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●神社の造形―石上神宮、その2
の葉 みな青ならば 青江三奈 葵の上の ブルース歌い」、「鬱蒼と 茂る若葉に 錆びた丹の 老いた社の はかなき重さ」、「脇道を 見下ろしここが 帰り道 広がる眺め これぞ大和ぞ」、「大陸と 行き来多かる 古代にも 人情ありて 刃傷もあり」
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昨日学生時代の友人Mについて書いたのは、石上神宮とのつながりを思うからだ。Mは東住吉区の針中野に住んでいたが、同地には「百済」を冠する小学校があり、そのすぐ近くにある有名な「駒川商店街」の「駒川」が「高麗川」の言い変えであることは誰でも察し出来る。同商店街の南端西に架かる橋は「百済橋」で、嫌韓の波が今も根強くある日本でよくぞその名称が残されたと思う。もっとも「百済」は他府県にも見られ、それだけ古墳時代には朝鮮半島から人々が日本の各地に移住して来たことがわかる。さらに言えばそうした今で言う「国際交流」は縄文時代やもっと前からあって、日本を血の混ざりけのない純粋な単一民族と捉える考えは国として形が整った飛鳥時代から芽生えて来たものだろう。半島からの渡来人は瀬戸内海を舟で東進し住吉大社のすぐ西の浜に上陸し、同大社の3,4キロ東の針中野から真東30キロに石上神宮があり、平たく言えば舟から上陸してその日のうちに石上神宮に行くことはたやすかった。電車や道路に慣れた現代人は距離感をそれらの便利な方法で考えがちだが、歩くしかなかった時代の人々は現代人以上に広範囲を動き回っていたと考えていいのではないか。これは蛇足だが、Mが結婚してマイホームを名張にかまえたことは移動の意識が東に向いていることで、筆者の友人Eも八尾から生駒に家を買って転居したことと思い合わせると、大阪人はどうも東方に住んで落ち着くことを夢想している気がする。筆者は大阪から京都に来たので厳密には東北への移住だが、東であることには変わりがない。これもついでに書いておくと、百済から渡来人が大勢やって来たのは京都の太秦もそうで、広隆寺のあの国宝第1号の木造の弥勒菩薩像は当時は日本になかった材木が使用され、半島で造られたものとの意見が昔からある。筆者はその像の表情が朝鮮半島でひとつの典型的な、現在もよく見かける女性の骨相そのものに見えて仕方がないが、もちろん嫌韓派ないしそれに傾いている考えの人は絶対に受け入れない。京都で最古を誇る寺の広隆寺は渡来人の秦氏の建立で、正確な創建はわからない。石上神社は日本最古の神社とされるが、それは正確には不明というただし書きをつけるべきだが、春日大社や伊勢神宮、住吉大社などより数百年は古い。またそれだけに最初の石上神宮がどういう状態であったかはわからないが、面白いのは伝わる国宝の「七支刀」は銅鏡の何枚かと一緒に百済からもたらされたもので、神宮の本来の礼拝の対象になっている「禁足地」に埋められていたものがいつの間にか鏡は流出したことだ。
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 手元にある週刊朝日百科『日本の国宝』の8「奈良/石上神宮 天理大学」の号に写真が載るが、禁足地からは「三種の神器」の残りのひとつである勾玉もたくさん発掘され、また2枚の鉄製の盾も出て来た。前者は4世紀、後者は5世紀のものとされる。半島でも勾玉は製造されたが、日本とでは形状がやや違い、材質は日本の翡翠がより硬度があるので、素材が百済に運ばれて製造されたが、日本製を一緒に禁足地に埋めたのかもしれない。それはともかく「三種の神器」の考えは半島が起源の可能性が出て来ることとなって、日本にしかない「神社」の原型も半島由来となる。それでは国粋主義の国学者は困るので、理屈をこねくり回して日本を宇宙を代表する神国と主張し、明治になって天皇を神として同時に外来の宗教の仏教を「棄てる」という極端なことに突っ走り、その先に原爆が落とされる戦争も経験した。話を戻して、「七支刀」の銘文は象嵌が一部剥がれて何年にもたらされたものか解読不能だが、ざっと1700年ほどの間、本来の意味がとっくに忘れ去られながらも大事に保管して来た石上神宮ないし日本人の意識は世界に稀なもので、奇跡と言ってよい。それだけに国宝指定は当然だが、奇異な形状が何を象徴するのかには定説はなく、また製造方法が不明で、日本では鋳造と鍛造の二種の方法で復元したが、銘文は刻まれていない。レントゲン写真でも解読不能な箇所が不明であるのは残念だが、欲を言えばきりがなく、折れて伝わったにしろ現存するのは古代の歴史好きにはありがたいことだ。