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●『久坂葉子詩集』続き
台に こぼれる蝋の 雪景色 炎消えれば 凍えて暗し」、「決めたこと 出来ぬ自分に 苛立てば 夢判断に 気分落ち着き」、「今朝飲んだ 酒にボロ酔い 昼間寝て 深夜に目冴え 愚痴をポロポロ」、「続きとは 二番煎じの ことなれど 出がらしまでも 生き続けるや」●『久坂葉子詩集』続き_b0419387_00150954.jpg 昨日の投稿の最後に書いたように今日は残りの思いを書く。鶴見俊輔の「甘え」という久坂に対する思いに強くこだわるのではないが、まずそのことについて。久坂は10代半ばから詩を書いていた。そして詩から小説に進んだが、小説を書く合間にも詩を書いた。戯曲は3編で、そのどれもがとてもよく出来ている。ところで久坂は音楽にも美術にも文学にも才能を見せ、本書には「古蘭よ」と題する曲の楽譜が載せられている。その直前に同じ題名の1952年に書かれた長い詩があって、これを朗読する際に演奏するために五線紙にメロディを書いたのだろう。この詩の内容はかなり特異で、また久坂が李朝の白磁などの焼き物について関心があったことを示す。それは父が大事にしていた朝鮮の陶磁器が家にいくつかあったためと想像する。「古蘭よ」の詩の内容は、戦争で朝鮮から日本へ引き上げて来た父は、朝鮮在住時に庭に埋めた李朝の白磁壺を取り戻したくなり、娘の古蘭に朝鮮の服を着せて船で朝鮮にわたらせ、庭から壺を掘り起こして持ち帰らせるのだが、何度目かの成功の後、船が沈没して古蘭も壺も海底に沈んでしまったことを悔やむというもので、そこには久坂の父の骨董趣味を理解する久坂の思いが反映しているのだろう。あるいは新聞か何かで船の沈没事件があったことを知って書いたかだが、前者の可能性が大きい。となれば久坂は10代で李朝の白磁の見どころを理解し、そのさびしい味わいは自己の内面の「さびしさ」の自覚に直結しているが、久坂が李朝の白磁の魅力を知っていたとなればやはりかなりの早熟と言わねばならない。柳宗悦が朝鮮の工芸の中で特に李朝の白磁に開眼したのは久坂が生まれる20年近く前で、雑誌『民藝』の発刊は久坂の生まれ年のことであったので、久坂の父が李朝の焼き物を愛でたのは柳の影響が大きい。久坂は柳については一切言及していないが、民藝ブームについてはよく知っていたはずで、彼女がローケツ染めをしたことも民藝運動とは無関係ではないだろう。それはともかく、「古蘭よ」の詩は命を賭けて入手した焼き物を朝鮮にまで取り戻しに行かせる父の欲望と最終的な無念を描き、愛するものを手にするために命がけである点で、久坂が愛を求めながらそれを拒絶されたこと、そして自殺することに通じている。事故死と自殺の違いはあるが、いずれにしても死ぬことに変わりはない。家にはやがて順に売り払うことになる、先祖から受け継いだ美術骨董品がたくさんあったから、久坂は自然と審美眼を身につけることが出来た。つまり久坂の早熟さは家庭環境の影響も大きかった。
 今ではスマホで指ひとつで何でも即座に調べられ、知識を得られるのに、戦後間もない久坂の時代と違って大人は子どもじみて知識の吸収をせず、してもその知識は古典にはなりようのない軽薄なものに人気がある。となれば「知」が無意味、無価値と嘲笑され、久坂の早熟さを彼女の詩や小説から読み取る者も少なくなるだろう。本書の最後に、富士による注や説明抜きで、「原稿の中に残っていた二枚の文章」と題する1952年の短文がある。これは富士の創作ではないかと一瞬思わせられながら、やはり富士は誰かから久坂の未発表原稿2枚が見つかったことを聞き、それが手元にやって来たのだろう。六興出版の3冊本の中でその原稿用紙2枚分をどこに収めるかとなれば、本書の最後が妥当だ。