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●神社の造形―石上神宮、その3
緒聞き 眉唾ものと 思うのは 相手に重み まるでなしゆえ」、「悪夢見て 枕の下に 鋏敷く 母の姿や 三十路の強き」、「夏の夜に 生駒に遠出 涼を得て 復路鈍行 二家族のみ」、「無理を言い 母にねだった ロボットや銃 わが四五歳の 苦き思い出」●神社の造形―石上神宮、その3_b0419387_18114194.jpg10数年前に家内が大学で働いていた時、上司の広島県の田舎出身の大柄な女性から、「大山さんはこまいからな」と言われて憤慨したことがある。身長150センチほどでは確かであって、「こまい」は当たっている。この「こまい」は大阪では「こんまい」と変化して家内もよく知る言葉だが、筆者は「ちんまい」と言い変えて家内に言うとまた怒っていた。さて、大阪市内の小中学校の校歌では歌詞に「生駒」が歌い込まれる場合がかなりあると想像する。その「いこま」の由来は何か。ネットに諸説あり、「駒」すなわち「馬」を山に放牧したためという意見は、「生駒」の字面からは説得力があるが、東住吉の駒川商店街の「駒川」が「高麗川」となれば、「生駒」は「生きる高麗」で、渡来人たちが移住しことが理由と考えるのが妥当な気がする。一方、朝鮮語で「コマ」とは「チビ」の意味で、日本語の「こまい」は朝鮮語がそのまま伝わったことが考えられる。その伝で言えば「イコマ」とは朝鮮語でどういう意味かと疑問が湧くが、これに諸説あって、わかったようなわからないような気にさせられる。それはともかく、生駒は標高が650メートルほどで、羽曳野辺りの大和川沿いは低くなっているので、生駒山は河内と奈良の間を遮りながら、一方では結ぶ土地として重要な役割を歴史的に担って来た。日本に稲作がもたらされてから牛や馬が労役に便利に使われたかと言えば、それらの動物が半島から入って来たのは古墳時代の半ばとされる。その頃の馬はかなり小型であったらしく、ならば「イコマ」の「コマ」は「こまい駒」の意味かと勝手なことを考える。「七支刀」が造られた頃はまだいなかったと考えてよいが、埴輪に馬を象ったものがあり、その製造年がほぼわかれば馬の渡来年も推察出来る。それはともかく、生駒の本来の意味がどうであれ、古墳時代と強く関係することは間違いなさそうで、またその頃になっても渡来人が日本にはない珍しいものをいろいろと持ち込みながら定住したことがわかる。「渡来人」は筆者が小中学生の頃は「帰化人」と教えられたが、日本の高度成長に遅れて韓国が国力をつけるにしたがい、「渡来人」がよりふさわしいと日本に指摘し、やがてそう呼ぶことになった。そこにも国同士の国力の差による言葉ひとつに対するせめぎ合いの一例が見られる。半島からの人たちは日本に逃れて来ていわば「帰化」を願ってそれが許されたと主張したい学者は、弥生時代から古墳時代における日本が当時の半島よりも文化が進み、ひとつの大きな国家を営んでいたと子どもに教え込みたかったのだろう。
●神社の造形―石上神宮、その3_b0419387_18120406.jpg 中国や朝鮮よりも歴史が浅い日本では以前このブログで取り上げた本が示すように、発掘を捏造してまでも古い歴史を作り上げたい病的な欲求がある。ところで、日本では縄文時代への憧れが一部の文化人に根強く、そこに弥生時代の稲作や焼き物をもたらした渡来人とその子孫が作り上げた原日本文化と言ってよいものを否定したい思いが働いている気もする。それは日本文化のよさを認めつつ、別の形にあり得たかもしれないことへの憧憬と言えるかもしれない。また縄文の装飾過剰性は現代芸術を初め、あらゆる造形の試みがなされて来た結果の新鮮さであって、「アール・ブリュット」の元祖にも見えるからだ。縄文人が一掃された後に渡来人が弥生文化を作り上げたのではなく、大陸、半島からの新しい技術を得て縄文土器を時代にふさわしくないものとみなすようになったのであるから、日本自身が新たな様式美に目覚めた。狩猟と採取の生活を続け、稲を育てることを知らなければ人口は急増せず、強権を持った者が多くの民を率いる国家の概念が育ちにくい。縄文時代にも稲作が行なわれていたとの研究もあるが、弥生時代の始まりを従来よりも遡らせるだけのことで、どの道渡来人が縄文人に稲作を教え、大陸や半島の新しい文化は以後続々と入って来る。つまり弥生時代の始まりから古墳時代の終わりまで、あるいは飛鳥や奈良時代になっても渡来人は断続的にやって来たと考えてよく、渡来人はざっと2000年間に日本をまとめ上げるために寄与したが、その人数となれば想像がつかない。