「
糾弾の 相談受けて 油断して 登壇するや 階段外し」、「運よきと 思えるほどに 運のよき 欲出すほどに くよくよも増し」、「10点で 言えば3点 つまらぬ日 寝ること以外 したきことなし」、「根気とは 元気なくして 出ぬものと 本気で知るや 陰気のさなか」
今日の写真は昼頃に撮った。パソコンを置いている3階の窓からふと外を見ると飛行機雲が風になびいて幅が広くなっていた。自衛隊のジェット機の通り道になっていて、夕方になると嵐山の上空をよく飛ぶが、こうした雲が出来ることは珍しい。この写真はちょうど1か月前の
先月22日に載せた同じ窓からの眺めと同じ角度のもので、飛行機雲が珍しいことと、今日はアメリカの大西さんが東京の羽田からニューヨークに向けて帰国したことにかけてたまたま撮影し、早速載せることに決めた。3月22日の投稿で筆者は花粉症で体調が思わしくないことを書いた。両足の膝から下、そして外側にひどい発疹が生じ、毎晩足が火あぶりの刑に晒されているように熱くて痛むが、相変わらず薬を用いず、バンドエイドで血と膿が滲み出る箇所を片足ずつ20数枚毎日貼りつけている。それでも下着やシーツが血まみれになる。右足はわずかにましで、歩くにはさほど困らないが、立ち止まることが出来ない。信号で立った途端に特に左足は圧迫感で激痛が走り、常に歩き回っている必要がある。それは無理なので、スーパーへの買い物も回数をかなり減らしている。それはさておき、大西さんは2月に日本に一時帰国するメールを筆者に届け、20日に詳しいスケジュールが伝えられた。今月8日に東京着、19日に京都で筆者と会う計画が、羽田でコロナに感染した。13日に電話があって長話をしたが、帰国中の奧さんの東京のマンションに泊まり続けて今日帰国した。筆者へのお土産物は19日に郵送で届き、またそれ以前に筆者の発疹の治療に役立てるようにとヒマラヤの塩が大量に送られて来た。近いうちにそれを溶いた湯で両足を温めようと考えているが、大西さんが京都に来ても筆者の両足が万全な状態でなかったので、予定していた各地を順調に案内出来たかは疑わしい。筆者も大西さんも今回は運が悪かった。筆者の発疹はごくごくゆっくりと改善に向かっているのは確かだが、「風風の湯」の常連のFさんは5年ほど前の筆者と同じ年齢の頃に両足の同じ箇所が全く同じ症状になり、当時通っていた銭湯の女将から勧められた病院に行き、皮膚科の薬をもらって根気よく塗り続けて現在ようやく発疹を数か所残すのみとなったとのことで、サウナ室で体を見せながら説明してくれた。それでFさんは薬を用いない筆者は4,5年かかっても改善しないと脅す。70歳を超えて免疫が低下し、若い頃には罹らなかった病気にもなりやすく、またなかなか治癒しない。ついに筆者もそういう体になったかとここ2か月はがっくりとしている。
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