この文章は久坂が自分の自殺を冷静に見つめて計画し、それを実行した後、AからEまでの5人の知人たちにどのような思いを引き起こすかを想像して書いたもので、読みながら背筋が冷たくなる。久坂は知人の5人の男の思いを正確に予想している。もちろん正確かどうかは5人に本心を訊いてみなければわからないが、戯曲であるかのように各人の思いを「きっとそう思う」という考えのもとで「正確に」描写している。5人は久坂を憐れみながらも突き放していて、その5人に富士がいるのかどうか気になるが、たぶんAが最も富士に近いのではないか。ともかく久坂は男たちから思いを理解されていなかった「さびしさ」をこの2枚の文章でも表現する。5人の言葉の前に久坂はこう書く。「久坂葉子は死んだと新聞は伝えた。六甲駅で最終の電車に轢かれて死んだ。これは過失であろうか。自殺であろうか。新聞の上では断定はしていなかった。彼女の持物の中には、遺書らしいものもなかったし、彼女の数日前からの態度もいつもと同じようであったという。」 そして5人の言葉があって、その後にこう続く。「一週間たった。もう誰一人彼女のことをいう者はいなかった。小さい命は誰の頭にものこらなかった。」このように書く彼女は鶴見の言う「非常に多くの名誉心」や「甘え」、「頽廃」の言葉で表現することは無理な気がする。前述の最後の言葉は現実の非情さをよく見つめている。筆者の家内が大学に勤務していた頃、ある教授が同僚の教授の葬儀に出席して学校に戻って来て思いを家内に吐露した。「あれほどの先生でも死ねば誰ももう悲しんだり、思い出したりしないですよ。教授でもその程度ですよ」。その教授もおそらくもうとっくに死に、同じようにみんなから忘れられたであろう。そのあたりまえのことを久坂は書いただけのことで、そこには生きている間に高い名声を得られなかったことの恨みはない。ただし彼女の人生の真実味は富士を動かし、六興出版の3冊以外に何度も内容を変えて本が世に出た。そして筆者が読んで久坂を想い、同様に彼女の「ささやかな名誉心」は今後も人々を共感させ、驚かせる。
 彼女は身の程を知っていた。知り過ぎていたと言ってもよい。「非常に多くの名誉心」は世間に認められたいという願望が文章や行動に滲み出ている場合には的確な言葉だが、久坂はそういうことを深く考えるより前に狙った意図を即座に正しい形の文章にすることが出来た。そこに天才性がある。自殺によって生涯を劇的なものに仕上げるとの思いに「非常に多くの名誉心」が貼りついている場合はもちろんあるが、久坂にはそういう狙いはなかった。あったのは「珠玉の作品」という言葉がふさわしくないかもしれない。自分が純粋であり、しかも書くことに努力すれば、ごくささやかな美しい玉をひとつくらいは作り得ると思った謙虚さだ。そこに「甘え」はない。ただし自殺は「頽廃」で語られやすい。10代末期の創造性に富む女性が「小さな玉」を一個くらいは生み得ると考えることは「非常に多くの名誉心」ではない。創造行為を神聖なものと自覚しても、虚栄心は二の次、三の次ではないか。そうでなければ「小さな玉」を得られないと確信する者でなければ神はその作者に「小さな玉」を与えない。久坂は創造する者は純粋でなければならないと思った。行動や思考すべてに純粋であることは聖人でなければ無理で、それで久坂は自分の醜さを何度も自覚し、そのことに辟易した。その醜さは本性として女なら誰しも持っている。そして久坂は男も醜いと思ったが、創作する者は純粋さを持っていなければならないことをよく知っていた。そして彼女の純粋さは文章に刻まれたが、それを日常の行動に押し広げると、自他の醜さに気づく。その分裂に耐えられなかったところが「病気」であり、そして自殺の結論を導いたが、妻帯者と不倫することを真剣に捉えず、自殺に至る必要はなかったと言う富士の考えに筆者も同意する。だが当時の10代末期の女性にはそういう大人びた考えが醜いものであったのだろう。