「
矛が欠け 盾も割れるや 長戦 ハレルヤ聞かず 空は晴れるや」、「教祖さま 今日嘘つけば 明日もかな 言わずもがなと 口を揃えて」、「AIに ええ愛あるか 使いよう 匠操り 巧みな道具」、「緑青の 屋根の目立ちに ほしき丹は 女性教祖の 住まう魂」
出かけた時間帯によるのか、天理駅前本通りのアーケード商店街は閑散としていた。営業中か休んでいるのかわからない店がままあって全国的に存在するシャッター商店街を幾分思わせるが、毎月の例祭には信者が駅から神殿に至るこの長い商店街を歩くし、また地元住民も各店を利用するから、経営状態は筆者が心配するには及ばないだろう。WIKIPEDIAによればJR天理駅と近鉄の同駅を利用する人は1日平均で合わせて1万人弱で、年々減って来ている。これは信者が減少しているためで、人口のそれと連動していることと、信者の2、3世が信仰から離れる傾向があるからだろう。商店街を歩いて気づくのはコンビニがないことだ。これは理由があってのことかどうか。後日書くが、天理市内にコンビニはあって、その店前に天理教の黒い法被を着た若い男性がたむろしている光景に出会ったので、天理教がコンビニを忌避しているのではないようだ。また商店街には古本屋はなかったと思う。目立ったのは間口の広い造り酒屋で、店の前で奈良漬けを売っていた。それに天理教の神具を扱う店が2軒あって、ウィンドウを覗くと天理教が神道系の宗教であることがわかる。2,3軒ある果物屋では干し柿が目についた。筆者が好きであるからだが、奈良の柿は有名で、鏡餅用の干し柿の生産地でもある。3月2日に訪れた時は駅に近い店で500円の干し柿一袋を買った。食べ頃を過ぎたせいか、あるいは昆布の味が移ったのか、あまりおいしくはなかったが、ほとんどひとりで食べた。今回は帰りがけに商店街の半ば辺りの豆菓子を売る店で大阪人には馴染の「あわおこし」を一袋400円を買った。生姜の味が利いてとてもおいしく、2,3袋買えばよかったと後悔している。店の名前が「中山……」で、天理教の教祖の遠戚かとも思うが、実際のところはわからない。ほかにも気になる店があって商店街好きには楽しい道のりで、こうして書いていてさまざまな店の光景が思い浮かぶ。今回往路で気づいて即座に入ったのは画廊で、個性的な顔の若い女性をモデルにした油彩画展が行なわれていた。はがきをもらって来たので画家の名前がわかる。「岩屋富雄」だ。7,8人の客がいたこともあって、筆者は5分ほどで出たが、商店街に面した窓にかけてあった8号ほどの小品はきわめて印象深く、女性の内面を力強く表現し、抽象味を加味した写実絵画としてとても好ましく思った。画家の奧さんだろうか、帰り際にそのことを伝えて外に出た。帰りにまた立ち寄ろうと思いながら、どういうわけか画廊に気づかずにアーケードの西端に至り、一瞬引き返そうかと思いながら、駅に向かった。
さて、天理本通りを東に抜けると左手に神殿が見えることは以前書いた。アーケードの東端と神殿の間に神殿域を図示した案内板が掲げられ、その背後に案内所の大きな建物があるが、今回はその看板をしばし眺めた。
「天理に行く、その1」の3枚目の神殿の全景写真はその案内所の前から撮ったが、神殿の背後すなわち北側に同じ規模の別の建物があることを前回気づきながら、先を急いでいたのでそれがまともに見える場所まで行かなかった。今回は看板を確認し、案内所の前を北に進んでその建物すなわち教祖殿を見ることにした。歩けば音の鳴る白い砂が敷き詰められ、また周辺に人影がほとんどないこともあって、気後れしながら教祖殿の全景が眺められる場所まで行った。その時に撮ったのが今日の写真だ。最初は教祖殿の手前、神殿東側の広場に並べられた長椅子の群れだ。これは中山みきの誕生日である4月18日に多くの信者が集まるために準備されたものだろうか。筆者が訪れた3月末からは2週間以上あって、その間に雨天があって大いに濡れるから、片付けを待っていたものかもしれない。今日の2枚目の上の写真は神殿東側から北向き、下の写真は南向きに撮った。3枚目は教祖殿の全景で、撮影位置は神殿から続く回廊のすぐ手前だ。その回廊を超えて北に踏み込む勇気はなかった。信者でなければ中山みきが現在も生きているとされるその教祖殿が建つ聖域に立ち入ることは常識的に遠慮する気になる。教祖殿は屋根が緑青を吹き、神殿とはまた違った美しさがある。神社で言えばこれが本殿で、拝殿に当たるのが神殿とみなしてよいだろう。教祖の魂が生きていて、それを祀るのは弘法大師の高野山でも同じで、毎日礼拝と食事の用意がなされる。教祖殿の最も中心に何がどのように存在するのか知らないが、仏像に倣って中山みきの像があるとは聞かない。肖像画はどうか。WIKIPEDIAには肖像画が紹介されるが、それが弘法大師像のように広く流布され、信者の崇敬の対象になっているのかどうかは知らない。また天理教には「かんろだい(甘露台)と呼ばれる高さ2.5メートルほどの木製の台が礼拝の際に用いられている。その台は六角形のナットとボルトを組み合わせた形状で、筆者は雌螺子に雄螺子が食い込んだ様子、つまりインドのリンガムヨニを連想するが、その独特の造形の出自は天理教の経典に相当する何かに記されているのだろう。神道系の宗教として、神社とは違う何かを形あるものとして提示する必要はあり、その代表が「かんろだい」と考えてよいのだろう。大本教の本部の建物に王仁三郎らの美的造形感覚がどう関係しているのかは大本教本部を訪れていないのでわからないが、天理教の神殿、教祖殿は威圧感がなく、広々とした土地に軽やかに建っていて、穢れを一切感じさせず、信者でない筆者でも清いものに触れたという気がする。
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