「
類は呼び 似た者同士 にたりかな ひねもすだべり のらりくらりと」、「この毛布 もふもふ感の 不毛感 されど色目に 今も色目を」、「ライナスの 好きな毛布の 肌の香や 親指吸うて 足りぬものなし」、「母が言う 進駐軍の 払下げ くすみ緑の 毛布懐かし」
最後の歌は筆者が小学生になるかならない頃に毎晩母が整えた寝床に敷かれていたカーキ色の毛布だ。昭和30年代前半であるから、朝鮮戦争でアメリカ軍が使用した軍用毛布が日本の古道具市場に出回ったものだろう。その毛布の肌触りや色合いをよく覚えている。端にわずかに綻びがあったと思うが、汚れはなく使用には差し支えがない。実用本位に作られた無地のものだが、兵士の体を効率よく温めるものであるから、市民が使っても丈夫で保温はよかった。その毛布を5,6年かもっと長く使ったように思うが、やがて母は安価で出回った花柄の新品を買った。カーキ色の軍用毛布ではあまりに無粋で、母もいつまでも子どもたちに使わせたくなかったであろう。そのカーキ色を今はウクライナのゼレンスキー大統領がTシャツに使い続け、軍隊色として普遍のものとなっている。筆者は昔カーキ色のブルゾンを愛用したことがあって、それを買った時に思ったことは幼ない頃のカーキ色の毛布だ。戦争で使われたものの払下げを嫌悪せず、むしろ毎夜目を閉じる前に視野を覆うそのカーキ色の深い草緑色が好ましかった。茶色もわずかに帯びていて、心を落ち着かせる色だ。同じ色が木綿の手ぬぐいにあればまた違う感覚を抱いたが、ウールに染められた深いカーキ色はそれだけに存在する独特の何かがあった。そう言えば筆者はサラリーマン時代にカーキ色の生地でスーツを誂えたことがある。その生地を選ぶことに会社に出入りしていた業者は少々変な顔をした。3つボタンのそのスーツは体にぴっちりと作ったこともあって数年も着用しなかったが、処分したのは惜しい。とはいえ衣服はたまる一方で、順に捨てなければ置き場所がない。値打ちが出る古着があるとしてもたいていは時代遅れに見え、またそのように人々に感じさせるようにデザイナーは新しい流行を作る。そうでなければ新商品が売れない。日本は特に使い捨て文化が盛んと言われるし、古着に抵抗のある人の方が多数派だろう。それで古いキモノや帯はただ同然の値段で売られることになるが、洋服にはあり得ないほどに手の込んだものがままあって、見る人は見れば値打ちがわかり、そういう人は宝の山が信じられないほどの安価で手に入るが、昔の人の体と今の人とでは身長や身幅にかなりの差があって、着用が不可能な場合がある。仕立て直すにも生地幅が足りず、足りたところで文様を新たに追加染めするには古着価格の何倍ものの費用がかかる。またそれはまだましで、違和感なく染める職人がもういない。いてもそういう半端仕事はやらない。
『大阪の日本画』のチケットに印刷された北野恒富の「宝恵籠」はキモノの文様や染色技法を知らねば充分に味わいが鑑賞出来ない。一例を挙げると、籠の中の女性は匹田絞りの襦袢を着用しているが、手で一粒ずつ絞るその技法は機械のように正確には匹田が並ばず、またそのことが味わい深さになっている。恒富は本物の匹田絞りであるかのように絵具でそれを描くが、そのことが今の超写実主義画家にとって簡単なことかと言えばそうではない。そういう画家は本物の匹田絞りのキモノを何度も手に取って見ることがなく、染色品の深い味わいを知らない。そういう者がいくら目を凝らして匹田絞りを描いても現実感は出ない。それはリアルなようでいて写真の無機質さに留まり、肌に直接まとう染織品の味わいを再現出来ない。それで恒富の「宝恵籠」は現在では誰も同じような絵が描けず、画家は現代のファッションに身を包む女性像を描くしかないが、無理してキモノ姿の舞妓を描けば石本正の作品の絵画のようにまるで染織品の美しさを知らないことになる。