彼女は次々に男に弄ばれ、また自分もそのことに夢中になり、しかし真の愛が得られないさびしさに囚われ続けた。結婚していればそうならなかったかと言えば、彼女は結婚に幻想を抱かず、姉の結婚をいわば人生の墓場のように悲しいものとみなした。となれば「さびしさ」の理由は男の真の愛が得られないと言った「小さな」ことではなく、生に意味があるのかという哲学的な思惟の穴に嵌り込んで堂々巡りをしていたかもしれない。そういう彼女の存在そのものが若者にありがちな壊れやすい純粋さで、それはもっと人生経験を積んだ人からは「甘え」に見えるだろう。久坂の最後の手紙からは久坂が自分に純粋さがあると思っていたことがわかるが、それも「甘え」ではなく、そのまま純粋であったゆえの言葉だ。繰り返しになるが、真剣に純粋さを思う久坂は一方で自己の醜さにさいなまれた。その醜さも含めて久坂を捉えてくれる男がいればよかったのに、それはかなわなかった。
 本書の最初の戯曲『かいがらのうた』は久坂の可憐さがよく滲み出ている。それは太陽(男)に抱いてほしいと常々願っている娘の物語で、ナレーション役やヴォーカル担当以外に海(男)、月(女)、雲(男)、雨(男)、風(男)が登場する。主役の娘はお日様を慕い続けながら死んでしまうが、その後に太陽は神に対して、娘を真っ赤な小さな貝殻にしてもらい、それを渚に置くことを願う。この最後の太陽のセリフは鶴見の言う「古典的な完成の域」にあって、読者はそこに至って鮮烈な情景を思い浮かべ、久坂の女としてのささやかな美とその形への希求を知る。久坂は須磨に友人の女性がいて頻繁に文通した。友人の家の目前の浜辺で久坂は小さな赤い貝殻を見つけ、そのことから戯曲の構想が成ったのだろう。そして彼女はその作品がひとつの赤い貝殻のように美しくあってほしいと願ったが、それは彼女の人生全体への思いでもあった。そして久坂の人生は一個の赤い貝殻として浜辺に存在している。それは小さいながら目立ち、美しいものに関心のある人なら拾い上げる。彼女の詩や戯曲、小説はみなその小さな赤い貝殻であることを望んだもので、そのことは「多くの空しい名誉心」ではない。浜辺には無数の砂と貝殻やゴミがある。そこに小さな赤い貝殻であることを望むのは若い女性らしさであって、また美しいものに強く惹かれる者だけが持ち得る思いだ。彼女は巨大な存在の太陽や月になりたいとは願わない。浜辺で踏みつけられたり、波にさらわれたりして海底に消えるかもしれない小さな赤い貝殻であることを望む。そこには痛々しさこそはあれ、「甘え」も「頽廃」もない。また「病気」もない。ただ彼女は浜辺の小さな赤い貝殻は必ず誰かの目に留まり、「美しい!」と思われることを知っていた。そうでなければ『かいがらのうた』は書かれ得なかった。この戯曲は小さな赤い貝殻だ。密かに、そして確信的に久坂は誰かの目に留まることを信じた。それは傲慢ではない。彼女は欲を出さず、ただ小さな赤い貝殻に感動し、そのような作品を書いてそれを浜辺に置かれることを願った。赤い椿や赤い花は彼女の詩に主役として登場する。彼女は赤を好んだのだろう。花でなければ貝だが、それの小さなものが浜辺にひとつだけある眺めは劇的かつ感動的であり、可憐さを自己主張し、人々に絶対的なイメージを植えつける。つまり絵画的なのだが、そこに彼女の才能の豊かさも感じることが出来る。その赤に囚われたような久坂が鉄道自殺をしたことは、深夜で血が見えなかったのがせめてもの彼女の美へのこだわりだ。轢死体は醜さの代表と言ってよいが、なぜ彼女は自己の醜さをそのような死に方で始末したかったのか。轢かれて滲み出る血は赤い貝殻のようか。そうではないだろう。死んだ彼女は1週間では忘却されず、「小さい命は誰の頭にものこらなかった」のではなく、赤い小さな貝殻として浜辺に置かれた。
 ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』にヘッセを思わせる副主人公のヘルマン・ハイルナーが登場する。その第3章に10代半ばのハイルナーについてのこんな下りがある。「この若い詩人は、根拠のない多少甘ったれた憂うつ病の発作に悩んだ。その原因の一部は子どもの心のひそかな告別であり、一部はいろいろな力やほのかな思いや欲望などのまだあてどを知らぬ横流であり、一部はおとなになる時のわけのわからない暗い衝動だった。そういうとき、彼は同情され愛ぶされたい病的な欲求を持った。以前彼は母に甘やかされた子どもであった。まだ女性の愛を受けるまでに成熟していないいまは、おとなしい友だちが彼の慰めになった。」この最後の「おとなしい友だち」が主人公のハンスなのだが、素行の悪いハイルナーは放校されながら、第4章の最後辺りで「なおいろいろと天才的な所業と迷いとを重ねた末、悲痛な生活によって、身を持すること厳に、大人物といわないまでも、しっかりしたりっぱな人間になった。」と書かれる。久坂は「古蘭よ」や小説からは母よりも父親に甘えたことが想像出来る。そして思春期に父親代わりになる男性を求めた。その点がハイルナーとどう違うのかは女でない筆者にはわからないが、「根拠のない多少甘ったれた憂うつ症の発作」や「愛ぶされたい病的な欲求」という表現は久坂にぴったりと思う。ヘッセが古典的名作の『車輪の下』を書いたのは29歳だ。久坂がその年齢まで生きれば、ヘッセと同じように10代半ばの自己を客観的に見ることが出来たはずだが、久坂が29まで生き、そして名作をものにするには、天才的な所業と迷いを重ね、しかも悲痛な生活によって厳しく身を持することが欠かせなかった。そのはるか手前で久坂は精神の「病気」によって自殺し、そのことが「甘え」とみなされることにもなった。しかもその直接か間接的な原因は男遍歴で、それでいて心が満たされないという、久坂が戯曲『女達』で自身をたとえるような売春婦特有のもので、そこは「頽廃」と言われても仕方なきところがある。しかし10代末期の女性が3人の男と関係を持つことはあたりまえとも言われる現在、久坂の苦悩を理解する若い女性は少数派かもしれない。ヘッセが性交についてどう思っていたかは『知と愛』に書かれるように、若い男が求めれば女はたいてい応じるものであり、また女は子どもを産むことで男が抱える創造の苦しみから解放されているとし、女性の男性遍歴についてはほとんど無関心であった。それは女でないのでわからないからでもあるが、女性は男性と違って「知」ではなく、「愛」に生きる存在と、今では差別的とみなされかねない思いに傾いていたと言ってよい。そこにヴァージニア・ウルフを持ち出すとまた興味深い問題が浮上する。彼女は豊富な男性遍歴があり、小説家として名声を得てから還暦近い年齢で自殺する。久坂が長生きすればそうなったか。
 最後の戯曲『鋏と布と型(かたち)』はマネキン人形と洋服の仕立てを職業にしている谷川諏訪子との対話に終始し、久坂はマネキンに自分の思想を投影し、諏訪湖の仕事などを揶揄し続ける。どこに書かれていたか忘れたが、久坂はファッション・デザイナーを美に携わるというのに最も品性下劣な連中とみなした。その一方で久坂が生きた当時にすでに有名であった同じ神戸市内にいた田中千代だけは別と言った。演劇女優では杉村春子を別格と礼賛したが、久坂は誰もが認める才能の大御所に反旗を翻すことをしなかったと言ってよく、ファッション・デザイナーを下劣と評するのは才能が乏しいのに偉ぶることだけは一人前の人物に出会ったからだろう。それはたぶん田中千代に学んだ数多くの女性のひとりで、久坂が敵視するような高慢ぶりを見せたに違いない。それはともかく、ずばりと久坂がファッション・デザイナーに対して書く言葉は短剣のように鋭く、詩人であることを納得させる。