この「七支刀」は朝鮮半島で発見されていないが、今後発掘が進めば類似品は出て来るかもしれない。それを言えば日本の歴代天皇の陵墓の発掘が認められていないので、日本に眠っている可能性はある。筆者はこの刀の形から鹿の角を連想するが、その左右の角を合体させ、やり単純化したものというしかなく鹿との関係は薄いだろう。つまり後の春日大社とは関係がないと思う。先ほどネットで「七支刀 鹿の角」で検索すると九州のある場所で昔からこの七支刀と同じものを手に持つ変わった衣装の男や五三桐の紋を胸に描いた人物の人形を祀る祠があることを知った。地元では石上神宮より以前から同じものが伝わっているとされるようだが、五三桐ではどう考えても時代が千年以上新しい。それに素朴な人形が千年以上も大事に保管されるはずがない。筆者の想像では「七支刀」の存在が全国的に知られるようになった、しかも明らかに明治以降の人形で、写真からは昭和時代のものと断言してよい気がする。ただし最初の人形はもっと古く、それを式年造替のように数十年に一度は同じように作り直して来た可能性はある。それにしてもせいぜい300年前かそこらだろう。「七支刀」に関する資料が乏しいというか、他にない状態ではこうした民間に伝わった素朴な人形と話を絡めたくなる気はわからないでもない。
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 そこには邪馬台国論争が絡み、なおややこしいことになっている。ともかく、禁足地が本殿の代わりを担っていたことは創建当初は鳥居もなく、現在のような神社らしい建物もなかった可能性が高いのではないか。神宮となったのはかなり後年で、「布留社」と呼ばれていた頃から禁足地には絶対に誰も立ち入らせない決まりが作られたのであろう。石上神宮では七支刀を神田の田植えの際に儀式に用いて来たとされ、一昨日投稿した「神田神社」まで毎年一度は往復させたことになる。その間に錆びたり折れたりしたのは仕方のなかったことだ。鉄は錆びるのが早く、かなり初期の段階で銘文の内容は忘れ去られたであろう。3日前の投稿で参道の坂道を道路の反対側から撮った写真を載せたが、その写真の左端に見える「石上神宮」と彫る柱は、この刀があった拝殿に接した奧の「禁足地」を取り囲むこの神宮の最初の呼び名「布留社」の石の玉垣群を模したもので、またその後の神社が同じ形の玉垣を木製でも模倣するので、この形は刀と考えてよい。禁足地は一般人は踏み込めないが、グーグル・マップの衛星写真では新しい平な屋根で全体が覆われている。七支刀の銘文の解読はさまざま意見が出ているが、割合読みやすい書体で、よく見える部分に関しては異論を挟む余地はないが、少しくらい篆書や金文の知識があってもわからない文字を含む。またざっくり言えば百済から下賜されたか献上されたかの解釈で学者は二分される。当然嫌韓派は献上されたと言うが、韓国の学者は当時の文明の進んだ百済がなぜ日本に謙る必要があるのかと主張するだろう。有名な好太王の碑文と同じ問題がある。それは古代を現在の国の権力闘争で見るからで、つまりは勇ましい人たちは過去に自国が劣っていたことを認めたくないという意識が働く。学者はもっと純粋かと言えば、決してそうでなく、御用学者はいつの時代にもいる。また百済と当時の日本との関係は軍隊を日本が大勢派遣するほどで、たとえはよくないと思うが、仮に北朝鮮が韓国に攻め込んだ時、日本が韓国を助けるために派兵することになぞらえることが出来そうで、2000年程度の歳月では半島と日本の関係はほとんど何も変わっていないと思う。針中野や石上神宮辺りに住みついた渡来人が日本語を話すのは一世代あれば充分で、混血化は急速に進んだろう。またそういう混血の末裔が嫌韓派の中心にいても何ら不思議ではなく、人間はあまりに大昔のことは知らず、また知りたいと思わない。今日の写真の説明とともにこれは明日に回すが、一流の才能能力を持った帰化人が来たのは事実として、政変に巻き込まれるとどろどろ劇が繰り広げられるのはいつどこの国でも同じで、百済人であるので特別待遇を受けた時期はそう長くは続かなったのではないか。オンドル生活を守った人々もやがて日本の気候風土に慣れ、半島、大陸文化は日本流に咀嚼された。
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by uuuzen | 2023-04-18 23:59 | ●神社の造形
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