「
俄かには 惚れぬ自信の 揺らぎあり されど縁は 相手も握り」、「さびしさは 愛なきことに 忍び入り 赤きハートの Tシャツ着ても」、「核心を 得て空っぽと 知る後に 何で埋めるか 前途の荒野」、「萎縮して 世の片隅で 目立たなく やがて縮むや 脳の認知度」
富士正晴が編集し、
昭和53,4年に六興出版から世に出た久坂葉子の3冊の本のうち、2冊目の『久坂葉子詩集』を読み終えた。3冊のうち、最も頁数が少ない。詩と戯曲を収め、余白が多くてすぐに読破出来る。結論を書けば3冊では最も印象に強く、久坂の天才ぶりが改めてわかった。本の帯に鶴見俊輔が評を寄せている。短文ながら的確な内容だ。全文を引用したいほどだが、あちこちかいつまむと、「誰の仕事にも似ていない」「古典的な完成に達している」「久坂葉子の航跡は、現代における人間全体の航跡を代表するものと言えず、日本人としての典型的な航跡とも言えない。だが一人の誠実な個人の生涯のもつだけの意味をもっている。それは歴史によって変質を要求され、しかも変質に成功することができずに悩み、自分をたちきってしまった一人の生涯であり、このような人は久坂の他にかなり多くいるはずなのだが、久坂ほどにはっきりと自分の病状を見て、勇気を以って報告した例は少ない」「非常に多くの空しい名誉心と甘えと頽廃を見せながら、底をつらぬく勇気を感じさせる」これらの引用の結論は「病状」や「甘えと頽廃」の言葉に表われている。鶴見は久坂の21歳での自殺を病気とみなし、また甘えと頽廃があったとも考える。筆者は久坂に「甘え」があったとは思わないが、「病状」と「頽廃」の形容は賛成する。前者のいわゆる「精神の病」が当時の若い女性にありがちであったのかどうかは知らない。同じ時代を生きた鶴見は久坂が精神を病んだのは甘えであり、頽廃的であったからとみなすのだが、一方で鶴見は久坂が「誠実な生涯」を送ったとも書くから、「頽廃」と「誠実」は相反するものではない。本書の詩は書かれた順に並び、最も古いものは17歳だ。鶴見が「古典的な完成」と評価する「月ともものみ」も17歳の作で、久坂は17歳で完成していた。それから死ぬまでは4年だ。その4年を「非常に多くの空しい名誉心」に駆られて久坂が書き続けたのかどうか、筆者はわからないが、本を出したいと思っていたことからそう見られても仕方のないところはある。ただし才能を強く自覚する10代の人が名誉心を抱くことは健全であると言ってよい。それは世間知らずかもしれないが、人間が年齢を重ねるほどに世間をよく知るかと言えばそうとは限らない。10歳頃にはもうさまざまな人間すなわち世間を見通しているものだ。つまり久坂は早々と人生の味気なさを知り、面白いことは何もないと見限ったのだろう。それは男への愛が通じないことの絶望があったと言えるかもしれないが、本書を読むとそれだけでもない気がする。
久坂は男に期待していなかったと言ってよい。あるいは自分の一途さに見合う男性を探しながら、出会えなかった。どこかにいるはずなのだが、出会いがなければいないも同じだ。久坂は10代の終わり頃から21歳までの間に何人もの男と知り合いになり、以前書いたように3人とほとんど並行して肉体関係を持った。しかし最も愛した男からは女郎のようだとか、「下の下の女」と言われた。そのことが直接の自殺の原因になったかと言えば、その男と知り合う前から何度も自殺未遂を企てたので、失恋が自殺の原因とは言えない。本書で最も面白いと思った作品は戯曲「女達」だ。神戸の港の地下室に住む売春婦とその親たちが繰り広げる物語で、主人公の久良々が久坂本人の思いを最も代弁している。彼女は男を信用せず、絶対的なさびしさを抱えている。富士正晴の『贋・久坂葉子伝』には富士が久坂の訃報を聞いて通夜に出かける場面があって、久坂の家に着くと男子大学生が5,6人泣いていた。久坂は親しい女性から久坂の戯曲は学芸会レベルであると厳しい意見を聞かされていたことが久坂の手紙からわかるが、富士が通夜で泣く男子大学生たちを見つめる眼差しにはその学芸会レベルの演劇仲間であることへの皮肉が感じられる。それで筆者は久坂の戯曲を読む必要を思い、読んでも感心しないことを予想した。ところが「女達」は21歳の独身女性が書いたとは思えない完成度と、世に対する批判がある。また「女達」という題名が示すように、女性の本性を書き示すことが久坂の文章におけるライフ・ワークであったことがわかる。その女の本性は鶴見の言う頽廃だ。それを描こうとした久坂は社会の最も底辺の人々、特に売春婦になるしかなかった境遇に対する告発めいた考えを持っていた。それが「甘え」であるかどうかは、「女達」を読む人によって考えは違うはずだが、久坂が売春婦や貧しい人々に同情的であったことは確かだ。