田中千代についてはここに書かないが、久坂が自殺する頃からモダンなキモノを発表し、また晩年は日本の染織やその文様をしばしば取り上げ、西洋にはない日本らしい洋服の開発に格闘した。同じことは日本の洋画、建築家などにも言え、和洋折衷をいかにうまくこなすかを考え続けた。どっぷりと西洋では西洋人の作品に負けるから、日本らしさに目を向けるのは当然だが、文学の場合は日本語で書くから、西洋の古典をさほど気にすることはない。しかしたとえばイギリスではそれなりに知的な交友を持つにはイギリスの詩人についてなどの教養は欠かせない。久坂の手紙や小説を読むと、久坂が貪欲に次々と西洋の大家の作品に関心を抱いて本を読んで行く様子がわかる。つまり才能を育み、開花させるには古典に学ぶことの必要を疑わなかったと言ってよい。しかし10半ばから4,5年では読書量に限界はある。それに読書よりも創作が大事と考えていたので古典ないし前衛文学に対する知識は狭く限られたものであったと言ってよい。また文豪の作品を読んで影響を受ける必要はなく、自分が表現したいものは自分が持っている言葉で書けるとの自信はあったろう。そういう久坂であればたとえば田中千代に少しくらい学んでデザイナーを気取る人物は許せなかったに違いない。それにいかに格好いい洋服をデザインしてもその誂えを着るのはひとりで、小説のように多くの人の手に届かない。つまり洋服の創作と文学とでは比べものにならないと久坂は思っていたであろう。誰でも格好よく見られたいから、格好いい洋服を求めたがるが、それが行き過ぎて全く似合わず、傍目にはチンドン屋に見える場合は多々ある。そうした美の本来の役割を通り越して洋服のみ目立つこと、またそういう服をデザインして仕立てる連中を久坂は醜いと思っていたのだろう。この考えはよくわかる。
 『鋏と布と型』は1952年に書かれた。「奇怪なる音楽」の断りが最初にあり、マネキン人形が動く際にはそれが演奏されることを久坂は指示した。その音楽が具体的に誰のどういうものを意識してのことであったかとなれば、久坂はフランスのミヨー辺りを聴いていたので、無調の音楽ではなく、調性はあっても不協和音が目立つ旋律を思えばいいだろう。またその音楽は久坂の知り合いの音楽家に任せ、久坂は作曲しなかった。マネキンが動く際に奇怪な音楽が鳴るのはフェリーニの映画『カサノヴァ』を思えばよい。そこではカサノヴァがマネキン女性と踊る場面があり、背後ではニーノ・ロータ作曲の奇怪な音楽が終始流れる。だがその映画は久坂が死んで四半世紀後の製作で、その意味で久坂は先駆的な発想を持っていた。『女達』では原爆で顔を焼かれた高齢女性や戦争から復員して飲んだくれになっている高齢の男が登場し、久坂の時代ではよかったが、現在の上演では時代設定が古臭い。それは『鋏と…』でも言えなくもない。諏訪湖はある婦人から注文を受けて仮縫いを済ましたのだが、注文主がわずか10日ほどで太ったためか、寸法が若干合わない。そういう誂えの洋服をもっぱら注文する人は今でもいるだろうが、高級ブランドの洋服が日本でも高度成長期以降に人気を博し、洋服の美しさよりもそれがいかに高価で売られているかに関心のある女性が増えた。そのため『鋏…』の内容は時代遅れに思われるだろう。それはともかく、マネキンは諏訪湖に辛辣なことを言い続け、次第に諏訪湖は不安になる。こんな場面がある。「私はデザイナーよ。ものをつくり出す人よ」「……およそ、つまらない一つの職業だわ。人間のうちでよ」「いいえ、神聖な職業よ、デザイナーは、芸術家よ。…」この後もマネキンは執拗に諏訪湖に反論を続け、諏訪湖の名誉のつまらなさやまた10年経てば皺だらけの顔になることを指摘して諏訪湖を滅入らせる。ここには生きている諏訪湖と物としてのマネキンの対立があり、久坂は生をつまらなく思い、いつも同じ姿で諏訪湖の前で以外は動かないマネキンを死の象徴とみなしているところがある。つまり自殺への憧れが裏打ちされている。