廃墟にしたのか?」はコロナ禍の終息が曖昧になっている現在、「廃墟」は言い過ぎと思う。二番目の「なぜ誰も責任を取らず3年間も放置しているのか?」もコロナ禍がひとまず理由になる。三番目「作った本当の目的は?」は、その下のA以降に書かれるが、他の貼り紙と合わせて秋篠宮への抗議が主体だ。週刊誌その他に書かれるように秋篠宮への批判は近年目立つ。筆者は無関心だが、この抗議文を読むとさまざまなところで皇族が関係しているようで、また皇族を利用する人々がいることがわかる。それはさておき、この鵜屋が無用の長物すなわち本物の廃墟となってやがて取り壊されるのか、あるいはいつか鵜の姿が見られるのかは知らないが、筆者は後者であってほしい。話は変わる。今月1日から「風風の湯」が100円値上げになった。10年ぶりの値上げだが、これまでに種々のサービスは次第になくなって来ている。物価の値上げが進行中で、筆者は去年から100円程度の値上げは予測した。値上げ告知から2週間ほど経った先月中旬、筆者はマネージャーに向けてちょうど原稿用紙2枚分の匿名手紙を書き、フロントの若い女性に手わたした。筆者の思いが通ずるかどうかわからないが、内容をまとめれば常連には特別のサービスがあってよく、一見の外国人観光客からは倍額を徴収してもいいのではないというものだ。この値上げによって週に一度利用するセミ常連客の幾分かはもう来なくなる気がする。彼らはだいたい大金持ちだが、そういう人ほど50円ほどの値上げであってもひどく気にし、気分を害されたと思う。そうであるから金持ちになる。同じようなことはヘッセの『車輪の下』にも書かれる。筆者の手紙が暖簾に腕押しであれば、また手紙を書くつもりでいる。それはいいとして、ボイラーの故障か、2日前は湯の温度は37度ほどで、風邪を引きそうであった。値上げしてそれでは客は逃げる。
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