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●天理大学附属天理参考館、その2
るや 神は陽気に 生き物を 人も象る 多くの神を」、「夜明け前 雀囀る 裏庭に吾は出るまで 五時間眠る」、「睡眠の リズム乱れて 三か月 目覚める夜は ゴヤの絵思う」、「吾のこと 誰も知らぬは 心地よき 好きなことして 好きなとこ行く」 天理参考館の1,2階は「世界の生活文化」と題され、1階の展示は茨木の「みんぱく」に似る。たとえば戦前の北京のさまざまな店の看板はみんぱくにないが、朝鮮の民俗仮面はみんぱくにもまとまった数が展示される。ただし収集時期は参考館が早いだろう。柳宗悦は朝鮮の仮面にあまり関心を持たなかったのではないか。権力者の風刺劇に使われた朝鮮の仮面は、紙製のものであれば使用後は処分されるのが普通で、古い時代のものは残りようがなかったが、同じように作り続けられて来たので時代の特定が難しい。筆者は朝鮮の仮面に昔から関心があり、参考館に展示されるものを撮影したのに、照明が弱過ぎて真っ暗に写った。それら仮面のうち10点のカラー図版を載せる『秘蔵名作展』の図録からは、色合いが古風を帯びていることがわかり、明らかにみんぱくのものより古い。岡本太郎は「太陽の塔」の内部に朝鮮の仮面を初めとした民俗仮面を展示し、「太陽の塔」の外観に大きく掲げられる3面の独自の仮面との関係や出自を示したが、朝鮮を初めとした民俗仮面は岡本が創出した仮面よりはるかに民衆の存在感を示し、また民衆芸術すなわち民藝と個人の芸術との違いも伝える。縄文文化に憧れた岡本としては、自作の仮面は日本独自の圧倒的な造形の歴史を引き受けてその最先端にあるとの自負があったろう。あるいはしょせん人間の作るものは大昔から変わっていないとも思ったに違いない。「太陽の塔」とそっくりなテラコッタの小さな土偶がヨーロッパの古代にあり、そうしたことを指摘された岡本は、「大昔にも岡本太郎がいた」と意見したことは有名だ。その笑いに変えた返答は、現代の個人がどうあがいたところでその創造は大昔にあったものという謙虚さと諦念が感じられる。そうしたことを実感するには古代に作られた「物」が必要で、それは思考の参考になる。あるいはそれしか参考になりようがない。その意味を込めての「天理参考館」という命名であるはずで、形あるものから人々は多くのことを思索し、またそれは時代とともに蓄積され、変化して行く。つまり世代が変われば新たな見方が生まれる。その意味で参考館が展示する作品は常に新しさを含んでおり、一度見た人がまた何年後かに見ると新たな発見がある。そうした行為を楽しいと思わせる教育が国家の底力になる。その一翼を参考館が無言で担っていることは見上げたことだ。同じものを目の前にして、大いに感動する人とすぐに忘れる人がある。それは仕方のないことだが、前者を増やすべく務めるのが教育の根幹で、金儲けの話ばかりでは人生は全くつまらない。
●天理大学附属天理参考館、その2_b0419387_01175253.jpg
 教養を強要することは出来ないか。本当は強要してでも子どもに歴史や文化の重要性を説くべきだ。美術や音楽以外のテストの点のみ重視し、そうした教育で育った高学歴者が国を司るとやがて必ず国力は衰退する。そして国が滅びた後、その国が国宝として珍重して来たものはどうなるか。清朝を思えばよい。宝は世界に拡散し、価値のわかる国の人によって大事にされる。そして二度と元の国には戻らない。アフリカ諸国がヨーロッパの有名美術館、博物館に対してかつて持ち去られた自国の宝物の返却を求める動きがここ20年ほどの間に活発化して来ているが、政情不安な国に返還されると破却の可能性が増す。それにかつてはそれなりに正しい売買によって作品が別の国に移動したのであるから、元の国が返却してほしければ買い戻すしかないと筆者は考えるが、天文学的な数字の価格ではそれはとうてい無理だ。清朝が所蔵した宝物は台北の故宮博物院に大半が移動したが、習近平が台湾を併合したがっている理由のひとつは台北の故宮博物院から返却を求めることよりも手っ取り早いからではないか。