諏訪湖には夫がいて、彼女は食事の用意などの家事を当然のごとく行なうが、そのこともマネキンには揶揄の対象になっていて、久坂が結婚にどこかで憧れつつも幻想を抱いていなかったことがわかる。3編の戯曲ともに登場人物に救いがない。あるとすれば死しかなく、死んで初めて安らぎを得られるとの設定だ。久坂はその思いに囚われ続け、予定したように1952年の大晦日に自殺した。死んだ当初はどのように詮索されるかを予期し、1週間経てば誰も話題にしないことも予想してそのことを文章にした。それの用意周到ぶりはあっぱれではあるが、後味はよくない。しかし久坂が望んだように久坂の作品は浜辺の小さな赤い貝殻にはなった。
 もう一段落書く。『女達』に「勝手にしやがれ」というセリフがある。同名の有名なフランス映画が1960年に公開されたが、邦題をつけた人は久坂のこの戯曲を読んだかもしれない。その映画の邦題は映画の中の言葉を訳したもので、原題は別の意味を持つ。その原題の直訳では格好よくならないので、それで『勝手にしやがれ』を意味する言葉を選んだのだろうが、そのフランス語の言葉をたとえば「どうぞ御自由に」と訳してもかまわず、それを「勝手にしやがれ」と訳したところにこの映画の日本でのヒットに大きく貢献したと思う。その結果後年同じ題名の日本の歌謡曲も流行するが、それほどこの「勝手にしやがれ」の表現には強さがある。久坂が初めて『女達』で用いたのではないが、同戯曲が描く世界ではこの表現はぴったりして久坂が悪態言葉を駆使することにも才能があったことがよくわかる。それで前述のフランス映画が日本に持ち込まれた時、当時のことであるから、読書家であったはずの邦題担当者は『女達』に一度だけ使われている「勝手にしやがれ」に着目したのではないか。さて、筆者は演劇を生で見た記憶がほとんどないが、コロナ禍が広がる前年の12月下旬のとある夜に、ある女性の紹介によって大阪阿倍野のとあるシアターでイヨネスコの生誕110年記念と銘打った『授業』の上演を見た。入場料3000円でその半券がどういうわけか『古文書のよみかた』という本に挟まれているのを最近気づいた。登場人物は主役の男性に若くてきれいな女性ふたりで、またジャズ・バンドが伴奏をした。演劇が終わった後、しばし筆者は主役を演じた茨木童子と話をした。彼は大型電気店で働きながら演劇を今後も続けたく、唐十郎の赤テントのようなことをしたいとも語った。イヨネスコのような古典を演じる一方でまた前衛的なと思うが、「状況劇場」ももう古典になっている。筆者は70年代半ばの一時期に「状況劇場」の下働きのようなことをしていた同世代の男性を知るが、彼は還暦を迎える前に流れ者となって京都を去った。妻から「勝手にしやがれ」とばかりに離婚を迫れたからで、裁判の後にそれが決まった。戯曲を書いたチェーホフは、演劇は俳優以前に戯曲の内容でよしあしが決まると言った。俳優は書かれたセリフを読み、演じるだけであるからだが、久坂が演劇俳優も「つまらない職業」であると思っていたのか。それは久坂が自ら書いた戯曲の上演に際して舞台に立ちたがったかどうかで判断すべき部分があるが、登場人物に自己を投影しながら、実際に演じたのは別人であった可能性もある。久坂がいわゆる人前に出たがりであれば、富士の言うようにすぐそこまでやって来ていたTV業界で久坂は黎明期の黒柳徹子のような役割を担ったかもしれない。しかし戯曲の執筆は裏方でありながらすべてを支配することで、自分を画面に晒して人気者になることを久坂は望まなかったであろう。
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by uuuzen | 2023-05-02 23:59 | ●本当の当たり本
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