縄文時代の末期に10数人がやって来て稲作を伝えたとの意見があるが、何かに書き留められていることではない。また渡来人は渡来人同士結婚して日本の国土の中に別の国を造ろうとしたのではなく、縄文人と混血し、日本の自然に即した独自の風習、宗教観を身につけるようになった。よく言われるように大陸や半島とは風土が違う日本ではどこか途方のないものは生まれにくい。人物を見てもそれはわかる。筆者が「七支刀」で不思議なことは、その形のとんでもなさで、そのことを当時の日本の人々がどう思ったのであろう。神宝の刀は直刀で、実用的でもあるが、「七支刀」はどこか漫画的で、実用性はない。ではなぜわざわざそういうものを貴重な鉄で造り、日本に運んで来たのか。その形には神仙思想の影響を感じるが、日本が中国の道教に影響されながらもそれを中国ほどには受容しなかったことが、「七支刀」のその後にある気がする。つまり「七支刀」を模造したり、その独特の形を変化させたりすることはなく、半島から伝わったまま大事に扱われるのみで、日本の文化に影響を与えなかった。そこに当時すでに日本文化が色濃く形成され、大陸や半島のものをすべて模範にすることはなくなっていたが、新しい血を常に混ぜねば衰退に向かうのは必至で、日本の目は大陸に向き続ける運命にあった。
 最近読んでいる建築家の白井晟一の著作『無窓』の最後近くに1978年の文章「伊都内親王願文」があり、そこに次のように書かれる。「桓武帝の朝官には朝鮮系帰化人が多かった。当時のインテルゲンチャとは一ディメンション上の頭脳であった。逸勢書格の骨組みには、まず王義之があり、筆容は鮮風、それに海怪の仕上げを認めるのは誤りであろうか。いずれにしても逸勢の筆性には帰化人より学んだとしか考えられぬ脱島国的デフォルムとリズムがある。私は近頃、韓国数百年の書集成を鑑賞する機会をえて、逸勢書との符合に目をつぶり、肯いた。この鮮風と平安初期の書との契縁は、空海に於ても、等しい暗喩を窺うことができるのだが、逸勢に於ては特に正着顕著である。空海・逸勢ともに日本書道史中の名筆として、書を学ぶもの、語るものにとっては巨巌のように生き続けるであろうが、その日本的でありながら、大陸的なものの陶冶による奪魂を秘めた怪奇なすさまじさは、筆枝抹消の研鑽によっては共感・体得されぬものであろう。」 白井が書くように、現在御物となっている「伊都内親王願文」の破格ぶりはよほど長年書を学ぶ以外にその独特の味わいを知ることは無理だろう。さて、神社の形は簡素を基礎とし、弥生土器とは底でつながっている。春日大社の本殿のように貴族の優美さを誇るものでも基本に「脆さ」「はかなさ」があって、花にたとえてよい。花は長持ちしないが、長持ちさせる必要がないとも言える。建て替えればいいだけの話で、その考えはほとんど現代まで続いて来た。だが木造では火事や倒壊の危険が大きく、そして持ち家信仰の拡大とともに頑丈さが重視され、家は花であっても造花のようなものになって来ている。古い社寺にはあまりにそぐわない建物が急増し、神も仏も遠のいた。そこに新興宗教の勃興の理由もあった気がする。とはいえ、神社も創建当時から建物が同じまま伝わることのほうが珍しく、木造文化は何度も建て替えることを当然のように考える。石上神宮は古墳時代の創建でありながら、現在の建物はみな鎌倉時代以降のもので、新たなに建てる時に流行をことさら意識せずとも細部のデザインにその様子が現われることを避けることは出来ない。そのため、日本最古さは神社の建物を除いた山の自然から感じるのがよく、古墳時代と同じ空気がこの神宮の境内や周辺に漂っている気にさせられる。それは「七支刀」が伝わったことからも的外れな思いとは言えない。昨日の写真を説明しておく。最初は石上神宮摂社の出雲建雄神社で、筆者の撮影位置の真後ろに優美な拝殿がある。それは平安時代からあった石上神宮南方にあった内山永久寺が明治の廃仏棄釈で取り壊され、拝殿のみ現在の場所に移築された。2枚目はその近くにある猿田彦神社で、その写真の撮影場所から90度左すなわち北を向いて撮ったのが3枚目で、4枚目は同じ場所から上が西、下が東を見下ろした。
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by uuuzen | 2023-04-19 23:59 | ●神社の造形
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