ただし「女達」は久坂が男爵の曾孫であったとは思えないほどに社会の底辺の人々の言葉使いや凄惨な暮らしを描き、どこで題材を仕入れたのかと思わせられる。その凄惨さのひとつは金にしか興味がない売春婦のミミだ。彼女は大酒飲みの父親を階段で蹴落として死に至らせる場面にある。また純粋な恋愛から結婚を夢見る売春婦ひろみも登場するが、彼女が愛した男は警察に捕まり、売春婦の結婚願望など笑止千万との考えが書かれる。久坂は久良々に自分を投影したとして、なぜ自分を売春婦と思ったかと言えば、前述のように愛する男からそのように言われたからだろう。「女達」の最後の場面は久良々の長いセリフだ。そこから引用する。「…何という生活だろう。…男達がにくい。わたいの生活、男をにくみながら男にささえられているんだ、わたいはミミに嫉妬する。あの子は快楽を得ているんだ。わたいはひろみにも嫉妬する。あの子はともかく惚れられたんだ。」
「女達」は1952年5月27日に初稿が成り、翌日改稿、さらに3日後に書き終えている。『久坂葉子の手紙』には久坂が同年10月26日に兵庫県庁内の欽松学園で現代演劇研究所の発表会をしたことが地図入りの案内はがきで紹介される。音楽つきであったので、その演目は「鋏と布と型」かと思わせられるが、同作は自殺する12月の作だ。そして本書には12月13,14日に現代演劇研究書が神戸繊維会館で催した「女達」の舞台写真が載せられ、おそらく10月26日も「女達」を披露したのだろう。そして同年の大晦日に久坂は自殺するから、「女達」の久良々に久坂の言っておきたかった思いを代弁させたと考えていいのではないか。先の引用の続きにはこうある。「…久良々は女なのだ。さみしい。さみしさしかない。…だのに生きてゆく、生きてゆく女なのだわ」この最後の言葉は男たちを憎むさびしい売春婦も生きて行くという前向きの思想が表明されている。これは舞台劇としては後味のよさを示すためにも必要であったろう。だが久坂は神戸繊維会館での上演からほぼ2週間後に自殺する。それは「さびしい」思いだけが残り、「生きてゆく」ことを諦めたことになる。そこに鶴見の言う「甘え」があったのだろうか。「男達がにくい」というセリフはラジオ局に勤務する妻帯者のプロデューサーと不倫して捨てられた経験があってのことだろう。妻帯者とわかっていながら関係を持ったのであるから久坂にも落ち度があった言うべきかもしれないが、男は仕事を与える代わりに肉体関係を迫ったかもしれない。TVが出現する前夜の当時、TV局のプロデューサーが若い女を漁ることは今と同じくあたりまえにあった話のはずで、女も体と交換に名声と金を得ることを何とも思わない者が芸能界や法放送業界に巣食うだろう。富士は久坂が数年先のTV時代まで生きればTV界で有名になったのにと惜しむが、ラジオ局にアルバイトで勤務していろいろ嫌な経験をしたのであるから、TV界ではもっとそうであったはずだ。いずれにしろ久坂は男の醜さ、非情さに幻滅したであろう。そういう久坂が最期に男優と恋愛したことは解せない気がするが、小説を書く身としては格好よく見えなかったのであろう。それはさておき、「女達」の終わりのセリフが「生きてゆく」であるのに、久坂は年末に自殺することをその上演の頃にはもう決めていたと考えてよい。作品の中で「生きてゆく」と表明することと現実に自殺することとは矛盾しない。作品は作品で、作者の人生はまた別であるからだ。それに「女達」では久々良ら売春婦は何の希望も見出せずにただ生きているだけで、久良々にしてもミミやひろみにしても、明日はどうなるかわからない。つまり久坂が自殺したことを知って改めて「女達」を読むと、登場人物全員に救いは訪れないことを確信する。
久良々の最後のセリフの冒頭は「生きてて一体何があるんだ、何という生活だろう。…」とある。「何という生活」は貧しい売春婦の思いを代弁するとして、「生きてて一体何があるんだ」は経済的に裕福な、あるいは名声を得た者でも感じる場合があって、それを21歳の久坂が思い、そして自殺することは、「甘え」や「頽廃」はひとまず置いて、「病気」とみなさねば多くの人は安心して生きて行くことが出来ない。生きていて楽しいことは人それぞれに違い、それらを数え上げれば無限にある。したがってそれらはどれも些細なことで、ある人には無価値だ。そのことを認めると、「生きてて何があるんだ」という虚無の空間がすぐ隣りに大きな口を開いているように感じることがある。それが増長すると精神の「病気」になって自殺に至ると単純に言ってしまえば、久坂の自殺は間違った行為であったと糾弾することになる。自殺は悪であると一般には言われるが、他の動物と違って人間のみが死を自分で選ぶことが出来る。