「
驀進に 見惚れて避ける 引きこもり どう生きるとて 時は戻らず」、「こうすれば ああなると知る 見通しの 正しさ問わず 目先に惑い」、「暇なしを 言うほど何も せぬを知り あの人多忙 吾が代わりを」、「陽を浴びて 眩し気な児の 乳母車 母見守りつ 買い物散歩」
天理本通りに出版社があり、その名称に「陽気」の言葉が含まれる。「陽気」が天理教では最も重要な言葉であることは前回天理大学図書館に訪れた時に置かれていた雑誌などで知った。天理教では人々が陽気に暮らす様子が楽しく、それが神の意思であることを主張する。ところで、筆者はツイッターのプロフィール写真に自作の切り絵のうち、「いつも心に太陽を」という、60年代に流行したアメリカの流行歌の題名の邦題を拝借した作の部分図を載せている。それは太陽の日差しを同じ顔をした自己ないし人間が胸を開いてその光を通す様子を描く。締め切った部屋は塵が入らないが、部屋の空気はよどみ、やがて黴が生え、建物は腐って来る。そのために窓は必要で、それを毎日開閉しなければならない。窓を開けての外部の塵や埃の進入よりも風通しのよさのほうが大事だ。部屋に爽やかな空気を通し、蓄積しがちな黴や微生物を払いのける。これは人間がいつでも心を開いて外部と接触出来る態勢にあることの重要さの比喩にもなっている。筆者は成人する頃まではとても暗いとよく人から見られがちであったが、好きな仕事をするようになって生き生きとするようになった。その好きなことがある人は幸福だ。好きなことをしてよいと言われてギャンブルや酒飲みに執着する人がいるが、彼らは本当に好きなことを見つけておらず、未熟なのだ。あるいは一生そのままだ。それは仕方がない。気づく契機に恵まれないまま一生を過ごす人は大勢いる。話を戻して、「いつも心に太陽を」の主題曲が使われたアメリカ映画は黒人教師が主人公で、彼は白人による偏見を超えて結局理想的な先生であることを生徒たちから認められる。そのため「いつも心に太陽を」の太陽は、憧れ、敬愛する人物の意味で、天理教の言う「陽気」とはいささか違うが、「明るく楽しく過ごす」ことでは共通する。この「明るく楽しく」は小学生低学年に与える標語のようで、大人は気恥ずかしさが先に立ちそうだ。それで斜にかまえて「暗くて狷介」が格好いいとみなしがちだが、陰気は陽気があって存在し、生命の基本は陽気だ。太陽がなければ生命はないからだ。ただし、筆者は昔創価学会の若者の集まりに呼ばれた時、必死の形相で合唱を勧め、また大声で歌う女性に一種の「明るさ」を強要する狂気を見た。彼らは陽気に集まって歌い、そして信仰の親交を深めようとしていたが、筆者は白けるばかりであった。陽気の共用はいいが、強要はよくない。対面していると気持ちがよい、楽しい人柄がたまにある。そういう陽気が筆者には好ましい。
陽気の惹起には優しさがある。誰でも優しくしてもらうと心が明るくなる。優しくしてもらうには自分も他者に優しくするのがよい。その優しさを親切と言い換えてもよいが、それが通用しない場面は往々にしてある。それに何となく口を利きたくない嫌な奴というのは誰しもあるが、筆者はそういう相手と関係したかつての嫌な経験を記憶しながら、当人を前にして平然と挨拶し、話すことが出来るようにいつの間にかなった。すると相手も大人であるから、同じ態度で接し返すが、それでいいのであって、人間関係にはなるべく波風を立てないことだ。そのことを陽気と形容していいかどうかはわからないが、「引きこもり」の反対をモットーに生きると、対話の摩擦がありはするが、相手の人間味に触れることは確実にあって、欠点、欠陥部分も含めて全存在をそれなりに認められるようになる。「あんな人だが、まあいいところもある」と思うことだ。そうしなければやがて誰とも会話が成立しなくなる。とはいえ、やはりストレスを抱える最大の原因は人間関係で、多くの人と接するほどに嫌なことも多く経験する。その嫌なことをそう思わないように努めることだ。宗教の教祖と呼ばれる人はみな「人間通」であり、人間の本質を知悉している。そうでなければ多くの人が集まって来ない。そういう教祖の人間的魅力はやはり心の窓を全開にし、どのような光や塵でも入り込むようにしながら、ある信念を他者に無理なく伝達する能力に長ける。だが、おそらく教祖と呼ばれる人は死ぬまでそのことに大いに葛藤し、また迷い、悩むはずで、ある一歩のところで陽気から陰気の世界に踏み込むことがあるだろう。筆者は今マーク・トウェインのことを思い出して書いているが、「人間通」が最期に人間に幻滅するのは痛々しい。ますます老化に向かう筆者が「いつも心に太陽を」を標語のように掲げるのは、人間嫌いに傾くことを暗に恐れているからかもしれない。しかし目下のところ、筆者は家内から見ても陽気そのもので、何の心配もないように見えている。さて、今日の最初の写真は上が天理本通りの東端を向いて撮り、同じ場所から南を向いたのが下の写真だ。この下の写真の真正面奧の建物の屋上辺りに定点カメラが置かれ、ネットで神殿の前、すなわち筆者の撮影位置が常時観察可能となっている。その録画がすべて残されているのであれば、筆者の姿がそれに収まっている。2枚目の写真は前回と違って歩道橋を利用し、車道を越えて撮った。上の写真は正面に天理参考館、下は天理大学を臨んだ。3枚目は車道の南側を流れる川沿いの見事な桜で、数人の花見客が桜の下で点在していた。彼らが天理教の信者かどうかだが、誰でもこの川沿いに立ち入ることは出来るだろう。そう思いながら筆者は天理参考館に急いだが、自転車で突っ走る男子学生に擦れ違い、他に数人の人影しかなかった。
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