それで石本は舞妓を裸にして陰毛に視線を導いたのかもしれないが、恒富の「宝恵籠」のような端正な美しさの女性でも甲斐荘のように女性の美醜を合わせ持った真実味からも遠く、卑猥な視姦を情欲させる絵画もひとつの新たな可能性ではあるから、それぞれの画家にファンがつく。さて、昨日書いた甲斐荘楠音展は染織作品の紹介に昔から努めている京都国立近代美術館ならではの企画であった。甲斐荘がデザインしたキモノがたくさん展示されたからで、また日本のハリウッドと称された京都の映画撮影所が制作した映画に使われたキモノであるゆえ、同じ展覧会を東京で開催してもピンと来る人は少ないだろう。東京で開催中の『大阪の日本画』展の入場者数が最終的にどれほどになるのかわからないが、現在の文化の中心地とされ、また人口が圧倒的に多い東京では中之島美術館の10倍見込めないと成功とは言い難い。実際はそうはならないはずで、大阪展よりも少ない気がする。とすればその原因は何か。以前書いたように夏目漱石は京都の木島櫻谷の作品を評価せず、京都画壇に対して敵愾心を持っていたようなところがあるが、明治の東京の文化人にすれば日本の文化の中心地は東京で、上方は時代遅れという思いが強かったのかもしれない。しかし昨日書いたように京都で制作される時代劇の衣装をデザインするとして、友禅関係の仕事をかたわらでしていた京都の日本画家の参画は当然で、同じ時期の東京では無理であった。つまり美術としてはあまり顧みられない染織は映画という新しい文化に側面で大きく寄与し、先端的と思われる絵画のみが評価されることの底の浅さをどこかで露呈させる。甲斐荘の絵画は染織模様を実際に生地にどう染めるかという技術面の熟知に裏づけされていて、有職故実を含め、京都の日本画家は学ぶべき伝統が多かった。
その伝統は戦後に途絶え、もはや京都画壇と呼べる才能の集まりはなきに等しいが、そこで登場した新しい絵画は染織や他の工芸から離れて画家は甲斐荘の時代にはなかった孤独を抱え込んでいる。一方、染織を専門とする作家は絵画表現に向かい、新たな絵画を模索、提示しているが、そうして本来の日本画が豊穣なものに進展して行くかと言えば、画家は工芸に対して職人のイメージを持ち、たとえば染織から学ぶことは稀だ。そのためそうした今の画家は甲斐荘のデザインしたキモノを見ても見どころを理解せず、したがって甲斐荘の絵画の意味もよくわからないのではないか。京都国立近代美術館が京都の工芸、特に染織作品の展示にこだわるのは絵画との関係が無視出来ないからだが、染織品がそのままで美であることは当然のことで、したがって恒富や麦僊、楠音が描くキモノが実際のキモノよりも美しいと思うことは絵画を特別視し過ぎる。恒富が「宝恵籠」を何点か描き、おそらくそのたびに芸妓の着るキモノの文様を変化させたと思うが、そこにはキモノの美への愛着からその美をそのまま分的に再現して画題の中心の女性をより華やかな存在にしたいとの考えがあった。人間は裸で生活出来ないので布や皮は不可欠で、そこに染織の美の必要性が生じる。その染織技法は民族によって異なり、それぞれの国柄を表わすが、今月8日に甲斐荘展を見た後に立ち寄ったコレクション展会場でフィンランドの「リュイユ」展が開催中で、前知識なしにそれらの羊毛を染めた壁かけや小さな絨毯などを見て、いかにもフィンランドらしい味わいを楽しんだ。フィンランドから連想する芸術性は寒い国土を反映し、清潔で冷たくはあるが内面にマグマを抱えたような熱さと言ってよいだろう。逆にフィンランド人が日本の染織品を見てどう感じるかを知りたいところだが、その代表は小袖、キモノであるはずで、そこからたとえば恒富の「宝恵籠」の美しさを感じるまではごく短く、日本美術は衣装と絵画が分かち難く結ばれていると思うのではないか。