それは最後に残されている尊厳と言うことも可能ではないか。鶴見は本書の評文の最後にこう書く。「この人は自分にせいいっぱいのことをしたのに違いない。」これは全くそうだ。本書を含む3冊を読むと、久坂はやるべきことをすべてやり終えて死んだように思える。確かに長生きすればもっと多くの作品を書いたはずだが、それらは3冊に書かれることが核になって、言い変えれば繰り返しに終始したであろう。本書に収められる詩はそういう核の最たるもので、それゆえ鶴見は「古典的な完成に達している」と書いた。10代でそうであれば、長生きして多作しても同じではないか。あるいは逆に筆の力が鈍ることもあり得る。生きていて何があるのかという白けた言葉は、人間の醜さを知ったためであろう。久坂は最後の手紙でこう書いた。「そんな汚い世の中に住んでいたくない。…世間知らずかも知れないけど。富士さんのような年とった人でも やはり私と同じだ。私よりもっと純粋かも知れない」 これは愛した男への非難の思いを含むだろう。つまり相手の男を富士のように純粋ではないと言っている。つまり久坂は最愛の男に幻滅した。とはいえ年齢が離れ過ぎていた富士はそもそも恋愛の対象にならない。久坂はいくらでも男と知り合う機会はあったはずだが、夢中になれる相手はそうたやすく見つからない。これが人間の不思議なところで、売春婦も体は与えるが、心は別物と思っている。実際そのとおりだが、「女達」に書かれるように売春婦はまともな結婚は出来ず、好意を抱いてくれる男がいても犯罪者や詐欺師といったことが現実であると、久坂は醒めた思いを抱いていた。クロード・チアリのギターで有名になった「夜霧のしのび逢い」は売春婦の恋愛を描いた映画の主題曲で、筆者はその映画を見ていないが、御伽噺のように非現実的な物語に思える。
久坂は「女達」の上演で主人公を演じたか。久坂以外に演じる女性がいるとは思えない。とすれば久良々のセリフは久坂の思いを悲愴なまでに体現していた。そして上演が終わればもう思い残すことはなかったのであろう。書き、言うべきことはみな済ませた。後は死ぬだけで、汚い世の中に住んでいたくなかった。他人はいざ知らず、自分だけでも純粋さを保って長生きすればいいと筆者は思うが、「女達」にあるように、女は男を憎みながら男に支えられている。これは主に「経済的に」との意味だろう。久坂の才能がさらに開花して人気作家になれば、経済的に自立し、男に頼る必要はなかった。久坂以降にそのように有名になった女性小説家はいくらでもいる。一方、筆者が思い出すのは東電OL殺人事件の被害者になった東電勤務の39歳の独身女性だ。彼女は昼間は多忙な仕事に従事し、夜は売春婦となっていた。そして男に殺されたが、経済的に困窮していたのではなく、鶴見の言葉を借りれば「病気」であった。そしてたぶん男を憎みながら、生きていても何があるのだとの思いに駆られていた。そのOLと久坂とで共通するのは「さびしさ」だ。東電OLは仕事と売春業を両立させ、どちらにおいても「さびしさ」から脱することが出来なかった。しかし久坂のように自殺はせず、殺された。その死は自殺に等しく、本人にすれば殺されてよかったのだろう。久坂とそのOLとは27歳ほどの年齢差がある。戦前と戦後の違いはあっても同じ昭和世代で、両者とも男尊女卑の考えが強い時代を生きた。鶴見が「このような人は久坂の他にかなり多くいるはず…」と書くのは、久坂のように自殺した文筆家の才能のみを思ってのことではない。東電OLも本人は意識はしなかったであろうが、結果的には「はっきりと自分の病状を見て、勇気を以って報告した例」となったと言ってよく、筆者は彼女に久々良の姿を重ねる。貧しさゆえに売春婦にならざるを得なかった久々良やミミ、ひろみとは違って東電OLは有名大学を出て恵まれた社会的地位にあったのに、男を敵視する「さびしさ」を抱え込んでいた。久坂が純粋な心を持ったまま文筆家として名声を得ることは可能であったか。それはわからないが、現在名声を博し、経済的にも成功している女性の小説家を見ると、さて久坂の言う純粋さがあるのかどうか、筆者は疑問に思う。久坂が長生きして有名になれば純粋さを失ったか。それも誰も知りようがないが、女を意識した久坂は女の醜い面もよく凝視していて、そのことは「女達」にも書かれる。つまり、久坂は久良々でもあり、ミミでもあり、またひろみでもあって、売春婦は男に支えられて生きるしかない存在で、女の本質を体現していると思っていたのだろう。そして有名になったところでそれは変わらない。以上は本書について書きたいことの半分ほどだ。久坂の笑顔の写真を見ていると、筆者は彼女と話したくなる。
●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→