それはさておき、日本の国力が低下する一方と言われる昨今、もちろん美術品の修復費用は捻出が難しい。その最大の理由は日本の無教養な政治家が跋扈するからと言ってもいいが、観光立国を目指すのであればフランスのルーブルに倣って日本が観光地だけではなく、美術品のもっと積極的な展示や紹介に努めるべきだ。そうした美術品に興味のある観光客は百人にひとりかもしれないが、そのひとりが残り99人よりも重要で、世界に向けて意見を発する確率が高い。天理参考館の1日当たりの来場者の数は知らないが、筆者が訪れた時は1時間ほどの間に他の人影がなかった。そして筆者が玄関ホールから出ようとした時、40代半ばの男女が入って来て、チケット売り場の高齢の男性にぶっきらぼうにどういうものが展示されているかを訊ねていた。彼らはきっとほとんど失望し、駆け足同然で展示場を後にしたろう。前知識がなければ楽しめないものばかりでは決してない。しかし「これは何か」という興味が旺盛でなれば相手の「物」はこちらに何も語りかけて来ない。日本の義務教育はそうした一番大事なことを子どもに教えないだろう。AIが取って代わることの出来る能力を重視する教育では、子どもは金儲けのことだけを考えるか、あるいは無気力になってスマホでゲームばかりする。そうしたことを天理教がどう子どもたちに方向性を示そうとしているのか。「陽気に生きる」という言葉から最初に連想されることは、孤ではなく複数だ。話し相手がいて、ともに笑うので陽気になれる。そのための大きな道具として参考館の展示物や天理図書館の書籍がある。ついでに書いておくと、筆者は周囲に筆者の関心事を話せる相手がほとんどいない。それでこうした長文を毎日書いているが、それは陽気への階段であり、そのものでもある。
●天理大学附属天理参考館、その2_b0419387_01182559.jpg さて、前置きが長くなった。参考館の2階の展示はみんぱくにないもので、また『秘蔵名品展』でも紹介されなかったので、今回の訪問で最も感じ入った。1階の展示は奧すなわち北に向かって順に見進み、突き当りを出て階段で2階に上った。すると2階は北端から南へと順に展示を見ることになる。その最初は「移民と伝道」で、明治時代から天理教の信者が世界各地に布教したことが、南北アメリカを例に多くの文字資料や写真、実物大の看板や建物で紹介されていた。布教目的では入国出来ない場合は表向きは布教を隠すのだが、そうした苦労は現代人は想像しにくい。なぜそこまでして布教するのかは愚問だ。フランシスコ・ザビエルなどの例があるように、宗教の信者は命をかけて布教する。途中で死んでもそれは仕方がないというほどの覚悟があるから、信者でない人は聞く耳を持つ。その布教は金儲けではない。「一緒に陽気に生きよう」という信念だ。また外国への布教のためにはその土地の言葉以外に生活や文化を知る必要があり、そうして参考館に展示される「物」が集められもした。「移民と伝道」のコーナーで筆者は写真を撮らなかった。撮りたいものはたくさんあったが、撮る気になれなかった。それは鑑賞の対象としても「物」ではなかったからだ。あまりに信者の生活に密着したアウラに充ち、信者でない筆者は彼らの労苦の前にただ茫然と立ち尽くすしかない。ブラジルのジャングルに建てられた信者の住まいが実物大で再現されていた。その中に入ると本当にジャングルの粗末な家に入った気になる。生きて行くのに最低限必要なものだけで、隙間だらけの部屋には毒蛇が入って来ることもあったという。ハワイやブラジル移民は60年代に記念切手になったので筆者は子どもの頃から知っていたが、そうした人々の中には天理教の信者もいて布教に努めた。それは満州でも同じだろう。WIKIPEDIAには天理教の信者は戦前に300万人を超えたこともあったとあり、そうした先人があって現在の参考館、図書館が充実したはずで、「移民と伝道」のコーナーは天理教ないし宗教を考えるうえで必見のものだ。