本展で筆者が最初に感心したのは今日の最初の写真にあるチラシに採用された作品だ。これは絨毯のように床に置かれていて、畳1枚分より少し小さい。何に驚いたかと言えば、赤と緑の対比で、特に四方を枠取る赤が複雑な色を組み合わせ、しかもこれ以上はないという濃色で染めた羊毛を使い、その色の複雑な味わいは油彩画では絶対に無理なもので、染めるということの美しさの権化がこの作品にあると思った。題名は「採れ立ての作物」で、1972年にウフラ=ベアタン=シンベリア=アールストルムが作ったとのキャプションがあって、共同制作品か。チラシの文章によればルイユは16世紀に寝具として用いられ、1900年の万博で今日の4枚目の写真の左上の『炎』を自国館に展示し、ロシアからの独立を視野にナショナル・ロマンティシズムの一端を担ったとされる。
リュイユは画家のデザインをもとに織り手が制作する場合と作家が手がける場合があるという。これは友禅と同じで、また日本でも羊毛を自分で染めて織り上げる作家は少ない。その場合、どういう染料で染めるかで色合いに差が出るが、本展ではそこまで踏み込まず、「採れ立ての作物」が化学染料で染められたものかどうかわからない。いずれにせよ深い色は染料を多く染み込ませたためで、色落ちを心配すべきだが、頻繁な洗いは前提にしておらず、鑑賞用であるので過剰な染料を使っても問題にならない。こうした織物はどの家にもあって珍しくないが、市販品にない色柄ではそれ自体の存在感によって鑑賞用とされ、所有者は他にはないその魅力に生活の質を左右され、日々一緒に暮らすことに充実感がある。美術品とはそういう役割を持ち、それは絵画に限らない。不要と考えるものを限りなく所有しないミニマル主義が一部に流行しているが、彼らはたとえば「採れ立ての作物」を目の前にしてその色の深みをどう思うだろう。毛布や衣服に限らずこうした染織品は人間の存在と深く関係したもので、美的効果を目論んで制作された「採れ立ての作物」は絵画では代えられない物として、また一方では絵画以上に日常の生活に含まれるものとして、個人に訴える度合いが強い、あるいは別種のそれを保持している。この作品を筆者は幼ない頃に母が買って来た進駐軍の払い下げのカーキ色の毛布と比較したいのではないが、同じく羊毛を使った深い色の織物という点で記憶に深く刻まれ得ることを思う。その考えを広げれば染織品全般の意義を知るし、またそこに美がどう関わり得るかという問題に思いが行く。筆者が毎夜一緒に眠ったカーキ色の毛布にはタグはなく、無地の深い色が広がってそれが白いシーツに映えていた。わが家に「採れ立ての作物」があれば、それを敷く場所を聖なる空間のように扱ってその作品の配色を日々堪能するが、カーキ色の毛布と通ずる点は唯一深い色で、またそれは羊毛であるゆえに具現化しているもので、そのことに他の表現では代わりようのない素材に応じた美の本質が存在することを思う。これは人の造るものはすべて美が宿り得ることを意味しはするが、筆者が「採れ立ての作物」に感動したのはその微妙な諧調を見せながら全体として写真では再現不能な毛糸に染み込んでいる染料の濃さで、チラシの右端3分の1の拡大写真が示すように実際は深い色はさほど多くなく、1本ずつ濃度と色相を変えた毛糸の集合が全体として深みを帯びていることの効果に気づく。それは筆者がかつて使用したカーキ色の毛布とは全然違って最初から美的効果を狙って染め、そして織られたものだ。そこに用の合理的な美に徹したカーキ色の軍用毛布を対比して美の微妙さに感じ入る。母の愛がもたらした中古の軍用毛布には他者が美しいと感じる何かはないが、それに包まれて眠ったその毛布を筆者は見たい。
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