人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●ふたたび天理に行く、その1
摩さん 目は指先に 十もあり ここ凝り見つけ ほぐして安堵」、「再訪を すれば桜の 満開や 景色一変 夢のごとくに」、「法隆寺 唐招提寺 さらに先 天理終点 山辺間近」、「天理には 利点のひとつ 本通り 雨に濡れずに ぢばまで続き」
●ふたたび天理に行く、その1_b0419387_17491275.jpg
先月末、今度はひとりで天理に出かけた。先月2日と同じく往路は京都駅から、復路は大阪に出てから京都に戻った。今日から10日ほどの予定で当日のことを順番に書くが、今日の内容のように天理には関係がない投稿を含む。約1か月ぶりの天理再訪で、筆者の服装は軽やかになり、また桜が満開であった。出かけた最大の理由は前回見ることがかなわなかった天理参考館を訪れることだ。同館の感想は後日書くとして、今日は近鉄の西大寺駅から乗り換えて天理に向かう車窓から撮った大和郡山城の写真を使う。西大寺駅から天理駅に通ずる線路を天理線と呼ぶと思っていると、途中まで法隆寺線で、それから天理線となる。3月2日は西大寺から天理まで直通電車であったのに、今回は帰りの電車は山端駅で乗客が全員降りた。おかしいなと思うと、そこで別のプラットフォームに移動させられ、西大寺行に乗り換えた。西大寺から天理に向かう線路を筆者はめったに利用しないだけに印象深く、法隆寺や唐招提寺に行った昔を思い出すが、ここ10数年は大和郡山駅が気になっている。郡山は金魚で有名で、TVでは毎年のようにその養殖の様子や金魚すくいが紹介される。そう言えばある造形作家による電話ボックスに金魚を泳がせる「美術作品」が昔話題になり、郡山市はそれを無断模倣したとかで造形作家が訴えた。ネットではその造形作家への賛同は少なかった気がするが、その後和解したのだろうか。赤や黒の金魚の群れをアクリル製の屏風や人間が入れるほどの壺などの容器に閉じ込めた作品が案出され、百貨店での展覧会などで毎年のように開催されている。それは電話ボックス金魚のアイデアの延長にあるが、電話ボックス金魚の造形作家は訴えなかったであろう。いずれにしろ筆者は金魚を「美術作品」の主要な要素として使う考えに賛同しない。金魚がかわいそうと言いたいのではなく、大がかりな容器に詰め込んだ金魚が美しいと思わないからで、料理店の生け簀の中の魚を覗き込むほうがまだよい。さて話を戻して、大和郡山が気になっている最大のは金魚ではなく、一昨日触れた柳沢淇園がらみだ。以前書いたことがあるが、筆者は淇園の書画を所有していて、その中で最大の作品の全紙二幅対は、淇園が東大寺二月堂まで出かけたことを詠んだ漢詩を書く。淇園がどの道を歩いて東大寺まで行ったかはおおよそわかる。城から東北にざっと5、6キロで、漢詩にある冬場に筆者はその道を歩きたいと思い続けている。また淇園は何度も京都を往復したから、その道も機会があれば歩いてみたいが、早朝から夕方まで費やせば可能だろう。
●ふたたび天理に行く、その1_b0419387_17493782.jpg
 3月2日は電車の窓から見える大和郡山城は桜が咲いていなかったが、今回は城に通じる石垣の間の出入り口の上部に「郡山城桜まつり」といった言葉を書く横長の大きな看板が見えた。持参したトイカメラのシャッターを往路で切り、念のために復路の車窓からも撮った。いずれの場合も石垣が見えた途端に連写したのに、結局今日の3枚がどうにか使える状態であった。これら3枚は復路でのもので、撮ったのとは反対順に載せる。残念であったのは前述した横長の看板が写らなかったことだ。その下をくぐって天守のある場所まで上りたいと思ったが、それならば来年の3月末から4月のかかりに訪れる必要がある。一方、郡山城の花見もいいが、筆者がまず望んでいるのは前述の淇園の漢詩の世界を味わうために初冬から1月末頃までの寒い時期であって、満開の桜はひとまず電車の中から10秒ほど見ただけで我慢する。淇園は甲府から大和郡山に移り住んだ。山梨と奈良とではどちらが淇園ないし柳沢家の顕彰に力を入れているかとなれば、前者であろう。淇園は芸達者で、武士の中で奇人変人の頂点に立つ人物と言ってよい。それだけに武士として好ましからざる行状とみなされ、大和郡山に城替えが言い渡された。日本ではサッカー・ブームが湧き起った80年代後半頃からか、「サムライ」の言葉がスポーツ選手に使われるようになって今に至り、また世界中に「サムライ」が通用するようになった。そのイメージは忍者や切腹が合わさってつかみどころのないものに思われている気がするが、筆者が「サムライ」から思い浮かべる代表人物のひとりは柳沢淇園だ。特にその書は侍しか書けない真っすぐさがある。淇園は細井広沢に書を学んだとされるが、当然ながら両者の書の味わいは全然異なる。淇園はもっと若さが横溢し、独特の鋭い色気があり、しかも生真面目だ。当時の侍がみな竹を割ったような真っすぐな性質であったかと言えば、筆者は大部分はそうでなく、芸に無関心で単純な考えを持ち、視野も狭かった気がする。現代の無趣味なサラリーマンを思えばよく、そういう凡人が大多数を占めていた侍社会であったので、淇園のような才能は「遊び人」の典型に思われた。しかし淇園は役人としての仕事もこなしての芸達者であり、またそういう余裕のある人物であったので一部では嫌われたのかもしれない。そういう淇園の生活により肉薄したければ郡山城を訪れるべきで、その石垣の上から奈良の古い寺や京都がどう見えたかを一度は想像したい。3月末、筆者は天理参考館を訪れた後、よほど郡山城に立ち寄って大阪に出ようかと思った。それには1時間は要する。その時間がなかったわけではなかったが、筆者は時計を持っておらず、しかも電車の本数は多くはない。結果を言えばその後に大阪の美術館を出たのが午後5時直前で、郡山城を訪れていれば大阪に出ても無意味であった。
●ふたたび天理に行く、その1_b0419387_17495150.jpg

●スマホやタブレットでは見えない各年度や各カテゴリーの投稿目次画面を表示→→

by uuuzen | 2023-04-09 23:59 | ●新・嵐山だより
●温泉の満印スタンプ・カード、... >> << ●ふたたび天理に行く、その2

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?