次の「庶民のくらし」は日本の古い時代の比較的大がかりな農耕用の道具や器械だ。これらは古道具屋が扱うには大き過ぎるもので、かつては日本各地にたくさんあったものだが、今では現物が珍しいものだろう。掌に載る郷土玩具なら個人で収集する人は大勢いるが、こうしたいわば大規模な「物」は保管や展示の場所を充分に持っている施設が集めるしかない。「くらしの中の交通」は鉄道や自動車など、範囲と種類は多く、何をどう展示するかは自在と言ってよい。次回の企画展は近鉄の協力によって『近鉄電車展Ⅱ―大和ゆかりの路線100年―』で、その展示物が未完成の状態に置かれていた。近鉄の天理駅はJRの同駅よりも乗降客が3,4倍と多く、天理教は近鉄と関係が深い。
 昨日の最後に載せた写真は「グデア像頭部」で、前22世紀のシュメール王国の作だ。ほとんど同じの「グデア像」は30数個発掘され、ルーブルを初め世界中に散らばった。今日の最初の写真は新潮社刊『人類の美術』の『シュメール』にあるグラビア図版で、全身像が写る作はルーブルにある。『シュメール』の本文最初にアンドレ・マルローは、20世紀になってイラクで発見されたこれら古代の彫像についてブランクーシの彫刻図版を並列させながら書く。マルローの空想博物館の思想はこのシュメールの彫刻に触発されたものと言ってよい。ブランクーシの斬新な彫刻は4000年前のイラクに同様のものがあったと言えば、先の岡本太郎の「太陽の塔」と同じで、人間は抽象具象ともあらゆることをやり尽くしたとも言える。ただしそこには複雑な問題が絡む。シュメールでグデアがどのような人物であったかは、像に刻まれる楔型文字の判読からおおよそがわかっているが、独自の宗教ないし個人崇拝があった。そのことがグデア像の圧倒的な迫力の理由になっている。当時は鋳造技術も発達し、同様の迫真的な彫像が発掘されているが、天理参考館の「グデア像」は間近でその頭部を見るとどのような道具でどのように固い石を彫り、そして磨いたのかと大いに気になる。同様の像が30いくつか現存することは当時はもっと多く造られ、またそれに値するだけのグデアという人物であったが、その両眼や立像での両手の組み具合はエジプトになく、地上からすっかり消え去った古代文明の個性がこの「グデア像」一点からでも顕著に伝わる。「物」の力と言うべきで、それは日本の雛人形や土人形にもそれなりの民族の造形感覚の結晶として見られ、天理参考館がそうしたものも集めることの理由はわかる。それにしてもこの「グデア像」を参考館はどのようにして入手したのか。清朝が亡びる時、国宝級の宝物は市場に混乱のまま出回り、日本にもかなりの数の優品が入って来た。もちろん中国の業者から正統に購入したものだが、20世紀に入っての発掘品は同様に発掘された国家の管理が及ばず、何人もの古美術業者によって世界に買われて行った。橋本関雪が「ベルリンの画家」を初めとして古代ギリシアの壺を購入したことも同時代のはずで、天理教の信者が「グデア像」が売りに出たことを知って買ったのだろう。これは現在のイラクにあれば国宝としてよく、それほどに珍しいものが天理参考館に常設展示されている。今日の2枚目の写真は上下とも『秘蔵名品展』に出品されず、その後の購入ではないか。2体の並ぶスフィンクスはレプリカでいいのでほしい。下のギリシアの赤絵の壺や皿も見応えがあり、壁面にさまざまな形の壺などの名称と形を説明するパネルは教育的効果が正しく目論まれている。中学の美術の先生の言葉を思い出す。「古代ギリシア時代はあらゆる形の壺が造られ、それぞれ固有の呼び名があります」
●天理大学附属天理参考館、その2_b0419387_01184188.jpg

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by uuuzen | 2023-04-13 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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